「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

24、行幸 ④

2023年12月31日 08時41分20秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・内大臣は、
この人には珍しく定刻より早く来た。

いつもはそういう軽々しい風を、
見せぬ人である。

行き届いた立派な準備がなされていて、
内大臣は源氏の好意を喜んだが、
また、実子でもないのにここまでする源氏の真意を、
少しはかりかねた。

亥の刻(午後十時)に、
内大臣を御簾の中に案内した。

まばゆいしつらえの中で、
内大臣に酒をすすめる。

灯も明るくして、
親子の対面に内大臣がよく見られるようにと、
心遣いしてあった。

内大臣はしげしげと見たいと思いながら、
万感胸に迫って、
やっと裳の腰紐を結んだ。

「いろいろのお心遣い、
まことにかたじけなく思います」

と内大臣はいい、続けて、

「ご親切は嬉しいが、
今まで私に何も知らされなかったのが、
嬉しいやら恨めしいやら・・・」

というと、
玉蔓も萎れて、
黙っているので、源氏が、

「取るに足らぬ身と思い込み、
迎えて下さるかどうかと、
気おくれしたのでしょう」

と代わってこたえた。

内大臣は、ただうなずいて、
美しい玉蔓をじっと見つめ、
やがて御簾を出た。

内大臣の子息たちで、
玉蔓に求婚していた青年たち、
柏木の中将(長男)や、
弁の少将(その弟)は、
真相を知らされなかったとはいいながら、
少し恥ずかしい思いもし、
玉蔓が姉弟であったことを、
嬉しく思った。

「よかった、もう一歩踏み込まないで」

と弟は兄にささやいた。

源氏はより慎重に、
玉蔓の進退をきわめようと思った。

兵部卿の宮は、
裳着式もすんだ今はぜひ結婚を、
と熱心にいわれるが、
源氏は宮仕えを主上のご意志として、
婉曲に断っていた。

内大臣は長女の姫の女御には、
玉蔓のことを打ち明けたが、
いつか、世間に洩れ、
やがて近江の君も知った。

「お父さまはまた、
新しいお姫さんを見つけはったそうですけど、
まあ、えらい幸せな人ですわなあ。
両方の大臣のおうちで可愛がられはって、
そして、聞いてみたら、
やっぱりそのお方も、
身分低い女の人のお子やいうやおませんか」

近江の君は、
女御の前へ来て、
兄の柏木や弁の少将にいうのであった。

女御は聞き苦しく思われて、
何もいわれない。

柏木は仕方なく、

「その方は大切にされる事情が、
おありになるからでしょう。
それにしても、
大きな声でそんなことを言いふらされると、
わけを知らない人が好奇心をもって、
噂しますから、
うちうちのことは見さかいなく、
いわないで下さい」

「そんなんいいはったかて、
うち、何でも知ってます。
そのお姫さん、
尚侍にならはりますのやろ、
うちの方が早うお邸へきたのに、
そのお姫さんをみんなで可愛がって、
引き立てはるのです。
うち、人のせえへんことまで引き受けて、
一生懸命働いているのも、
尚侍にして頂けるかしらんと、
楽しみにしてるのに・・・」

「尚侍に欠員があれば、
私たちがしてもらおうと思っていたのだが」

と柏木が冗談をいうと、
みなどっと笑った。

「まあ、うちをばかにしやはる」

近江の君は腹を立てた。

「ええ、どうせ、あなたがたは、
ごりっぱなお生まれですやろ。
うちは生まれが卑しいのやから、
お兄さんが悪いのんや。
うちは何も頼めへんのに、
引っぱり出してお邸へ引き取ってやる、
いうて、なぶりものにして、
みなで笑わはるのや。
こわいお邸や、
こわいお人らや・・・」

と近江の君は目を吊り上げてにらむ。

「あなたがよくしてくれるのは、
知っていますから、
そう怒らないで」

と女御がやさしく言われると、

「そない、いうてくれはるのん、
女御さんだけです。
何でもしますさかい、
尚侍にしてほしおます」

近江の君はほろほろと泣きながらいい、
人々はこらえかねて、
また笑うのである。






          


(了)

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