YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

『 残された者の歩き方 』

2011-04-20 20:50:02 | Weblog

素敵なお友達が、今の日本のことを書いた素敵な文章を見つけたと、携帯メールで綴って、送ってくれました。

五木寛之さんの文章だそうです。
短く、抜き出そうと思ったけど…できなかった…

 『 もちろん人間らしく引き揚げてきた人も大勢いるだろう。しかし、私は決して自分を許すことのできない負い目を感じつづけてきた。 生き残ったこと自体が、そもそも大きな借金をかかえたような気がするのである。 《善き者は逝く》 という言葉が、どこかで聞こえている。それを乗り越えて、力強く、明るく生きることは至難のわざである。 いま私たちは戦後最大の試練にみまわれているといっても差し支えないのかもしれない。 原発の行方は不明だが、どんなに好意的にみても、あと半世紀は後遺症はつづくだろう。 この国は、二度目の敗戦をむかえたのではないか。国対国の戦争ではない、べつの戦いに敗れようとしているのではないか。 そんな思いが、ふと胸をついてにじみ出してくる。明日が見えない、というほど不安なことはない。私たちには、いま、明日が見えていない。逆にいえば、きょう一日を精一杯生きるしかないのだ。 いま、この時期にだれが明日を語ることができるだろう。明日はどうなるかわからない、と、いうことがわかっているだけでも、ましなほうではあるまいか。 今回の東日本大震災が
、この国の第二の敗戦であると、みな心の底では感じているはずだ。戦時中の大本営発表のことを、どうしても思いださずにはいられないのである。 私たちは、生き残った者の一人としていま生きている。 戦争の時代を生き延びた幸運な者の一人として。 そして、戦後の繰り返した災害のなかからも、生き残った。 その生き残った者の一員として、私たちはどのようにこの現実を歩いていけばいいのか。 私にはまだその道筋は見えていない。第二の戦後を迎えて、途方にくれているだけだ。 言葉を失う、という局面を、これまで何度となく体験してきた。今回もまたそうだった。 しかし、なんとか言葉を発するしかない。たとえどんなにそれがもどかしい事だったとしてもである。 戦後には、まだ言論の自由、という空気が巷にみちみちていた。たとえ占領軍によって、さまざまに制限されていたとしてもである。 現在、私たちを包んでいるのは、鉄の格子ではない。ビニール質の、透明で柔らかな檻である。 生き残ってきた者の抱える心理的な後遺症は、カウンセリングなどで癒されるたぐいのものではない。 明治期の作家たちは、みな鬱をかかえて生きていた。「不機嫌な時代」といわれるゆえんである。 一方では明るい国家的成功があり、一方では急激な近代化の矛盾が大きな影をおとしていた時代である。 私たちはいま、あたらしい「不機嫌な時代」と向き合っている。しかし、そこで誰に苛立ちをぶつけるわけにもいかないという、屈折した状況である。 明治の流行語のひとつに、 「暗愁」 というのがあった。漱石も、鴎外も、荷風も、みなこの語を用いて自らの何といえない鬱屈した感情を託した。 明治から大正の初期くらいまで、それは人びとのひそかに愛する言葉だった。やがて軍国主義の流れのなかで、「暗愁」などという不景気な言葉は消えていく。それが最後に使われたのは、敗戦の夏、永井荷風の岡山での日記においてである。いまあらためて、その語が身にしみてならない。』

この中で
『今日一日を精一杯生きるしかないのだ。』 が大好き 

私は最後まで、私らしく 『凛』として生きたい。



それから、ニム氏から教えて貰ったんだけど、北海道でペットフードの製造・販売始めた方が、

3/31~4/12までペット用の支援物資を携え現地で活動して来ました。
そして、また第2回目の支援に向ったのだそうです。
活動内容を記録・感じた事をアップしています。

http://blog.real-dogfood.com/?cid=19740

現地の様子が、とても細かく、報告されています。
本当に素敵です!!

偉そうな事言ってばっかで、何の行動も起こせない私には、神様みたいに思える 

リアルさ~ん、頑張れ~~ 





ロン・クラーク ストーリー

2011-04-20 19:57:50 | Weblog

『当たり前だけど、とても大切な事』 の作者。

この人の先生としての体験を映画にしたものです。

とてもパワフルで、素敵です!

是非是非見て(読んで?)みて下さい。

ちなみに…
我が家でも、この人のルールの中から 『我が家のルール』が決められ、壁に貼ってあります