gooブログはじめました! グウ爺の独り言

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 偽 新型インフルエンザ ?

2009年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム
 長男は日曜日の2時の飛行機で帰る為に高速バスに乗った。ところがバス停から帰って来ると孫娘が「大変だ!おじちゃんが切符忘れている」言い出して、福岡まで届ける事になった。福岡まで高速で走るのは10年振りである。今年、タイヤは替えたが年代物の車だから自信は無いがそんな事を云って居れないと,バア様を隣に座らせて菊水インターから走った。時間は2時間もあれば充分と思いながら時速90キロで走った。ところが太宰府でそのまま都市高速に乗ってしまい,最初の出口を降りる様に云われ、その通り左に折れたら間違って板付方面に行ってしまった。案内板に沿って1時過ぎに空港に着いたがそれからが大変だった。
  ☆花菖蒲の似合う季節☆
**鯉太郎の昔の住処周辺**
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切符の名前が違う,事情が有って一日違いの切符を先輩と交換していたらしかった。カウンターで呼び出しを依頼したが、名前は切符通りで切符の交換は出来ないのが原則ですからと事情を理解して貰えなかった。孫を通しての連絡で少し走り回ったが20分前に会う事が出来、走り込んで帰って行った。高速代といって封筒を持たせてくれた。多分,馬刺代も入っていたのだろ。

バア様は笑って京都の次男に馬刺を送ってと封筒の半分を渡した。おツリで壊れていたPCのテレビカメラをかっちゃった。息子も洒落た事をする様になったもんだと笑ってしまった。
途中、博多ラーメン食べて帰ったが、体調が少しおかしかったが明日は検診日だからと気にもしなかった。ただ前日見たNHKの前立腺ガンの問診で「あれあれオレは?」と思っていたから教わったPSAの検査と足の浮腫みを心配して腎臓の検査もお願いする事にした。
                                         ☆今年最後の孔雀サボテンの花☆
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ところが20日の夕方になって寒さを感じ始め、激しい悪寒がはじまった。最初、37・5℃の微熱だったが10時頃になったら39℃を超してしまった。娘に連絡したら「保健所の指示を受けないといかんよ」との事で翌朝まで氷枕で堪えて、翌朝5年も通っている病院に連絡したら,いきなり保健所の指示を受けてくれとのこと,「やっぱり」と思い8時半頃保険所に電話して担当者と話したが、空港に寄った事が気になるが外来に行って良い事になった。

病院はマスクを付けて来いと云って、待ち受けていたが、いつもと違う2坪くらいの警察の取調室みたいな小部屋に通され問診を受けた。主治医は学会とかで院長から看護師を通して問診を受けた。下痢が激しく小便は堪えていると話したら、導尿を試みるとのこと。恥ずかしいのは諦めたが、痛いのは堪えられずギブアップしてしまった。そしたら院長は腎臓・泌尿器科を紹介してくれた。あの検査が×だったのかと思いながら転医した。若い先生は上手だった、何の痛みも感じないままいつの間にか終わっていた。500cc位出たらしい。そしていきなり「汚いバイキンがいっぱい」と「多分腸内も一緒だろう」と云いながら点滴と抗生物質と解熱剤を処方して日曜日も含めて3日間点滴を続けるける事になり、改めて採血して検査するとの事になった。 
☆時の流れを教える時計草☆Photo_4

点滴していたら、同年輩の女の患者さんが来られ「もう大丈夫できょうは診察日ではないでしょう」といわれ患者さんは「病は気からですかね」心配になってやって来たとそしたら先生は「気は病からですよ」と云れ、意外と面白い先生だなぁと笑ってしまった。そして、持たされた紹介状には腎臓も前立腺もセーフだったが人間の身体は常に変化しているとの事だった。これも年齢を重ねると云う事だろうと思いながら昨日正式に病名を聞いた。勿論、インフルエンザではなく前立腺炎症と云う事でPSAも異常値を示しているそうだ。NHKの(試してがってん)は爺をすくったかも知れない。先生も「あの番組はね」と云っておられたので他にも爺みたいな患者が居られたのかも知れない。明日はいつもの通りの主治医の検診日 どんな風に交通整理するのか気になる所だ。


新型インフルエンザの発生が多かった関西も「ひとまず安心」の宣言がされたが、弱毒性で済んだ内に良い経験したと思った。そんな事で、71歳の誕生月は心細い1週間を過ごした。親父やお袋が去った年齢。去年は弟と兄が逝った、たして2で割れば71才。そして昨日は小学生からの同級生が肝臓癌に倒れたと云う訃報が入った。無理は禁物の年齢だが老け込も禁物・爺も難しい年齢になったものだ。楽しさと悲観の入り交じった今年の誕生月5月であった。明日からは6月紫陽花が今年は良い色が出ているようだ。あの元総婦長が言ったように小肉・多菜・塩分控えめ・そして歩けを実行しようと本気で思うようになった。
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息子と天草大王そして馬刺し 

2009年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム
天草大王(クリック) ☆
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運転免許証の更新で久し振りに教習場に行って、その翌日からの列車の旅は堪えたらしい。再び不整脈が発症ししばらく安静にする事にした。18日には再診がある事だし、と思いながら200枚近いデジカメの整理をしていたら東京に単身赴任している長男から3泊の予定で帰郷すると云って来た。福岡での会議の帰りらしかった。
最近、どうやら上職に就いたらしくその事を褒めてやったら、「未だ重役にならんのか」と云って欲しいと切り返された。
☆ビッグな手羽先☆
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そしてTV番組でホンジャマカの石塚君が旨そうに食べていたと言う天草大王の地鶏屋に連れて行ってくれた。
恥ずかしくも地元に居りながら、そんなお店は知らなかった。天草大王は30年くらい前に兄がいた県の畜産課で熊本コーチンを復元した事は知っていたのだが・・・・。
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場所は最近開発が進んでいる奥山鹿と呼ばれている昔の湯治場平山温泉で隠れ宿として福岡方面で人気らしい。最近鶏肉より,牛肉、それよりも豚肉と思っていたら,実に美味しかった。家族単位の炉端風のお店はほぼ満席だった。バア様は久し振りの息子と飲むビールが美味しそうであった。仕事の都合で熊本の娘家族は土曜に遅れてやって来た。

結局、息子は何をすでなく、のんびりとバア様が用意した馬刺しと手料理をビールと焼酎を美味しそうに飲みながら3日間過ごした。今でも二つの楽団のコンダクターを務めているそうで、得意はコミニケーションと嘯いていた。開発部には博士や学者肌の人が多いそうだから意外と存在価値があるのかもしれない。孫息子と親子3代の男同士の温泉では、5年生の孫息子に身体のすり方を教えていたし、露天風呂では手による水鉄砲の飛ばし方を教えていたが、もう孫息子はおじちゃん大好きになってしまっていた。孫息子のパパさんも長い間単身赴任で、一緒に風呂に入る機会も少ないからだろう・・・と思った。

そして息子は17日の日曜日2時の飛行機に乗る為にで高速バスで帰った。娘は子供を置いて休日出勤のため早朝に出かけたが、最悪! 5月の悲劇の始まりへ・・・・。

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 5月も終わろうとしているが。。。そのⅢ

2009年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム
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相良村の夜はクラスメートの気持ちのように曇りの無い満月の夜だった。11時過ぎまでひとつの部屋に集まって昔話に花が咲き、恒例の校歌と春のうららの「花」を歌った。合唱際でチャンピオンになった歌だ。指揮は同級生で最初に叙勲を受け 褒章を貰った労災病院の総婦長を勤め上げられたMちゃんがその日を締めくくった。
翌日は昨年国宝に指定された青井阿蘇神社に参拝し、戦時中、この神前で入学式が行われたことを懐かしく思い出した。あれから65年も経って、この神社のお祭り(九日祭り)にはもう半世紀以上もご無沙汰している。青井さんと呼んで親しみをもって接していたが国宝に指定されその厳かさが尚更深く感じられた。
神社の一角に親父が寄贈した鳥居に再会でき、今日は親父が去った年齢に並んだ日であることに独特な気持ちになって、川向の仲間のMさん別荘で昼食を取ることになった。お惣菜の専門家のNさんが用意してくれた特製弁当でお昼を済ませたら、爺の目の前に「71歳おめでとう」書かれたケーキがさっと出てきてハッピーバースデイの歌が始まった。驚きであり幹事さんの粋な計らいにびっくりし、涙を流してしまった。孫たちに祝ってもらうのも楽しいが、今日は格別である。Mちゃんと去年の中学生の合唱際の主題歌アンジェラ アキさんの「手紙」(クリック)の話になってもう我々も完全に15才に戻ってしまった。

☆長男の嫁から送ってきた母の日のプレゼント☆ Photo_2

全ての行事も終わって4時の汽車でそれぞれは家路に着くことにした。駅前のからくり時計が時刻になって太鼓踊りを始めた。子供の頃お祭りでは必ず演じられていた太鼓踊りの大将役をお父さんが務められていたKさんは涙ぐんで見ておられた。いろんな事もあっが、故郷在住の仲間達の見送りうけながら人吉を後にし、ふらふらになって夕方に家に帰り着いた。家には長男の嫁から素敵な植え込みの花が送ってきていた。「今年はお父さんの好きなテッセンが入っているよ」とバア様は喜ばせてくれた。確かに近年は紫陽花が多かったような気がする。もちろん紫陽花もあって今年も地植えされた。そして11時頃孫頭が「おじいちゃん おめでとう」と電話してきて、いい気分になって座敷で眠ってしまった。
ところがこの5月はこれでは済まず、大事が起きてしまった。

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 5月も終わろうとしているが。。。そのⅡ

2009年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
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そのⅠで述べたように5月は誕生月で昔から7人兄弟なのに爺だけはお袋が忘れずにお祝いをしてくれた。その日が故郷の自慢の球磨川の鮎の解禁日だったからお袋は鮎の塩焼きで祝ってくれた。球磨川の上流 下流にダムが出来て、鮎は放流鮎になって、今では6月Ⅰ日に現在はなっている。そしてこの度のクラス会はその沿線を走る肥薩線をSL人吉号で帰郷し人吉駅で現地参加者と落合って吉松まで「いさぶろう号」で尋ねる旅となった。
 
4月半ば頃から意味不明の不整脈に悩まされ医者は「汽車の旅」などとんでもないと言っていたが、昨年は兄弟の不幸で参加出来なかったし今年は必ず参加すると約束していたからだ。それにSLに乗って半世紀ぶりにあの昭和の時代を楽しみたかったからだった。気になったのは免許の切り替えが旅行日と重なっていたが協会の知らせで5年ぶりの更新は前後1ヶ月の余裕が与えられていた。しかし高齢者は自動車学校で講習を受けて来いとのこと・・・・当地の学校は閉鎖されているし隣町に申し込んだら5月2日に予約が取れたと思っていたらキャンセルさせられ9日になった。半世紀ぶりの自動車学校で3時間も畳み込むような教習を受ける羽目になった。そしてその日は興奮して眠れず中学校時代の長崎への就学旅行の前の日状態になった。
☆高度成長時代を引っ張った車輪☆
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4回目の参加になる大阪在中のN君や元気な九州一円に住む昔の仲間と熊本駅で落合い八代駅からSL人吉号に乗ることになった。本来なら始発の熊本から乗って人吉在中の仲間と八代で落合う予定だった。しかし数箇所に切符の以来をしていたが発売1秒で完売したとか! 仕方なく奇跡的に取れた人吉在中用の切符を遠来組にまわしてもらったのだった。
汽笛 石炭の匂い 煙 ガタンゴトン 鉄橋 トンネル 球磨川 待ち受ける鉄ちゃンフアン 新緑 そして一勝地駅での一時停車   最近では殆ど汽車や電車に乗ったことは無いのに、あの懐かしい我等の時代の旅発ちの列車に乗れるとは・・・昭和32年の上京を思い出して涙が出る思いであった。

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お昼頃地元勢が待ち受ける人吉駅に到着し、早速今では全国的にも珍しくなったあの「お弁当~」の呼び声で売られる駅弁屋さんから爺は鮎寿司を買って「いさぶろう号」 に乗り込んだ。高2の時、クラスで矢岳にハイキングに行った時以来の矢岳越えだった。ここでも 大畑駅 スイッチバック ループ線 矢岳駅 D51の展示 石造りの給水塔 そして霧島連山を眺めながら真幸駅に到着。15歳の少年少女達に戻ってしまった我等3年6組の仲間達は幸せの鐘を叩いてはしゃいだ。地元の人達も温かく歓迎して下さった。そして吉松駅からは折り返しの「しぺい号」に乗って相良村の宿で古希を迎えて2年目の集団とは思えないほど盛り上がるのであった。
そして翌日は昔歩いた通学路や昨年国宝に指定された青井阿蘇神社似参拝し爺の思いがけない誕生日会が始まった・・・そのⅢへ

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  5月も終わろうとしているが。。。そのⅠ

2009年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
★今年も黄色い孔雀サボテンの花が咲いた★
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大好きな誕生月のこの5月も、もう終わろうとしている。今年の5月はいろいろとあった。楽しみにしていた庭の片隅のサクランボが何故か今年は全く実をつけなかった。桜の花は一番早く咲き一度もおそ霜に見舞われることも無く楽しみにしていたのに誠に不思議な現象だった。今年は世界的にミツバチが不足していると聞いていたが、我が家の小さな庭もレッドゾーンに含まれていたらしい。確かにミツバチの羽音も聞かず姿も見なかったようだ。その隣に毎年、真っ赤な大粒の実をつけるグミの実もほぼ全滅だった。この時期になると、いつも喧嘩ばかりしているヒヨもさぞや残念だったろう。同じように楽しみにしていた孫姉弟も寂しかったことだろう。
でも、いつもより早くバア様自慢の孔雀サボテンが赤色・黄色と交互に咲いてくれ初夏の訪れを知らせてくれた。そして圧巻はアカメダカ・クロメダカが一斉に産卵を始め次々と孵化し始めメダカの学校のバア様先生はその保育にかかりっきりになってしまった。


★3年目を迎えたハエやシビンチョ★
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                                                            ★水槽の中に咲いた水中花★
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★茶器の中のメダカの赤ん坊★
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2006年12月にUPしたゴマンゾウ(クリック)がいつの間にか、カタクチイワシみたいに成長して本物のシラハエになった。2年近くなったシビンチョも小鮒みたいになって別水槽に移動している。シラハエが産卵して我が家でゴマンゾウが生まれることを期待しているそうだ。昨年の春からメダカ談義に花を咲かせて昨年の暮れこの世を去った兄のところのメダカは奥さんが元気に育てているとの事で一安心。何も文句を言わず,可愛く子育てするメダカは大好きだとバア様は夢中だ。そしてメダカ友達を作ってメダカの養子先を探している。今日もその仲間の一人が尋ねてきて話が弾んでいた。爺は一度もメダカやシラハエの死んだ姿を見たことは無い。語ることに疲れた兄がメダカの姿をじいっと見つめていた姿が懐かしい。

そして爺はSL人吉号に乗ってふるさとでの中学時代のクラス会に・・・・・。そのⅡへ
 

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