・かつての頭の中将、雲井雁の父、内大臣は、
母君の大宮に仕える女房の一人を、
ひそかに情人にしていた。
それで、帰ったふりをしてそっと忍んで、
廊下を行く途中、暗い部屋の内部で、
ひそひそと内緒話をしている、
女房たちがいる。
若君が姫君が、という声に、
不審をもよおして立ち止まって聞くと、
自分が話題になっているのだった。
「賢そうにしていらしても、
やはり親御さんは甘いわね。
これが親馬鹿というのかしら。
姫君と若君を並んでご覧になっても、
まだおわかりにならないんですもの」
「今にとんでもないことが起こってから、
ああ、しまった、そういえば、
とお嘆きになるのでしょう」
「とんでもないことって?」
「雲井雁さまは、
もうお妃がねという晴れがましいお身じゃ、
ありませんよ」
「まあ、あの若君も、
ずいぶんお堅そうに見えながら・・・」
「やはり、
お父君さまのお子でいらっしゃるだけあって」
「でも、大殿さまが、
そのことをお知りになったら大変ね。
今夜は何もご存じないから、
ご機嫌でいらしたけど」
などと話している。
内大臣は愕然として、
水を浴びたような気になった。
(なんということだ)
内大臣の胸に、
ふつふつとたぎるのは憤怒である。
女御の姫が後宮の争いに、
おくれをとったから、
せめて雲井雁を東宮妃に、
という政治的目算もすっかりはずれてしまった。
こういうことを危惧していたが、
まだ幼い者同士と油断していたのが失敗だった。
それにしても、世の中というものは、
何とこちらの思わく通りに運ばないものだろう。
内大臣は情けなくなった。
おそらく女房達のいうことは、
真実であろう。
そうか、すでに二人は恋中であったのか、
内大臣は何ともいえぬ気持ちで、
そっと出てきた。
もう情人を訪れる気もせず、
邸を出たのである。
いかめしい前駆の声に女房達は、
「いまお帰りになるのね。
今までどこにいらしたのでしょう」
「あのお年になられても、
浮気ごころはおなくなりにならないのね」
などと言い合っていた。
内緒話しをしていた女房たちは、
顔を見合わせ、
「あら、どうしましょう。
さっき、いい匂いが漂ってきたのは、
若君がお通りになったのかと思ったのに」
「大殿さまだったら、大変だわ。
内緒話をお耳に挟まれたのではないかしら」
「気難しい方でいらっしゃるから」
と困っていた。
内大臣は帰る道々、
娘のことばかり考えた。
(夕霧とは、全く不釣り合いでいけない、
という仲ではないが、
いとこ同士の結婚というのは、
この場合、二人が共に育てられたこともあり、
いかにも手近で間に合わせたようで、
見栄えがせぬ。
世間もそう噂するであろう)
源氏が、後宮の争いに勝って、
女御を圧倒したことを、
内大臣は心中深く恨んでいる。
だから、
こんどは雲井雁を東宮に奉り、
あわよくば、この姫こそ后の位に、
と望みをかけていたのに、
(なんという、
残念なことをしてくれたものだ)
と内大臣は太い吐息をもらした。
源氏と内大臣はいまも友情を保っているが、
政治権力の争いになると、
別である。
内大臣はまんじりともせず、
夜を明かした。
(そういえば、
女房たちはいっていた。
大宮もうすうす二人の気配を、
悟っていられるらしいのに、
知らぬ顔でいられるらしい、と。
大宮さえしっかりと監督して下されば、
こんな手抜かりはなかったのだ)
内大臣は、
腹が立つと押さえることが出来ないのであった。
(次回へ)