各地散策と歴史

写真付き

広島城企画展と各地紅葉

2018-11-20 07:28:45 | 浅野藩
全国的に紅葉シ-ズンを迎えているが、広島県内もJRを初め各広報で状況を段階マ-クで知らされており、私はまず近くの広島城へと出向いた。丁度、城内では幕末期の大きな変革を実行する中で「戊辰戦争」に関わる企画展が開催されていた。身分を問わない農民も混在する民兵は、山口県(長州藩)の「奇兵隊」が有名だが、広島県(芸州藩)も遅蒔きながら民間の有志による正規軍ではない農兵「神機隊」があった。1866年(慶應二年)、藩に建白書を提出、翌年に部隊結成の許可が藩から示達された。隊士募集・手続きに賀茂郡及び志和東村の庄屋・村方「役人」などの協力を得て隊員募集を募った。当時の身分構成は各専門書(某大学編纂室刊行)でも書かれているように90%以上が農・商・職人等<鹿児島県等、一部例外あり>で武家(武士)は各藩により違うが、また統計把握不備もあるが4%~8%前後だと言われており激動期における正規軍の兵は武士数では不足状態であった。山口県では高杉 晋作がメイン発起人だが、広島県は有能藩士、医師、庄屋クラスの合議発案、発起との印象が強く、協力者として村の庄屋、給領庄屋、畔頭等の村役人の協力の基に進められた点は共通する。
興味のある人は広島城<戊辰戦争と広島>企画展に出向かれてはいいかがだろう。個人的に山口県の【高杉 晋作】広島県の【高間 省三】・〖加藤 種之助〗(総理大臣 加藤 友三郎の実兄)⇦ 共に正規藩士(明治以降の士族)に興味があり、関連する〖戊辰戦争と広島〗広島市文化財団 発行)〖高杉 晋作と奇兵隊〗(山口県立山口博物館 編集)を読み返した。私は書籍(歴史小説、時代小説、歴史学書など)で見る歴史と実際に現地で見る歴史観は違うと思っており、日野市で見た新撰組〖土方 歳三〗土方家の親戚〖佐藤 彦五郎〗しかり、太刀洗航空隊しかり、四国の河野水軍しかりで興味ある御仁は直接、現地資料により現地の古老のお話を聴いてみるのも楽しみですよ。150年前は我々の高祖父、曽祖父が生まれた時代でエビデンス〖幕末からの古文書、行政公文書等〗は多く残っており、山口県に行けば幕末当時の建築家屋〖農家、武家、商家〗が存在している。

広島城内は三分咲きなので、宮島(厳島)へ



灯篭から鳥居を眺めて



紅葉谷の紅葉



紅葉谷を進むと



皆さんが群がっている場所は~



広島県立緑化センタ-



TURN yellow



autumn leaves



西洋園



もみじ祭会場



縮景園

広島県が管理する大名庭園で現在の庭園作庭師は、旧加計町(現 大田町)の吉水園を作庭した京都の「清水 七郎右衛門」である。話は逸れるが加計町の加計家は地元人には知られている古くからの旧家、素封家、実業家、資産家、学習経営を携わる明望家で加計町長もされておられた家系である。〖元 佐々木氏〗



西から東を望む



庭園中央の池付近の紅葉



広島ドリミネ-ションが始まった

皆、カ-プのイルミネ-ションにカメラを向けていた〖例のガッツ パホ-マンス〗



ヘルメット





マスコット キャラクタ-

slyly





















思い付き参加【クイズイベント】と航空機との関り

2018-09-24 05:05:47 | 浅野藩
広島タイムトラベル質問状

いきなりの質問状で戸惑う「ちょ-くんさん」質問を見て私は、ドリフタ-ズの(いかりや長介)を思い浮かんだ(笑)



歴史フアンでもいきなり参加者の方は頭を捻る(事前に主催者側の【意】とする情報を得る必要があつた)



穴埋め二字熟語〖質問が明解なので直ぐ、解ける〗



広島駅エキエ(南口)にある立飲み屋「寅卯」〖安くて美味しい〗



堪らない最初の一杯のビ-ル



近くにある全国の駅弁販売店「さい彩」〖推薦店舗〗
あの有名な宮島の〖うえの屋の弁当〗もあり地元の人間も他にも、買いたい弁当が目白押しに陳列してあるヒット店舗である。(市内に住んでおられる諸兄さん、行って見る価値はある。)



 広島駅北口開発は進んでいる

駅北口



ホテル



工事中



私が航空機が好きになった要因の一つに伯父の影響がある。その叔父が亡くなった。

叔父は旧制中学を卒業し直ぐ、東京の立川飛行機㈱に入社し数カ月で終戦になり命拾いしているが、幼少のころから飛行機が好きでプラモデル等、飛行機の玩具で遊んでいたらしい。
私が幼稚園から小学校低学年の頃、酔ったら必ず一式戦闘機と都内に撃墜されたボ-イング社のス-パ-フオ-トレス(B29)事を何回、聞かされたか。時効になったから言えるがそのB29の機体の破片を終戦時、実家に持ち帰り裏の畑に埋めている。当機体のリベットが日本製に比べ品質が良かったらしい「良え-物を使っとった~~と言っていた。」叔父は主として会社では一式戦闘機の整備をしており、整備屋はそのような点に目が留まったのだろう。当時は長い話だなあ~と思い、母は横で笑っていたが、もっと聴いておけば良かったと後悔している。【陸軍関係】

母の従弟「私から言うと五親等」が親(祖母の兄)の反対を押切り予科練「甲種飛行予科練習生10期」に入り、間もなく前線基地へ転属になる寸前に公務死(殉職)したが、操縦していたのが双発戦闘機「月光」(ア-ビング)。宇佐航空隊⇢第321航空隊所属、夜間飛行訓練中墜落殉職(死没者功績審査票)⇢千葉県匝瑳群昔(読みにくい)和村付近にて殉職している。【兵籍簿】 【海軍関係】

結婚した岳父がこれまた、陸軍航空機整備に関わる学校在学中に終戦を迎え、結婚前から結婚後も農繁期に実家に帰った時は妻を他所に岳父とばかり話をしていた。義父が好きだったことを妻に告白したのは40才前ごろだった。妻の顔は苦笑い顔だったが結婚前から知っていたようだった。【結婚前に遊びに行った際、分かった。】今も尊敬している。
   【陸軍関係】(義父はレシプロエンジンにおけるガス及び三式飛燕の液冷式エンジンについて、話を良くしていた)⇢⇢

 月光一一型【WIKIPEDIAから引用】
戦記、軍機、航空機マニアの方は知っておられると思うが、斜め銃を装備したことでも有名な機材である【小園 安名 中佐】



〖スミソニアン航空博物館に展示してある〗(ウイキペディア引用)



マニアの方には前画像は見慣れた有り触れた画像で物足りない方が多いと思うが、諸事情を考慮し選択しました。次に私が現地で撮影した航空機を紹介したい。

 海軍零式艦上戦闘機21型



 海軍零式艦上戦闘機32型







 




















旧藩時代の家屋と癒し夏の終わり

2018-09-02 20:59:54 | 浅野藩
藩政当時の旅籠再現
当時の町の商家も概してこのイメ-ジ



西国街道の村役人宅〖脇本陣も兼ていた旧家〗



自作農家屋根に罹る裏の柱梁【150年前の原形を残していると言われた】



旧藩時代の村庄屋宅〖40年前発行された歴史現在、NHK書より〗


【自作農である庄屋宅でも藩、地域、直轄、大庄屋、給領庄屋、他村役人の畔頭、百姓代宅の作りも様々である。自作農家⇎小作農家は終戦後、廃止】

長州藩 重臣 村田 清風(家格 大組士 (91石⇢161石)
〖最近まで民家として住んでおられたと地元の方から聞きました〗


【テレび、映画等で再現されている武家屋敷は高級武士宅で極々、希な大邸宅が多いが中級下、徒士まして陪臣(卒族)は裏に畑もある小さな家屋が多い、手元にある昭和40年代発行の歴史書に写真紹介されているが、これでも立派な武家屋敷と紹介されている(10石~20石程度】(※家格と石高は違う)
現在、NHKで放映されている「西郷どん」は家格 御小姓組の40石以上の武士なのですが、格ドラマ一般では下級武士と言われています。私は論理的な職制、ガバナンスが不勉強なので分かりません。が国内の総体的に武士比率が10%未満の超エリ-ト集団であることには間違いないと思います。超有名大学編纂室発行の歴史書、その他の書籍を見ても鹿児島県の武士(明治の士族)は20%前後と書いてあります。「西郷どん」ドラマの家屋、衣服、刀剣等の歴史考証は史実に近い優れていると感じています。

英雲荘(御茶屋で萩往還の終点地で参勤交代、迎賓等で使われた
案内接客されたスタッフが明るく温和な人柄が印象である。是非、訪れて見て欲しい(中学公民→日本史のようになりましたね(笑))




夏の思い出
 海遊び











ア-ト(ジブリ)


維新地150年岩国市と武家・農家住宅

2018-07-02 21:25:53 | 浅野藩
➡➡⇨【寺子屋正兵衛】から(不具合に付き)

今ではかなり希少建築となった古民家である農家・武家も観光地、地方に行くと見ることが出来るが今回、訪れた岩国城下にも吉川、香川家を初め目加田家住居も姿は変わったものの現存している。私は今まで観光地等を歩いたが、観光地の武家屋敷にはあまり関心は無く庶民住居である農家、武家であるならば下級武士宅に興味を覚える。建築、住居を羅列したので気楽に観て欲しい。

岩国市の玄関口である先代の岩国駅



錦帯橋



槍倒しの松



案内文



岩国城へ~~



岩国市立徴古館



郷土史、幕末史に関わる貴重な蔵書を保管する徴古館



山城へ



山城である岩国城




岩国城下町には吉川家、香川家などの武家屋敷が残っているが私は、下級武士宅に強く心が引かれ各地を散策した際には捜し回る。過去に訪れた建築史跡、40年以上前に出版された書で江戸、明治の「仕事と暮らし」について、詳しく書かれている書から抜粋して紹介したい。

中級武士「大組士 170石前後」岩国 目加田家(談 昭和43年ごろまで子孫が住んでおられた)



中級武士「大組士」50石➡160石前後 村田家(談 地元の方の話によると昭和40年ごろまで住居人がおられた)



下級武士「徒士 家禄10石」伊予愛媛 松山家



下級武家「徒士 九石」松本藩【1979年 平凡社発行】(奈良本 辰也先生 監修)



下級武家「徒士 五石」米沢藩【1979年 平凡社発行】同上



農家「大庄屋」吉野郡 天領地【1979年 平凡社発行】同上



農家「名主」神石郡 【1979年 平凡社発行】 同上



農家「屯田兵家族家」(元武士)【1979年 平凡社発行】同上



映画、ドラマで観る武家屋敷〖武士約3%~8%程度〗と農家〖90%の商家を含め殆どの庶民宅〗の庄屋クラスの家屋を紹介したが、イメ-ジと違った感じられた方もいると思うが、明治ごろ撮影された古写真を見ると更に実生活が伺える。

1960年代(昭和40年)までは戦中・戦前は元より明治初頭、幕末の頃、建てられた建築物を地方では見る事ができた。(維新から僅か100年だったこともあるが、家屋として大事に使って住んでいた)今年は維新150年~、散策は続く。






稲荷大明神祭「とうかさん」・広島市合唱団&N-グランカッサ吹奏楽団【写真中心ブログ】

2018-06-08 17:17:07 | 浅野藩
広島では恒例の稲荷大明神祭が開催された

圓隆寺の「とうかさん」祭



市街中心部の南側に位置する平和大通における祭の様子(懐かしい往時を思い出す~今から夏が来る~)





中区新天地公園では「とうかさん」と盆踊りのコラボレイションイベント



稲荷大明神



公園中心では踊りの準備【県民から広く愛されている「にしき堂のもみじ饅頭」御土産、手土産、御進物、贈品等に送られている】



踊りに参加されておられた清楚美人【ブログ掲載許可を頂き有難うございました。清楚で上品なお嬢様でした】



自然体で清楚な日本美人【浴衣が良く似合っています】



三人仲良く〖今後とも仲良くね〗【許可を頂き、本当に有難うございました】




広島市合唱団


知己の団員もおられ毎回、会場に足を運んで楽しませて頂いている。市職員・OBの方々をメインに構成されている合唱団で真面目さに私は好感を抱いている。

女性コ-ラス



handsomeな男性指揮者





お人柄を感じる素敵な女性指揮者



チャ-ミングなT先生「毎回、素敵な演奏を聞かせて頂いています」



広島市内で活躍するアマチュアN-グランカッサ吹奏楽団

広島駅前の地下PLAZA



指揮者、スタッフの方の人柄に惹かれて入団されている「N-グランカッサ吹奏楽団」です。希望者は連絡されてはいかがだろう。