父は元来、小さい身体付きで心も細い人で軍人(兵隊)等に向いていない人であった。その父(祖父)も村吏員(三役)にあり、旧藩時代から軍人の家系では無く農家(民)・下役人・寺子屋(教職)の家で、父は旧逓信省(郵政省→郵便ゆうびん㈱)に職を求めた。終戦前に満州へ渡満したものの急遽、臨時招集により陸軍に籍を置いたまま終戦を迎えた。父は当時の逓信局の人事辞令書(内地&満州)、渡満前に戸籍謄本を持参し終戦後、引揚時に日本に持ち帰っており現在では私達にとっては、旧「戸籍謄本」(現在では不取得)、「関東逓信局逓信辞令書」「引揚證明諸」「定着証明書」「軍歴書」等は歴史・文化遺産と共に私達血族にとっては貴重な文化遺産、公文書と考えている。 → 仕事柄、多くの郵便切手を収集しており、写真も多く撮っていたが出航する前に焼却処分をしている。残念だが心情は理解出来る。
終戦の時の所属部隊名は後世に残したいと考えているが、父達から終戦時に仲間(友人)と離隊した逃亡経緯の詳細を生証言として聴いている。仲間の一人は〇〇市で手にしていた「現金」「食料」「雑貨」等を強奪されそうになり抵抗した為、父の目の前で頭部を拳銃で撃たれ銃殺された。父は身体が小さい事もあって、抵抗しないまま、金品は全て強奪された後に数人から、暴行を受けて過死半殺し状態になったものの、何とか召集前に住んでいた住所〖官舎〗まで帰っている。当時の住所は黄色ばんでいるが大事に保管し数枚複写し、縁戚に配布している。父は亡くなったが、その痕跡をどうしても知りたいと物心を付いた頃から思っていた。私が小学校高学年になると、先輩、同級生、後輩から父親がシベリア抑留された話を耳にするようになり、益々興味が沸いて来た。
このよう背景・原因、史実を含む学科の「日本史」があるが、日本の高校では教えておらず国公立、有名私大の高学歴卒の人でも知る人は少ない。私は物事の事象は背景、経緯(歴史)を知ってこそ本質「史実」が客観的に、判断出来ると昔から考えていた。失礼な表現だが、先生が、学者が、新聞が、マスコミが、他人が言ってる表現、文章も全て、全て全部が真実、史実とは考えていない。〖定説、入学試験、就職採用試験としは当然、受け入れていた。→ ∵ 回答=点数 → 合否に繋がる〗
私は日本史、近代史、近々現代史(明治~終戦後の戦後改革)が好きで史実資料(生き証人・証言記録書等)に基づいた書籍に興味があり、身近な郷土史から読み始めた。個人的には地元人による地元歴史を掘り下げられておられる郷土史家の方に敬意を表しており、郷土史の集大成が日本史だと考えるようになり、郷土史家及び客観的なエビデンスを重ねるドキュメンタリ-作家の方が好きになった。歴史学者、歴史(世界史・日本史)教師、歴史小説家、時代小説家、郷土史家、歴史マニア人(各種~~)等、おられる中、残学非才な私は好きな信頼する書を読むのが楽しみである。旧藩時代の古文書、旧漢字、旧かな遣い、候文、崩し字が読める歴史学者、郷土史家、先生を本当に尊敬している。
さて、このような私の生い立ち、背景、歴史がある中で「新宿平和記念資料館」に満州からシベリア抑留、引揚等の資料、写真、文献が有る事を数年前に知って、行って見たいとの欲求が高まり今回、やっと訪れた。現在、東京都はオリンピック開催、JR「高輪ゲ-トウエイ」(品川地区は旧江戸四宿で各藩の屋敷があった場所で江戸もれず坂が多い)場所)結節等で至る処で建設工事が行われてバダバタしていた。新宿都庁近くで住友ビル33階と言われても田舎者の私は、皆目分からない。やっと着いた(笑)
【家族、友人、知人には良く言っているが、都会・国内で迷っても日本語が通じるので何とか、辿り着ける。が外国への一人旅行は勇気が要る。単独で海外旅行する人はかなりの旅行通だと言える。勉学・知識・自立心 ⇔ 依存心】昔の日本国内も言語(藩→ 御国言葉・地方語)が違っていた。~ 可愛い子には旅を·······~····解ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/84/2ef7359fc1630a32094b6f994b5f3b4a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/70/a73d32df39e09b79dac3301b027d9fef.jpg)
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極寒の中の生活
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f5/1330dc0ec54c059e0095089fe3601943.jpg)
戦後、満州からの輸送船舟底での家族模様〖不謹慎だが暖かさを感じてしまう〗
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/e9/6b9ab3de325c18e8e1408f1198d3d049.jpg)
貴重資料
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/29/5af17707759beb2d4ee4356d671d140e.jpg)
個人情報もあり撮影禁止もある中で、場を観て若い父の姿を想像しながら見学しました。学芸員さんは、この資料館に体験者も訪れる中で熱心に説明、案内されておられ敬意を表します。私は父が住んでいた番地をコピ-して持参しているのでその場所を探し求め~~若い十代の父の姿を想像した。 自然と涙が出る~。苦労したのだろうなあ~
暖かい、優しく親切な学芸員さんの御案内に対し、敬意を表します。本当に有難う御座いました。父の霊前に供し供養し思いを馳せたい。
終戦の時の所属部隊名は後世に残したいと考えているが、父達から終戦時に仲間(友人)と離隊した逃亡経緯の詳細を生証言として聴いている。仲間の一人は〇〇市で手にしていた「現金」「食料」「雑貨」等を強奪されそうになり抵抗した為、父の目の前で頭部を拳銃で撃たれ銃殺された。父は身体が小さい事もあって、抵抗しないまま、金品は全て強奪された後に数人から、暴行を受けて過死半殺し状態になったものの、何とか召集前に住んでいた住所〖官舎〗まで帰っている。当時の住所は黄色ばんでいるが大事に保管し数枚複写し、縁戚に配布している。父は亡くなったが、その痕跡をどうしても知りたいと物心を付いた頃から思っていた。私が小学校高学年になると、先輩、同級生、後輩から父親がシベリア抑留された話を耳にするようになり、益々興味が沸いて来た。
このよう背景・原因、史実を含む学科の「日本史」があるが、日本の高校では教えておらず国公立、有名私大の高学歴卒の人でも知る人は少ない。私は物事の事象は背景、経緯(歴史)を知ってこそ本質「史実」が客観的に、判断出来ると昔から考えていた。失礼な表現だが、先生が、学者が、新聞が、マスコミが、他人が言ってる表現、文章も全て、全て全部が真実、史実とは考えていない。〖定説、入学試験、就職採用試験としは当然、受け入れていた。→ ∵ 回答=点数 → 合否に繋がる〗
私は日本史、近代史、近々現代史(明治~終戦後の戦後改革)が好きで史実資料(生き証人・証言記録書等)に基づいた書籍に興味があり、身近な郷土史から読み始めた。個人的には地元人による地元歴史を掘り下げられておられる郷土史家の方に敬意を表しており、郷土史の集大成が日本史だと考えるようになり、郷土史家及び客観的なエビデンスを重ねるドキュメンタリ-作家の方が好きになった。歴史学者、歴史(世界史・日本史)教師、歴史小説家、時代小説家、郷土史家、歴史マニア人(各種~~)等、おられる中、残学非才な私は好きな信頼する書を読むのが楽しみである。旧藩時代の古文書、旧漢字、旧かな遣い、候文、崩し字が読める歴史学者、郷土史家、先生を本当に尊敬している。
さて、このような私の生い立ち、背景、歴史がある中で「新宿平和記念資料館」に満州からシベリア抑留、引揚等の資料、写真、文献が有る事を数年前に知って、行って見たいとの欲求が高まり今回、やっと訪れた。現在、東京都はオリンピック開催、JR「高輪ゲ-トウエイ」(品川地区は旧江戸四宿で各藩の屋敷があった場所で江戸もれず坂が多い)場所)結節等で至る処で建設工事が行われてバダバタしていた。新宿都庁近くで住友ビル33階と言われても田舎者の私は、皆目分からない。やっと着いた(笑)
【家族、友人、知人には良く言っているが、都会・国内で迷っても日本語が通じるので何とか、辿り着ける。が外国への一人旅行は勇気が要る。単独で海外旅行する人はかなりの旅行通だと言える。勉学・知識・自立心 ⇔ 依存心】昔の日本国内も言語(藩→ 御国言葉・地方語)が違っていた。~ 可愛い子には旅を·······~····解ります。
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極寒の中の生活
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戦後、満州からの輸送船舟底での家族模様〖不謹慎だが暖かさを感じてしまう〗
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貴重資料
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個人情報もあり撮影禁止もある中で、場を観て若い父の姿を想像しながら見学しました。学芸員さんは、この資料館に体験者も訪れる中で熱心に説明、案内されておられ敬意を表します。私は父が住んでいた番地をコピ-して持参しているのでその場所を探し求め~~若い十代の父の姿を想像した。 自然と涙が出る~。苦労したのだろうなあ~
暖かい、優しく親切な学芸員さんの御案内に対し、敬意を表します。本当に有難う御座いました。父の霊前に供し供養し思いを馳せたい。