ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

年寄り半日仕事?

2013年12月16日 22時24分51秒 | ペタンク爺さんの一日
今日は何時にない過密なスケジュールをこなし切った、この日程はだいぶ前から決まっていて計算上はまだ余裕があると思い、朝一番にふた月に一度くらいの眼科の診察を入れた、朝飯前道路を挟んだ回明堂眼科に診察カードを置いてくる、朝食を食べ8時30分に眼科に出向く、診察順番は2番なので診察開始とともに始り30分ほどで終わってしまう、院外処方の目薬を貰って帰っても1時間ほどで終わってしまう、地の利を生かした定期検診と思っている。
暇があると少しの時間でもと凧工房の作業に手を出す、雨が降るくらいなのでベランダ工房も温かい時間を見ながらの作業が続く。

今日は、13時からシニア大学の創造学園34期同期の偕老会の役員会が月寒公民館が決まっていた、肝心な所は終了していたが15時まで終わらぬ会議に独り会議を抜けだす。
車を持って来ていたので、そこから6キロくらい離れた厚別区の北沢ダンス教室に約束の15時少し遅かったが間に合う、30分ほどの個人レッスンを受け帰りしな妹に頼まれていたリンゴを買いにスパーとっぷすに立ち寄り予定の物を買う。

夕食は午後5時少し過ぎた時間になる、18時30分から月寒公園パークライフセンター意見交換会があり月寒公園フアンクラブで参加していた、私を含め、I.C,T女史にI氏を含め5名が参加した、終わったのは20時30分を過ぎていた、有意義な交換会だったと思っている。
朝から降った雨で道路の雪がジャフジャブ其れが暗くなってから凍って来てブラックアイスバーンがいたるところに出来ていた、こんな悪条件の夜道は女性一人で返すことはできないので、1人ひとり自宅玄関まで送り度どけて帰る。

兎に角忙しい一日だった、反省も含めて年寄り半日仕事とは云えないとつくづく思う。

インホメーションセンターの全景模型







2014橇世界の幕開け

2013年12月15日 17時39分04秒 | 橇爺(そりじい)モード
2014橇世界の幕開けとなった、今日の白旗山コース下見は予定の行動だったが昨年と比較しても二週間以上遅かった、朝から札幌のインターから岩見沢にかけて高速道路は吹雪のため閉鎖されていると報じられていた、ただ札幌の街中は雪がチラついているが道路わきには雪山は出来ていない、絶対量が足りないなと思いつつも、下見のつもりで10時には家を出た、白旗山に着いたが未だオープンしていなかった駐車場にも入れないので夏山コースの駐車場に向かう、雪が少ないが道路は圧雪状態が駐車場まで続いていた、クロカンスキーの選手たちは現在一番早くから滑れる旭岳温泉エリアの専用コースで強化合宿を始めている、昔から変わらぬシーズン初めの練習場所は変わり様がないのかと思っている。

誰も居ない山の中遠くで自衛隊の射撃練習の音が聞こえるだけで静寂だった、直ぐ忘れ物に気か付く、ラジオが無い事に気が付いたが次回から忘れないようにすることにする。
新調したスノーシューは脱着が頗る簡単で扱いやすい、札幌台入口に車を停め登攀ルート沿いに登ってゆく抗がん剤治療が始まって何日かたっているが、体力が付いて来たのか結構動けるのが判ってくる、シーズン初めはコース作りから始らないと滑るところまでは行かない。
それに新雪は滑らない、忘れ物二つ目はワックスを持って来ていなかった、雪が少なく直ぐ地面の土や石ころまでいってしまうのでまだまだ雪が足りないのが判る。
今日は、緩斜面の雪踏みをしてコースの下地作りに徹した、数日後来ることにして早めのお昼のおにぎりを食べながら山を下りてくる、今年も一人ぽっちの橇世界が始まった。

この後、大晦日前に大雪が降ったら藻岩山北斜面に入ろうと思っている。
幼児のころから、雪が降り出すとアドレナリンが一気に増えるように思う。

札幌台入口で装備
静寂な札幌台ルート
札幌台登攀ルート
今日は早々と山を下りる

和凧工房始める

2013年12月14日 19時24分43秒 | ペタンク爺さんの一日
一夜明けると様子は一変してしまっていた、まだ夜が明けぬ前からリースで用意していたバケットのエンジン音と降り積った雪を撥ねている音が窓ガラスを通して響いて来ていた、当団地の会長自ら車を動かし可動していて。
四か月間降雪が決まったほどの量になると、もう夜の夜中からでも除雪排雪作業が昨年から始まっていた、今年も今朝本格的な出動となった、終わったのは太陽が顔を出し始めた8時頃までつづいていた、今朝までの雪の量は降雪20センチにも満たない量だが、一旦穏やかの後明日と明後日に少しまとまった降雪予想を発表していた、除雪もさることながら排雪が大事で春の雪溶けまで積み上げて置く場所が必要となる、無ければトラックをチャーターし市が指定した雪捨て場に持ち込まなければならない、此れの出費が大金になるその点当団地裏に自前の公園があり、冬は殆んど利用することもないので雪置き場に早変わりする、最初が肝心で公園の奥の方から積み上げて行くのが自然と出来上がって来ている、前もって芝の上にコンパネを曳いたり雪の下になるベンチや構造物に目印杭を立てたりする作業は降雪前までに終えている。
三月の末まで小さな除雪バケットが大活躍する季節になる、公園の雪の山は2メートルにも及んでいるが三月も過ぎ5月の連休頃にもなれば花壇つくりが出来る立派な公園に変貌してくる。

今日は朝から凧作り工房に籠った、外気温はマイナスのはずだがサンルーム兼凧工房の中は20度にもなっていた、午後2時頃までは太陽の暖かい日が射し込み暖房無くても汗ばむこともある。
龍の字凧の在庫はあるので、正月らしい奴凧作りを始めた、飾り凧なのでサイズを小さくしたが骨組みの竹ひご作りから始まるので結構時間が掛かる、取りあえず二枚完成させる。

午後から合間をぬって、新品のスノーシューの試歩のため八紘學園校内まで出かけてくる、お天気が良かったので軽装で行ったが久しぶりに厳寒を体感し明日予定している白旗山トレッキングは完全武装で行くこにする。

夜中から日の出までバケット大活躍
八紘學園直売所のストーブ
ポプラ並木をバックに
一夜明ければ風景一変

札幌の根雪は今日になる

2013年12月13日 19時12分34秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日まで積雪ゼロと云って良かった、今日は朝方から静かに雪が降り始めていた、昨日のテレビでも市内のスキー場がオープン出来ないで困っている映像も流されていた、久しぶりに札幌市内でも雪らしい雪が降り続く一日となった、サンルームも橇工房の橇作り工程も暫し中断する。
先日の出前橇工房で至らぬ所をサポートし、区役所を通して学生さん達に届ける。
帰りしな、月です。寒公園坂下グランド方面からそり山の様子を見に行く、積雪も一回に50センチも降ればゲレンデも直ぐ出来上がるが、見た所20センチにも満たない積雪ではコースオープンとまでは行かない、気温も下がってきたのでこれが根雪になると確信している、雪は明日土曜と翌日の日曜日まで続きそうなので、明日は一日我慢して明後日の日曜日にはいよいよ初出動することに決める。

昨年と比較すると二週間の遅れになるが漸く2014シーズンの幕開けとなりそうだ、近郊の札幌市内でバックカントリー擬きとスノーシューでのトレッキヒングに適している場所は白旗山界隈で、その中でも札幌台291mがシーズン初めの足慣らしには最高の場所と思っている。
ルート内の最大斜度は20度くらい平均斜度は12.3度くらとルートの両サイドは自然林が続いていて多少の嵐でも安心できる、途中に東屋もあり駐車場も完備されていてトレッキング入門コースとしては最適な場所だ。

夕食は久しぶりにダッチオーブン料理になる、僅かな豚肉ステアリブにキャベツ、玉ねぎ、人参、馬鈴薯、さつま芋、カボチャの野菜の方が主体で、オーブンで蒸し焼きした野菜の調味料は塩だけだが本当に美味しく食べられる男の料理の代表です。

正月まで未だ日があるので、サンルームを凧工房に変更し久しぶりに奴凧作りをしようと思っている、一日何にもしないでぼんやり過ごせない性格に今さら直しも出来ず。

仮設管理センターのあった辺り

除雪体制も万全か



男の料理ダッチオーブン
三時のおやつは大福堂

橇工房ジュニア編終了

2013年12月12日 17時19分17秒 | 橇爺(そりじい)モード
今日は三週間ごとの定期検診日になっていた、相変わらず積雪ゼロが続く札幌雪が無ければ無いで車の運転が夏とは変わらず運転はしやすい、タイヤはかなり前からスタットレスに変わっているが、何の違和感もない出来ればクリスマスの辺りに大雪が降って来てくれればグットタイミングなのだが、平年から見ても札幌の根雪は1週間ほど遅れている。
午前9時には病院に、受付と同時に血液採取がありこの辺までは早々と終わってしまう、血液検査で小1時間以上掛かりその間病院の中で待機している、入院時時々利用している病院内の喫茶コーナーを利用し時間つぶしをする、本格的なコーヒーは退院後初めてだった、漸くコーヒーも飲める体質になりつつあり、今日のコーヒーはコロンビアかと懐かし味が蘇えってきた。
間もなく冬至もやってくる先日小豆の缶詰と新潟産の餅も買って来ている、この辺で好きな餅類も解禁しても良いかなと思っている。
其れと同時に、朝食はパン食とコヒーに戻りたいと考えている、

今年は橇工房のジュニア橇作りは、根雪になる前に終わってしまった、今日最後に2014モデル橇を7台完成させ予定の橇作りは終了した。
今年作った橇、エコ橇20、2014モデル7、繰り越し2013モデルを加えると合計35台になる、大人が乗れる在庫橇が11、有るので合計46台が在庫橇の全てだ。
2月のおもしろスノーパークでジュニア橇の35台は、10台ほどを残しこの日に参加してきた子供達に寄贈することにしているが、どんな方法で渡すか今は決まっていない、関係者の意見をまとめ決定することにしている。
完成を機に映像に残す、ベランダ外は芝が青々としている12月12日の昼下がり。

2013.2014モデル勢揃い

喫茶コーナーで
一杯のコーヒー

嫁入りしてきたアザレア

出前橇工房

2013年12月11日 17時32分04秒 | ペタンク爺さんの一日
2014シーズンに向けて手作り橇工房は大分前から始まっていた、2月のおもしろスノーパーク迄に揃えなければならない完成橇は予定の30台はほぼ完成させているエコ橇20台、2013モデル橇と2014モデル橇がもう15台を超している、私の受け持ちは此処までで、イベント当日に青空橇作り教室の先生は大学生が担当する野外の雪の上での作業になるので、最初からの製作は不可能なので途中まで作った橇キットを予め作って始まっているので今年もこの方法でやることに決めていた、学生さん達も昨年から参加して来ている人達は要領も得ているので講習も短時間で終わった、ボランティアで参加して来ている学校は札幌大学と北海學園大学の学生さん達で昨年の各リーダー達は卒業しているので今年はニューリーダーで参加して来ている、今日はいずれ4.5人の代表者だけの講習会だったが、新しく入ってくる後輩には間接的に教えて行くことになる。
今日の教室は、私自らの講習は30分ほどで終わっていて其のあと学生さんたちが実際作る後半の実践講習会となった、個人差はこけはどうしょうもないとつくづく感じる所もあり、私たちが子供のころは男の子は大工ケと泥棒ケは誰でも持っていると云われていた時代だったが、今の大学生を見ていると男も女も同じ素質を持っていることが良く分る今日の橇作り講習会だった。

今日久しぶりに豊平緑のセンターを訪れる、12月なので何時も恒例のクリスマス展をやっていた、温室の中は一足早い春の気配も、その中でアザレアの赤い花がしきりに話しかけて来ているような錯覚に見舞われ一鉢700円で購入してしまった。
過去に何回もアザレアの鉢を買っているが、花が終わると同時にいつの間にやら記憶の中から消えていることに気が付く、申し訳ない気もするが変わることは無いと思う。

橇作り教室の様子



クリスマス展





第4回目カーリングサニーリーグ始る

2013年12月10日 19時45分07秒 | カーリング
8月から始っていたカーリング初心者が主体のSunnyリーグは11月末で第1回から始まり第3回まで終わっていた、3回めにして初めて三位入賞を果たし何となく自信らしいものも芽生え始めていた、兎に角今までに勝ったゲームが3試合で、まだまだ常勝出来るまでは育っていない弱小チームと自覚していた、スキップのC氏から初日なので早めに出てくるようにとFAXが入っていた、おやおや先月運よく入賞したので気合が入っていると感じていた。
試合開始前に対戦相手との抽選会で、先月の最終戦でシャットアウトしたチームとの対戦になった、半数は若い選手で占められているチームなので、始る前から先日の敵討ち試合で徹底的に負け試合と試合が始まる前から圧倒されている雰囲気だった、所が第1エンド私達のチームが1点先取で幸先良いすべりだしだった、2エンドで2点取られ逆転される、ここからが凄かった3、4エンドで2点づつ取って突き放す、最終エンドは相手チームは大逆転を狙った作戦が失敗し我がチームに大量4点がプラスされ圧倒的なスコアの9対2で勝利を収める、どうも勝ったと云う感じでなく相手チームが勝手に負けて行ったと云う試合の様に思っている、ペタンクの試合でも良く有るパターンで反面教授として肝に銘じるべきと心に秘める。

午後からは、橇工房にこもる製作途上の2014モデル橇製作の仕上げに取りかかるエソ橇と違い資材に有料部分があり原価計算すると1台100円前後と計算している、いずれにせよ2月のスノーパーク当日には殆んど子供達に無償で寄贈しようと決めている。
後二日ほどで目標の30台は完成し、その他余分に数台作っていると思っている。

明日の午後から、スノーパークスタッフの大学生に橇作り教室を区民センターで開くことにしている、工具等結構持ち込む物もあるかなとぼんやり考えている。

第4回サニーリーグ始る





橇工房夜まで続く

流通多様化時代

2013年12月09日 20時23分43秒 | ペタンク爺さんの一日
今から70年以上も前、私が小学校時代で室蘭管内の鉄の街日鉄城下町輪西町に住んでいた、幼稚園、小学校、中学校はこの町の中にあった、小学5年生の時に終戦を迎え軍国少年から一転し民主主義を叩きこまれた、中学は新制にになり高校に進学する時に入学試験があった、育った環境か商人をめざし室蘭商業高校へ進学した。
人生の前半はこの第2の故郷の輪西町になっている、町中は個人商店が軒を連ねていたり、大きな日鉄の従業員の社宅が連なって建てられていた、戦中戦後を通して工場地帯の高い煙突から黒い煙が何時も棚引いて町中を暗くしていた、今考えると今の中国と変わらない時代が有ったと思っている。

我が家の隣りは、馬車追いと蹄鉄業、それに八百屋もやっていた、その向かいは魚屋、左隣が米屋、右隣りがお菓子屋と仕出し屋さんと繋がっていた、私の所も初めは百貨店、釣り具店と個人商店ばかりが固まっていて、表通りはお店屋さんばかりだった。
其の頃の商店の仕入れ先は室蘭市にある市場からが殆んどで、荷物の運搬は荷馬車が殆んどであった、それゆえ道路は一般自動車は走っていることはなかった、自動車と云えば日鉄で所有しているかタクシー会社が営業で使うくらいで一般商店では自転車くらいがせいぜいだった。

其れが変わり出したのが、終戦を期に闇市が構成され物さえあれば売り手市場の時代が続いて行った、其の頃から隣の八百屋さんは馬車追いを廃業し三輪トラックで近くの農家まで野菜を仕入れに廻っていた、兎に角物集めが商売の成功する秘訣だった。
我が家も、その頃釣り具卸商をしていて戦後川口市にの釣竿作り職人に自家製のスルメを送り続けたことで、釣竿がどっと入荷するようになり一気に財をなしていった。
イタンキ浜に自前のいそふ置き毎晩烏賊釣りに出かけ多いときは何百杯もの大漁も、一家総出でイカのを持ち帰り割いて家の周りに張り巡らした縄に干してスルメ作りをした。・・・・続く

今日午後からダンス教室、再開二日目初心者コースマンボ、ブルース、ジルバの三種を復習する、個人レッスンなので短い時間だが蘇えりも早いと思っている。

帰り道、滅多に行かないスパーとっぷすに立ち寄る矢張りここは安い、青森産リンゴ`@42を2種類買ってくる、札幌で安い店の代表格だ。此処は仕入れ先は中央市場だが最後まで残り売れ残りを安く叩いて仕入れていると見ている。

青森リンゴつがる@42
青森リンゴ
今夜はシチューとニシンの糠漬け







サンルーム29度に

2013年12月08日 18時58分44秒 | ペタンク爺さんの一日
今朝も3センチほどの雪が積もっていた、日中には殆んど消えてしまう雪でまだ積もるほどの降雪は無い、こんな時は橇作りが12月恒例作業になっている、今日から2014モデルの橇作りを始めていた少しづつ集めていた発泡スチロール箱を解体し橇の芯26×40を22枚を作り出す、これで製作台数7台の材料が揃う、木製の持ち手も最後の仕上げ後ラッカーを塗る。
此処までが今日の作業工程で完成までにはあと2,3日かかりそう。

此のところ、即席麺にはまっていて一昔前の即席麺とはひとランク上で宣伝文句の生めんに限りなく近づいていると感じさせていた、最初に気が付いたのは東洋水産のマルちゃんで、今日食べた即席うどんは日清のどんべいだった、どちらのメーカーも一食にすると70円台で食べ比べた所どちらも遜色ないと思っている、これでラーメンとうどんは試食したが、蕎麦が無いかと思っていたら東洋水産のマルちゃんで天ぷらそばを出しているのが分り早速買い求めてきた、明日のお昼に試食をして評価しようと思っている。

最初に買ったスノーシューが壊れかけて来ていたので、今年は新調しなければと考えて早いころから秀岳荘に下見に行っていたが、今日はとうとう購入してしまった、ネットでも調べていたが2万5千円以上出さなければと思っていたが秀岳荘白石店で旧モデルを1万5千円程で手に入れることが出来た。
トレッキング用からバックカントリー用になりこれで山登りが楽しみなった。

後はひと降り大雪が欲しい、昨年は11月末に白旗山札幌台で初トレッキングと橇の初滑りをやっている、今年は何時になるか今の所予定も立たない。
今日のサンルーム橇工房は10時少し過ぎた頃気温29度を指していた、もう暑いと云うほかない。

秀岳荘白石店
今年はバックカントリー用スノーシューです
メーカーのパンフレット
今日の橇工房
東洋水産と日清のどちらが?


橇作りと時々ショッピング

2013年12月07日 20時33分40秒 | ペタンク爺さんの一日
今朝起きてベランダから外を覗くと真白だった、だだ積雪は3㎝ほど札幌の降雪状態を尻目に余り離れていない岩見沢迄の高速道路は吹雪のため通行止めのニュースも流されていた。
予報も1週間単位で出しているが明日からの1週間も全部雪だるま印が出ている、今の所札幌市内には雪が落ちてこない日が続いている、ウインタースポーツに関わるものにしてはいっきいちゆうする時でもある札幌でも石狩湾に面している手稲山などは雪が早くから降り積る、札幌市内は手稲山の裏側に当るので海側から手稲山にぶつかり雪雲は此処で落としてしまい裏側の札幌市内方面にふる雪の量が極端に少なくなったり雪雲が消えてしまうことが多い。
一般的な市民にしてみれば出来れば年末ぎりぎりまで雪が積もらないでいた方が最高と思っている、年が明けての大雪パターンは大歓迎に思う人は多い。

だだ、藻岩スキー場始め市内のスキー場にしてみれば死活問題にもなる、水利が良ければ降雪機で人工雪を作ることもできるが水が確保できなければ此れも出来ないで自然雪を待つだけだ。
近年北海道のスキー人口が極端に減って来ていて少し昔の賑わいは無くなっている。

雪の中の歩行具として日本でも和カンジキがあった、父親も雪の中での山女釣りにそのカンジキを利用していた、その父の遺品を私も利用していたがスノーシューを買って使い始めてから見向きもしなくなった、スノーシューを使い始めてから一層手作り橇と一体で使うことが両方の良い面を引きだしていると思うようになった、冬山など考えも及ばなかったが橇を滑るためにバックカントリー入門を自然にやっていた、最初は平地を中心にトレッキングで始めたが、山を登る場合は其れなりのスノーシューを用意した方が良いと思うようになり近々秀岳荘に買に行くことにしている、ネットでも見ているが現物を見て買った方が良いと思うようになっている。

昨日の赤カブ甘酢漬けは大成功と思っている、自信が付いたのでもう少し作足しするためJA清田に行ってくる、駐車場の一角に特別売り場を作り売っているが昔のレトルな八百屋風景と重なり懐かしい。
通り道なので八紘學園直売所に立ち寄りヨーグルトを買う。

同時進行している橇工房は、エコ橇の製作がいよいよ最後の2014モデル7台で終了する。

レトルな八百屋JA清田
レトルな八百屋JA清田02
橇工房在庫
2014モデル7台でノルマ終わる
今夜はポトフでした

男の料理赤カブ甘酢漬け

2013年12月06日 20時01分44秒 | ペタンク爺さんの一日
ついこの間まで料理の甘酢漬けは食卓に出て来ても滅多に好んで手を出さない料理のひとつだったが病気が原因か、このところ酸っぱいものの感覚が味覚の前面に出て来て食べるものを選別している、リンゴひとつにしてもただ甘いだけのものは敬遠し甘くても酸っぱいリンゴを好んで食べている。
漬物もあまり食べる方でなかったが、今まで好んで食べていたものから変わってきているのに気が付かされる、塩だけでの味付けより酢が一枚加わらなければ美味しいと云う感覚が持てなくなっていた。
先日団地の園芸友達に赤カブの甘酢漬けを戴いた、口にあったのか毎日のように漬物代わりに食べ続けあっという間に無くなってしまった、既製品で買うと結構な値段なので、此れくらいなら男の私でも作れると作ることにした、JA清田に漬物時期なので置いてあるのを知っていたので今日少しの時間を割いて買い物に行ってくる雨混ざりの小雪が降り続いていたが、時期なのか野菜果物コーナー買い物客が絶えなかった、一袋二千円だったが半分に小分けを頼むと、500円の小袋入りを出してきてくれた、これで充分と其れだけ買って戻ってくる。
朝から橇工房の仕事もやりながらだが、料理教室も同時進行でネットから引っ張り出したレシピを見ながら甘酢漬けに挑戦している、夕食が終った頃には料理は完成していた、明日からでも食べれるようになるが日が経つうちに味も良く赤見が増して美味しくなる。

今朝は一番で佐藤歯科に治療はこの間で終わっていたが、周りの差し歯も歯茎が痩せて浮いてしまい虫歯になっているとのことで、今日はその治療だった、兎に角早いのが最大で私にしてみれば名医と評価しているお医者さんです。
妹は朝から染めのサークルに出かけていて帰宅は午後4時頃だった、ご飯だけ炊けているので帰りしな買ってきた惣菜で5時過ぎには夕食は終わっていた。

一向に雪が積もる気配は無い。

スライス終える
酢と砂糖用意
だし汁作る
赤カブ甘酢漬け完成

橇工房も順調に

工房に暖房入る

2013年12月05日 17時48分43秒 | ペタンク爺さんの一日
今年も橇工房を開設してボチボチだが橇作りを始めていた、太陽が出ている10時頃から14時くらいまでがサンルームのビニールを通して太陽の熱が伝わり時には25度にもなることもあった、正午を過ぎて午後2時頃になると日は西の空に其れと同時に気温は次第に下がってくる。
隙間だらけの仮設サンルームなので仕方がないと思うが、暖房が入れば何時でも作業が出来ると思ってはいたが、火を使う暖房器では狭いので危険と暫くは重ね着をして頑張っていたが、矢張り暖房の必要に駆られ電気ストーブでも用意することに落ち着く、たまたまあまり遠くない所に家電の百万ボルトがオープンする、開店サービスの目玉商品の中に999円の電気ストーブを見つけひにちが検定されていた5日の今日開店に合わせて出向いてゆく、29日にオープンしていたが今日も開店前に100名以上の人達が並んでいた、目的のものは数量限定なので無くなっていれば諦めるつもりだったが、何とか手に入れることが出来た。

帰り道JA清田に立ち寄りリンゴを買う、ここでも発泡スチロール箱が手に入るので時々寄ることにしているが、今日は魚箱なので蓋の方だけ頂き暫くは表で晒して匂いを抜くことにする。

家に戻り昼ご飯の支度をする、妹は午前中カーリング体験講習会に出かけていたので、今日はマルちゃんの即席うどんを作る、俄かコックでも簡単に出来てしまうのがみそ、出来上がったところに昨夜の残りの天ぷらをトッピングすると立派な天ぷらうどんが出来上った。
兎に角お昼は簡単に出来る食事を用意しているが、最近は東洋水産の即席ラーメンの味噌、正油、塩、豚骨、それにうどんが加わり選択肢も増えている。

何時でも作業出来るように
最後の切り花
昼は天ぷらうどん
夜はお稲荷さんでした

@50の魚たち

2013年12月04日 18時56分44秒 | ペタンク爺さんの一日
もう2014シーズンのウインタースポーツのスキーシーズンは始まっている、北は北海道から四国、九州のスキー場もオープンしている所も出ている、矢張り人口の密集している東京中心の人達がターゲットで一年に1回しかスキーに行かなくても人が多ければ入れ替わり立ち代りでスキーヤー達への係わりも増えることになる、スキーに掛けるお金もハイレベルと思っている。

親子三人でスタートしたスーキチームも、何と言っても札幌にオリンピックの開催が決定した事が大きな転機となっている、一気にスキーがウインタースポーツの花形になりそのあと北海道でもワールドカップスキーも開催されたりしていたので、スキー人口もこの辺が最高だったと思っている、北海道でも新しいスキー場が誕生していったのも頷けるが、ジャンプやノルデックは輝かしい成績を残して行くことになるが、アルペンスキーでは未だに世界のトップシードに並べないでいる、スキー環境が悪いのかスパースターが現われない、最近は札幌の小中学校でのスキー学習も縮小されたり学習そのものが無くなってしまったところもある。
熱しやすく冷めやすいのが道産子の特質なのか、2020年に東京オリンピックが決まり今度は冬季オリンピック札幌大会開催の機運も高まって来ている。

市内の降雪は先日降った雪が徐々に融け出し、土が顔を出してしまった連日の様に雪だるまが付いている気象状況だが、今の所根雪になるかどうか微妙な状態だ。
二週間続く抗がん剤治療も今日で一旦中止しこの後一週間お休みになるが、薬を飲み続けて10日目あたりから足に3キロほどの砂袋と肩に2キロほどの砂袋を付けて生活が始る、しんどいの一言だ、ただ歩くだけで息が切れる、それでも動かなければと近くのゼビオにウインドショッビングに次に電気のAKに最後はスパーに立ち寄り特売の魚をゲットしてくる、冬至も近くなってきたので小豆も買って帰る。
今日のお昼は東洋水産のまるちゃん即席ラーメンを、夜は野菜中心の天ぷらでした。
つい最近のお昼は、冷凍うどんから、乾麺に、今は即席ラーメン党に移りかけている、テレビで宣伝していたので試食をしてみる、製造方法が数段アップしていることに驚いている。

50円の魚たち
お昼は即席豚骨ラーメンでした
夕食は野菜中心の天ぷら

エコ橇作りモード

2013年12月03日 18時46分19秒 | ペタンク爺さんの一日
先日スパーから発泡スチロール箱を頂いて来ていた、最近は魚介類ばかりでなく果物や野菜も発泡スチロールを使うようになって来ていたが、魚箱は生臭い匂いが残っているので出来れば果物や野菜が入っていた箱を希望し探し回っていた、今回は野菜入り箱が手に入っていたのでエコ橇作りを開始した、エコ橇を名乗っているので資材は廃物利用が基本なので、手間が掛かるが流通段階で発泡スチロール箱を利用しているが、これが中々厄介なやつで専用の熱線カッターがあるが、使えるものは万単位になる、そんなものは買えないのでオモチャの変圧器を買って自分で作ったが、量産する時にはとても使っていられない、結局カッターでの切断でやって来ていたが、静電気が起きてそれは始末に負えない代物になってしまう、それでも方法がなく頑張ってやっている。
利用する部分の半分以上の半端切れが出て来ることと、ゴミの始末が頭の悩ます所です。

それでも、朝から始まった橇作りは日が落ちてサンルームの外が真っ暗になっても続いていた、この時間になると照明が必要になり気温が下がっているので厳しさが身に染みてくる。
つい最近は、やすりを使う所でアイロンを使用することを発見し、この方法で削り粉が出てこなくなった、此れだけでもゴミの量は減って来ている。

今日の製作途中の橇の台数は10台で、エコ橇製作は今回で終わると計算している。
この後、少しレベルアップした2014ニューモデル橇を制作して行こうと思っている、こちらは資材にスタイロホーム素材を金額にして一台分100円ほど掛かるが、仕上がりは立派な物に出来上がる、屹度子供達にも喜ばれる橇になると確信している橇だ。

10台の橇の製作途中
ゴミの山が出てくる


昭和一桁代

2013年12月02日 20時01分34秒 | ペタンク爺さんの一日
昭和ひとけた代
昭和9年生まれの私は、昭和一桁代の末席に位置している、私には昭和2年生まれの兄と4年生れ姉がいたが姉は17歳で兄は二十歳代で亡くなっている。
国策が人口を増やすために生めや増やせでどこの家庭も子供は4、5人以上で我が家では生まれて直ぐ死亡した子供を入れると12名の1ダースだと良く母親が云っていたが、粗製乱造で今残っているのは私を含め4人になっている。
第2次世界大戦が間もなく開戦し真珠湾攻撃で華々しく始まったのも小学校1年生の時で小さな町だったが提灯行列に参加したことを今でも覚えている。
「軍国少年」であったのはこの世代です、「軍国主義教育」をもろにかぶり鵜呑みにしていった。
戦争・軍国主義・飢餓体験を忘れません、空腹感がどうしようもなく身体に染み付いていた10代前後だった、此のころの経験と環境が自分以外を信じないで合理主義の性格が身について行ったと思っている。
恐れ多いが、現天皇も私より一歳上の昭和一桁と今でも活躍している人に、芸能界では高倉健、黒柳徹子、大橋巨泉。作曲家、永六輔、政治家、海部俊樹、石原慎太郎、言論界、田原総一朗の皆さん。
テレビ界ではこの世代が草分け的存在、実業界、奥田碩ほか現役が大勢います。
近くには80歳でエベレストに登頂に成功した三浦雄一郎氏がいる。
昭和一桁代、政治から経済その他へ、国家から企業などへ、より現世的なものへと献身の対象が移ったのです。

私も高校卒業頃には、大商人を夢見て衣料品問屋の丁稚修行が始まりだった。
父の本職は大工だったが途中から商人になり実業家かもなっていた、そんな親父の背中を見て育った私、何か目的があって生かされているのか未だ判らないでいる。
まだまだ何か始めようとする気力は有るのだが、めっきり落ちた筋力と運動能力もアップしようと足掻いている。
今日は社交ダンスに一歩踏み入れた北沢ダンス教室の奥さん先生のワンレッスンを再開を決め、初心に戻って一から始めることにした、ステップはすっかり忘れいてたが先生の好リードてあっという間に曲がりなりにも踊れるようになる、たった30分ほどのレッスンだったが環境が整えば頭が覚えていなくても体が自然に順応するものだと驚きがあった。
当分月曜の午後は北沢ダンススクール通いが続きそうだ。

北沢ダンススクール