各地散策と歴史

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自粛と飛耳長目

2020-11-18 09:18:02 | 健康管理
想定どおり第三次感染率が増大している中、会社からは相変わらず自粛指導、妻からも不要不急意識の注意を促され、外出テンションが下がる。感染症は医学が浸透、発達していなかつた藩政時代から各疫病に悩まされており、我々素人は直ぐ古来からの天然痘(ウイルス)~コレラ(コレラ菌) 戦中の結核(結核菌)、戦後の梅毒(高校ではスピロヘ-タと習った)、インフル(ウイルス)が浮かぶ。医学、医療技術が未開発だった日本では自然的現象による発症と考えられ、祭事(神社・祭・神話~)と深く関わっている。漢方医学は違った視線で捉えており陰陽バランスの崩れと捉える。細菌学が進んだ明治以降〖個人的に野口英世・コッホ~森 林太郎が浮かぶ〗。高度に進んだ医学に加え、予防医学(食生活・生活習慣・心身のバランス等)も発達し、現在進行中のコビッド19(who)予防として、専門家及び政府が提言を投げかけている。
自粛~節度ある行動、政府提案、感染者数は毎日、目にする日々だが、極端な閉じ籠りは心身に良くはなく、予防医学でも言われている。確かに外出は激減し自宅で過ごす時間が増えた事で、関心ある書を読み始めた。神話(竹田 恒泰先生著)から干支十二支、荒神の日(上戸・中戸・下戸の三戸と青面金剛の存在)、廃藩置県(太政官布告687号,東京・京都・大阪府⇢三府、72県(北海道、沖縄除く)、北海道開拓使、日本女子大学創立者 成瀬先生(昭和三年発行、成瀬仁蔵先生は安政五年~1858年大正8年に亡くなられておられので7年後の発刊)等を読んだ。他書で私はサラリ-マン生活を定年し現在は、異業種で契約社員として働いている。この生活から、組織人として昔から悲運の奇兵隊士〖赤裲 武人〗(周防国玖珂郡 岩国領柱島 島医師 松崎家の長男、⇢ 庄屋の中冨家へ婿養子 → 毛利家重臣(浦 靱負)の臣である【赤禰 忠右衛門】氏の養子になり、赤禰 武人となり、武士身分〖厳密には毛利宗家から言うと陪臣〗を得る)に関心があり、現地発行書籍等数冊を読んだ中、彼を擁護していた毛利家支藩(長府藩)藩主 毛利 元周そして藩士〖時田 光介・少輔〗に関心を持っている。赤禰 元奇兵隊総監(総督)が斬首刑になる寸前に発した〖吾を処断する前に時田 少輔に聞け〗と発している。時田 少輔氏【井上 庄助】(時田家から井上家へ養子となっているが、古くは信濃国常田荘園の出と言われているが詳細は不明。)の言葉が、死の寸前に発している時田氏に興味を持っているが、同氏は坂本竜馬とも関りが深く、薩長同盟の端尾を開いた書状が慶應元年五月三日付けで保存されている。重臣であった時田氏は維新後、山口県の官吏の重職を経て実業界に転じられておられる。末裔の方は現在もおられるようである。
 さて、三蜜を避けマスク掛けの散策は心の健康の為に続けている。
安芸の宮島の鳥居は現在、リニュ--アル中である。

海軍兵学校の士官候補生も利用した老舗茶屋で以前、海兵出の上司にも思い出話を聞いた事がある。

紅葉谷を進んでいると鹿さんが迎えて呉れた。「顔の表情が可愛い」


西区の〖泉美術館〗で昭和の写真展が開催されていたので、出向いた。政治色抜きの生活振りを基調とした作品は懐かしさが込みあがってきた〖明田 弘司氏の昭和を歩く〗

正面玄関【x-sell本店 五階が美術館】


岩国領(明治以降の岩国支藩)の家臣(武士)で、鉄砲隊(250人衆)演武の見学に出掛けた。文化遺産継承されておられるグル-プの方達に敬意を表します。






岩国と言えば、日本酒〖五橋〗がある。幕末期に建築された館にある展示会場である「本家松金油」(幕末嘉永三年に建てられた旧家である商家)へ出掛けた。
〖松が根油〗(田中 又三郎松根による鬢付け油製造⇢昭和になり國安家の所有となり醤油製造を営んだ(商標は松ケ枝と命名)。現在は市の管理下に置かれている。







市内のデパ-トでデニム展示、販売されていたので立ち寄った。


お医者様、看護師・臨床検査技師の皆様、救急搬送関係者様などの医療関係に職されておられる方々に感謝の意を表したい。本当に有難う御座います。取り越し苦労の私だが今後、~そして来年が気に掛ります。