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甲州の文学碑 許山茂隆の歌碑 奥山正典著

2023年09月10日 18時58分31秒 | 山梨県歴史文学林政新聞

甲州の文学碑 許山茂隆の歌碑

 

奥山正典著

 

皆からか志阿はせとなる難きかな 

毛乃かげに陽の安田らぬことく

七十五叟茂隆

甲府の許山病院にある。

 この歌碑は甲府市中央一…十二…六の許山胃腸病院の庭園に、昭和四十年五月二十二日に建立され、同日除幕式が行われた。裏面に「昭和四十年五月これを建てて贈る。国民文学甲府支部、樹海社、許山病院一同」と刻まれている。

 歌碑はサンゴジュに覆われ、翁の寿像のレリーフ(浮彫リ)も碑の中にある。整未亡人・信子さん(茂隆二女)にお話を伺う。

除幕式には「国民文学」の地元の同人として、清水八束、石川清、田野口清、斉藤薫、鈴木孝、許山整、文化人として加賀美子麓、内田一郎の各氏。他「樹海」会員多数が見える。

父のレリーフは彫刻家の森川昭氏(横浜市)。文 字は父茂隆の自筆、石工は「樹海」会員、佐田春笛氏(山梨市)です。

父は甲府市医師会長、山梨県医師会長、山梨県病 院協会長、日本医師会理事、日本医療法人協会長等の仕事に追われ、短歌以外の趣味はもてなかったようです。専門の教育も受けていず、独力で今日を築きあげた、本当の勢力家でした。

 さて、翁は生前、歌集「郷園」「わが彭を踏む」を出版されたが、この一首は「わが影を踏む」の頁に

「皆からか幸福となる難きかなもの蔭に陽のあたらぬ如く」

と出ている。また「寿像歌碑除幕式」の五首の中の

力強く彫りし塑像に気圧されて弱よわしかもわが歌の文字

ねがはくば世の人びとの汎くがしあわせとなる時来たれかし

 の二首にも、箭の謙譲にして、温厚篤実、真にヒューマニズム(人道主義)に生きた人柄がしみじみ偲ばれるのである。

 翁は昭和五十三年六月六日、八十八歳で他界されたが、そのいのちは不滅といえよう。


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