今日で3月も終わる。春冷えの日が長く続き東北の震災が追い討ちをかけて、息苦しい日々が続いている。更に先が読めない福島原発の事故がその苦しみを深めている。千年に一度の災害と呼ばれているこの震災・・・万が一にもと心配していた原発の事故。日本人の誇りも自信も吹き飛んでしまった。爺は昭和13年の5月生まれの間もなく73才。戦争の記憶も残っているし球磨川の洪水で当時料亭を営んでいた我家が半分流れたことも記憶している。かすかな記憶だが3階建てで100畳敷きなどお風呂が7つも付いていたし石垣がお城の石垣見たいに積み上げられて箱庭のようだった記憶している。今回の津波をを見ているとその規模こそ違うがあの光景とよく似ていた。数軒の家が精霊船みたいに流れていった。あの記憶が突然よみがえった。
昭和42年から10年間広島で生活した爺には放射線の恐ろしさはよく理解している。広島に行くと父に云ったら父は「放射能が残っていると」本気で反対した。ひょっとして臨界まで達しているのではないかと政府の報道を疑いながら不安な気持ちは捨てきれない。どちらにせよ戦後最大の国難であろう。
爺が始めて上京したのは昭和32年、戦後12年経っていたがもう立派に東京は復興していた。あの時の覚悟と頑張りを新たにしてこの国難を全ての人が共有して全力を尽くしたいものである。東北人のあの粘り強さと芯の強さが発揮される事を念じたい。アフリカの小さい村からも支援の手が差し伸べられたらしい。嬉しい事である。10万人以上の自衛隊の人たちを先頭に地域の関係者も不眠不休で頑張っておられるそうだ。仙台に住んでいる叔父は家の中がばらばらになったが心配要らないと連絡があった。
★今年の山桜も木瓜の花も遠慮がちに咲いた★