各地散策と歴史

写真付き

自粛の中の読書

2020-06-14 15:55:39 | 雑学
旧幕当時は政治不安定な激動期、政治変革を目指す心志しある若者の多くは(旧武士階級、村役人、知識人等の人達)維新後、政治家・軍人、官吏(地方官吏)、教育界等の公職を筆頭に経済界にも活躍した。学校生徒時代から社会科(日本史)〖公民〗勉強はテスト問題もあり、年号、人名、事象の記憶に力を注いだ。定年を終えた現在、以前から興味があった近代史を通じて、人の一生を掘り下げた生き様・人生に興味を持つようになった。日本人の平均寿命・現在年令から今更、人物伝はないだろうと思われる御仁は多いと思う。
今後、現代社会においても、我家・他家においても子供・孫・曾孫・高曾孫~と続く中で安定家庭・国を望むのは私だけではないと思う。国民も住んでいる市町村・国の安定政権・状態を望んでいる。【国内政治・経済・外交等など】(個人的には外交能力が一番難しいと考えている ∵ 国民性が違い、国益をバックにしてのお付き合いで学科学力だけでは応えは出ない。今回の感染予防対応で各国、国内でも各自治において違っており、社会勉強となっている。危機から学ぶの中で目先の利く企業は、素早いサ-ビス対応変革、働き方改革の変革、そして今後の営業施策を建てておりリ-ダ-(社長)、幹部・管理者及び社員の優秀さを物語っている。)

行政、職場から緊急事態宣言が発せられたが今は、行政からは解除発令されるものの職場からは未だ警戒感は継続されおり、私個人も安楽感は未だ早いと考えている。テレビ等のマスコミは、専門家(医学者・医療従事者・従事者、法律家、経済学者等)、評論家のコメントを紹介しつつ、視聴者及び国民の代弁として今後の対応のキ-ワ-ドで盛り上げている。インタ-ネット、テレビ・新聞等のマスコミでいろんな情報が流される中で、国民も情報飽和状態の中で不安を抱かれる方もおられる。全世界を巻き込んだ今回のCOVID-19発症により国民性、政治指向、政治家の能力(国・地方自治首長)が表面化し、経済社会のあり方も国内外を絡めて再認識することとなる。
 自粛の中、好きな事は面白い、好きな事をする時間が経つのは早い、飽きない事は当たり前である。興味ある会津戦争・白虎隊から蘇生した人物、治療した医師~~〇〇と本を読む時間は増えた。蘇生した人物と言えば直ぐ浮かぶ人は「西郷 隆盛」(僧と入水自殺)「飯沼 貞吉」(武士の自決)で今回、飯沼貞吉に係る書で御子孫(お孫様)が書かれている書を読み、合わせて関連する「ほっかいどう百年物語」「白虎隊」(昭和三年1928年 発刊)を読んだ。飯沼藩士は自決を図ったが急所を外れ、仮死状態のところを同藩武士の御新造さんに発見され、その後は各医師の治療により生を伸ばせることとなった。医師に端を発して旧幕当時の医師を紐解いて行くと基本的に現代と同様、「本道医」「外科医」≪鍼術≫「口中医」「目医」を再認識する。医師で教育文化人・軍略家・政治家である「村田 蔵六先生」、薬草に関心を持たれた長州藩医「松永 周甫先生」(医師・薬草学者で本草生育方頭取 藩医)、芸州浅野藩の士籍医師の「後藤 松眠先生 医師・薬草学者」等と~~~発展して入り込んだ。
また最近、興味深い新聞記事の中で「椿井文書 日本最大級の偽文書」(中公新書)を知った。絵画等を駆使し、神社の正統性、富農・商家等を含めた先祖の武士系図作り、実際の地名・記紀・伝承をちりばめた偽文書紹介の書籍である。巷で良く聞き、耳にする話で先祖作り(自家の武家ル-ツ)等が良い例で、架空人物登場等による偽文書・脚本家に値すると馬部先生は書かれているようで、この本に関心を覚えた。素人ながら昔から感じていたが、私は論理的、客観的、学術的に述べる知識・勉学もしていないので感覚で捉えていた。現在・近々現代史・現代史も数点のエビデンスにより歴史は記録され、伝承されるべきであると共感する書籍である。是非、購入したい書籍である。
私は現地に出向き、その土地の地下で本質を見たい願望は本能的にあり探っていく事も好きである。幕末(1868年)から70年は1938(昭和13年)、終戦(1945年)から70年は2015年(平成27年)となり、当時の物心付いた人・成人に達っしていた人達と平均寿命を考慮すると真実の歴史が浮かび揚がる。オ-ラルヒストリ-(生証言)は、現実性として一番高いが当人の生活環境、政治信条、思想、社会価値観、性別等により違うのは大昔も、昔も、現代も同様であることを認識するべきであろう。伝承として多面的・広角的・客観的に捉え、併せて公文書(藩役所・村役所・現在の各議事録)及び記録書によりエビデンスを確認し歴史とする。歴史学者の先生が突如、学校で習った内容に異論を唱えられるが私は当然であると思い、先生の努力に敬意を表している。幾多の公文書・記録書の発見により年号も事象も変化する。基本思考は読み取る力である言語力・文書力・語彙能力【外国語・古文書等】、社会知識【時代・社会背景、国際事情等】が必要であると思う。歴史探りは面白く奥が深い。 学成り難し ⇢ 一寸の光陰軽んず~ ⇢ 過去には帰られない(笑)。今を楽しむ私がいる。

自粛期間の一コマ写真

白虎隊組織 士中二番隊士「習字ではなく過去を探る快感を楽しんでいる。」



一人散策「周辺に怖いカラスが多く数回、睨み付けられたので、注意して下さい」
市内中区展示のSL-C59



呉駅「月に一回は呉に遊びに行っているが、観光行政がシッカリしている。美味しい飲食店も多い」


旧海軍工廠への側線跡地が見える



市内散歩≪一人歩き≫「外国人のお客様がメッキリ減っている」


縮景園も同様で県内来訪者の協力体制だが、県民も少なかった。マスク着用は常識だが検温もされ、安心して入園出来る。消毒液も設置してあった。



部屋で決まらない高齢者ポ-ズ「時代は流れ、年齢も重ねて定年を終えた高齢者(笑)。現役当時、昔の話をする人は年寄りだと先輩に言われたが~~、生物である私は歴史は好きである。ただし、近代史(笑)」


自覚で国・自分の将来が変わる。未だ油断は出来ない·············~





茶(煎茶・玉露・抹茶)・絵画(新構造)・ライブ(apple jam)

2019-08-08 02:37:23 | 雑学
広島浅野藩は藩士で医師である「後藤 松眠」に薬草園創設を命じ、現在の三滝に「日渉園」がその跡を残しており現地に赴き往時を偲んだ。長州藩では医師で鋳銭司村(現山口市)の人徳者であった松永 周甫(長州藩士に登用)は前回、紹介したとおり。

叔母は茶道を習っていて父は自己流で煎茶を楽しんでいたことから、小さい頃から茶器、茶道具は目にしているが先月、〖お茶の淹れ方「煎茶」「玉露」「抹茶」〗講習会に参加して楽しんだ。これを契機に前後して「上田 宗箇広島入場四百年文化講演会」に出席した

茶筅と茶器



心を落ち着けてゆっくりと、最後の一滴まで淹れることがポイント「熟練者」の淹れ方「せっかっちは駄目で精神鍛錬を要する ⇢ 茶道の基本的な心得?」



広島は藩主浅野氏が広島城に入城し400年で、県内では各地であらゆる記念行事が企画され実施されている。広島と言う土地柄もあってか、広島藩主に係る関心度は希薄だが、最後の第12代広島藩主 浅野 長勲氏は昭和12年2月まで長生きされた方である。長勲氏は武人でありながら経済人としての一面もあり、興味を引く人物でもある。
維新で禄を失った家臣(武士、明治以降の士族~戦後改革まで)が生活に困窮している中、「同進社」を支援し(実際の発起人・実務は旧家老級、重役である辻 将曹氏等)白島授産所、中町の機械工場、新聞事業(芸備日報)等を起したが紆余曲折を辿り結局、清算して解散した。社屋は旧日本銀行広島支店の地に構えていた。
〖中学で習った武士の商法(失敗)、8~9%以内の旧武士のプライドが邪魔している事が要因だが、現在の国公立・有名私大の高学歴者中の、同数%の学歴者と重なった〗

「経済人としての浅野 長勲」(郷土史家 田辺 良平氏) 「郷土史家の先生だが、各歴史会に関わる理事、副理事をされておられる見識者である」



昨年、絵画「新構造 広島巡回展」を鑑賞し今年も広島県立美術館で開催されていたので、出かけて見た。気になっていた作品・作者(絵画部門)も記憶にあり会場内を探して見ると、やはり目に留まった。作品は昨年の記憶作者(画家)の作品だった。スタッフの許可を得て素人の私が撮った写真だが画風を感じて欲しい。(私の好みであることは言うまでもない)

広島県立美術館



昨年、一番に目が留まった作品

(海に還る日)



(オルゴ-ルの響 広場Ⅱ ドイツ)



〖力作品〗






小学生時代の音楽の成績は、教室内全員の前での歌唱力が評価の一つで、私は当時から疑義を抱いていた。音楽の基本は「歌唱力」に加え「演奏力」「楽譜を読む力」「鑑賞力」「名曲音楽家名」等の基礎知識そして、究極的には楽しむ力だと私は、考えている。〖邦楽と洋学〗〖クラシック〗〖雅楽〗〖JPOPS〗〖ロック〗〖演歌〗〖民謡〗等~音楽ジャンルは幅が広いが、私は〖POPS〗〖オ-ルデイズ等のポビュラ-〗のライブ(生演奏)が好きで心が躍る。
【ビ-トルズ、アンルイス、桑田圭祐、森高千里、米米CLUB、沖縄民謡】

広島の下町「横川」にあるライブハウスへ行った。

(フル-ト)



(フルバンド)〖渡良瀬川〗



(盛上り演奏)〖アンルイス〗



台風が連続してやって来る。情報を密にして警戒したい。
                                                 己亥年丙月子日 発信







梅開花及び歴史書紹介≪村田 蔵六≫ ≪赤禰 武人≫ ≪伊能忠敬≫

2019-02-26 08:20:29 | 雑学
日に日に暖かさを感じ、いよいよ春らしくなった。市内の縮景園は、四季折々の樹木がその時期にその顔をの覗かせるが今は、梅の開花を見ることが出来て写真マニア、観光のお客様が多く庭園を訪れている。

【縮景園に咲く梅】



【大村 益次郎及び赤禰 武人】

日本陸軍の原点は幕末から明治~昭和への流れから、一般的に山口県の「奇兵隊」を起点(旧軍隊用語も山口弁・アクセントが多い)している事は歪めないだろう。しかし、郷土広島藩にも優秀な芸州藩士を主体とした優秀な庶民「農家・商家等」で構成された軍隊「神機隊」もあるし、国内各藩にも幾隊もあった事実はあまり、知られていない。このような背景の中で陸軍史に必ず歴史人物として挙げられる一人に「村田 宗太郎」(その後の長州藩士 大村 益次郎)がいる。彼は元来は代々、勘場付けの医師〖村医者〗で、本百姓(自立自営農家⇋自作農)の格付けでは、四半軒「本軒⇀七歩五朱軒⇀半軒⇀四半軒」の農家の出自である。幕末当時は武家、農家、商家問わず養子縁組が多く、氏名(家)が数回、変わった人も少なくない。これは封建制の一つで「家」単位で社会生活が構成され家の継承に他ならない。この現象、特に地方は連合国による戦後改革(経済、村政、教育、農地など)が、成された昭和20年代まで続いていたように感じている。【政治、自治に関与する村吏員である村長・助役・収入役三役も旧藩時代の名残が強く県、国政もしかり、経済も幕末・維新の面影を残す企業、経済人等繋がりを感じる】

武士、庶民の混成部隊は長州藩(山口県)で言うならば「奇兵隊」だが、メインは「高杉 晋作」「山縣 狂介」の名が浮かぶ人が殆ど。私は、第三代総管(総督)【赤禰 武人】【村医師 松崎家の生まれ ⇀ 庄屋 中冨家養子 ⇀ 重臣浦家の家臣赤禰家へ武家〖この場合、陪臣〗養子となり、最後は山口市内で斬首の刑を受けたこの〖赤禰 武人〗に、とっても興味を持っており、手始めに関係する入門書を取り寄せて読み始めた。

≪村田 宗太郎≫ (医名 良庵 ⇀ 宇和島藩士 蔵六 ⇀ 長州藩士<登用> 大村 益次郎)関係書籍紹介





≪奇兵隊及び赤禰 武人に関わる書籍紹介≫ 
(サラリ-マン人生と重なる方も多いだろう)






乗り物好きな私は独身の頃、ホンダ「N360」ツインキャブのスポ-ツカ-に乗っていて、山陰~九州~岡山とドライブを楽しんだが、目的地方向を探索するにあたっては道路地図を頼りにし、またその地で見掛けた見ず知らずの方「異性が好ましい事は言うまでもない」に、現在場所、目指す方向・場所を聞いたものである。今は人口衛生によるグロ-バル ポジッショニングのお蔭で目的地進路まで簡単に導いて呉れる。衛生即位による局所慣性系距離測定は、我々が使っている携帯電話の地図情報システムでも簡単に自分位置が分かり、行きたい方向をすぐさま、示してくれる便利な世の中である。

しかし、原点は地図であり江戸時代に方位磁石、中象限儀、間縄等を駆使して科学的にアナログ手法で、日本地図を作成した三治郎こと「伊能 忠敬」の名は、中学時代に社会「現 公民」で習ったことで皆知っているところであろう。私は古写真(江戸時代~昭和30年代)に興味があり、親族、血族の古い写真を実家、血縁者、縁戚者から探し求めることから始まり、古本屋、書店でも写真に関係する書も購入した。ガラス活版写真展の展示会にも出掛けたが、印象に残っているのは、京都で開催されていた幕末時のガラス原版のオプションに行った際の販売価格であるが、20年前だが30万円以上が殆どで超レア-な貴重な物であったと言う印象が残っている。
<インテリ風、ビジネスマン風、学者風、マニア風の方々が多かったように思う·····<私は単なる物珍しさ風>

今回、伊能忠敬研究会発行の「伊能 忠敬」(日本列島を測る)の書を購入し読み始めたが直ぐに間宮 林蔵、シ-ボルト事件が浮かぶ人は歴史通のフアンと言えるだろう。
「伊能忠敬」は江戸中期1745年上総国山武郡小関村の村役人 名主の家に生まれ、父の実家(父は婿入り養子)である他村の名主職「神保家」へ、三治郎から左忠太と名前を改めた時に名主家である「伊能家」(商家)へ入婿した。前述したが当時は養子縁組が目立ち、武家はさらに多く幕末に至ると武家と村役人、上層農民との婚姻もあった。

≪伊能忠敬 測量日記≫



≪伊能 忠敬 日本列島を測る≫



テレビでは梅開花を報じているが、やがて桜開花 ~➡ 花見シ-ズンがやって来て美味しい酒を呑みながら、楽しい食事会で皆と談笑したい。〖駅弁当、B級グルメは私の好み(笑)〗

〖写真〗

⦅時は江戸時代 京都の薬問屋にて⦆



⦅安佐動物公園⦆



⦅萩城跡地⦆(萩往還を辿ってみた ➡ 三田尻御舟倉)