各地散策と歴史

写真付き

昨今の状況(ウイルス➜外出禁止➜読書)

2020-03-24 16:29:41 | 雑学
マスコミ(特に民放テレビ)新型ウイルス関連(国内外)、従属関係にあるオリンピック関連が連日・連夜に報じられているが報道表記、医学者、医学専門家の言葉に耳慣れない言葉が多く、私のような浅学非才の人間は理解度は低い。が聞く毎に調べて見る毎に勉強にもなった。クリティカル、パンデミック、クラスタ-、フィ-バ-、エンテイバイオティクス等など·······、WHOは中学で習ったが前記した単語はネットで調べ、やけ気味でネイティブ発音まで調べて見た。PANDEMICもストレスはDE、CLUSTERもストレスは弱い、CLITICALも~~、日本語の発音も~~お洒落発音? クブ、かし、その他の尻上がり・尻下がりと変わった発音する人がおられる。だだし、地方・地域に寄っては方言もあり、発音も違っており人間味を感じ好印象を与える場合が多い。が就職試験での面接(第二次試験)は個性・人格・表現力を試される場で、方言は方言「職種に寄っては共通語・標準語」で、自分の言葉で話す方が好感を持たれるのではないかと思う。お洒落言葉、お洒落発音は必要はないと思うが·········~~。私も定年を終えた年頃(笑)、若い人には年寄寄りだなあ~、古いなあ~と思われているのだろう(笑)。これも時代の流れ、世は変わって行く。
 ウイルス感染でマスク、手洗いは一般化しているが外出控えは自己管理・自己責任から当然だが、今日は休み(シフト勤務)でBSテレビと歴史読書とのスケジュ-ルを決定し、ゆるりとペ-ジをめくった。書は徳川政権の前、豊臣政権時代に遡るが豊臣秀吉が九州平定で京都を発ち、~~広島県の海田に立ち寄った。
 福岡黒田藩の支藩である秋月藩の秋月氏は薩摩の嶋津義久氏と同盟を結び、秀吉を迎え手筈をしていたが、先に秋月藩の重臣の一人で「恵利 内蔵助」( 暢堯)が、秀吉と抗戦には徹っしないと判断し和議を薦めたが、結果的に主君である秋月氏に反感を買い、切腹してしまつた。その後、秋月藩も秀吉との戦で岩石城を攻め落とされ降伏した。
 その後、戦後処理で高鍋藩三万石に移封されてしまつた。地元では有名な秋月秘話の「原切岩物語」として伝承されている。この小説の中で家臣 恵利 内蔵助は、広島県海田に立ち寄った豊臣秀吉との謁見で、安芸国の浅野弾正(浅野 長吉➜改 長政)氏が取り次いだ。広島浅野藩の初代が、長政の子である浅野 長晟(浅野 幸長の弟)であることを知った。そして、浅野 弾正(長政)は尾張国春井郡 宮後城主である「安井 重継」の子で、信長の家臣である「浅野 長勝」の娘と結婚(婿入り)し、浅野 長政となって時代は流れる。
 この小説の主人公である秋月家重臣の一人である「恵利 内蔵助」の出自は、山口県の周防国で柳井~宇部に多い名家でもある「河内山」家、熊毛郡の水木氏(水築家)とも言われている点等、興味深い話である。当時は戦国の世、武士(家臣含む)、姓名が変わりは封建の世の時代での例は、多くあり戸主を家族制度となる『家制度』は最近の戦後改革まで我々庶民(武家以外)の生活まで根付いていた。戦中・戦前の我々の両親・祖父母が生きた時代には養子、取り子取り嫁(第三者家に養子養女となり家を継ぐ)が、多い事は身近に感じるところである。古い家庭に養子が多い事も時代背景からも身近で理解出来る。時間もあることから当県(旧藩)のお殿様である浅野様の家族図を自筆で図式化してみた。

小説ではあるが、巷説と伝承(言い伝え)を交えた歴史小説で巷説は逸話の念が強く、歴史書に近い。また、史実とは歴史上の事実で史実を求めることで歴史学者、歴史家の仕事だと著者は言っている。また、それを知ることが歴史学である。そして解りやすい例として、同じ一つの事件を報道する新聞記事でも、いくつかの新聞に寄って違っているのは珍しい事ではない、発生時点での報道が違っていれば当然だとも言ってる。長い歴史を経て後世から見る史実に曖昧さは月本だとも~·······納得した一日であった。
                                                                       【秋月秘話】
                                                                     平成三年九月発刊
史実と巷説と伝承


自筆で書いてみると関連・関係が良く分かる。

    当分の間、時間を上手く使いたい。



郷土呉市の愛読書≪呉本≫発刊

2020-03-08 11:27:11 | 呉市
私は昔話から近現代史・散策そして航空機に関心を持つようになった背景として、明治生まれの祖父母(母方)及び昭和初頭生まれの叔父「旧立川航空機株式会社で陸軍一式戦の整備に関わった ➜ 航空機」から、戦前・戦中・戦後の田舎の生活、戦後改革【長じて学校で習った内容と実例比較】を聞かされた≪聞いた≫背景も一因となっている。年末の餅つき、大晦日・正月、盆(お寺さんも)、葬儀には血族、親戚が集まり酒盛りの中、祖父母・親戚・お寺さん「和尚さん」から、私の乳児(幼児) ⇢少年期 ⇢ 青年期 ⇢~と幕末・維新(明治初頭生まれの曽祖父母 ➜ 祖父母への伝承されている)~明治~終戦、戦後改革に係る社会変化等を聞かせて呉れた。私が小学校低学年の頃か、親族が新屋(分家)の小母さんに対して≪くれは、どうかねえ~~ ? ≫と聞く事、再々で、ついに私は皆の前で苗字はO家なのにどうして、くれ~くれ って言うん~~? と聞いたところ、母は昔(明治~戦中まで)広島県の呉で働いとったんよ~~と言った。
少し関心を持ち、小学校中・高学年と進む内に担任の先生(旧中学専攻卒の旧陸軍将校で戦後、教諭)、村で旧海軍兵学校・陸軍幼年学校在学されていた方を知る。暫く時は流れて~私は社会人となる。
定年を迎えた今、契約社員となった身で時間が取れるようになり、ふっと昔に聞いた呉市を思い出し、郷土史等を読み始めた。良く「呉市」の昔は寒村だっと言われているが、呉湾・安芸灘海面で取れていた塩を調(税)として、中央箇政府に貢納していた程の村である。。また安芸郡・高田郡・沼田軍の舟木郷があったことから材木を扱う、船を建造する造船用材の【榑】の製材、【安芸榑】は有名で現在の〖呉市〗の【榑】が地名の起源だとする説もある。
私のような定年を終えた中高齢者は別に、東京に在住の若い(30代~?)女性ジャ-ナリストでフリ-ランス ライタ-の〖丸古 玲子〗氏がおられる。地元出身で地元の県立高校を卒業し、進学で上京され現在は、ライタ-として活躍されておられる。丸古さんは一昨年(2018年)年に【呉本】、今年2020年【江田島本】を発刊されている。
呉市と言うと小学校社会科で造船業が盛んである事を学んだが、前記したように古くは舟木郷もあったが、明治22年7月になり海軍の「呉鎮守府」が開設された事により終戦まで海軍の町(鎮守府・工廠・基地・軍港・平坦・病院等)として、栄えた。「関わった人物➜肝付、川村、樺山は共に旧薩摩藩 藩士」
彼女は生まれ育った呉市を愛し、誇りを持っておられ郷土の「伝統」「伝承」「伝説」「継承」をコンセプトにオ-ラル ヒストリ-として、書に書かれている点に共感する。今回、呉本の属本・姉妹本である「江田島本」発刊を兼てト-クイベントが呉市であると知り早速、知人と呉へ向かった。楽しいト-クとサイン会で盛り上がった。
平和・政治運動の色無く、客観的に古い呉地方の歴史から戦中までを当時の方々からのヒア-リングによるオ-ラルヒストリ-は高く評価される。すっかり丸古フアンになって帰路に向かった。是非、若い人に受験が終わったら読んで頂きたい郷土本である。
電車の椅子に座り、私のイアホ-ンから ♬ 「ワイルドライフのテ-マ曲」「遠い世界に」 ♫の曲がに流れている。~~〖家に帰ろう〗の曲も終わり、海田市駅ホ-ムに滑り込み·······間もなく広島駅に到着した。

呉市中央の会場≪コ-ヒ-・飲食店≫


展示されている巡洋艦〖利根〗


面白く興味を惹く著者〖丸古 玲子〗先生


ツ-ショットをお願いした処、快諾(購入した書にもサインを頂いた)




関連書籍
呉市史≪呉市政の展開、産業経済の発展、教育文化の向上等≫

呉郷土史【舟木郷、阿賀村庄屋 宮尾家・大林家、広村庄屋多賀谷家の開発に関わる尽力、近代教育のあけぼの等の紹介は内容は力作で高評価される】

【呉衆の没落、近世村落のくらし、呉浦の変化、戦後直後の混乱、オ-ストラリア・イギリス・ニュ-ジラント等の連邦占領軍は興味を惹く】

当時の方々のヒア-リング(呉戦災)

広の古きいしぶみ書籍〖頼山陽文学碑・広村庄屋で開発尽力者 大林家、素封家旧家 多賀谷家の墓碑等······などの紹介は綿密な調査を感じる〗



美味しい地元牛乳を求めた散策

2020-03-04 20:01:44 | 周辺歩き
両親は大正・昭和初頭、祖父母は明治、曽祖父母は明治初頭の生まれで昔ながらの日本人の社会生活を継承する最後の年代だろう。団塊世代のやや下がる年代の方々は、祖父母から明治の生活を聞いている最後の年代である。〖祖父母・曽祖父母の年令・結婚及び両親の年令、結婚時期に因り違っている事等の背景は言うまでもない〗。
戦中までの食生活は、概して穀物・野菜・魚貝類だろう。洋食に付く牛乳(ミルク)は、戦後からの学校給食に大きく影響され、やがて洋食が復旧し現在に至る。

学校給食が始まった1950年代からだが、私も給食時に牛乳は付き物で違和感なく飲んでいた。牛乳が一般化すると美味の美味しさに格差を感じるようになった。
広島県の地元に牧場を持ち、美味しい牛乳を提供されておられる「砂谷牛乳」は、昔から県民・市民に安心・美味しさを提供している畜産・酪農農家〖farmer〗である。その牧場は市内佐伯区湯来町にある。
我家は子供が小さい頃、配達牛乳を飲んでおり信頼感は強く、美味しい産地に興味を持っていたことから、遅まきながら車で当地へ向かった。私は音楽好きで車内では≪遠い世界に≫≪ライド オン タイム≫が心地良く流れている。≪waat a wonderful world≫が掛る頃、目的に「久保アグリ フア-ム」に着いた。
途中、地元紙で紹介されていた「大森八幡神社」(藩内の著名人が立ち寄った神社で名前は失念)へ、立ち寄った。台風で古い樹木、神殿も被害を被ったらしい事は案内板で知る事が出来る。

大森八幡神社




久保フア-ムの牛舎

〖乳牛が可愛く恋しくなった ············· 顔が可愛い〗

フア-ム内のオブジェ

牛舎をバックにショット


ジエラ-ト工房への案内板


店内の様子


美味しいジエラ-ト


スタッフさんにお願いした


お店(falo)での美味しい牛乳は、忘れられない。


もう四時になっていた。帰途へ ~~帰路は、≪家に帰ろう≫ ~ ≪ミスタ-lonely≫を聞き乍ら家路へ ~ 着艦≫
ブログ掲載は、スタッフさんから許可を頂いた。【有難う御座いました。美味しかったです。】