各地散策と歴史

写真付き

自粛の中での健康散歩〖橋・桜〗

2020-04-10 17:03:52 | 周辺歩き
新聞は元よりテレビ番組も新型ウイルス関連のテ-マを採り上げている内容が多く、感染制御学・感染予防学・病理専門家等の医学者、政治評論家の方々がカタカナ語(英語が主)で諄く言われているが、「密閉」「密集」「密接」に関わりを避ける事が、感染予防の基本事項と言える。密室状態の中に人が集まる場所を避け、他者との適度な間合いを取り、不必要に他者が触れる箇所のタッチをしない。飛沫感染予防の為にマスクを掛け、適宜な時間・場所で手の消毒、帰宅時の手洗い、うがいの励行に心がけている。何とか、一日も早く新型ウイルス感染の終息を願うばかりである。また、その為にはマスク用意は必須であり、ハンカチ携行は大人の皆は常識だが、私はハンカチ二枚と職場ではタオル一枚を用意して手洗いに心掛けている。一方、自粛ム-ドの中でボジテイヴに考え、ゆっくり趣味等の好きな書を購入し読書、好きなテレビ番組に更けるのも一考かと考えている。また、自粛と言ってインドア-ばかりに閉じこもっても精神・身体的に良くはないと考え、換気の良い場所〖海・山・公園・河川等〗の散策し気分転換を図りたいと思う。複数人との花見宴会は控えて不必要に他者が手に触れる箇所のタッチは避け、一人でカメラを提げて散策した。
 さて、広島と言えば旧藩時代から「水の町」で川との縁は深く、私が住んでいる東区・南区も多くの橋が架かっており、水辺と陸地を昇降する階段上の構造物である「雁木」を見る。江戸時代に京都から大宰府まで伸びていた西国街道(山陽道)は有名だが、当時からの橋である〖本川橋〗〖元安橋〗〖京橋〗〖猿猴橋〗が今も残る。≪長い年月の経過もあり架け替え、修理はされている≫

西国街道筋にある「元安橋」




平和公園に咲く桜


城下町から西方への「京橋」


京橋の全景


猿猴橋〖被爆に耐えた頑丈で歴史ある橋だが、1996年に復元話があり2016年3月に完成した。地元のM・ H ・N様達の熱意に敬を表します〗


全景


例年のような複数人数での花見は現在の状況から控え、一人で散策した。
五日市にある「観音神社」公園の桜



南区の比治山公園



平和公園



猿猴橋周辺に咲く桜

猿猴橋の青銅の飾り〖鷲〗


広島駅南口方面に咲く桜


〖愛宕神社〗「カ-プ優勝祈願は有名でフアンが多く参られる」


駅南口「地元人は表口と言われる」の現在の姿、五年後には市内電車「広島電鉄」がJR広島駅の二階にジョンイトされ乗り継ぎが便利なり、路面電車(市内電車)をご利用になられるお客様も増えるだろう。




自粛ム-ドで夜、出歩く事はなく昼は読書とビデオ鑑賞を楽しんでいる。早く、終息して欲しいですね。










 

美味しい地元牛乳を求めた散策

2020-03-04 20:01:44 | 周辺歩き
両親は大正・昭和初頭、祖父母は明治、曽祖父母は明治初頭の生まれで昔ながらの日本人の社会生活を継承する最後の年代だろう。団塊世代のやや下がる年代の方々は、祖父母から明治の生活を聞いている最後の年代である。〖祖父母・曽祖父母の年令・結婚及び両親の年令、結婚時期に因り違っている事等の背景は言うまでもない〗。
戦中までの食生活は、概して穀物・野菜・魚貝類だろう。洋食に付く牛乳(ミルク)は、戦後からの学校給食に大きく影響され、やがて洋食が復旧し現在に至る。

学校給食が始まった1950年代からだが、私も給食時に牛乳は付き物で違和感なく飲んでいた。牛乳が一般化すると美味の美味しさに格差を感じるようになった。
広島県の地元に牧場を持ち、美味しい牛乳を提供されておられる「砂谷牛乳」は、昔から県民・市民に安心・美味しさを提供している畜産・酪農農家〖farmer〗である。その牧場は市内佐伯区湯来町にある。
我家は子供が小さい頃、配達牛乳を飲んでおり信頼感は強く、美味しい産地に興味を持っていたことから、遅まきながら車で当地へ向かった。私は音楽好きで車内では≪遠い世界に≫≪ライド オン タイム≫が心地良く流れている。≪waat a wonderful world≫が掛る頃、目的に「久保アグリ フア-ム」に着いた。
途中、地元紙で紹介されていた「大森八幡神社」(藩内の著名人が立ち寄った神社で名前は失念)へ、立ち寄った。台風で古い樹木、神殿も被害を被ったらしい事は案内板で知る事が出来る。

大森八幡神社




久保フア-ムの牛舎

〖乳牛が可愛く恋しくなった ············· 顔が可愛い〗

フア-ム内のオブジェ

牛舎をバックにショット


ジエラ-ト工房への案内板


店内の様子


美味しいジエラ-ト


スタッフさんにお願いした


お店(falo)での美味しい牛乳は、忘れられない。


もう四時になっていた。帰途へ ~~帰路は、≪家に帰ろう≫ ~ ≪ミスタ-lonely≫を聞き乍ら家路へ ~ 着艦≫
ブログ掲載は、スタッフさんから許可を頂いた。【有難う御座いました。美味しかったです。】









〖散策〗紅葉前の縮景園・宮島、大願寺の火渡り祈願及び古地図の楽しみ

2019-11-13 10:51:37 | 周辺歩き
一年前の写真、ブログを見てみると紅葉を中心に取り上げている。関東地区散策を終えて、ゆっくりと市内・宮島へ散策したので、ゆったりと写真で散策を楽しんで頂きたい。

現在の紅葉前の縮景園









宮島にある真言宗「大願寺」



大願寺へ向かう~「旅行者の方に撮って頂きました。有難う御座いました」




行者さんが吹くほら貝



悪霊切り、除災家運隆盛を祈願する



火渡りの前の点火





護摩木に願を掛けて



火渡り祈願





帰宅し縮景園周辺の古地図を開いてみた。旧藩時代の幕末から戦中までは大した変化はないが、幕末時の広島駅周辺は地名が残っているとおり、入江で松原が立っていた。明治に入り、陸軍の主要施設(陸軍幼年学校。衛戍病院・軍管区司令部、歩兵第11連隊、鎮台司令部等が広島城周辺)が増設された。広島県は軍都、学都(大学から高等教育の高等師範学校、高等専門学校、中等教育の旧制中学・高等女学校等)と言われる所以である。中国地方の中核を成す主要都市となり、学都として高等師範学校・高等専門学校が継承されている国立広島大学、旧制中学・高等女学校も新制学校として名を残している。戦中の縮景園は「泉邸」、隣に「陸軍兵器支廠」「官吏の官舎」「私立広島女学校」等が書かれており、軍関係施設、官庁、学校があり軍・学都である。縮景園を≪泉邸≫と書かれている個所に興味を持つ。
全国各地、広島市内でも旧藩時代~戦中までの古地図が販売されている。興味がある人は購入し学校の地理・地図と違った面白みを発見できると思う。

楽しい古地図。





山口県







時代は刻々と進み、状況も刻々と変わり、国際・国内情勢も刻々と変わって行く。地理・地図は~~············幕末から僅か、150年でこんなに地図が変わった。