各地散策と歴史

写真付き

自粛と運動バランス

2021-05-05 19:12:42 | 広島市内
お医者様・看護師・臨検技師等の医療関係に勤められている方及び患者さんの搬送に日夜問わず勤務されておられる方々に敬意と感謝の意を表したい。平時には何も感じられない生活・事象が異常時・有事になると本質が露わになる。社会、人間心理も同様で各国、国内、県・市行政・個人資質に係る国柄、体制、行政能力等も露呈化される。旧藩時代、戦中・戦後も幾度となく感染パンデミックは発生しているが、皆さんは無関心状態である。私のブログは政治色は出さない事を基本としているが、異常時になると一般的に国民性・県民性・行政対応が表面化して来る。私個人の指針としては医学者、医師の専門家のアドバイスに耳を傾け自粛生活を基本としているが一方では、自分自身の健康維持を考えると自宅での食、ビデオ鑑賞、睡眠・起床のゴロゴロ生活が良い訳はないと考える。マスク掛け・手洗い消毒・密状況を避けた適度な運動にも心掛けている。
広島市の隣、呉市は昔の話になるが祖母の縁戚が呉海軍工廠で働いており、年末の餅つき、冠婚葬祭時に呉(屋号感として受け止めていたクレ)の話は良く出ており、親近感を持っている。呉市は現在、観光行政にも力を入れておられヘリテイジ「主に軍・歴史遺産、関わる旧藩から明治に至る近代史」を有形・無形資源として観光地域づくりをされている。民間人の方で地道に町起こしに頑張られている方の主催〖くれ・ひと・町情報団〗にマスク掛け、ハンドジェル持参で参加した。流石、人数制限を掛けられており万一に備えて、参加者の名前・連絡先は把握されておられる姿勢に安堵感を覚える。
言うまでもなく呉市は、軍施設が多い事から戦中、特に終戦間際1945年の大空襲は記憶に新しい。多くの市民が犠牲になった場所を供養を兼て散策した。一方、広島方の川原石地区は、呉市街空襲に合ったにも関わらず被害が少なかった地区で、昭和の痕跡を多く残している。

両城の二百階段(地元の方からは232段あったと聞いた)·············きつかった。


映画「海猿」のロケ地になった。


市内に残る防空壕


戦史に詳しい方は御存知だろうが、沖縄守備軍司令官「太田 実中将」(千葉県出身・海兵卒)家族が住んでおられた住居が残っている。現在は払い下げられ民間の方の居住家屋となつているらしい。太田中将は人望厚く謙虚だったとの評が高い。


現役当時のボンネットバスに乗車された方々は定年前後以上のお人と思うが今回、体験乗車の機会を得た。


小さなイベントでありながら市長さんがお見送りに来られた。首長リ-ダ-としてのお人柄が偲ばれ好感を抱いた。


前部の運転席が懐かしい。当時はエンジンの匂いが客席まで漂っていた。


鉄道のレトロな乗り物はSL、公共交通はボンネットバス~~落ち着く昭和レトロ。


市内に住む知人がある主催で「吉田 松陰先生に学ぶ人間学」について、講演された。アクリル板で仕切られた会場で手洗い・消毒して、マスク掛けで会場に入った。
松陰先生は御承知の方が多いと思うが旧 長門国阿武郡萩町(△△ ⇢ 松本村 ⇢ 萩町) 〖一村限明細絵図(防長地下上申) 村勢概要〗の出身の武家≪ 明治初頭 行政官達 武家比率8.6%≫ の出ではあるが、石高は低かった。当時の武家・武士は超エリ-ト集団で庶民とは一角を成す存在であり、教育についても藩士(厳密に言えば士分)の子弟は基本的に藩校、庶民(農・商家などの極一部の町・村役人、自作家の子弟)は寺子屋・塾で勉強していた。松陰先生は身分に関係なく【士雇、足軽・中間等の軽率、武家奉公人の小者・下男等、村役人の出自の林 利助 ⇢ 中間 伊藤 俊輔(武家株による)】、分け隔てなく公平に偏りしないで入塾を受け入れている。山口県萩市では今でも(松陰)では無く〖松陰先生〗と敬意の意を表して呼ばれていると言う。知られている明治の政治家・行政人で名のある著名人を多く輩出している背景もあるが、県民性が浮かび揚がる。
彼の講演は客観的構成・説明、教育に対する思いを熱く語っており、最後の項では有名な ≪ 親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん≫ を説明された時は感動した。また、現在の世情を彷彿させられる〖大学の八条目〗の項、誰しも人生で順境と逆境に遭遇するが、これも天から試されていると心得て人生を大事にすること。今一つ、〖論語〗≪ 子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり ≫は衝撃的な人生訓を聞いたように感じた。私達の時代は、戦中の訓導・教諭・教師に成るべく教員養成教育機関である「県立師範学校・青年師範学校」官立「(国立)等師範学校」卒の先生がおられた。有名な小豆島を舞台にした映画の主人公である先生がそれである。教育は < 知育> < 体育> < 徳育 > と言われるが、果たして成人した現在の若者、社会人は···········~~。時代は流れ世代も変わって行く~永遠に。
 彼の講義は偏った思考、政治色の無い講義であって、我々受講者は素直に習得し勉強になった。素晴らしい講演でした。有難う御座いました。


変異コロナも感染拡大している中、収束は今年いっぱいは油断出来ないことを肝に命じ生活したい。

広島市南区にあるパワ-スポット







自粛の中で「大村益次郎」&「加藤友三郎」を読む~。健康散策は〖江田島 品覚寺〗

2021-03-25 10:58:45 | 逸材
手元に両氏に関わる書が数冊あり時折、読んでいるが共通する事は、幕末から明治に至る主権国家(独立・統治)に欠かせなかった組織が軍隊であろう。素人の私は書・ドラマでの知識しか無いが、「大村益次郎」氏は建軍(特に陸軍)の父で、官制改革の一環である〖兵制の御治定〗を提起し、日本国の軍政改革を成し得た人である。「加藤友三郎」氏は安芸国広島城下大手町の出身で海軍兵学校(海軍兵学寮)出身の海軍軍人で、日露戦争でロシアの艦隊を撃滅した旗艦「三笠」に乗り組み連合艦隊の参謀長として日本の勝利に導いた事で有名である。また、秋山真之参謀と共に歴史小説・新聞連載・テレビドラマ化された「坂の上の雲」で広く国民の知るところとなった。加藤 友三郎は戊辰戦争・西南戦争に従軍した海軍大尉 加藤種之助の実弟で、海軍次官・海軍大将そして県内初の総理大臣である。受験に出題されることもあるワシントン会議では、軍人と言う立場もありながら、国内の経済・政治・外交上の客観的な判断から結果的に軍縮に受諾した。独断専行と批判を受けたが、無い袖は振れないの例えで、私達の社会生活でも言える事で余力の無い見栄は、生活リズムを狂わし兼ねない。(~家庭人としては、奥方は藩士籍医師の御典医の惠美 鐵允の次女 きよ子様で、友三郎氏の亡き後の当主は、子爵を受爵された~。)
国家財政も市民の家計財政も同じで、身の丈を知った生活が健全人生と私は考えており、加藤友三郎首席全権に共感している。
「大村 益次郎」氏は司馬遼太郎原作の「花神」がNHK大河ドラマで放映されていて、私人である村田 蔵六氏の生き様も描かれれていた。村田 宗太郎 【妻は給領庄屋家 高実 半左衛門 長女 こと 、古書により姓が高樹・高木、寺戸籍写では半兵衛の長女 こと、吉敷郡大庄屋日記では慶應元年の項、陶・鋳銭司・鷹の子村 給庄屋 高実 清兵衛、昭和初頭発刊の書では姓が、高木・高橋と書かれている物もあるが、何れも幕末・維新時の改姓・養子・当て字等があったことから同一家・人物と推察する。旧藩当時から戦後改革までの古い書籍からは家社会もあって養子・改姓・姓名の当て字が目立つ】< 最近の書 及び 防長文化研究会書で知ったが、琴子(明治以降の名)女史は、その後、中の関村の木原家の養女 ( 縁戚者 ⇔ 畔頭 畦森家、畔頭・庄屋の 谷 市兵衛家 等の絡み) となっている。> 大村 益次郎は長じて官位「従三位 兵部大輔」を授けられているが、素人の私には「村田 蔵六先生」(臨床学・解剖学・病理学・蘭学・兵学等)は、教育者との印象がを強い。大村家も後、当主は子爵を受爵され華族に列せられた。
飛躍した関心事として、知人に御親兵(当人の四代前 山口県 士族)の子孫がいるが、明治元年正月の御親兵設立に大村 益次郎は関わっている。(幕末時から存在していたが、確立は明治初年と某書にある。) ⇢ 知人の御祖父様が102才で鬼籍に入られた。知人はこの御爺様から祖父様の先々代についてエビデンス・公刊物等により伝承されており、私も知人から詳細に渡って話を聞く事が出来て嬉しく思っている。おじい様 M 様の ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。

歴史上の事実、史実を求める事が歴史学者、歴史家の仕事であるが幕末・近代史は、ほんの150年前の話で我々、市井の庶民も先祖の生活に興味を持つ。知ることが歴史学、歴史研究の出発点で、史実を知る事は簡単と考えるが出版物は、時を経て見ると変わる(新発見から)。この両氏も時代が人物を生み、人物が時代を創るの例え通り。また、巷説と史実の観点から、巷説は地元で人々から事実であると信じられている説話で、必ずしも史実を伝えているものではない。語り伝えは、その過程の中で都合良く変わって行く。
下手な文章で毎回、恥ずかしいが今回、旧海軍兵学校生徒75期であった元上司が昨年に亡くなられたこともあって、江田島津久茂へ行った。海兵生徒が休日に抜き-安息を求めて兵学校近くの浄土真宗の「品覚寺」へ行き、思いを綴った冊子帳を拝見させて頂いた。ご住職と坊守様の優しい対応に恐縮しながらお寺に上がらせて頂いた。訪れられる方は場所は観光施設では無く、お寺である事を認識して礼を尽くして、お寺名も品覚寺(ほんかくじ)で品格を持ってお参りして欲しい。

江田島

海辺新鮮市場の定食(推薦食堂 ⇢ 新鮮な魚介類・価格)


陀峯山(県内各テレビ局・携帯会社・電力会社の中継基地が設置してある)


陀峯山(山頂)〖だぼうざん〗


江田島オリ-ブファクトリ-に丸古玲子様による郷土本が販売されていた。


品覚寺案内板


品覚寺門


お寺から江田島湾を一望できる絶景


津久茂帳


私も記帳させて頂いた。頭が薄いが敢えて載せたい(笑)。(氏名・思い········など)


早瀬大橋


旧海軍兵学校はコロナ感染防止で正門は入場禁止だった。


ご住職、本当に有難うございました。尊敬する上司の御名前を見る事は出来ませんでしたが、同期75期の方の寄せ書きを多く見ることが出来ました。
最後に感染予防・対応に携わっておられる救急搬送職員の方及びお医者様初め、医療関係者の方に感謝と敬意を表します。有難う御座います。





コビッドをツ-ステップで気分転換

2021-02-26 15:54:52 | 疫病
予防接種週間が始まるが、私が物心付いて予防接種(ワクチ)を思い起して見ると~「小児麻痺」(スプ-ンで甘い液を含んだ)、「疱瘡」(腕に傷付けられ今も痕跡が残る)、「BCG」(青い注射器で打たれ痛かった思い出)、「日本脳炎」(記憶はあるが接種の思い出は無い)~長じて「インフルエンザ」(液が入る時に痛い)何れも、接種後は腕が痛くなるが二日経過後に落ち着く。コビッドのパンデミックによる感染数から今度は、ワクチン接種問題が湧き上がっている。素人の私の頭では次のような事象が浮かぶ~体内に異物体・液侵入は排除免疫を神様が作っておられ(専門的な生物学は不勉強の為、分からない)、身近な例として花粉症(気道、目・鼻腔)、・下痢(ウイルス・細菌もある)・咳(気道に異物)、消毒の際の薬剤も痛み・手の荒れ症状が出る。反作用・副作用の発症は素人の私でも分かるが、それを病気と捉えるか、一時的症状として捉え病気発症予防と認識するかによる。当ブログは政治・宗教色を出したくないのでこの辺りで割愛するが一方、日本と諸外国対応格差も気になるところである。改めて日本が色んな面で諸外国に比較して、安心し安全な国だとも思う昨今である。後20年もすれば60~70代は亡くなり現在、40代~組織・国のリ-ダ-になります。
イレギュラ-時に個人資質(危機対応力・政治能力等)・組織力(企業改革力・行政力)が露呈するが今後、益々加速化する日本人の減の中でコロナ禍による働き方改革は好機会と捉える企業もある《無は停滞・歩むは進化》。街中を歩いて見ると大企業に限らず商店街の店舗においても工夫・取り組み姿勢を感じる事がある。
さて、当県の感染数は激減したが個人として、意識として「マスク掛け」(移さない・移されない)、「三密」(場・相手状況等を鑑みながら)を念頭に、個人の心身健康管理に努めたい。私にとつては一人散策(河辺・公園・市内)が一番気晴らしに合っている。

散策

呉市江田島切串港から<古鷹山登山道へ(携帯ラジオを提げて)

市内中区 護国神社へ収束祈願

呉市「町歩き散策」で旧 和庄村(現 呉市)へ


広島県初の第12代内閣総理大臣〖加藤友三郎〗(広島藩士の三男で兄の加藤 種之助は、幕末の神機隊の幹部で一番小隊長・西南戦争に従軍)の銅像碑のある中区中央公園
に立つ銅像 加藤友三郎氏は維新時は幼少で、兄の種之助との兄弟愛に胸を打たれる。


西区横川地区の町起こしイベントに一人参加して見た。行政・地区の関係者の方の尽力に敬意を表します。

我が国初の営業国産バス地点(横川~可部)と紹介されている。「私見として鉄道省 省営バスは岡崎~多治見間と認識している」

スタッフさんと


収束したとは言え、終息ではない。感染数も激減したが自宅時間が増えた今、幕末古文書(郷土史家の方が現代文に訳された書)を読んでいる。慶應から明治初頭に係る郡府から各村への御触書で当時の村役人である庄屋の写しを現代文に訳されておられる書である。〖現在で言えば、県庁(国)から市町村への指示・条例・周知事項〗

昭和四年発行の古本(幕末時の10代~の方も生存されている時代)記述にも興味が沸く。〖幕末の農家・村役人・武士~幕臣 ⇢ 経済人である華族 渋沢栄一氏も生存されておられる〗

ある機会で十干十二支の話になり、少し勉強して自分なりに書いて見たが、中々面白い。


縮景園も以前のお客様模様となっている。








最後にお医者様、看護師さん・臨床検査技師さん・医療関係搬送職員さん、介護士さん等の医療関係者に敬意と感謝を表して閉じたい。





テレビドラマ「美しき初恋ドキュメンタリ-観賞」

2021-01-18 08:47:40 | 三原則
皆さんも同じだろうが昨年から生活模様が変わり、「マスク掛け」(相互の飛沫交叉予防・カット)、「手洗い・消毒」(細菌滅菌)「社会的距離」(対人間隔⇢一定保持)は日常化して、検温も習慣化している。また推奨されている「自粛」(stay home)で自宅居住時間が爆発的に多くなり、好きなテレビ局・番組・ビデオ、読書、古いラジカセによる音楽鑑賞等に占める時間が重なっているが、心身の健康の為に身近な散策を心掛けている。
 最近見たドキュメンタリ-をドラマ化された「あの夏-60年目の恋文」に感動を覚えたので紹介したい。昔も今も異性に関心を持つ年頃に初恋を経験するが、何れも淡い思い出となり忘れられて行くものであるが、愛の伝達手段が「手紙」である事がプレミアム化されてクロウズ アップされていた。現在は携帯、メイルがあるが以前は手紙「ラヴレタ-」が主でこの手紙で一層、愛の農密度を感じることが出来る。まして現在はコロナ渦中にあり、ディスタンス保持には伝書・書簡は見直しの最高の手段であると思った。このドラマで初恋に関わる男性ホルモンであるtestosterone(テストステロン)、初恋と結婚に関わる離散数学・ガ-ドナ-の法則(36.8%の法則)を識る。

奈良女子高等師範学校〖官立東京・奈良・広島女子高等師範学校の一校、府県立師範学校の上機関にある高等教員養成学校で、官立女子校の最高学府〗の女子学生と同校附属国民学校の生徒(当時9才)と教生先生(大正13年生まれで当時19才)との手紙のやり取り(2003年)からドラマは始まる≪2006年の番組≫。私は昔から祖父母・同年代親戚~両親から戦前・戦中の国情・社会、地方の暮らし等を聞く事が好きだった事から、当時の教育機関である「尋常小学校(国民学校初等科)、高等小学校(地方では高小卒が殆ど、中学・高等女学校、〇〇専門学校、師範学校等~」も聞いていた。因みに父は六人兄妹の末っ子、兄妹は旧高等女学校・中学へ進学したが父は高小を卒業し中学進学を断念し官立逓信講習所へ進学し逓信(通信・会計課)へ進んでおり何回も当時の様子を聞いたが、話す時は寂しく話していた。地方で現在、93才・95才~を超えた方々は同じような経験をされておられると思う。話はいつも逸れるが、ドラマの主人公のY教生学生(教育実習生)は後に結婚される伴侶のお相手は、海軍士官K大尉で航空機(写真から艦上攻撃機 流星?)搭乗員であることも気が一層惹かれた。ドキュメンタリ-ドラマだが、そのK先生のお孫さんが御祖母様と同じ教育機関であった旧制 東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学の学生で将来は教諭を目指されていると言う。史実からのドラマ化はリアルに感動し、自然と涙が流れた。私も少年時代があり(笑)、私の場合はテストステロンが小学校五年の頃に動き出し、相手は転校して来た女子だつた。今はライン友で相手は何も知らない(笑)。恐らく私は朽ちるまでは言わないだろう。➡ ドラマでは 御祖母様が教生実習されたお年と、お孫様が教育実習されたお年がほぼ、同じ年頃だと言われ直近感を覚えた。御祖母様は当時の日本の良家の御息女らしく80才を超えられていた放映写真から、品が良く知的感を感じ≫、お孫さんも現代風に言うとインテレクチュアルなお顔立で好感を持つ顔立ちである。そのお孫さんは結婚され、お名前もK様と変わっておられる。素晴らしいドキュメンタリ-作品だった。

饒津神社



東照宮



当時、小学校四年生男子だった I 少年、高等師範附属学校で学んでいたと言う時代背景から品の良い少年の印象を持った。このドラマはBSテレビで放映され多くの視聴者に知られている事、番組内容の背景等もあり、お写真(画像)を載せて頂きました。K先生及びI生徒も、お亡くなりになっておられます。御二人様に心からお悔やみ申し上げます。

官立女子教育機関の最高学府である奈良女子高等師範学校「才媛の女高師と誉高い学校である」(※ 伯父・父親から△△女子専門学校、県立第一高等女学校・〇第一中学≪一中・二中・三中≫、幼年学校、士官学校、海兵等~を聞いた事から(昔、大先輩から聞いたが何れも相当な難関校で特に軍幹部養成関係は、身体検査に加えその他条件もあった)。先の大戦後の戦後改革にも興味を持つようになつた。




附属国民学校




教生学生のY先生


御孫様は、お茶ノ水女子大学(旧 東京女子高等師範学校)の学生さんで教職へ進まれた。


ドラマに出演された「伊勢 佳代」さんは教師役に適役の印象を持ったが、NHKさんは適役人材登用、音楽、企画・構成等の編成力は昔から高い。また、語りの御孫様も教師と言うこともあり、お上手でした。最後に「奈良女子大学附属小学校」「お茶ノ水女子高等学校」字幕紹介は憎いほど上手い。
最後に医療関係に従事されておられるお医者様、看護師、臨検技師、役所の救急関係の方に敬意とお礼を申し上げます。マスコミ各社は連日・連夜、新聞紙上でコロナ記事が載らない日はない。私は自分で出来る事を考えたい。異常時(有事)に個人も団体・組織も真価が分かるとは祖母が常に言っていたが、各お店の姿勢〖感染予防意識・対応』も明確化して来た。目先の効く企業は流石、変革が目立つようにもなった。若い学生諸君も昨年来の変遷過程から〖進学校、個人の資質と適不適、就職先、結婚・家庭、個々の人生観〗、人生の糧と成り得るアイテムは多い。私は若い人と会う毎に言っているが、糧は平時になく有事こそ人生の術を知ることを。ワクチン接種~収束を願うばかり。

危機役務と対応能力

2020-12-24 06:48:51 | 辛坊&我慢
ウイルス感染期から一年が経過しようとしているが益々、勢いを増しているコビッド19からさらに変異ウイルスの出現により、世界各国、国内各県・市町村が脅威に晒されている。体温・温暖化、受容体 ⇢ 遺伝子変異により爆発的感染が発生するらしい。感染拡大予防・防御として手の消毒、身体の清潔保持、顔の消毒、他者との一定距離の保持、他者への感染予防としてのマスク掛け声は専門家の弁だが、学業、各職業能力のスキルアップも日々の個人各自の自覚に掛かっている。現在のメガ クライシスの中、生活の糧を得る生業、県市民の生活を支援する行政職員(公務員)と特別職で地方自治体のリ-ダ-(首長)である市長及び知事の役務が気になるようになった。国会議員から村会議員までの民意を汲み取り行政に反映させる事を第一とする役務である。しかし、知識・技量を習得する学業(学力・学歴)と違い、思考力・判断力・行動力・調整能力・表現能力を要する政治能力は、批判は易しいが実務は難しい。社会のグロ-バル化により環境の変化が激しい現在、今後益々進む事を考えると尚更である。今後の社会適応能力教育として、能動的なアクティブラ-ニングの必要性が言われている。
現在でも企業の採用試験で一時試験『書類選考・学力試験』に加え、重視している二次試験(個人・集団面接試験)・三次試験(健康診断)も当該企業人としての適・不適を見極めるアイテムである。社会変化に素早い判断対応を迫られ、会社の経営維持・存続を担う企業なら当然であろう。凡庸な私も現役当時、各研修・QC活動・オフ OJT等の人材育成活動に参加させて頂いた。確かに人間は変わる事を実感した。今は異業種に就いているが研修は年に数回に留まり精神的安堵感を覚える(笑)。
現在は正に危機状態だが最近読んだ書(著者MI)で逆境・苦境の時に人(個人・家庭)、組織(会社等)の資質・真価が問われる事を念頭に、備えて生活したい。自粛・ステイホ-ム〖学生諸君は熟知のとおりだが高校生徒さん、ホ-ムステイと勘違いしないで(笑)〗の生活の中で、好きなテレビ局・番組、ビデオ鑑賞に好きなジャヌラ本を読んでいるが、どうしても偏る(笑)。
読書、近代史フアンの方に紹介したい本を列記して見ると~~··········読み返し書として成瀬 先生(昭和三年発行)、幕末維新熱血史(大正十年発行)、世羅郡世羅町赤屋村矢吹家文書(安政~慶應・明治 ⇨ 令和二年発行)、林 勇三日記(元治元年 ⇨ 平成15年発行)、赤禰武人伝、旧臣列伝【坂本 龍馬(土佐藩郷士) ⇔ 三吉 慎蔵 (小坂家次男・三吉家は三次の出自) ⇔ 蒔田 光介(古く信濃常田荘 ·······転家⇀ 井上家⇀ 蒔田家⇀ 維新後は山口県官吏) ⇔ 赤裲 武人(柱島村医師松崎家長男➡庄屋 中富家養子➡藩重臣 浦家の家臣である赤禰家養子➡ 毛利家 家臣登用➡ 藩士(武士)と伊藤 杢之助(赤間関 家格大年寄・本陣 助太夫⇀ 九三)、豊永 長吉(下村家三男 ⇀ 印藤家養子➡維新後、士籍を捨て平民 豊永長吉と改名➡ 実業界➡ 県会議員との絡みに興味】の読み返し。最近では〖西条が生んだ教育の先駆者〗(平成27年発行 土肥 モト・石井 素堂・松本 隆興・檜高 憲三に興味)及び幕末から明治~大正まで開作記録〖撫育局 経営 周防西の浦新開作の研究 昭和十三年発行〗(文政当時の小都合庄屋 福田家・西の浦御庄屋 國弘家、村役人 畔頭 柳家・畦森家及び自作農 地主の岩本家(御用宿借上げ)等など~の尽力で成し遂げられた新開作の記録書) ⇨ 撫育局とは藩(長州山口)&村民(西の浦村)共同参画の特別会計の官庁【藩官庁である代官所と呼ばれる勘場とは異なる】である。事業が軌道になり積み立てられた資金は維新に寄与した。また著者の「谷 苔六氏」は、土地の旧家で村役人〖村方三役〗の畔頭~庄屋まで勤められた家で開作記録として正確度は高く、往時を偲ぶには持って来いの書である。
 ⇨⇨⇀ 夜の部(外食・飲酒)は数カ月間、控えているが、心身の健康とリフレッシュを兼て一定距離に気を配り、二人~三人で三密を避け、マスク掛けで河辺・山を散策している。

旧阿岐国⇨安芸国 佐伯郡宮内村(廿日市)と石見国津和野を結ぶ津和野街道界隈を散策した。


受験生には必見地 ⇨〖落ちない 岩〗(受験に落ちない) 「奇岩」(祈願)


小瀬川温泉(七不思議有り) 近くに女性神様(弁財天様)が祀られている。また生えている〖ユズリハ〗の葉は、代々幸せを譲ると言われる縁起の良い木である。




伊勢神社(天照大御神) 二排二拍手一杯


JR西日本が期待しているWEST  EXPRESS〖銀河号〗が広島駅に立ち寄ったので見学した。カジュアル特別急行列車がフレ-ズである。


隣のホ-ムには気動車が発車を待っていた。「芸備線」


広島駅北口自由通路にあるイルミネ-ションに電灯が燈る。


毎回、お礼を申し上げている御医者様、看護師、臨床検査技師等の医療関係者及び介護士の方々、救急搬送業務に従事されておられる役所の方に敬意を表します。本当に有難う御座います。医療業務量にも限界があります。政治色を極力、出したくないこの稿ですが、先の支援金しかり、ダメ-ジの軽い方、困窮極める職業の方等を賢察、考慮、鑑みてメリハリある支援(補助金)を願うのは私一人だろうか~~。本日はイヴ、そして年末・正月が来て······来年は大イベントがある。看護師さん、有難うございます。

明日は勤務、晩酌も終り~~航空機が好きな私は航空会社にも興味があり、ブル-カラ-をコンセプトのANA会社のYOUTUBEにおけるライブ配信を聞きながら、応援しています。何だか·········可笑しいぞ(笑)·······ジ-ンとする~。旋回姿を思い出しながら~有難う御座いました。