gooブログはじめました! グウ爺の独り言

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一日の出来事や過去の思い出を画像とともに書き記す

3月も去るが

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム
 Don't give up
Erp11031320400011p1 今日で3月も終わる。春冷えの日が長く続き東北の震災が追い討ちをかけて、息苦しい日々が続いている。更に先が読めない福島原発の事故がその苦しみを深めている。千年に一度の災害と呼ばれているこの震災・・・万が一にもと心配していた原発の事故。日本人の誇りも自信も吹き飛んでしまった。爺は昭和13年の5月生まれの間もなく73才。戦争の記憶も残っているし球磨川の洪水で当時料亭を営んでいた我家が半分流れたことも記憶している。かすかな記憶だが3階建てで100畳敷きなどお風呂が7つも付いていたし石垣がお城の石垣見たいに積み上げられて箱庭のようだった記憶している。今回の津波をを見ているとその規模こそ違うがあの光景とよく似ていた。数軒の家が精霊船みたいに流れていった。あの記憶が突然よみがえった。

昭和42年から10年間広島で生活した爺には放射線の恐ろしさはよく理解している。広島に行くと父に云ったら父は「放射能が残っていると」本気で反対した。ひょっとして臨界まで達しているのではないかと政府の報道を疑いながら不安な気持ちは捨てきれない。どちらにせよ戦後最大の国難であろう。
爺が始めて上京したのは昭和32年、戦後12年経っていたがもう立派に東京は復興していた。あの時の覚悟と頑張りを新たにしてこの国難を全ての人が共有して全力を尽くしたいものである。東北人のあの粘り強さと芯の強さが発揮される事を念じたい。アフリカの小さい村からも支援の手が差し伸べられたらしい。嬉しい事である。10万人以上の自衛隊の人たちを先頭に地域の関係者も不眠不休で頑張っておられるそうだ。仙台に住んでいる叔父は家の中がばらばらになったが心配要らないと連絡があった。

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                      ★今年の山桜も木瓜の花も遠慮がちに咲いた★
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「自然の脅威」に驚かされて

2011年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム
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梅の花も満開になってソメイヨシノの桜の開花が始まった。いつもの通りの春の始まりだ。一月の寒い夜にランちゃんがいなくなってから2ヶ月も過ぎてしまった。いつものように相棒のシロを呼び、ランちゃんの名前を呼んで「若しや」の期待は今だ捨て切れない。あの突然に起こった(マグネチュード9)の東北地震からも10日たった。もっと、我が家のことを言えば昨日は父の35回目の命日でもあった。一月に胃潰瘍と云うことで○大病院に入院し2月に自分が吐血して、病のすべてを知り、その日に退院し自分が作り上げた旅館の一室で自分の好きな桜が咲くのを眺めながら彼岸の中日を選ん永遠ので眠りについた。人吉の実家から紋付袴を持ち帰らせて、玄関でいつもの雪駄がないと言い出し人吉まで車を走らせて持って来た事が思い出される。これも商人魂の一つの意地の表れであったのだろう。それにしても昭和のそれも戦前生まれの人は素晴らしくて強い。10日ぶりに釜石の倒壊した家屋の中から16歳の孫と一緒に80歳のおばあちゃんが救い出されたのだ。約220時間の後の救助であった。

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公園の端か段落ちの農水路に降りて行く細い道の竹薮の中にボケの花が咲き始めた。そこはランちゃんと度々散歩に行った道だ。暖かかった今日は満開に成っているかも知れない。昨年の11月に遊びに寄ったメジロの夫婦は3月に成ってコブシの花が咲き始めた頃、我が家の小さい庭をヒヨに占拠されて去ってしまった。満開に成った梅の花は通り縋りのメジロが時折姿を見せるだけだ。今年の寒さはヒヨ達の食べ物を奪ったのだろう。駐車場の横の栴檀の実は一粒も残っていない。お陰でもう里帰りの時期に成ったのにジョウビタキも素通りしてしまった。
この様にして今年も春がやって来た。でも心は晴れない。
地震そして津波は1000年に一度の災害と言われているが福島原発はそうあろうか。危機管理は充分であったろうか・・・初動の手の打ち方は? 政府の対応は? 心が痛むばかりである。
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然し爺は何にも出来ない精々少しばかりの義援金を市役所に設置された援助金箱に入れるくらいだ。普賢岳の噴火の時は冷凍食品の工場からハンバーグやトンカツを給食用に送ったけれど、今は唯祈るだけだ。正直、如何なる文句も云う資格も無いだろう。今の政府を選んだの国民の一度任せてみようと言った選挙による総意であるから・・・・。これからの復興の財源はどうするのであろうか・・・。戦後の焼け野原を復興させたエネルギーが再興できるのであろうか・・・。

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YouTube: 東北地方太平洋沖大地震の大津波





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YouTube: tsunami Japan 2011 福島第一原発 東京消防庁記者会20日 精鋭部隊139人3隊


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YouTube: 自衛隊、福島第1原発放水作業





東北地方太平洋沖地震

2011年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
このたびの東北地方の震災に付いて私は言葉を失っていますが外国の人の言葉や 激励の新聞を見るにつけ感謝し 頑張らねばと決意と覚悟を持ちたいと願っています。 Logo_header_2 震災下でも「文化に根ざす規律」 東京滞在の米学者 が一文をCNNのサイトに寄稿していた。紹介いたします。
2011.03.14 Mon posted at: 08:52 JST
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(CNN) 略奪行為も、食料を奪い合う住民の姿もみられない。震災下の日本で守られる規律は、地域社会への責任を何より重んじる文化のたまものか――。東京に滞在している米コロンビア大学の日本研究者は、大地震への日本人の対応をこう評価した。

同大ドナルド・キーン日本文化センター所長のグレゴリー・フルーグフェルダー氏は会議のため来日し、11日の地震発生時は東京の国会図書館内にいた。「図書館は閉館を1時間半遅らせた。通常のスケジュールが変更されるのは非常に珍しいことで、災害の規模の大きさがうかがえた」と振り返る。

深夜になって地下鉄が運転を再開した時、きちんと列を作って待つ人々の姿に感銘を受けたという。「普段から社会的秩序と規律が守られているため、日本人は習慣通りの行動を容易に続けられるのだろう」と、フルーグフェルダー氏は話す。日本文化の根底にある共同体意識は、災害のストレス下で平時よりさらに強く働いているというのが、同氏の見方だ。「looting(略奪)という行為は日本では発生しない。われわれがこの言葉から受けるのと同じ意味を持つ日本語の単語が存在するかどうかも疑わしい」という。

米ボストン大学で日本文化を研究する人類学者のメリー・ホワイト教授は、「米国社会で略奪が起きたり秩序が乱れたりするのはなぜかを考える必要がある」と話す。同教授によれば、背景にあるのは社会的疎外や階級格差の問題。「日本にも疎外や格差はある程度存在するが、暴力に訴えたり、他人の所有物を奪ったりすることは文化的にとにかく受け入れられないのだ」と、同教授は分析する。

フルーグフェルダー氏によれば、米国人は個人主義に基づいて行動する。自分の利益を守るために全力を尽くし、他人も皆そうするという共通認識の下に、「見えざる手」ともいうべき秩序が生まれる。「日本人の場合は違う。秩序は集団や地域社会から、個々の要求を均等化するものとして発生する」と、同氏は語る。こうした傾向は大地震からの復興に役立つかとの問いに、同氏は「ひと言でいえば、そうだ」と答えた。

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  ★英国の新聞の一面にこんな激励の文章が出た★

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 寒の戻り

2011年03月05日 | 写真
★去年の11月のランとシロ★ 
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2月の末から我家の梅の花も満開になって春らしくなってきた。居間からファンヒーターも仕舞い込んで春が来たーと喜んでいた。ところが昨日から寒の戻りとかで急に寒くなり今朝になって我慢出来ず、灯油を買い求めてきた。値段が随分上がっていたが今年の最後の灯油と思い18リットルで済ませる事にした。
1月22日この冬一番寒かった夜に行方が判らなくなった愛猫ランちゃんがいなくなって6週間も過ぎた。あの日夜の10時頃隣の公園に迎えに行ったが、寝巻きにネンネコを着込んだだけで出かけたが寒くてすぐ帰ったのが、今も後悔されてならない。今日はトラのように大きくなって帰ってきたランちゃんの夢を見た。滅多に2に階に上がってこなかった妹のシロちゃんが最近は二階にやって来てランちゃんの指定席だった爺のベッドの端の方で眠っている。然し、仕草に元気が無くて寂しそうだ。一度3週間も行方不明になった事のあるシロちゃんは爺よりランちゃんを心配しているのだろうか。

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      ★ ランちゃんたちの遊び場だった隣の遺跡公園・・・今日の夕方 ★Photo

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            ★寒の戻りとやらで急に寒くなった今日だが夕陽には春を感じた★3b

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