手元に両氏に関わる書が数冊あり時折、読んでいるが共通する事は、幕末から明治に至る主権国家(独立・統治)に欠かせなかった組織が軍隊であろう。素人の私は書・ドラマでの知識しか無いが、「大村益次郎」氏は建軍(特に陸軍)の父で、官制改革の一環である〖兵制の御治定〗を提起し、日本国の軍政改革を成し得た人である。「加藤友三郎」氏は安芸国広島城下大手町の出身で海軍兵学校(海軍兵学寮)出身の海軍軍人で、日露戦争でロシアの艦隊を撃滅した旗艦「三笠」に乗り組み連合艦隊の参謀長として日本の勝利に導いた事で有名である。また、秋山真之参謀と共に歴史小説・新聞連載・テレビドラマ化された「坂の上の雲」で広く国民の知るところとなった。加藤 友三郎は戊辰戦争・西南戦争に従軍した海軍大尉 加藤種之助の実弟で、海軍次官・海軍大将そして県内初の総理大臣である。受験に出題されることもあるワシントン会議では、軍人と言う立場もありながら、国内の経済・政治・外交上の客観的な判断から結果的に軍縮に受諾した。独断専行と批判を受けたが、無い袖は振れないの例えで、私達の社会生活でも言える事で余力の無い見栄は、生活リズムを狂わし兼ねない。(~家庭人としては、奥方は藩士籍医師の御典医の惠美 鐵允の次女 きよ子様で、友三郎氏の亡き後の当主は、子爵を受爵された~。)
国家財政も市民の家計財政も同じで、身の丈を知った生活が健全人生と私は考えており、加藤友三郎首席全権に共感している。
「大村 益次郎」氏は司馬遼太郎原作の「花神」がNHK大河ドラマで放映されていて、私人である村田 蔵六氏の生き様も描かれれていた。村田 宗太郎 【妻は給領庄屋家 高実 半左衛門 長女 こと 、古書により姓が高樹・高木、寺戸籍写では半兵衛の長女 こと、吉敷郡大庄屋日記では慶應元年の項、陶・鋳銭司・鷹の子村 給庄屋 高実 清兵衛、昭和初頭発刊の書では姓が、高木・高橋と書かれている物もあるが、何れも幕末・維新時の改姓・養子・当て字等があったことから同一家・人物と推察する。旧藩当時から戦後改革までの古い書籍からは家社会もあって養子・改姓・姓名の当て字が目立つ】< 最近の書 及び 防長文化研究会書で知ったが、琴子(明治以降の名)女史は、その後、中の関村の木原家の養女 ( 縁戚者 ⇔ 畔頭 畦森家、畔頭・庄屋の 谷 市兵衛家 等の絡み) となっている。> 大村 益次郎は長じて官位「従三位 兵部大輔」を授けられているが、素人の私には「村田 蔵六先生」(臨床学・解剖学・病理学・蘭学・兵学等)は、教育者との印象がを強い。大村家も後、当主は子爵を受爵され華族に列せられた。
飛躍した関心事として、知人に御親兵(当人の四代前 山口県 士族)の子孫がいるが、明治元年正月の御親兵設立に大村 益次郎は関わっている。(幕末時から存在していたが、確立は明治初年と某書にある。) ⇢ 知人の御祖父様が102才で鬼籍に入られた。知人はこの御爺様から祖父様の先々代についてエビデンス・公刊物等により伝承されており、私も知人から詳細に渡って話を聞く事が出来て嬉しく思っている。おじい様 M 様の ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。
歴史上の事実、史実を求める事が歴史学者、歴史家の仕事であるが幕末・近代史は、ほんの150年前の話で我々、市井の庶民も先祖の生活に興味を持つ。知ることが歴史学、歴史研究の出発点で、史実を知る事は簡単と考えるが出版物は、時を経て見ると変わる(新発見から)。この両氏も時代が人物を生み、人物が時代を創るの例え通り。また、巷説と史実の観点から、巷説は地元で人々から事実であると信じられている説話で、必ずしも史実を伝えているものではない。語り伝えは、その過程の中で都合良く変わって行く。
下手な文章で毎回、恥ずかしいが今回、旧海軍兵学校生徒75期であった元上司が昨年に亡くなられたこともあって、江田島津久茂へ行った。海兵生徒が休日に抜き-安息を求めて兵学校近くの浄土真宗の「品覚寺」へ行き、思いを綴った冊子帳を拝見させて頂いた。ご住職と坊守様の優しい対応に恐縮しながらお寺に上がらせて頂いた。訪れられる方は場所は観光施設では無く、お寺である事を認識して礼を尽くして、お寺名も品覚寺(ほんかくじ)で品格を持ってお参りして欲しい。
江田島
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f3/aec6294e3c738ccd5afc60c7b4b3592d.jpg)
海辺新鮮市場の定食(推薦食堂 ⇢ 新鮮な魚介類・価格)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/1f/7ed61803bc89c9ce9ddc649f7fe0f82d.jpg)
陀峯山(県内各テレビ局・携帯会社・電力会社の中継基地が設置してある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ae/cf2aee6626cc66fcde1bac34ce33ba5a.jpg)
陀峯山(山頂)〖だぼうざん〗
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ca/50bf60af9f55e908f4e77f58aba87abf.jpg)
江田島オリ-ブファクトリ-に丸古玲子様による郷土本が販売されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/92/3eaf303722c46a354a59229defab73e2.jpg)
品覚寺案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a7/529da0b52704c05f08007c82f8d34287.jpg)
品覚寺門
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お寺から江田島湾を一望できる絶景
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/31/50f6a5b13938d38aef6414c52d539180.jpg)
津久茂帳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/0a/9a46639439fb8644b1407ddc04480f16.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6f/d4462c719ee493f32944ae831aa17a04.jpg)
私も記帳させて頂いた。頭が薄いが敢えて載せたい(笑)。(氏名・思い········など)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/85/4ef4324ed04d667866395c57800b71ca.jpg)
早瀬大橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/52/22da874da247f35d70383a9727b95653.jpg)
旧海軍兵学校はコロナ感染防止で正門は入場禁止だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c2/27429af457d2890accf1aa9f43b6167f.jpg)
ご住職、本当に有難うございました。尊敬する上司の御名前を見る事は出来ませんでしたが、同期75期の方の寄せ書きを多く見ることが出来ました。
最後に感染予防・対応に携わっておられる救急搬送職員の方及びお医者様初め、医療関係者の方に感謝と敬意を表します。有難う御座います。
国家財政も市民の家計財政も同じで、身の丈を知った生活が健全人生と私は考えており、加藤友三郎首席全権に共感している。
「大村 益次郎」氏は司馬遼太郎原作の「花神」がNHK大河ドラマで放映されていて、私人である村田 蔵六氏の生き様も描かれれていた。村田 宗太郎 【妻は給領庄屋家 高実 半左衛門 長女 こと 、古書により姓が高樹・高木、寺戸籍写では半兵衛の長女 こと、吉敷郡大庄屋日記では慶應元年の項、陶・鋳銭司・鷹の子村 給庄屋 高実 清兵衛、昭和初頭発刊の書では姓が、高木・高橋と書かれている物もあるが、何れも幕末・維新時の改姓・養子・当て字等があったことから同一家・人物と推察する。旧藩当時から戦後改革までの古い書籍からは家社会もあって養子・改姓・姓名の当て字が目立つ】< 最近の書 及び 防長文化研究会書で知ったが、琴子(明治以降の名)女史は、その後、中の関村の木原家の養女 ( 縁戚者 ⇔ 畔頭 畦森家、畔頭・庄屋の 谷 市兵衛家 等の絡み) となっている。> 大村 益次郎は長じて官位「従三位 兵部大輔」を授けられているが、素人の私には「村田 蔵六先生」(臨床学・解剖学・病理学・蘭学・兵学等)は、教育者との印象がを強い。大村家も後、当主は子爵を受爵され華族に列せられた。
飛躍した関心事として、知人に御親兵(当人の四代前 山口県 士族)の子孫がいるが、明治元年正月の御親兵設立に大村 益次郎は関わっている。(幕末時から存在していたが、確立は明治初年と某書にある。) ⇢ 知人の御祖父様が102才で鬼籍に入られた。知人はこの御爺様から祖父様の先々代についてエビデンス・公刊物等により伝承されており、私も知人から詳細に渡って話を聞く事が出来て嬉しく思っている。おじい様 M 様の ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。
歴史上の事実、史実を求める事が歴史学者、歴史家の仕事であるが幕末・近代史は、ほんの150年前の話で我々、市井の庶民も先祖の生活に興味を持つ。知ることが歴史学、歴史研究の出発点で、史実を知る事は簡単と考えるが出版物は、時を経て見ると変わる(新発見から)。この両氏も時代が人物を生み、人物が時代を創るの例え通り。また、巷説と史実の観点から、巷説は地元で人々から事実であると信じられている説話で、必ずしも史実を伝えているものではない。語り伝えは、その過程の中で都合良く変わって行く。
下手な文章で毎回、恥ずかしいが今回、旧海軍兵学校生徒75期であった元上司が昨年に亡くなられたこともあって、江田島津久茂へ行った。海兵生徒が休日に抜き-安息を求めて兵学校近くの浄土真宗の「品覚寺」へ行き、思いを綴った冊子帳を拝見させて頂いた。ご住職と坊守様の優しい対応に恐縮しながらお寺に上がらせて頂いた。訪れられる方は場所は観光施設では無く、お寺である事を認識して礼を尽くして、お寺名も品覚寺(ほんかくじ)で品格を持ってお参りして欲しい。
江田島
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海辺新鮮市場の定食(推薦食堂 ⇢ 新鮮な魚介類・価格)
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陀峯山(県内各テレビ局・携帯会社・電力会社の中継基地が設置してある)
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陀峯山(山頂)〖だぼうざん〗
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江田島オリ-ブファクトリ-に丸古玲子様による郷土本が販売されていた。
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品覚寺案内板
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品覚寺門
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お寺から江田島湾を一望できる絶景
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津久茂帳
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私も記帳させて頂いた。頭が薄いが敢えて載せたい(笑)。(氏名・思い········など)
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早瀬大橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/52/22da874da247f35d70383a9727b95653.jpg)
旧海軍兵学校はコロナ感染防止で正門は入場禁止だった。
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ご住職、本当に有難うございました。尊敬する上司の御名前を見る事は出来ませんでしたが、同期75期の方の寄せ書きを多く見ることが出来ました。
最後に感染予防・対応に携わっておられる救急搬送職員の方及びお医者様初め、医療関係者の方に感謝と敬意を表します。有難う御座います。