5月になっても炬燵を取り払う事はなかなか出来なった今年の初夏は異常であったが連休明けからいきなり夏日がやってきた。人吉でのクラス会のクラス会の最終日の九日は暑かった。青井さんから石の公園に向かう途中永国寺の幽霊の池にも寄った。池の中央には8匹の亀が甲羅干しをやっていて、その1枚がクマロク投稿になって、今週放映された。30℃を越す夏日になった中で話題性が合ったのでしょう。
我家の周辺にも夏がやってきた。遺跡公園の合歓の木・駐車場の栴檀にも可愛い紫の花が咲き乱れている。旧国道に沿って走るサイクリングロードにはポピーの花が咲き乱れていた。94歳になったお袋を見舞いに云った娘家族とバァ様は初めて見た阿蘇の雲海に感激していた。
クラス会では黙っていたがかえってすぐあの左眼の再手術を行い、視力は0.08:なのに成功したと説明を受けた。心臓肝臓腎臓それに肺機能の検査の結果問題なしだが心臓の不整脈はあいかわらずである。喉が痛く痰が絡んで苦しかったが熱の出ない風邪だそうだ。炎症を治める薬と蜂蜜入りのど雨金柑をなめていたら落ち着いた。
震災が起きてから2ヶ月が経って情報が少し開示されたが、わが国が果たして先進国なのか疑問をもたざるを得ない。それにしてもあの愛猫ランちゃんが突然帰ってこない日から100日が立とうとしている。悲しくて寂しい。
★ 夜明の遺跡公園の合歓の木 ★
★ 栴檀の花 ★
★初夏の花ポピー 今は弾けんとする★
★阿蘇の雲海★
★中学生頃の人吉市★
★一番奥から2番目がわれ等のクラスだった★
今年も中学生時代の3年6組のクラス会が故郷人吉であった。あの日から今年は58年目である。10年前に担任の先生を尋ねて天草に1泊旅行をし、その後、高齢の先生がお隠れになって以来、先生をしのんで毎年5月の連休明け頃、名古屋から・大阪からと集まっているのです。昨年は爺は眼の手術と重なって欠席したが、今年は11日の再手術を隠して参加した。小学校の近くの測候所跡から故郷を眺めた。いつの間にかビルが林立して爺の実家は中庭まで見えていたのに全く見えなくなっていた。旧い人吉の光景は高校を卒業する頃までこんな街であった。この写真は測候所の真反対側の人吉城の水の手門からの眺めである。
★国宝になった 青井阿蘇神社★
氏子である爺は昭和20年 小学生として入学した時代表で玉串奉奠ををした。その時お袋は絣の着物を新調してくれ、親父は手造りの下駄を作ってくれた。東門にはその親父が奉納した鳥居も健在であった。
★幽霊寺で有名な永国寺★
人吉城の石の公園に行く途中幽霊寺を訪ねた。ここは母方の菩提樹でもある。西南戦争で人吉本陣を構えた西郷どんのお位牌も祀られている。
★楽しかった~73歳 否15歳の少年少女★