YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

永 六輔

2016-12-25 19:25:04 | Weblog
彼が娘二人と奥さんを自宅で看取った体験談。
静かなクリスマスにふさわしい、優しいけど芯のある本でした。

「家族がただ患者の手を握ることが、どれだけ大切か、、、
痛みや苦しさを癒すのに、家族が肩を揉んであげたり手を握ったりすることが、いかに患者に安心感を与えるか、、、」

「私はガンで死ぬんじゃないのよ。ガンで死ぬ人なんか誰もいない。
みんな寿命で死ぬのよね」

「自分の誕生日はお母さんに尽くしなさい。お母さんが亡くなっていたら、お墓参りに行きなさい。
つまり自分の誕生日に一番大変だったのはあなたじゃない。
お母さんだったんだ。だからお母さんに感謝しなさい」

「泣くがいやさに笑ってござる」

私は彼のように深くは考えずに、
「お誕生日はみんなにありがとう! をいう日」って思ってたんだけど、
うん! まんざらでもなかったのね

イブの夜

2016-12-24 23:24:50 | Weblog
今、11時半。
みんなはまだまだパーティーです

私も誘ってくれたのですが、、、
なにせこっちのパーティーは時間が長くて、、、
それに20人以上もの人が集まるので、、、
2年半もグラハムと一緒にいたので、老人生活が身についてしまって、どうもにぎやかなところには、、、
と、辞退させてもらいました。

なので、リーバイとお留守番。

このカードの言葉のように、静かに静かに、イブの夜は深まっています。

幸せです。

ありがとう

このブログを見てくださっている皆さんにも、素敵なクリスマスが訪れますように

シェッド

2016-12-24 23:15:33 | Weblog
ゼリーを作りながら、グレッグが物置も作ってくれました。
イヴだというのに、、、
働き者の 「サン イン ロー (義理の息子)」です


今朝、バニングスに行って $199 のを買ってきてくれて、
そのまま一人で作り始めたの。


お昼過ぎには見事に完成!


幅が80センチ。
奥行きが150?

家のこのスペースに入るぎりぎりのサイズです。
これで私の荷物も、ガレージの荷物も、少しはきれいに収まるかな?

グレッグ、ありがとう!

クリスマスイブはグレッグに感謝の日

ゼリーケーキ

2016-12-24 22:44:23 | Weblog
毎年24日にはカイの プレップ(一年生の下の学年) 時代からの仲良しの5家族が周り番で会場を引き受け、すべて持ち寄りの大きなパーティーをしています。
今年で10年になるんだって。
当たり前だけどその当時6歳だった子供たちが16歳

いつからかは覚えていないけど、その時にグレッグがゼリーケーキを作るようになりました。


4、5日前から準備が始まりました!


作り始めたのは、、、一昨日? 昨日、、、かも。
冷めたゼリーを容器に入れて、一層固まるまでに1時間弱なんだって。


白いゼリーは市販されてないので、牛乳、ヨーグルト、お砂糖、ゼラチンを入れてその都度作ります。
流しいれるときには、下のゼリーを刺激しないように、そ~っと注ぎます。


手前の洗濯ばさみは 何?って思うでしょ。
私もそう思って聞いてみたら、
冷蔵庫の棚が少し傾いてるから正面を決めておかないとゼリーの厚さが変わっちゃうんだそうです。
う~ん、、、さすが!!
納得です


今年も無事に 完成

クリスマスライト

2016-12-23 22:30:45 | Weblog
お仕事が終わってから、ナオとキラとクリスマスライトを見に行ってきました。

グラハムといたときにはクリスマスライトなんて別世界のことだったから、私にとって3年ぶりのクリスマスライトでした。










窓にサンタさんが映し出されてる!






今年のヒット!
この家は、外に向けて素敵なクリスマスソングが流れていて、何曲もある曲ごとにライトの点滅が変わるようになってて、
家ごとダンスしているみたいなの!
ナオがビデオも撮ってくれてんだけど、、、
う~ん、これは、やっぱ、本物を見ないと、、、

だから、来年は見に来てください

3年ぶりのライトを見て、なんだか「娑婆に帰ってきた!」って気がした。
グラハムといた2年半は、、、
見えないことの不自由さを目の当たりにして、自分の目が見えることをありがたいと毎日思った。
でも、その時には全然思わなかったけど、一緒にいる私にとっても閉ざされた世界だったんだと思う。
そして光のないグラハムに、光の部分を言葉で説明(表現)できなかった私の英語力。
悔しいけど、それでも頑張ったんだから、後悔はないけど、
目の見える私が、見えない世界を見せてもらえたのはとてもいい経験だったと思う。
その世界で生活してきて、こうやって目の見える世界に戻ってみると、
「目が見える」 っていうことを今まで以上に真剣にありがたいと思う。