今日の広島市内は日中温度が約29度にまで登り積め真夏の気候で、服装も軽装で町行き交う人の姿も夏模様となった。その昔、長州藩周防国吉敷郡鋳銭司村で村医者をしていた「村田 良庵」は村内で道通う村人から<お暑う御座います>(時候の挨拶)と言われ、<夏は暑いのが当たり前>と言ったぶっきら棒な返礼をしたとか、適塾の同窓生である「福澤 諭吉」(豊前国中津藩士)から火吹きダルマとニックネ-ムを付けられた等、著名な歴史小説作家原作によるドラマを観て、主人公である「大村 益次郎」を知ることとなった国民も多いと思う。以降、益次郎に関わる書が多く出版されているが〖源〗があるはずで多くは、彼が亡くなった後、生家、親族、縁戚者、生活住居地、寓居、旧藩、幕府等の古文書、公文書、手紙、下張り文書(襖、仏様廻りの強度紙)の文語体(漢文)を歴史学者、国・文学者、郷土史家が現代(当時代)訳して記録を残した。しかし、戦後の国語改革により、おくり仮名、仮名つかいが改正され、漢字も当用漢字となり文書形式も口語体(原文一致)となった。
軍聖大村 益次郎卿(昭和17年9月発行)及び鋳銭司村勢年表 附 風土注進案(昭和32年4月発行)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/aa/61d8e3d99bc957879cc8a8e7f713de1b.jpg)
大村 益次郎関係書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3b/b7c02a7c99548c33aefcaa7ae4410c9e.jpg)
このような日本語文章形式変遷の中で、戦中に書かれた数ペ-ジの短編小説の【軍聖大村益次郎卿】(多田 実著)≪昭和17年9月発行≫を読んで見た。この書を知人に見せて表題を読ませたら【卿 郎 次 ~】と読み始めたが笑えなく、我々は戦後の国語改革の後に小学校に入学し現国の勉強をしているから読めないのが当たり前である。加えて旧漢字(圓塾、發剌、傳播···)名詞・自動詞・送り仮名(けふ、やう、ゐた、せう、思ふ····)等など~~~、正直、疲れた。
自序での一説で、これは伝記ではない、小説大村益次郎卿である。小説と言っても構想の下で書かれた創作ではない。実伝に血と肉を通わせた謂ば伝記小品小説と綴ってある。
昭和17年(1942年)初秋と書かれており、幕末時10才の少年が86才を超える年齢に達している時代背景、地方では未だ旧藩時代の世情を色濃く残していて伝承も語り継がれていただろうと推測する。本をめくると冒頭に、明治元年(1868年10日2日)に大村卿から月のきう金(給金)1500両について使途内容、指示を郷里の妻 琴に候文の手紙を出している。この手紙が鋳銭司村 素封家 前田勇三氏の手に秘蔵されている文面(文語体、旧かな使い)を転載されており、試しにこの手紙を筆で書いてみた。
志道 聞多(井上 聞多⇨馨、伊篤(楠本 イネ)、阿高(イネの娘)、吉冨 音之助、神代 直人等の興味深い人命も出て来る。
-近所の公園でお父さんと子供がラジコンで楽しく遊んでいた。お声を掛けて撮らせて頂いた。-
【ラジコンカ-】
軍聖大村 益次郎卿(昭和17年9月発行)及び鋳銭司村勢年表 附 風土注進案(昭和32年4月発行)
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大村 益次郎関係書
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このような日本語文章形式変遷の中で、戦中に書かれた数ペ-ジの短編小説の【軍聖大村益次郎卿】(多田 実著)≪昭和17年9月発行≫を読んで見た。この書を知人に見せて表題を読ませたら【卿 郎 次 ~】と読み始めたが笑えなく、我々は戦後の国語改革の後に小学校に入学し現国の勉強をしているから読めないのが当たり前である。加えて旧漢字(圓塾、發剌、傳播···)名詞・自動詞・送り仮名(けふ、やう、ゐた、せう、思ふ····)等など~~~、正直、疲れた。
自序での一説で、これは伝記ではない、小説大村益次郎卿である。小説と言っても構想の下で書かれた創作ではない。実伝に血と肉を通わせた謂ば伝記小品小説と綴ってある。
昭和17年(1942年)初秋と書かれており、幕末時10才の少年が86才を超える年齢に達している時代背景、地方では未だ旧藩時代の世情を色濃く残していて伝承も語り継がれていただろうと推測する。本をめくると冒頭に、明治元年(1868年10日2日)に大村卿から月のきう金(給金)1500両について使途内容、指示を郷里の妻 琴に候文の手紙を出している。この手紙が鋳銭司村 素封家 前田勇三氏の手に秘蔵されている文面(文語体、旧かな使い)を転載されており、試しにこの手紙を筆で書いてみた。
志道 聞多(井上 聞多⇨馨、伊篤(楠本 イネ)、阿高(イネの娘)、吉冨 音之助、神代 直人等の興味深い人命も出て来る。
-近所の公園でお父さんと子供がラジコンで楽しく遊んでいた。お声を掛けて撮らせて頂いた。-
【ラジコンカ-】
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