トイレの中に居たら爺に気がつかないで人事課長と営業部長の会話が聞えてきた。
「今年の新入社員は生意気だ 早く移動させなければ・・・」との会話の内容だった。爺は大阪支店配属と聞えた。
あの息子さんが帰ってきた歓迎会の席上で問題が起きたのだった。歓迎会は日本橋の鰻屋で行われ其処で事件は起きた。それまで我々が上司として尊敬していた専務や常務が頭をぺこぺこ下げながら「お流れ頂戴」をしている姿を見て騒ぎ出したのだ。ちょうど37(さんななかい)会と名を付けた新入社員の会を作っていた我々は「見っともない」と抗議したのだった。
そうするといきなり先輩が一列に並べと言い出し、今から気合を入れると言い出した。ところがそれが返って火に油を注いでしまったのだ。K大の空手部だったO君が身構え、M大の柔道部だったT君も一歩前に出た。慌てた総務部長な中に入って、その場を納めたのだった。
そんな事があって、あの移動の話が出たのだった。翌日には前例がないと37会は解散され、年が明けた38年の3月に移動が発令されたのだった。嫁を貰う予定にしていた爺は大阪での生活が不安だったので故郷に近い門司支店を希望したら、不人気な支店だったらしく即座に変更は受け入れられた。
☆よく通った門司税関☆
会社の社長の席が空いていたのはあの息子さんの為だったのだ。我々と歳の差がほとんど無いしその様子は腑に落ちない事で、若さに任せて暴挙に出たのだったのだろう。間もなく彼は大手商社の会長のお孫さんを嫁に貰い、将来とも実業家で行くと宣言し若手経営者のホープとして業界からも注目を受け実質的に社長になった。
あのLT貿易で中国との取引を拡大し、穀物や魚貝類の取引、得意の競馬馬の輸入や育成には大いに活躍した。会社の前にはFIをずらりと並べ、鈴鹿にサーキット場を建設すると発表して注目を受けた事もあった。
特異な出来事として、中共から
LT貿易で自国の船で2万トンの玉蜀黍を船積みして門司港に来る事になったのだ。その準備のためにあの専務が支店長としてやって来た。歓迎と警備の為でその緊張は当分続いたが、その船は五島列島の沖で座礁して沈没した。専務はじめ支店の職員は実際の所ホットしたが貨物船はいろんな一次産品を積んでやって来た。沈没した船の名前は躍進号だったと記憶している。
☆今も変わらない門司港駅☆
支店では九州各地や中国地方に入港する船舶の輸入業務の仕事を中心にいろんなことをやった。まだ完成はしてなかったがインスタントのカレーやセメントからプレハブ住宅・熱帯魚からその餌(台湾で作らせた乾燥ミミズ)まで。爺の主な仕事は家畜飼料の原料の穀物が主体だった。韓国と魚網の輸出契約が出来、船積みの前夜その魚網をずたずたに切られ万事窮した事もあった。朝鮮半島に於いても南北の対立が激しかった時代だったから中国との取引も神経がピリピリしていた時代だった。
☆長男 ○太郎の名前の由来☆
息子さんは実質的にも社長になって子供さんが生まれ太郎と名をつけられた。間もなくして爺にも長男が産まれ、爺の一字を取って○太郎と名をつけた。それもいつの間にか我等のホープになっていたからで本当に総合商社に向かってひたすらに走っていた。
ところが40年の7月悲劇が起きた。あの大物政治家が遊説先で亡くなったのだ。悪い事に生涯実業家といっていた若社長は親父さんのあとを継いで政治家にになったのだった
もともとそんなに実力が有った訳ではないから仕事も窮屈になってきたし、2年ほど経って、トヨタの販売会社を作っていた油脂課の先輩の誘いを受けてこの会社を去る決心をしたのだった。バンコック支店への転勤の内示があって断ったのが最大の理由だったが、もう親父も反対はしなかった。
あれから40年、彼は
衆議院議長を務め、太郎君も3世議員として親子鷹を演じている。
新自由クラブ発足時は昔の仲間と数口献金をしたが、いつの間にか信条的にも遠い人になってしまった。何故、彼が極端な親中派なのか?あのころの人脈の所為だろうかと思ったり、巨額の個人資産は?と頭を傾げる事はあるが爺の人生でも一番懐かしい人物であることには違いない。あの時代の爺の仲間はいろんな職場に拡散して行ったらしいが、その後のことはあまり知らない。
ただ今年亡くなられた城山三郎さん著の「毎日が日曜日」は爺の上司がモデルではないかと思っている。あの時代の仲間達は今どんな毎日を日曜日として送っているだろか。同窓生のK君は東京でコンビにを展開していたが50店舗目を展開中、高速道路で事故を起こし引退したと連絡があった。柔道のT君は大阪支店から畜産関係の仕事をしていて、爺が現役引退するまで応援してくれ、昔の仲間の情報を知らせてくれた。37会の仲間で最初にニューヨーク支店に行ったA君は癌で倒れたとか
☆城山三郎著の毎日が日曜日☆
長男の○太郎には二人の息子が生まれこの二人の孫も○太郎と名がついている。3世の
太郎議員の活躍を祈りたい。