幹線道路がズタズタにやられた、救援を待っている処に最良と思われた物資を生命線の胃袋から小腸をまで送り込んだが、現地の受け入れ体制が整っていなかった、一次隊から5次隊まで必用に支援を続けた、通信手段も復興していなかったので現地の生の情報が正確に解らないでいたのだ、救援隊の二次、三次、四次と被害が拡大するまで解らないかったのが今回の苦行に繋がった、絶食を始めたのは6月2日で今日で二週間ににも及ぶ、僅かな水だけで耐えた大量の点滴を打ち続けた、今回の治療には内科医も加わり万全体制だ、治療方法も定まり喉に穴を開け 食道を通 し胃袋へ、そこから小腸、大腸まで管を入れて多重遭難した場所を含め瓦礫の撤去が一週間ほど続いた。
今日は朝から現状確認のため造影剤を食道から入れ、レントゲンでの追跡調査が始まった、始めでから4時間後に僅かだが待望の通便があったのだ、此で幹線道路の復興に大きく前進した嬉しい日に、漸く退院の目安もついて来る。
妹は、朝から私の代わりに遠藤農園に出向いている、とうとう害虫の被害が出て来たので清田JAでその対策を聞いて必要なものを買って来てもらう事にしていた。
農園の情報第一報が届いたのは午前中だった、現場の写真を何枚も撮る事も頼んだ。
農園作業が病後の体力回復の特効薬になっていると確信している。
遠くから北海道神宮祭りの振れ太鼓の音が聞こえて来ている。