gooブログはじめました! グウ爺の独り言

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
一日の出来事や過去の思い出を画像とともに書き記す

九月も終わって

2006年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム
Kirari

純情きらり」は今日で終わった。久し振りにこの朝のドラマを殆んど見た。物語の内容と言うよりは、自分が生まれた頃の時代背景に興味があったのだろう。.日中戦争が始まり、太平洋戦争に突入し、終戦を迎えた苦難の時代が自分の記憶の始りだったからだ。

昭和20年国民学校1年生として入学し、入学式は戦時中らしく青井神社で行われた。爺が四組200人を代表して神殿に玉串を捧げた。代表になったのは多分、姉が先生をしていたから頼まれたのだろう。兄のお下がりの絣の着物に、親爺が作ってくれた手作りの下駄を履いて教わった通りに行った事を覚えている。

従兄弟や。親爺が出征していく駅の光景や千人針や慰問袋の記憶。そして間もなく始まった各地域での分散教育と疎開。そして小さな空襲もあって終戦を迎えた。

爺にとってはドラマの内容よりは、その時代の記憶をたどるのが楽しかったのだろう。親爺やお袋の事、七人兄弟だったあの頃の姉や兄と、そして従兄弟や幼い頃の友達のことを重ねながら思い出す事が出来たのだった。

桜子は不幸にも結核に侵され、我が子を抱く事も無くこの世を去ってしまった。あの時代の一番恐れらていた病気は「肺病」だった。あの病気の人がおられる所は移るのが怖くて、息を止めて通ったものだった。そんな爺も小3の時、肺門リンパ腺炎と診断され結核の初期と云われたのだった。

西瀬橋の上に矢黒の淵で、そこに鍛冶屋のノリちゃん達と朝早く魚釣に出かけたが、夏なのに寒くて震えていたのが病気の始まりだった。たまらず、一人で帰ったらが、すぐさま親父が九日町の内科の先生を呼んで診察してもらった。レントゲンを撮ったりしたが、哀れなにもそう診断されたのだった。それから間もなくして親父が、何所からかアメリカの薬を手に入れてきた。ストレプトマイシンと言ったと思う。その高価なクスリを毎日お尻に注射された。

そして何故かアヒルの卵をゆで卵にして毎日食べさせられた。お陰で、夏休みと一月位養生して学校に戻る事が出来た。然し何故か顔色は青く、身体は痩せていた、学校でも背の高さは1・2番だったので尚更細く見えたのだろう。爺のあだ名のモヤシの始まりになってしまった。

代用教員をしていた姉は、終戦処理に来ていた北海道の将校さん所にお嫁に行った。余りにも遠い所だったのでお袋と兄が付き添って結婚式には行ったが、そのとき家族写真を持って行くことになった。

その時の写真姿は奇妙だ。少しでも自分の顔をふっくらにしたいと思ったのだろう。病み上がり自分が結核である事を知られたくなかったのだろうか、口の中に息を止めて膨らまして奇妙な姿で写ったのだ。

家族写真は一種の見合い写真みたいなものだったから、奇形児がいると疑われたとあとから兄から聞かされた。大学になって、北海道旅行を1ヶ月一人旅をして、未だ健在だった義兄の母上がいた美唄市に行った時、「あれあれマ~この人があの時の写真の・・・」といわれたからその噂は本当だったようだ。

七人兄弟で6番目の爺だが親爺はあの時代に高価なクスリを求めて自分の命を救ってくれた。少子化の今の時代だと多分存在無かったろうと思うと、親爺やお袋のあの時代の子育ての気力に感謝したい。


9月最後の夜明けの空 篭り部屋から

Photo_8




台風去って 秋が来た

2006年09月19日 | 写真
◎朝六時、いつものようなグラウンドゴルフを楽しむ老人会のパットの音で目が覚めた。八方ヶ岳に朝日が射し始め雲ひとつ無い秋空が広がっていた。いつもより冷え込んだのか小さな雲海が八方ヶ岳の周辺を取り囲んだ姿が綺麗だった。
19_3

◎聞きなれたカササギがハシブトカラスの大群に向かって遺跡公園の山桜から叫んでいた。
P9190021_5

◎台風で落ちた山栗の実をハシブトカラスが突付いていた。
P9190015_3

◎庭の片隅には白と黄色の彼岸花が咲いていた。
P9160023b_2


◎菊池川からの夕焼け小焼け
P9190023_3








青い目の外人さん

2006年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
Torinomaruyaki_3



朝ドラ「純情きらり」を見ながらこんな昔のことを思い出した。
 ある日進駐軍のMPが我家にやって来た。居間の黒板に船の絵が書いてあって、その横に英語が書いてあったからだ。裏口の遠くからこんな絵が見えるとは青い目は凄いなァと思った。多分、陸軍士官学校から帰ってきたばかり長兄が、旧制の高校に編入する為の勉強をしていたのだろう。

それ以来我家が旅館である事を知った彼等は時折遊びに来るようになった。
ある日、お尻に手を当て、物を食べる仕草をして何かを懸命に頼んでいた。仲居さんが、その仕草で多分便所だろうと言って、未だドボンだった便所に連れて行ったが全然違っていた。そんな時、あんちゃんが帰って来て、辞書を片手に会話が始まった。

なんとニワトリの蒸し焼きを作ってくれとの事だった。和食専門の板前さんは悪戦苦闘しながらニワトリの蒸し焼きを作った。勿論、アメリカさんの手助けがあっての事だった。内臓を抜いて野菜やご飯を詰める料理で上官の頼みだったらしい。多分、あの日はクリスマスだったのかも知れない。

その、料理のお礼にチョコレートやチューインガムをたくさん置いて行ってくれた。あんな小さい田舎にも進駐軍がやって来て彼等に向かって「ギブミーチュウインガム」と叫んだものだ。つい半年前まで、竹やりを作って貰い、エイ!エイ!と叫んでいたのを子供心に不思議に思ったのを記憶している。大きな変革の時代が交差した不思議な時代だった。.


こうち市絵で見る百年の歴史から<MPさんのDDTによるシラミ駆除
100nen22_1





朝ドラ「純情きらり」あの時代の記憶

2006年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム
久し振りに殆んど欠かさず見ていた朝のテレビドラマの「純情きらり」は,いよいよ終回に近づいてきたようだ。終戦の時、国民学校一年生だった爺は、あのドラマの背景が爺の記憶の誕生と重なっているのが、あのドラマに嵌った理由かも知れない。

戦争が始まり戦果が上がっていた頃、親爺と大きなラジオにしがみ付いて戦況を聞いていたし、親爺が何故か憲兵に連れて行かれ、間もなく43歳の親爺までが出征し、駅に送っていったのを記憶している。あの紙のランドセルを送ってくれたガラス屋のおっちゃんと一緒だった。
24_ph2


長女の姉が人吉の女学校から熊本の女学校に移り、お袋と寮に行った記憶もある。お城の近くの学校だった。その姉も桜子と同じ様に小学校の代用教員をしていた。

親爺も夏の終わり頃帰って来た。本土守備隊で熊本にいたらしい。軍服にリックを背負って親爺はものも言わずに玄関に座り込んでいた。気が付いたお袋は抱えるようにして家に上げ、二人は何故か泣いていた。親爺の泣いている姿はこの時しか記憶に無い。お袋は40歳で今の娘より若かった時代だ。無事帰った事か、戦争に負けたことが悲しかったのか判らなかった。

そして風呂場に行った親爺を見に行ったら、お袋が着物の裾をからげて、親爺の背中を流していた。子供ながらに悪いものを見たような気がしたが、然し久し振りの親爺の姿を目にして嬉しかった。

親爺が憲兵に連れて行かれたのは親父が若い頃慕っていた○○正剛とか言う政治家が東条英機に反発し、割腹自殺を図ったことに関係があった事を知った。親爺は何も言わなかったが長兄からそんな事を聞いたことがある。彼と同じ仲間の当時の文部大臣が私の裸姿を見て良い子になれと抱いてくれた事を良く話していたから本当の話かも知れない。

戦争が終わった2学期は疎開先の本校に通った。昨年、亡くなった従兄弟が大将になって本校まで連れて行ってくれたが、従兄弟の長兄はフイリッピンで戦死した。無事復員した近くの鍛冶屋の小父さんと一緒で、その戦死の様子を話してくれたことがある。身近な戦死者はその従兄弟頭だけだった。

その内、我家には中国や朝鮮から引き上げてきた縁者が身を寄せ戦後の急激な変化に慌てた時代が続いていたような気がする。物が無い時代だ。特に食べるものが無かった時代だ。

朝ドラ『純情きらり』ももうすぐハッピーエンドで幕を閉じるのだろうが、このドラマは自分の埋もれていた記憶の始まりを蘇らしてくれた。ドラマの筋書きと自分のあの頃の記憶を合わせ鏡のように見ていたのだろう。お陰で、朝ドラを楽しみに見せた貰った。このドラマは、あの新婚時代の「おはなさん」と定年1年生の時の「すずらん」以来の3本目になりそうだ。

◎ 爺が入学した国民学校 西小学校

Photo_83





命のバトンタッチ

2006年09月08日 | 写真
縁側の先に植わっている柚子の木が今年は随分背が伸びました。毎年、蝶の幼虫が葉っぱを食べ尽くして背が伸びていなかったのです。然し今年は長雨と台風で産みつけられた卵が流されたからです。9月になってクロ・キ・アゲハが今年最後の産卵に懸命になっています。

いつの間にかセミの声も聞えなくなったこの頃の我家の庭先の光景です。蛹になって何所かでひっそりと過ごし来年お春旅立つのでしょうか!?子孫繁栄・・・命のバトンタッチって不思議ですが、大切な事なのですね。


Photo_81


P6060098b


Photo_82

P9040027a
◎立木ベコニアの葉っぱに
P1010067

◎銀杏の木に
P8210060ss


産卵から10日間くらい 約2センチ
P9080008


9・12 その姿は急変していた

P9110021_1