昨夜、テレビで松本清張の『点と線』を前編は録画で、続けて後編を約5時間の大作を一気に見た。昭和32年の時代背景だったが懐かしく思いながら見た。急行「西海」特急「あさかぜ」上野発「マリモ」「青函連絡船」上京には熊本発「あそ」を使っていたが「西海」にも鳥栖で合流する列車にも乗ったことがあったからだ。
北海道には姉家族の郷帰りに合わせて送っていった。東京からは飛行機だったが爺は解約して汽車にした。多分,お金を浮かせて学割で周遊券を買って北海道を一人旅をしたかったからだろう。
事件の展開に魅せられながらも懐かしい国鉄の機関車の響きと共に半世紀前の青春時代を懐かしく思い出しながら楽しませてもらった。
■画像は小樽近くの積丹岬でジンギスカンを開いた懐かしい光景です。一回り違った姉は古希を迎えて亡くなり、「あさかぜ」の寝台から落ちた○チャンは女医になったが四十の若さで癌に倒れた。太っちょの長男君はもう還暦を迎え、社員が四百人を超す燃料会社の社長に。やんちゃだった次男坊は歯医者さんになっている。彼らは息子らの従兄頭で隔年ごとに九州に来ている頼もしい従兄頭になっている。
★積丹岬でバーべキューを★
2004/11/19 21:30 寄稿した「グウ爺の独り言」から
姉を訪ねて 其の1
姉がお嫁に行く時家族の全員で写真を撮り、家族の紹介にしました。昭和22年の事です。私は背は高かったのですが痩せっぽちでした。そんな身体に子供なりにも大きなコンプレックスを持っていました。だから写真に写る時、少しでもふっくらとした顔に写りたいと、空気をいっぱい吸い込んで頬を膨らましたのです。
それが失敗でした。怒ったフグみたいに奇妙な顔に写ってしまったのです。写真を持参した長兄が帰ってから、「奇形児がいるらしいと噂になったぞ」と脅されました。
私が大学に入って間もなく姉が3人の子供を連れて始めて里帰りしました。札幌に帰ることになって一緒に札幌に行くことになり寝台特急「あさかぜ」で先ず東京まで帰ったのです。その頃の学生の上京は熊本から急行で一昼夜かけて込み合う汽車で行ったものでした。
下段に長男と次男、中段に5才の姪っ子が乗って、私は上段に乗ったのですが夜中にドスンと音がして、ビックリして下を覗くと姪っ子が落ちていたのです。仕方なく私が一緒に姪っ子と一緒に寝たのですが寝相が悪く大変だったのを覚えています。
東京からは飛行機の予定でしたが青函連絡船に乗ってみたかったので別行動で私だけ国鉄の周遊券を買って札幌に向かったのでした。暫く札幌を基点に小樽や積丹岬、定山渓に出かけてから本格的に、一人旅を始めたのでした。
旭川まで義兄が連れて行ってくれました。途中、本家の深川によって80歳を過ぎたお母さんに会い、ジャガイモを蒸かし豪快にバタ-を挟んでこれが北海道と感激して食べました。
ヤカンに牛乳を沸かして飲んだのには驚きだった。そして「この人ね」と意味ありげに義兄に確かめていた。美唄の姉さん所に寄った時もクスッと笑われたのもあの為だった様でした。「フグの子供」だと・・・。
あれから10年以上も経っているのに北海道の人たちにとって九州の人間は珍しかったのだろう。逆に人気者になった私はお陰で周遊券の20日間の使用期間を使い切るまで存分に楽しんで帰ることが出来た。もうあれから半世紀前の姉夫婦と貴重な青春の思い出だった。
★層雲峡での1枚★
層雲狭・摩周湖、弟子屈湖、阿寒湖、釧路、昭和新山と周遊券のメニュ-にしたがって一人旅を楽しんだ。途中、神戸の女子大生とコ-スが同じになったのも楽しかった理由かも知れない。この旅は貴重な学生時代の思い出の一つになっていて忘れることは出来ない。