
ふるさとはかわるのだろうか、生まれた所は目の前に佐渡島が見える周りを山で囲まれた海岸の村だった少し高台になっている家の前を降ってゆくとそこは砂浜だった、海岸線に沿って道路があったと思うが私が生まれた頃はどちらの隣の村に行くには道路が通じていなく小船が交通手段だったと思っている、無論今でも港は無く砂浜に船を引き揚げてあったことを記憶している。
誕生後、三歳で生まれ故郷を両親と一緒に飛び出したと云ってもいいと思う、詳しくは判らないが両親は切羽詰って故郷を捨て、その頃は水杯で別れ北海道に渡っていた時代だと聞いていた、苦労して室蘭市輪西町に定住し、私が小学1年生の時に、旧制中学1年の兄と二人で生まれ故郷に帰った、兄は私と違って小学6年までは祖父の所で育ち、中学へ入学する時点で室蘭の親もとへ、すぐ下の妹と二人家族が増え兄弟も6人くらいになっていたと思う。
兄は親よりも祖父に育てられているので、学校が夏休みになると故郷へ帰ると聞かなかったらしく、一人で行けるならとひも付きの様に私を付けて故郷帰省を許したと云っていた。
その頃は青函連絡船に乗り、新潟の故郷入りには峠を通るルートしかなくこの旅で一番印象に残った峠越えだった、今思うと兄は故郷を目の前にして逸る心を抑えての足取りだったと思うが、小学1年の私には寂しい森を抜けての初めての峠道は、遠く遠く感じていた、後年通った時はこの峠もトンネルが出来ていたが峠道を選んで越えたがあっという間の通過だった。
1993年還暦を迎え50年以上経ってからの故郷入りは、この時の小学一年生時の記憶が故郷の全てたった、運よく父親の妹か存命で縁者にお会いできたことは本当に嬉しかった。
あれから、20年近くなる故郷には海や山があるだけ、時々思い出しては胸を熱くしている。
今日はダンスデーサークルボラーレも半年に近づく、そろそろ初期のステップをマスターしなければと思っているが、雪融けと共に冬眠から覚めた様に趣味が広がる、忙しくしているのが良いのか良く判らない。
峠から見る故郷五ヶ浜村
誕生後、三歳で生まれ故郷を両親と一緒に飛び出したと云ってもいいと思う、詳しくは判らないが両親は切羽詰って故郷を捨て、その頃は水杯で別れ北海道に渡っていた時代だと聞いていた、苦労して室蘭市輪西町に定住し、私が小学1年生の時に、旧制中学1年の兄と二人で生まれ故郷に帰った、兄は私と違って小学6年までは祖父の所で育ち、中学へ入学する時点で室蘭の親もとへ、すぐ下の妹と二人家族が増え兄弟も6人くらいになっていたと思う。
兄は親よりも祖父に育てられているので、学校が夏休みになると故郷へ帰ると聞かなかったらしく、一人で行けるならとひも付きの様に私を付けて故郷帰省を許したと云っていた。
その頃は青函連絡船に乗り、新潟の故郷入りには峠を通るルートしかなくこの旅で一番印象に残った峠越えだった、今思うと兄は故郷を目の前にして逸る心を抑えての足取りだったと思うが、小学1年の私には寂しい森を抜けての初めての峠道は、遠く遠く感じていた、後年通った時はこの峠もトンネルが出来ていたが峠道を選んで越えたがあっという間の通過だった。
1993年還暦を迎え50年以上経ってからの故郷入りは、この時の小学一年生時の記憶が故郷の全てたった、運よく父親の妹か存命で縁者にお会いできたことは本当に嬉しかった。
あれから、20年近くなる故郷には海や山があるだけ、時々思い出しては胸を熱くしている。
今日はダンスデーサークルボラーレも半年に近づく、そろそろ初期のステップをマスターしなければと思っているが、雪融けと共に冬眠から覚めた様に趣味が広がる、忙しくしているのが良いのか良く判らない。

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