各地散策と歴史

写真付き

自粛・散策~食事処

2020-10-28 09:18:14 | 危機・歴史から学ぶ
感染病は昔から近代まで幾度となく発生しているが、今回でも検証、対応・対策しようとする発意が希薄に想えるが、如何だろう。一方で我々の命を守って頂いている医師・看護師・臨検技師・救急関係等の医療に従事されておられる方に心を込めて感謝したい。私にとって、国民にとっても殆どの方は、初めて経験する危機時期との遭遇で、ザワザワ状態にある。最近の政治で言えば、藩政時代から民主政治の衣変えした元号明治への維新改革でザワザワ、戦中から戦後改革では、大日本帝国憲法(明治憲法1889年・明治22年公布~1947年昭和22年)から日本憲法(昭和・現行憲法)制定により国家体系、統治組織が改変されバタバタを経験している。私は後の時代に単なる批判、批評には疑義を感じるが、当時の社会背景、時代背景等を検証し弁ずる思考が大事だと考えている。
現在、終戦から75年「1945年~2020年」経った今、当時の旧制中学・高等女学校を卒業した17才前後の若者も92才となられたが、戦中時代の社会生活を明確に覚えておられる。維新当時は1868年、同様な考えで75年経過すると1943年(昭和18年)である。慶應(1868年)時17才の人は昭和18年には同じ思考で92才となる。良く言われる江戸時代の平均寿命は45才前後と言われるが、平均寿命を勉強してみると「平均余命」の捉え方で必ずしも現在観念で論ずられている平均寿命と考えるのは短絡と考える。脱線しそうなので本題に戻すと、その当時をリアルに知る方法として私のような素人は、当時の公文書「政治を司っていた一部の武士階級・村役人の書」、庶民の書類・書き留帳、整版書・小説を浮かべる。
自粛の中、大正十年(1921年)「旧藩時代を識る人々は当時、70才前後で生きておられる」発行の幕末維新熱血史を読み始めた。著者は明治十四年(1881年)生まれの人で、明治~大正期・昭和初頭時期に旧藩時代の武家を出自に持つ限られた人々、一般庶民の方からのヒアリングを含めて書かれている歴史小説である。【歴史フアンの方は御存知の子母沢 寛(梅谷 松太郎氏➡(明治25年生まれ) 新撰組始末記の作品が浮かぶだろう】·············ただ、旧漢字・仮名遣いで書かれており時間を要する。が楽しい読書時間である。
 さて、派手な動きをする勇気はない私は、散策は健康管理も兼て続けて楽しんでいる。

広島駅の夜明け「早寝早起きで散歩」

宇品港「広島港」

紅葉前の縮景園(広島市管理)

茶室「来年の茶会は~」

マリ-ナホップ(西区)

観覧車

天気の良い日が続いた(アクセスは広島電鉄)

広島市植物公園(広島市管理)

パインアップル

広島市植物公園

広島県ではJRさんが運行している観光号「エトセトラ」が話題になっている。

快速列車「普通グリ-ン料金」グリ-ン車

車内ではアテンダントさんがお酒、記念品類等を販売されている。

執着駅の宮島駅改札口

戦国大名 地頭「熊谷氏」(三入高松城)〖守護 武田氏・地頭 熊谷氏〗·········→毛利氏の家来となり、関ケ原の後は毛利氏と共に萩へ移った。

可部駅西側のバスロ-タリ

JR可部駅

広島市東区にある「讃岐屋」(30年以上、通い続けている)うどん屋さん。おいしい


駅前にある女性人気のお店へ行ってみた。北口から南口へ~~






遅くなりましたので、帰宅~