「戸板台の淵の主」
昔、小友村北の股のふもとの釜田に、小万という娘がいた。小万は雪のような
白い肌をして美しかった。村々では小万を釜田小町とよんでいた。
あちらからも、こちらからも 嫁に欲しいという者があったが、小万には、
思う人がいたので、どこにも嫁に行こうとしなかった。
小万が思っていた若者は、六郷家の足軽で孫左衛門といった。孫左衛門は
鉄砲の名人で 野や山を駆け回って、獣を獲ることが上手だった。
ある日の事、小万の軒端に白い羽で作った 1本の矢が立っていた。
「たいへんだ。戸板台の淵の主が、オラの娘に白羽の矢を立てた。
困った。困った。なんとしたらええだろ」父の弥兵衛は、おろおろした。
北の股のその奥の沢に、戸板台淵(いまの神楽台淵)という深い淵があった。
この淵には、二つ頭のおろちが住んでいて、一年にひとりの娘を
差し出さなければ ならなかった。それに逆らうと おろちは大雨を降らし、
雹を降らせ 作物を荒らしまわったあげく、人を食い殺すといわれていた。
小万の家の者は、みな嘆き悲しんだ。しかし、何百というお百姓を
おろちの祟りから救うためには、小万が戸板台淵へ行くよりほかに
どうすることもできなかった。小万は、きっぱりと心を決めた。
それでも、娘心から、戸板台淵へ行く前に、少しでもいいから孫左衛門に
会いたいと思ったが、それも出来なかった。 いよいよその日が来た。
小万は、白無垢を着て山かごに乗せられて 急な山道を登って行った。
ちょうどその頃、孫左衛門は、何か不思議な力にひかれて釜田にやってきた。
村はひっそりしていた。
夕暮れ時とはいえ、野良から帰る者もいない「みょうに静かだ。何かあったのかな」
孫左衛門が独り言をいいながら歩いていると、数珠を持った一人の年寄りに出会った
老人から小万の話を聞いた孫左衛門は、戸板台淵へ向かって走りだした。
「小万殿が戸板台淵に連れて行かれてしまったのか。たとえわしが身代わりになろう とも、にくいおろちを 退治してやらねば・・・」
孫左衛門は、山道を登りながら間に合ってくれと祈った。しかし、道らしい
道の無い山坂を上るのは、容易なことでは無かった。
「淵の主が出て来るのは、九つ時(夜中の12時)だということだ。
間に合えばいいが」 孫左衛門は焦った。
ようやく、戸板淵に着いてみると、小万はいけにえの台に横たわって気を失っていた
孫左衛門は、小万を草むらに隠し、身代わりに小万の白無垢をかぶって
その下に愛用の鉄砲をしっかりにぎって、淵の主が出て来るのを待った。
九つ時になった。風もないのに淵の木がざわめいて、淵の中ほどに
光るものが出てきた。「淵の主にちがいない」孫左衛門は、ねらいを定めて
引き金を引いた。 次の朝、村人たちは二人の無事な姿を見て喜んだ。
その後、このおろちのたたりを恐れて、村人たちは、ここに両頭龍神として
祭ったという。
⁂県内各地で語り継がれてきた伝説を集めた「秋田の伝説」より
登場する市町村名は、合併前のままです。
敷地のほととぎすが咲き始めました
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