素的な絵を描かれてキョン2さんの所に登場される「せっちんさん」のブログヲ拝見し、思い出深いランドセルの絵を発見しました。新入生を迎える桜の季節を迎えてNHKが特集されていたとか・・・。その中に紙のランドセルの絵がありました。爺もこの紙のランドセルには思い出があるのです。初孫が1年生になる時、感慨深く思い出しながら、娘の掲示板にupしたのを思い出し、その原稿をupすることにしました。この孫頭は春には6年生になります。(001・4・26)のものです。
■せっちんさんのご了解を得てランドセルの画像をupします。爺のランドセルはブル-の格子模様のランドセルでした。尚 習字の手提げも対で頂いていました。

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今日、長男から息子(初孫)のピカピカの1年生の写真が届いた。嬉しそうな顔をして爺がプレゼントした黒いランドセル背負っている。 正月、里帰りした時より少し少年らしくなっていて、嬉しかった。3年生になったら、名古屋から一人旅で九州に来るとのこと。大変待ちどうシイ。
机よりランドセルが予算上都合が良かったのは事実だが、私には特別な思い出が合った。それは・・・。
爺が小学校に入ったのは、戦争が終り近づいた20年の4月だった。 時折、アメリカの飛行機やって来て慌てて防空郷に避難していた頃だ。 入学式は近くの神社で行われたが爺は新品の青いランドセルを自慢気に背負って式に出た。絣の着物を着ていたと思う。
ランドセルは父の友達のガラス屋の叔父さんがプレゼントしてくれたのだった。嬉しくて何時も枕元においていた。爺にとってガラス屋の叔父さんは神様のように思え、今でも叔父さんの顔をはっきり覚えている。とにかく嬉しかった。
5月になると父も叔父さんも兵隊さんになって、戦地に行くことになった。爺等は母の里に疎開することになり、叔母に連れられ弟と共に田舎へ移った。 防空ズキンをかぶってランドセル背負い田舎への路を歩いていた。すると、アメリカの飛行機が現れバリバリと機関銃を撃ってきたのだ。慌てた爺等は近くの溝の中に飛び込み飛行機が飛び去るのを震えながら息をこらしていた。
しばらくして静かになり又、急いで疎開先に向かったのだが背中のランドセルが変になっているのに気づいた。 水にぬれたランドセルはグチャクチャになってノ-トも教科書もとびだしていたのだった。 そううです!ランドセルは紙で出来ていたのです。物のない時代ですから革製など有ろうはずは有りません。子供心にアメリカを憎く思ったものです。それからしばらくは風呂敷がカバンのお役目をしていまた。
あれから半世紀も過ぎ、平和な時代になり物があふれ、アメリカとも仲良くなった。
家の近くの小学校には黄色い旗を持ったピカピカの小学生が朝早く通学している。皆、立派なランドセルを背負っている。有り難いことだ。 孫もあんなにして学校に行っている事だろう。
ただ、気になるのは交通事故だ。新しい友達と話しが夢中、そこに下手な若葉マークの車が。。。ア!怖い。 爺はアメリカとの戦争に大切なランドセルを壊されたが孫達は安全に勉強や、遊びに夢中になれることを望みたいと思っている。皆さん運転にはくれぐれも気を付けて下さい。
現代子の孫は爺を神様とは思わないだろうが、少しは大切に扱ってくれれば良いと思う。こんな事を思いながら今年の夏休みに来てくれたら良いなァ!と返事をするつもりだ。多分無理だろうが!何故か解らないが、我が子のランドセルの思いでは全然ない。不思議な事です。(2001・4・26)
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雪の日の登校中の元気な子供達。

昨年の12月「地蔵様」で述べた子供の安全を守るボランテァが3ヶ月経って、ようやく動き始めた。同年輩で神奈川県警の卒業生の方が帰郷され、参加される事になったからだ。先ず下校時の安全確保を目的に動くことになった。色んな団体があって試行錯誤中との事だがいずれ整備されることだろう。先ずは一歩生み出す事が先決と踏み切った次第。色々と新たな責任を感じるが頑張って子供達の安全を願い、親しまれる爺さになって、仲間を1人でも増やそうと思っている。
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■せっちんさんのブログ http://secchin.exblog.jp/
■せっちんさんのご了解を得てランドセルの画像をupします。爺のランドセルはブル-の格子模様のランドセルでした。尚 習字の手提げも対で頂いていました。

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今日、長男から息子(初孫)のピカピカの1年生の写真が届いた。嬉しそうな顔をして爺がプレゼントした黒いランドセル背負っている。 正月、里帰りした時より少し少年らしくなっていて、嬉しかった。3年生になったら、名古屋から一人旅で九州に来るとのこと。大変待ちどうシイ。
机よりランドセルが予算上都合が良かったのは事実だが、私には特別な思い出が合った。それは・・・。
爺が小学校に入ったのは、戦争が終り近づいた20年の4月だった。 時折、アメリカの飛行機やって来て慌てて防空郷に避難していた頃だ。 入学式は近くの神社で行われたが爺は新品の青いランドセルを自慢気に背負って式に出た。絣の着物を着ていたと思う。
ランドセルは父の友達のガラス屋の叔父さんがプレゼントしてくれたのだった。嬉しくて何時も枕元においていた。爺にとってガラス屋の叔父さんは神様のように思え、今でも叔父さんの顔をはっきり覚えている。とにかく嬉しかった。
5月になると父も叔父さんも兵隊さんになって、戦地に行くことになった。爺等は母の里に疎開することになり、叔母に連れられ弟と共に田舎へ移った。 防空ズキンをかぶってランドセル背負い田舎への路を歩いていた。すると、アメリカの飛行機が現れバリバリと機関銃を撃ってきたのだ。慌てた爺等は近くの溝の中に飛び込み飛行機が飛び去るのを震えながら息をこらしていた。
しばらくして静かになり又、急いで疎開先に向かったのだが背中のランドセルが変になっているのに気づいた。 水にぬれたランドセルはグチャクチャになってノ-トも教科書もとびだしていたのだった。 そううです!ランドセルは紙で出来ていたのです。物のない時代ですから革製など有ろうはずは有りません。子供心にアメリカを憎く思ったものです。それからしばらくは風呂敷がカバンのお役目をしていまた。
あれから半世紀も過ぎ、平和な時代になり物があふれ、アメリカとも仲良くなった。
家の近くの小学校には黄色い旗を持ったピカピカの小学生が朝早く通学している。皆、立派なランドセルを背負っている。有り難いことだ。 孫もあんなにして学校に行っている事だろう。
ただ、気になるのは交通事故だ。新しい友達と話しが夢中、そこに下手な若葉マークの車が。。。ア!怖い。 爺はアメリカとの戦争に大切なランドセルを壊されたが孫達は安全に勉強や、遊びに夢中になれることを望みたいと思っている。皆さん運転にはくれぐれも気を付けて下さい。
現代子の孫は爺を神様とは思わないだろうが、少しは大切に扱ってくれれば良いと思う。こんな事を思いながら今年の夏休みに来てくれたら良いなァ!と返事をするつもりだ。多分無理だろうが!何故か解らないが、我が子のランドセルの思いでは全然ない。不思議な事です。(2001・4・26)
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雪の日の登校中の元気な子供達。

昨年の12月「地蔵様」で述べた子供の安全を守るボランテァが3ヶ月経って、ようやく動き始めた。同年輩で神奈川県警の卒業生の方が帰郷され、参加される事になったからだ。先ず下校時の安全確保を目的に動くことになった。色んな団体があって試行錯誤中との事だがいずれ整備されることだろう。先ずは一歩生み出す事が先決と踏み切った次第。色々と新たな責任を感じるが頑張って子供達の安全を願い、親しまれる爺さになって、仲間を1人でも増やそうと思っている。
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■せっちんさんのブログ http://secchin.exblog.jp/
初めてお邪魔いたします。今日は私のブログにおいでくださりありがとうございました。
早速紙のカバンの思い出拝見いたしました。テレビでも紙のランドセルはとても紙と思えないくらい丈夫に出来ているといっていましたので、幼いぐう3さんが間違うのも無理ありません。今年6年生になる初孫さん、夏休みに名古屋に来られると良いですね。楽しみですね~
ぐう3さんは名古屋にお住まいなのですか?
ウチの連れ合いも名古屋出身です。
これもどうぞよろしくお願い致します。
★せっちんさん こんばんは!
こんな駄文を読んでいただきありがとうございました。
愚生は キョンさんの同級生で熊本の山鹿に住んでいます。長男が豊橋でに住んでいて現在は単身赴任で埼玉にいます。盆と正月は必ず帰ってきます。1年年生の夏休みに一人旅で飛行機で来ました。
あの~ランドセルの画像お借りしたいのですが・・・この書き出しに載せたいのですが・・・如何でしょうか。 グウ爺拝
せっちんさん、ようこそ!(あれっ?ひと様のブログなのに???)
今日はせっちんさんのお陰で60年前の私の記憶がよみがえりました。
グウさんが紙のランドセル***といったときはo( ̄ー ̄;)ゞううむ私のは布製だったような???と記憶が曖昧だったのですが、やはり布製だったことがハッキリしました。
私は台湾で入学式を迎えましたが内地はもっと大変だったようですね!みんな紙のランドセルだったのですか?その為6年生までランドセルを背負っていたのは私一人だったのでしょうか?(当時は本当に嫌だった***)テレビであの放送を見た時は「へぇ?」と言う程度の感想だったのにせっちんさんのブログで記憶が正確だったことの嬉しさと懐かしさをおぼえました。
今の孫たちが戦争を体験しないようにと祈りながら、また悲惨な事件に巻き込まれないように***と祈っています。
★覚えていますよ!
もう一人我家に間借りしていた従妹が、赤いランドセルを大きな身体で背負っているのを不思議に思っていました。(彼女は朝鮮からの引き上げでした)愚生は、4年生から兵隊さんのお下がりの雑納でした。学校帰りはあっちこっちと寄り道していましたよね。事故や怪我の記憶はないのですが・・・。国会でお騒がせしている秀才の議員さん 喧嘩のコツも知らなかったのでしょうね。吾等にはガキ大将がちゃんと教えてくれたもんデスが。 グウ爺拝
どうぞお使いくださってくださいね~私のほうこそとても嬉しいです。
ランドセルはどなたにも想い出が・・学校にいっても行けなくても、どんなかたちのものでも・・共通の話題を語れるっていいですね
ありがとうございました
★ 上の方を空けておいて良かったです。画像が寂しかったので孫娘の写真を置いてみたのですが、孫娘も4年生になってお年頃になったものですから・・・爺ちゃん駄目と怒るんですよ。ありがとうございました。キョンさんとは半世紀以上の喧嘩友達です。お笑いください。 グウ爺拝
★風眠さん こんばんは いつも有難うございます。
今日も娘の子供が熊本の市内から尋ねて来ました。パパさんが単身赴任で週末の大半は遊びに来ます。1年坊主の孫息子は娘とス-パ-に買い物に・・・孫娘は婆さんと台所で混ぜご飯をを作っていました。懸命に大きな包丁で椎茸を刻んでいました。子供はこんな風にして大きくなっていくのですね。仕事に夢中だった愚生はこんな年頃の子供の記憶は殆どありません。孫が可愛いのはそんな時代の罪滅ぼしかも知れませんね。 グウ爺拝