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戦争の罪と罰

2009年08月24日 | 社会のニュースを考える
ソンミ村虐殺、元中尉「41年後の謝罪」(読売新聞) - goo ニュース
2009年8月22日(土)21:52
 【ニューヨーク=吉形祐司】ベトナム戦争中の1968年、米兵が南ベトナム(当時)の一般住民500人以上を殺害した「ソンミ村事件」で、ただ一人有罪となった米陸軍元中尉のウィリアム・カリー氏(66)が仮釈放後初めて、ジョージア州コロンバスの小集会で当時を語り、「41年後の謝罪」をした。
 21日、米メディアが報じた。
 カリー氏は19日、友人の招きに応じ、約50人が参加した奉仕活動団体の昼食会に出席。冒頭、「良心の 呵責 ( かしゃく ) を感じない日は一日もなかった。殺されたベトナム人とその家族、巻き込まれた米国人とその家族に対し、良心の呵責を感じている。申し訳ない」と述べた。
 米メディアが事件を暴露した後の70年、カリー氏ら14人が訴追された。同氏は軍事裁判で「上官の命令に従っただけ」と主張したが終身刑となり、上官は無罪だった。ニクソン大統領が減刑し、3年半で仮釈放されて以来、カリー氏はマスコミの取材に応じていなかった。なぜ41年後の今、重い口を開いたのかは不明だ。


ベトナム戦争の地獄絵図。
私は、写真や映画でしか知らないけど、こういう経験はだれもしたくないだろう。
元中尉の、「良心の呵責を感じない日は一日もなかった」といった言葉に嘘はないだろう。
戦争を起こし命令するのは、偉い人たちで、しかし彼らはこういう現場には出てこないで、いつも安全な場所にいる。
私は、戦場に行ったものは、勝敗など関係なく、みんな被害者だと常々思っているのだけれど、この元中尉のカリー氏も間違いなくその一人である。
40年たってもなお、良心の呵責に悩み、それはその後の人生においてずっと彼の心を痛めつけてきただろう。

>なぜ41年後の今、重い口を開いたのかは不明だ。

記事はこう結んでいるけれど、「ただ謝りたかった」それだけじゃないだろうか。殺された人たちのために、その家族のために、そして自分のために。
たとえ法律が彼を仮釈放しても、彼自身は自分を許せなかったのではないか。 この言葉を発するために費やした、41年の歳月が彼にとっての、罰であったのであろう。

人類はこんな愚かなことを何度も何度も繰り返してきた。自分は安全で守られた場所にいる政治家の、たやすく無邪気に下される命令のもと、どれだけの人が命を落としたのか、苦しんだのか。

それなのに、21世紀になってもなお、理由をでっちあげてでも、あらたに戦争を仕掛けた政治家を、私は忘れない。
何十万人にも及ぶ罪のない人々を殺し、たくさんの若い兵士を殺した政治家を私は忘れない。
そして、その戦争について、国連やヨーロッパ各国が反対する中、真っ先に支持した日本の総理大臣およびそれに賛同した日本の与党政治家たちを私は、絶対に忘れない。

同じ過ちを、また繰り返さないために。

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