長男は日曜日の2時の飛行機で帰る為に高速バスに乗った。ところがバス停から帰って来ると孫娘が「大変だ!おじちゃんが切符忘れている」言い出して、福岡まで届ける事になった。福岡まで高速で走るのは10年振りである。今年、タイヤは替えたが年代物の車だから自信は無いがそんな事を云って居れないと,バア様を隣に座らせて菊水インターから走った。時間は2時間もあれば充分と思いながら時速90キロで走った。ところが太宰府でそのまま都市高速に乗ってしまい,最初の出口を降りる様に云われ、その通り左に折れたら間違って板付方面に行ってしまった。案内板に沿って1時過ぎに空港に着いたがそれからが大変だった。
☆花菖蒲の似合う季節☆
**鯉太郎の昔の住処周辺**
切符の名前が違う,事情が有って一日違いの切符を先輩と交換していたらしかった。カウンターで呼び出しを依頼したが、名前は切符通りで切符の交換は出来ないのが原則ですからと事情を理解して貰えなかった。孫を通しての連絡で少し走り回ったが20分前に会う事が出来、走り込んで帰って行った。高速代といって封筒を持たせてくれた。多分,馬刺代も入っていたのだろ。
バア様は笑って京都の次男に馬刺を送ってと封筒の半分を渡した。おツリで壊れていたPCのテレビカメラをかっちゃった。息子も洒落た事をする様になったもんだと笑ってしまった。
途中、博多ラーメン食べて帰ったが、体調が少しおかしかったが明日は検診日だからと気にもしなかった。ただ前日見たNHKの前立腺ガンの問診で「あれあれオレは?」と思っていたから教わったPSAの検査と足の浮腫みを心配して腎臓の検査もお願いする事にした。
☆今年最後の孔雀サボテンの花☆
ところが20日の夕方になって寒さを感じ始め、激しい悪寒がはじまった。最初、37・5℃の微熱だったが10時頃になったら39℃を超してしまった。娘に連絡したら「保健所の指示を受けないといかんよ」との事で翌朝まで氷枕で堪えて、翌朝5年も通っている病院に連絡したら,いきなり保健所の指示を受けてくれとのこと,「やっぱり」と思い8時半頃保険所に電話して担当者と話したが、空港に寄った事が気になるが外来に行って良い事になった。
病院はマスクを付けて来いと云って、待ち受けていたが、いつもと違う2坪くらいの警察の取調室みたいな小部屋に通され問診を受けた。主治医は学会とかで院長から看護師を通して問診を受けた。下痢が激しく小便は堪えていると話したら、導尿を試みるとのこと。恥ずかしいのは諦めたが、痛いのは堪えられずギブアップしてしまった。そしたら院長は腎臓・泌尿器科を紹介してくれた。あの検査が×だったのかと思いながら転医した。若い先生は上手だった、何の痛みも感じないままいつの間にか終わっていた。500cc位出たらしい。そしていきなり「汚いバイキンがいっぱい」と「多分腸内も一緒だろう」と云いながら点滴と抗生物質と解熱剤を処方して日曜日も含めて3日間点滴を続けるける事になり、改めて採血して検査するとの事になった。
☆時の流れを教える時計草☆
点滴していたら、同年輩の女の患者さんが来られ「もう大丈夫できょうは診察日ではないでしょう」といわれ患者さんは「病は気からですかね」心配になってやって来たとそしたら先生は「気は病からですよ」と云れ、意外と面白い先生だなぁと笑ってしまった。そして、持たされた紹介状には腎臓も前立腺もセーフだったが人間の身体は常に変化しているとの事だった。これも年齢を重ねると云う事だろうと思いながら昨日正式に病名を聞いた。勿論、インフルエンザではなく前立腺炎症と云う事でPSAも異常値を示しているそうだ。NHKの(試してがってん)は爺をすくったかも知れない。先生も「あの番組はね」と云っておられたので他にも爺みたいな患者が居られたのかも知れない。明日はいつもの通りの主治医の検診日 どんな風に交通整理するのか気になる所だ。
新型インフルエンザの発生が多かった関西も「ひとまず安心」の宣言がされたが、弱毒性で済んだ内に良い経験したと思った。そんな事で、71歳の誕生月は心細い1週間を過ごした。親父やお袋が去った年齢。去年は弟と兄が逝った、たして2で割れば71才。そして昨日は小学生からの同級生が肝臓癌に倒れたと云う訃報が入った。無理は禁物の年齢だが老け込も禁物・爺も難しい年齢になったものだ。楽しさと悲観の入り交じった今年の誕生月5月であった。明日からは6月紫陽花が今年は良い色が出ているようだ。あの元総婦長が言ったように小肉・多菜・塩分控えめ・そして歩けを実行しようと本気で思うようになった。
☆花菖蒲の似合う季節☆
**鯉太郎の昔の住処周辺**
切符の名前が違う,事情が有って一日違いの切符を先輩と交換していたらしかった。カウンターで呼び出しを依頼したが、名前は切符通りで切符の交換は出来ないのが原則ですからと事情を理解して貰えなかった。孫を通しての連絡で少し走り回ったが20分前に会う事が出来、走り込んで帰って行った。高速代といって封筒を持たせてくれた。多分,馬刺代も入っていたのだろ。
バア様は笑って京都の次男に馬刺を送ってと封筒の半分を渡した。おツリで壊れていたPCのテレビカメラをかっちゃった。息子も洒落た事をする様になったもんだと笑ってしまった。
途中、博多ラーメン食べて帰ったが、体調が少しおかしかったが明日は検診日だからと気にもしなかった。ただ前日見たNHKの前立腺ガンの問診で「あれあれオレは?」と思っていたから教わったPSAの検査と足の浮腫みを心配して腎臓の検査もお願いする事にした。
☆今年最後の孔雀サボテンの花☆
ところが20日の夕方になって寒さを感じ始め、激しい悪寒がはじまった。最初、37・5℃の微熱だったが10時頃になったら39℃を超してしまった。娘に連絡したら「保健所の指示を受けないといかんよ」との事で翌朝まで氷枕で堪えて、翌朝5年も通っている病院に連絡したら,いきなり保健所の指示を受けてくれとのこと,「やっぱり」と思い8時半頃保険所に電話して担当者と話したが、空港に寄った事が気になるが外来に行って良い事になった。
病院はマスクを付けて来いと云って、待ち受けていたが、いつもと違う2坪くらいの警察の取調室みたいな小部屋に通され問診を受けた。主治医は学会とかで院長から看護師を通して問診を受けた。下痢が激しく小便は堪えていると話したら、導尿を試みるとのこと。恥ずかしいのは諦めたが、痛いのは堪えられずギブアップしてしまった。そしたら院長は腎臓・泌尿器科を紹介してくれた。あの検査が×だったのかと思いながら転医した。若い先生は上手だった、何の痛みも感じないままいつの間にか終わっていた。500cc位出たらしい。そしていきなり「汚いバイキンがいっぱい」と「多分腸内も一緒だろう」と云いながら点滴と抗生物質と解熱剤を処方して日曜日も含めて3日間点滴を続けるける事になり、改めて採血して検査するとの事になった。
☆時の流れを教える時計草☆
点滴していたら、同年輩の女の患者さんが来られ「もう大丈夫できょうは診察日ではないでしょう」といわれ患者さんは「病は気からですかね」心配になってやって来たとそしたら先生は「気は病からですよ」と云れ、意外と面白い先生だなぁと笑ってしまった。そして、持たされた紹介状には腎臓も前立腺もセーフだったが人間の身体は常に変化しているとの事だった。これも年齢を重ねると云う事だろうと思いながら昨日正式に病名を聞いた。勿論、インフルエンザではなく前立腺炎症と云う事でPSAも異常値を示しているそうだ。NHKの(試してがってん)は爺をすくったかも知れない。先生も「あの番組はね」と云っておられたので他にも爺みたいな患者が居られたのかも知れない。明日はいつもの通りの主治医の検診日 どんな風に交通整理するのか気になる所だ。
新型インフルエンザの発生が多かった関西も「ひとまず安心」の宣言がされたが、弱毒性で済んだ内に良い経験したと思った。そんな事で、71歳の誕生月は心細い1週間を過ごした。親父やお袋が去った年齢。去年は弟と兄が逝った、たして2で割れば71才。そして昨日は小学生からの同級生が肝臓癌に倒れたと云う訃報が入った。無理は禁物の年齢だが老け込も禁物・爺も難しい年齢になったものだ。楽しさと悲観の入り交じった今年の誕生月5月であった。明日からは6月紫陽花が今年は良い色が出ているようだ。あの元総婦長が言ったように小肉・多菜・塩分控えめ・そして歩けを実行しようと本気で思うようになった。