gooブログはじめました! グウ爺の独り言

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一日の出来事や過去の思い出を画像とともに書き記す

11月の画像から Ⅱ

2007年11月30日 | 写真
23日の早朝、おにぎりにとんかつを添えた弁当をもって山並みハイウェイを通って九重に向かった。高所恐怖症の爺にはあの橋は渡れないだろうと思ったが、狭い橋を押し出されるように歩かせれ、半ばまでやって来てうターンしてしまった。当初年間30万人の来客と想定していたらしいが1年目に200万人を突破下とのこと。其の渓谷は納得のいく光景であった。11月になって冷え込みが続いた所為か紅葉が進み九酔峡・上津江・下筌ダム・小国と素晴らしい晩秋の景色に満足な220キロのドライブだった。途中、筋湯温泉の露天風呂で疲れを取って夕方帰って来た。


                   ★九重夢の大吊橋★
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                                      ★九酔峡を下って吊橋を見上げる★
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  ★吊橋の上から★
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                                           ★桂茶屋からの九酔峡の紅葉★
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   ★下筌ダムの紅葉★
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11月の画像から

2007年11月30日 | 写真
去年の今頃は胆嚢炎で入院し、悪戦苦闘していたが血液検査からの診断では異常は認められずほとんどが正常値に戻ってくれた。特に心配していた腫瘍マーカーは健康時の数値内に戻って一安心出来た。12月15日に再度精密検査して無罪放免にするとのことだ。9月~10月は夏日ではないかと思わんばかりの暖かい日が続いたが、11月になると秋を飛ばして冬が来た様な寒い日が続いた。それでも2度の連休では、良い天候にも恵まれ娘家族と阿蘇路でのキュウイ狩や九重の大吊橋周辺をドライブできた。 


月の始めには今年4度目の月下美人が夜中に咲き、珍しく朝陽に照らされた白い花は異様に美しかった。
                ★朝陽に映えた月下美人、否 朝陽美人★ 
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真冬になると凍りつくことで有名な阿蘇の古閑の滝の近くにキュウイの農園はあった。今年初めて開放したとのことで入園料は無料キュウイは1キロ400円で5人で楽しんだのだから4キロx400=¥1600は安かったと言っていた。完熟して落下していたものは無料でもらちゃった。まるかじりしたが又これが大変美味しかった。

       ★キュウイ狩★ Pb045895_2

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帰りに久し振りに阿蘇神社に参拝し大観峰を通って途中菊池渓谷・菊池神社の菊展を見て帰って来た。

    ★阿蘇神社★A
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                             ★阿蘇の涅槃像 帰りの大観峰から★

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19歳の思い出

2007年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム
昨夜、テレビで松本清張の『点と線』を前編は録画で、続けて後編を約5時間の大作を一気に見た。昭和32年の時代背景だったが懐かしく思いながら見た。急行「西海」特急「あさかぜ」上野発「マリモ」「青函連絡船」上京には熊本発「あそ」を使っていたが「西海」にも鳥栖で合流する列車にも乗ったことがあったからだ。

北海道には姉家族の郷帰りに合わせて送っていった。東京からは飛行機だったが爺は解約して汽車にした。多分,お金を浮かせて学割で周遊券を買って北海道を一人旅をしたかったからだろう。

事件の展開に魅せられながらも懐かしい国鉄の機関車の響きと共に半世紀前の青春時代を懐かしく思い出しながら楽しませてもらった。

■画像は小樽近くの積丹岬でジンギスカンを開いた懐かしい光景です。一回り違った姉は古希を迎えて亡くなり、「あさかぜ」の寝台から落ちた○チャンは女医になったが四十の若さで癌に倒れた。太っちょの長男君はもう還暦を迎え、社員が四百人を超す燃料会社の社長に。やんちゃだった次男坊は歯医者さんになっている。彼らは息子らの従兄頭で隔年ごとに九州に来ている頼もしい従兄頭になっている。

★積丹岬でバーべキューを★2_syakotann


  2004/11/19 21:30 寄稿した「グウ爺の独り言」から
   姉を訪ねて 其の1

姉がお嫁に行く時家族の全員で写真を撮り、家族の紹介にしました。昭和22年の事です。私は背は高かったのですが痩せっぽちでした。そんな身体に子供なりにも大きなコンプレックスを持っていました。だから写真に写る時、少しでもふっくらとした顔に写りたいと、空気をいっぱい吸い込んで頬を膨らましたのです。

それが失敗でした。怒ったフグみたいに奇妙な顔に写ってしまったのです。写真を持参した長兄が帰ってから、「奇形児がいるらしいと噂になったぞ」と脅されました。

私が大学に入って間もなく姉が3人の子供を連れて始めて里帰りしました。札幌に帰ることになって一緒に札幌に行くことになり寝台特急「あさかぜ」で先ず東京まで帰ったのです。その頃の学生の上京は熊本から急行で一昼夜かけて込み合う汽車で行ったものでした。

下段に長男と次男、中段に5才の姪っ子が乗って、私は上段に乗ったのですが夜中にドスンと音がして、ビックリして下を覗くと姪っ子が落ちていたのです。仕方なく私が一緒に姪っ子と一緒に寝たのですが寝相が悪く大変だったのを覚えています。

東京からは飛行機の予定でしたが青函連絡船に乗ってみたかったので別行動で私だけ国鉄の周遊券を買って札幌に向かったのでした。暫く札幌を基点に小樽や積丹岬、定山渓に出かけてから本格的に、一人旅を始めたのでした。

旭川まで義兄が連れて行ってくれました。途中、本家の深川によって80歳を過ぎたお母さんに会い、ジャガイモを蒸かし豪快にバタ-を挟んでこれが北海道と感激して食べました。

ヤカンに牛乳を沸かして飲んだのには驚きだった。そして「この人ね」と意味ありげに義兄に確かめていた。美唄の姉さん所に寄った時もクスッと笑われたのもあの為だった様でした。「フグの子供」だと・・・。

あれから10年以上も経っているのに北海道の人たちにとって九州の人間は珍しかったのだろう。逆に人気者になった私はお陰で周遊券の20日間の使用期間を使い切るまで存分に楽しんで帰ることが出来た。もうあれから半世紀前の姉夫婦と貴重な青春の思い出だった。
★層雲峡での1枚★Hokkaidoua


層雲狭・摩周湖、弟子屈湖、阿寒湖、釧路、昭和新山と周遊券のメニュ-にしたがって一人旅を楽しんだ。途中、神戸の女子大生とコ-スが同じになったのも楽しかった理由かも知れない。この旅は貴重な学生時代の思い出の一つになっていて忘れることは出来ない。