「忘れないために」 「記憶を風化させないために」
そうかもしれない。でもどこかで違うのではないか?という思いがしている。 何が違うのか分からないのだけれど。
確実なのは、今日 心を寄せて、思い出し、祈る人が日本だけではなく世界中にいるということ。不安や哀しみに寄り添い祈る人が一人、二人ではなく大勢いるということはそれだけで生きる力になる素晴らしいこと。
きのう、ふっとアナムネーシスという言葉が頭に浮んだ。カトリックのミサで聖変化の時に、2000年前にイエスがパンを取り「これは私の体」、ぶどう酒を取り「これは私の血」 「記念として行え」といわれたことを、今ここでアナムネーシスする。 いい日本語に訳せないから、「記念する」と訳されているけれど…
大震災の恐怖、悲しみ、辛さや不安を一年前と同じように思い起こすというのではなく、あの時に多くの人が被災地の人に心を寄せ、一人じゃないよ、共にいるよと思い、自分にできることは何かと思った、その事を思い起こす、そういう意味でのアナムネーシスというのはありや無しや。
これはあくまでも私の頭の中にふっと浮かんだことで、神学を生業とされている方のお叱りを受けそうなのだが…
カトリック用語の三位一体も政治にも経済にも使われているようだし、ユビキタス(神の遍在=どこにでも在る)もコンピューターの世界で使われているしかなり一般化、アナムネーシスもいつか一般社会で使われると気が来るかも…
分からないことを考えるのは哲学みたい。
そうかもしれない。でもどこかで違うのではないか?という思いがしている。 何が違うのか分からないのだけれど。
確実なのは、今日 心を寄せて、思い出し、祈る人が日本だけではなく世界中にいるということ。不安や哀しみに寄り添い祈る人が一人、二人ではなく大勢いるということはそれだけで生きる力になる素晴らしいこと。
きのう、ふっとアナムネーシスという言葉が頭に浮んだ。カトリックのミサで聖変化の時に、2000年前にイエスがパンを取り「これは私の体」、ぶどう酒を取り「これは私の血」 「記念として行え」といわれたことを、今ここでアナムネーシスする。 いい日本語に訳せないから、「記念する」と訳されているけれど…
大震災の恐怖、悲しみ、辛さや不安を一年前と同じように思い起こすというのではなく、あの時に多くの人が被災地の人に心を寄せ、一人じゃないよ、共にいるよと思い、自分にできることは何かと思った、その事を思い起こす、そういう意味でのアナムネーシスというのはありや無しや。
これはあくまでも私の頭の中にふっと浮かんだことで、神学を生業とされている方のお叱りを受けそうなのだが…
カトリック用語の三位一体も政治にも経済にも使われているようだし、ユビキタス(神の遍在=どこにでも在る)もコンピューターの世界で使われているしかなり一般化、アナムネーシスもいつか一般社会で使われると気が来るかも…
分からないことを考えるのは哲学みたい。