・内大臣は、
この人には珍しく定刻より早く来た。
いつもはそういう軽々しい風を、
見せぬ人である。
行き届いた立派な準備がなされていて、
内大臣は源氏の好意を喜んだが、
また、実子でもないのにここまでする源氏の真意を、
少しはかりかねた。
亥の刻(午後十時)に、
内大臣を御簾の中に案内した。
まばゆいしつらえの中で、
内大臣に酒をすすめる。
灯も明るくして、
親子の対面に内大臣がよく見られるようにと、
心遣いしてあった。
内大臣はしげしげと見たいと思いながら、
万感胸に迫って、
やっと裳の腰紐を結んだ。
「いろいろのお心遣い、
まことにかたじけなく思います」
と内大臣はいい、続けて、
「ご親切は嬉しいが、
今まで私に何も知らされなかったのが、
嬉しいやら恨めしいやら・・・」
というと、
玉蔓も萎れて、
黙っているので、源氏が、
「取るに足らぬ身と思い込み、
迎えて下さるかどうかと、
気おくれしたのでしょう」
と代わってこたえた。
内大臣は、ただうなずいて、
美しい玉蔓をじっと見つめ、
やがて御簾を出た。
内大臣の子息たちで、
玉蔓に求婚していた青年たち、
柏木の中将(長男)や、
弁の少将(その弟)は、
真相を知らされなかったとはいいながら、
少し恥ずかしい思いもし、
玉蔓が姉弟であったことを、
嬉しく思った。
「よかった、もう一歩踏み込まないで」
と弟は兄にささやいた。
源氏はより慎重に、
玉蔓の進退をきわめようと思った。
兵部卿の宮は、
裳着式もすんだ今はぜひ結婚を、
と熱心にいわれるが、
源氏は宮仕えを主上のご意志として、
婉曲に断っていた。
内大臣は長女の姫の女御には、
玉蔓のことを打ち明けたが、
いつか、世間に洩れ、
やがて近江の君も知った。
「お父さまはまた、
新しいお姫さんを見つけはったそうですけど、
まあ、えらい幸せな人ですわなあ。
両方の大臣のおうちで可愛がられはって、
そして、聞いてみたら、
やっぱりそのお方も、
身分低い女の人のお子やいうやおませんか」
近江の君は、
女御の前へ来て、
兄の柏木や弁の少将にいうのであった。
女御は聞き苦しく思われて、
何もいわれない。
柏木は仕方なく、
「その方は大切にされる事情が、
おありになるからでしょう。
それにしても、
大きな声でそんなことを言いふらされると、
わけを知らない人が好奇心をもって、
噂しますから、
うちうちのことは見さかいなく、
いわないで下さい」
「そんなんいいはったかて、
うち、何でも知ってます。
そのお姫さん、
尚侍にならはりますのやろ、
うちの方が早うお邸へきたのに、
そのお姫さんをみんなで可愛がって、
引き立てはるのです。
うち、人のせえへんことまで引き受けて、
一生懸命働いているのも、
尚侍にして頂けるかしらんと、
楽しみにしてるのに・・・」
「尚侍に欠員があれば、
私たちがしてもらおうと思っていたのだが」
と柏木が冗談をいうと、
みなどっと笑った。
「まあ、うちをばかにしやはる」
近江の君は腹を立てた。
「ええ、どうせ、あなたがたは、
ごりっぱなお生まれですやろ。
うちは生まれが卑しいのやから、
お兄さんが悪いのんや。
うちは何も頼めへんのに、
引っぱり出してお邸へ引き取ってやる、
いうて、なぶりものにして、
みなで笑わはるのや。
こわいお邸や、
こわいお人らや・・・」
と近江の君は目を吊り上げてにらむ。
「あなたがよくしてくれるのは、
知っていますから、
そう怒らないで」
と女御がやさしく言われると、
「そない、いうてくれはるのん、
女御さんだけです。
何でもしますさかい、
尚侍にしてほしおます」
近江の君はほろほろと泣きながらいい、
人々はこらえかねて、
また笑うのである。
(了)