☆台風13号が近づいた18日の夕方の遺跡公園
2ヶ月ぶりにブログを開いた。別に大病をしていた訳ではないが、正直気が重たかった。春先に3歳違いの兄が病に倒れ、クラス会への参加も控えていたら突然2才下の弟が動脈瘤破裂で亡くなった。5月連休の少し前の出来事であった。
爺は7人兄弟の6番目であることは過日紹介したが 上の4人は江戸末期生まれの祖父母に育てられ我等3兄弟は祖父母の面影は何も知らない。そしてあの戦時中の特別な環境の中で育った。終戦の年はお袋の里で疎開生活を送りどんな遊びも一緒だった。特に弟は学生時代は6畳一間で一緒に生活し学部は違ったが同じ大学に通った。
親父は家業を爺に継がせる予定だったらしいが、嫁を連れて帰って来た為に、最後に残った弟が家業を継ぐ羽目になってしまった。若し、家業の苦労が負担でこんなに早くこの世を去ったとしたら爺の所為だろう。本当に申し訳ない。
3人とも慢性の肝炎だった。戦後の医療で使い廻されたツベクリンやBCGの注射針の所為だろう。爺の場合、2年前に1ヶ月ほど入院し、今年の8月血液学上では無罪放免となった。肝炎が発見されてから25年もかかった。なぜか爺だけは肝炎からの脱出に成功できた訳だ。
☆亀が淵に初盆の精霊船があつまった
弟の葬儀や法事それに初盆参りで滅多に故郷へは帰らなかったのに3回もかえった。初盆参りには3人の子供と4人の孫を連れてお墓参りに帰った。時代の流れか、親父やお袋の時代と違って精霊船流しは昔と違って規格化された精霊船と葬儀屋さんの請負で味気なく済んだ。お城の下の木山の淵で大きな船で流すから水着の用意をして行った孫達は浮かない様子だった。
そんな訳で、弟や兄の病気のことに触れたくなかったので、このブログを開くのを躊躇っていた。それに初盆参りに帰郷した頃から所謂、群発性の頭痛に悩まされ眼科に行ったり整形外科に行って頭蓋骨をCTで調べたりしていた。眼圧OK・緑内障も心配要らないし脳内には異常はなかった。痛み止めと、座薬で何とか抑えていたが痛み止めの副作用が心配で・・・やっぱ兄弟の事を心配しての気苦労だろうとの医者の診断だった。9月になって弟がめちゃくちゃ好きだった巨人が阪神に迫ってきていつの間にか治まってきた。 これを機会にこのブログも目覚めさせようと思っている。
☆ 弟を送り出した
☆そして18日の夕焼け