

も~!も~! 凄かったのこの本!
早く書きたかったんだけど、これについて書くのはとっても時間が必要だったので、半日オフの今日になってしまいました。
一冊が350ページ前後、全4巻 の最初の48ページで私の眼は、、、思いっきり開いたまま止まってしまった。
だって、そこには 私の生まれた広島の小さな町の名前 「広島県竹原市忠海(ただのうみ)町」が出てきたのです

登場人物の一人、乃美宗勝のお城、賀儀城のあった場所がそこだったんです!
そこで、その地名を検索してみると、、、、
なんと!!! その場所は、、、
私が小学校4年生の2学期までを過ごした 「忠海西小学校」 の校庭の隣! というよりも、私は(たぶんほかの子供たちもだと思う)そこは「城山(じょうやま)」と呼ばれる所で、校庭の一部だと思っていたのです。
校舎を背にして校庭の先は海岸でした。
その海岸で、もちろんプールなんて言うもののなかった時代、私たちは夏になると「水連訓練」なるものを受けていました。
その左端にその山 (というよりも丘くらいの高さだったんだけど) はありました。
私がいたころはその山の麓に大きな防空壕が掘られていたのがまだそのままになっていて、校庭とつながっていたので休み時間には私たちはそこに入って遊びました。
たぶん、大きい部類に入るんだと思うけど、その防空壕の中は暗くてひんやりしてて、不思議な空間でした。
でも私は怖いとは思わず、城山から落ちてくるドングリを集めてはその中で遊んだことを覚えています。
運動会には家族がお弁当を持ってやってきて、その城山の上にあがってお弁当を食べながら校庭で繰り広げられる運動会を見ていました。
その山にはたしか「ちゅうこんひ」っていうのがあったのですが、その意味は知りませんでした。
時々児童会で 「危ないので城山に登るのはやめましょう!」って言っていたことを覚えています。
そして、私は、前々回日本に行った時にはJRパスを使ってなぜかその町に行ってきたのです!
でも、その時にもそんなことはまるで知らなかったんだけどね。
なのに、なぜか足が向いて、その小学校んほうに向かって歩き、昔と変わらない城山の入り口を見たら懐かしくて!
もう50年以上経つのに全然変わってないの!
それで、吸い込まれるように山に登ってみたんです。
登るって言っても、階段で100段ちょっと、200段はないくらいの高さです。
そこには城跡っていう小さな小さな立札があって、忠魂碑もありました。
でも、、、私はそんな歴史を知りもしないので、、、説明書きも、忠魂碑に刻まれた文字も読むこともなく、、、

確かに今思えば、少し海に出っ張ったその山からはきれいな瀬戸内海が一面に見渡すことができ、海賊たち(?)のお城にはもってこいの場所でした。
(うわ~!、私って、こんなに素敵なところにある学校に毎日通ってたんだ~!) って思いました。
そしてこの物語はこの私の故郷に関わる、素敵なお話だったんです。
『源爺にとって、生きるとは望みを捨てることであった』
『叶わんまま死ぬだけじょ。せやけど踏ん張った自分ちゅうもんだけは残る。
けこたれたらあかん。』
『同じものを見ても大男の見方は日向のように明るく、自分のそれは長雨のように陰気だった。
この男の下でなら、配下の者は日差しを浴びて、存分に手足を伸ばし、喜んで死地へも赴くだろう。』
と、まあ、こんな風に素敵な文章はいっぱいあったんだけど、
なにせ読む方に一生懸命で、、、

本当にすごい本に出会うことができました!
今度日本に行ったら、この本と一緒に、私の生まれた町、そして瀬戸内の小さな島々を旅してみたいと思います。
この本達を読んで、面白いから!
と重たいのにすぐに送ってくれたにむ氏に感謝
