昨年末ぎりぎりに、オウム真理教の手配犯平田信(まこと)容疑者(46)が出頭してきました。17年間の逃亡生活の間に、教祖からの洗脳もとけた様子でした。
もう、4年半も前になってしまいますが、何かに洗脳されて生きているという意味では、オウム信者も、一般の私たちもどこか同じじゃないか・・と思って、「内オウムと外オウム」という記事を書いたことがあります。
昨年、震災によって引き起こされた原発事故によって、私たちの多くは、原発の安全神話に洗脳されていたことに気づきました。
経済においては、2008年9月のリーマンショック以来、EU危機など、金融資本主義の限界が見えてきて、世界経済といわれるものは、現在も四苦八苦の状態が続いています。
壊れなければならないものは、壊れてゆけばいい…つい、そんな風に思ってしまうのは、不遜でしょうか。
今の社会は、政治、経済、医療、教育、情報、すべてにおいてシステム化され、それらを通過したものでなければ認められない、こうならねばならない、これが正しい、という何かの洗脳を受けていると感じます。
この怒涛の数年間を経て、もしかしたら、気づいた人々が順次、その洗脳状態から解放されてゆくのではないかという予感は常にあります。
4年半前の記事ではありますが、一部抜粋して、再掲載したいと思います。
もう、4年半も前になってしまいますが、何かに洗脳されて生きているという意味では、オウム信者も、一般の私たちもどこか同じじゃないか・・と思って、「内オウムと外オウム」という記事を書いたことがあります。
昨年、震災によって引き起こされた原発事故によって、私たちの多くは、原発の安全神話に洗脳されていたことに気づきました。
経済においては、2008年9月のリーマンショック以来、EU危機など、金融資本主義の限界が見えてきて、世界経済といわれるものは、現在も四苦八苦の状態が続いています。
壊れなければならないものは、壊れてゆけばいい…つい、そんな風に思ってしまうのは、不遜でしょうか。
今の社会は、政治、経済、医療、教育、情報、すべてにおいてシステム化され、それらを通過したものでなければ認められない、こうならねばならない、これが正しい、という何かの洗脳を受けていると感じます。
この怒涛の数年間を経て、もしかしたら、気づいた人々が順次、その洗脳状態から解放されてゆくのではないかという予感は常にあります。
4年半前の記事ではありますが、一部抜粋して、再掲載したいと思います。
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「内オウムと外オウム」
アセンション(次元上昇)について相変わらず、よくわかっていない私ですが、ふと思ったことは、人々の心が変わってきたんじゃないかということです。
オウム真理教の起こしたショッキングな地下鉄サリン事件のあと、オウム排斥運動が全国各地で起こりました。
サリン事件を起こしたのは、実行部隊と呼ばれる一部の人間であり、多くの信者は教祖と教義を妄信して心もお金も捧げた、かわいそうな被害者であったわけですが・・
オウムから離れた人もいましたが、そうじゃない人たちがすっぱりやめられなかったのは、オウム以外行くところがなかったからです。
実家とかそういう物理的な場所ではなくて、自分の心の居場所が、家庭や社会の中で見つけられなかったからです。
あの時、オウムにいる若者に罵声を浴びせたり、気味悪そうに侮蔑の目で見る人々がいて、そんな人たちの視線が、彼らをますます頑なな態度にさせてしまっていました。
オウムの若者が「内オウム」なら、若者を追い詰めてしまった現代の競争社会は、「外オウム」といえるような気がしました。
教祖を絶対とする新興宗教のように、「外オウム」は、お金を稼いだ人が偉い、地位のある人が偉い、なんにせよ勝たねばならない・・・というのが、絶対的教義です。
そんな価値観が、高度経済成長、バブル時代を経て、定着してしまったと思います。
そこにうまく入り込めない若者が、心の平安を求めて今いる場所と別の価値観のある場所、として提供されたオウムに、たまたま出会い、はまっていってしまったのも、私にはわかるような気がします。
この世で本当に大事なこと、生まれてきた意味は、なんだろう、と、問い直したとき、他者をないがしろにし、自分だけが幸せになる幸福はないんだと、思うのです。
このように感じるのは、私だけじゃなくて、ご縁あって今この拙文を読んでくださっているあなたもきっと、そう思われていますよね。
次元上昇は、人々の心の中で今、急速に高まっているんじゃないか(つまり、外オウムが崩壊しつつある)と思う今日この頃です・・・・。
「内オウムと外オウム」
(2007年6月29日)
アセンション(次元上昇)について相変わらず、よくわかっていない私ですが、ふと思ったことは、人々の心が変わってきたんじゃないかということです。
オウム真理教の起こしたショッキングな地下鉄サリン事件のあと、オウム排斥運動が全国各地で起こりました。
サリン事件を起こしたのは、実行部隊と呼ばれる一部の人間であり、多くの信者は教祖と教義を妄信して心もお金も捧げた、かわいそうな被害者であったわけですが・・
オウムから離れた人もいましたが、そうじゃない人たちがすっぱりやめられなかったのは、オウム以外行くところがなかったからです。
実家とかそういう物理的な場所ではなくて、自分の心の居場所が、家庭や社会の中で見つけられなかったからです。
あの時、オウムにいる若者に罵声を浴びせたり、気味悪そうに侮蔑の目で見る人々がいて、そんな人たちの視線が、彼らをますます頑なな態度にさせてしまっていました。
オウムの若者が「内オウム」なら、若者を追い詰めてしまった現代の競争社会は、「外オウム」といえるような気がしました。
教祖を絶対とする新興宗教のように、「外オウム」は、お金を稼いだ人が偉い、地位のある人が偉い、なんにせよ勝たねばならない・・・というのが、絶対的教義です。
そんな価値観が、高度経済成長、バブル時代を経て、定着してしまったと思います。
そこにうまく入り込めない若者が、心の平安を求めて今いる場所と別の価値観のある場所、として提供されたオウムに、たまたま出会い、はまっていってしまったのも、私にはわかるような気がします。
この世で本当に大事なこと、生まれてきた意味は、なんだろう、と、問い直したとき、他者をないがしろにし、自分だけが幸せになる幸福はないんだと、思うのです。
このように感じるのは、私だけじゃなくて、ご縁あって今この拙文を読んでくださっているあなたもきっと、そう思われていますよね。
次元上昇は、人々の心の中で今、急速に高まっているんじゃないか(つまり、外オウムが崩壊しつつある)と思う今日この頃です・・・・。
きんもくせいさん♡
今年も~どうぞ~よろしくお願いします。
本日~1月10日
2012年みみかほう始動♪です。
・・はなこころ
1月10日。
水泉動(しみずあたたかをふくむ)・・・なんだかいい言葉ですね。
今年もよろしくお願いいたします。