今年の漢字は「北」だった。煽られましたものね、JアラートとかテレビCM、新聞広告とかとか、煽りに煽ったものなあ。
いろいろお騒がせばかりだったので、「北」とする人が多いのはわかるけど。でも、やっぱりカキワリ虚飾トンデモ独裁国家だから、国としてのエネルギーはかなり微弱。そんなに恐れなくてもいいように思うが・・そうはいかないのか。
「忖」
私が思う今年の漢字は、複数あって、前半はもちろん「忖度」の「忖」以外考えられない。
忖度とは、意味も読み方も、恥ずかしながら去年までは知らなかったもの。
19日の東京新聞1面トップに出ていた、こんな絵をみたら、これで終わらせたらいけないなあと改めて思いました。
この口裏合わせ。音声データが動かぬ証拠ではないですか。
上から何も言われないのに、国がここまで一つの学校に便宜を図るなんて、ありえない。
事実、昭恵夫人の国家公務員の秘書さんが、この土地取引のために、霞が関の省庁内を回って汗をかいていたことも、書面が残っていて明白な事実なのに。
些細な罪で籠池夫妻を逮捕して、以来、異常な長さの拘束。見え見えの口封じ。
テレビニュースは、この件、どうして取り上げないの?
これも忖度?
「立」
後半は、そういう社会情勢の中から、希望の党とか民進党の分裂とか、どんでん返しが続いたけど、個人的に何よりうれしかった枝野さんの立憲民主党の立ち上げ。
枝野さんもそう言っていたけど私も思う「立憲主義」「#枝野立て」の「立」が、一番印象に残った漢字だった。
哲学者の内山節氏が東京新聞の「革命的にすたれる昭和」と題したコラムの中で、昭和の「俺に任せろ、俺の言うことを聞け」的な上から目線の考え方が嫌われてきている、というようなことを述べていた。
そうだなと思う。セクハラ、パワハラ、という言葉は昭和にはなくて、職場でも食事をする場所でも、タバコを吸うのは当たり前で、男たちの下卑たシモネタを聞かされても、ひたすら我慢していた頃を思い出す。
ファッションやサブカルは別として、そういった社会的な昭和のこと。多分自民党のおじさんたちをはじめとした多くの政治家たちが、まだそんな昭和を引きずっているのはよくわかる。
だからこそ、内山氏はこう書いている。
「唯一立憲民主党だけが、国民を有権者としてとらえるのではなく、いっしょに社会を変えていくパートナーと位置づける新しさを持っていた」と。
私もそういうところが、立憲民主党が支持された要因だと思う。
政治も、変化の時を迎えている。まさに「立」は、主権者たる国民が望んだ政治家を「立て」と言って立たせ、国民もいっしょに政治参加をするという決意が立ち上がった「立」だと思っている。
●今も続く意識の二極分化
前半のフォース(スターウォーズのフォースではなく、しいて言えばフォースの暗黒面)の暴露、後半のパワーの流れ。
あぶり出しが始まっているから、以前ならごまかせたことがごまかせない。
思えば去年の今頃、意識レベルがマイナスなんていう人はいなかった。
フォースの人たちが、50に集まってきているのはなんとなくどうしてなのか、と個人的に疑問に思っていただけ。
それが、今年になって、その50がさらにマイナスへと下がり続ける。マイナス1桁から、2桁、今は4桁まで下がっている人もいる。それは日本人だけに限った現象ではない。
この数値では、同じ空間にいながら、別の世界に生きているようなもの。
彼らにとっては、この世はすでに戦場に見えていることだろう。心の中は荒野のような荒んだ風ばかりだ。
必要とあれば、核のボタンだって押さなくてはならないと思っている…とすれば、核はすでに抑止力とは言えなくなる。
(ただし北はロシアの技術でミサイルは発射させても、核は持っていないと感じている、原発を狙えば話は別)
一方で、「こんな発想はあってはならない、核は絶対悪だ」と、草の根から断罪する人達が世界的に認知されてきた。
従来の力のゲームのような政治から、市民レベルの共生を求める政治へ。そしてそれを受け止めてくれる立憲民主党という国政政党が生まれたこと。
この草の根の人々の思いが世界レベルで発生しだしていると思う
「分」
だから、思う。今年の総括としての漢字を当てはめるなら私どもは「分」。
一字ではわかりにくいなら、何度も書いているけれど、
意識の二極分化
または 意識のアセンション。
これに尽きるのです。
なお、意識の二極分化では、不思議な現象も起きている。
大きなショックにあったとき、高いパワーだった人が、突然下がったり、逆にフォースだった人がパワーに入ったり。
後者の場合、よく例に上げるのが森友学園前理事長の籠池氏。
125の欲望が、一連の騒動で勾留されたまま、でも、現在も意欲を示す300代のパワーの領域にいる。
また、同じ125の希望の党から出馬した若狭氏が、落選したことで小池さんの魔法がとけたのか、パワーの領域に足を踏み入れたこと。
ふたりとも、変わるときは、憑き物が落ちた、みたいな感じ。
アセンションとは笛や太鼓を鳴らして変化するのかと思っていたら、そうではなくパワーに静かに変わる。あるいはフォースであれば静かに表舞台から消えている。
推測で恐縮だが、そんな気がする。
・・とすれば、高いパワーの方が200未満の数値に下がってしまっても、再び何かのショックで元のパワーの領域に戻る可能性もある。
そういうことであるなら、もう悲しまないですむ。
この記事を持ちまして、年内の更新は最後になります。
この記事に関連して、今年5月に書いた木村秋則さんの記事。
自分で言うのも何ですが、今年一番のおすすめだと思っています。
最後にリンク貼っておきます。
「木村秋則さんの世界観から見えてきたこと」
今年も読んでくださってありがとうございました。
世相は相変わらずですが、ひとりひとりの皆様におかれましては、どうぞ良いお年をお迎えください。
いろいろお騒がせばかりだったので、「北」とする人が多いのはわかるけど。でも、やっぱりカキワリ虚飾トンデモ独裁国家だから、国としてのエネルギーはかなり微弱。そんなに恐れなくてもいいように思うが・・そうはいかないのか。
「忖」
私が思う今年の漢字は、複数あって、前半はもちろん「忖度」の「忖」以外考えられない。
忖度とは、意味も読み方も、恥ずかしながら去年までは知らなかったもの。
19日の東京新聞1面トップに出ていた、こんな絵をみたら、これで終わらせたらいけないなあと改めて思いました。
この口裏合わせ。音声データが動かぬ証拠ではないですか。
上から何も言われないのに、国がここまで一つの学校に便宜を図るなんて、ありえない。
事実、昭恵夫人の国家公務員の秘書さんが、この土地取引のために、霞が関の省庁内を回って汗をかいていたことも、書面が残っていて明白な事実なのに。
些細な罪で籠池夫妻を逮捕して、以来、異常な長さの拘束。見え見えの口封じ。
テレビニュースは、この件、どうして取り上げないの?
これも忖度?
「立」
後半は、そういう社会情勢の中から、希望の党とか民進党の分裂とか、どんでん返しが続いたけど、個人的に何よりうれしかった枝野さんの立憲民主党の立ち上げ。
枝野さんもそう言っていたけど私も思う「立憲主義」「#枝野立て」の「立」が、一番印象に残った漢字だった。
哲学者の内山節氏が東京新聞の「革命的にすたれる昭和」と題したコラムの中で、昭和の「俺に任せろ、俺の言うことを聞け」的な上から目線の考え方が嫌われてきている、というようなことを述べていた。
そうだなと思う。セクハラ、パワハラ、という言葉は昭和にはなくて、職場でも食事をする場所でも、タバコを吸うのは当たり前で、男たちの下卑たシモネタを聞かされても、ひたすら我慢していた頃を思い出す。
ファッションやサブカルは別として、そういった社会的な昭和のこと。多分自民党のおじさんたちをはじめとした多くの政治家たちが、まだそんな昭和を引きずっているのはよくわかる。
だからこそ、内山氏はこう書いている。
「唯一立憲民主党だけが、国民を有権者としてとらえるのではなく、いっしょに社会を変えていくパートナーと位置づける新しさを持っていた」と。
私もそういうところが、立憲民主党が支持された要因だと思う。
政治も、変化の時を迎えている。まさに「立」は、主権者たる国民が望んだ政治家を「立て」と言って立たせ、国民もいっしょに政治参加をするという決意が立ち上がった「立」だと思っている。
●今も続く意識の二極分化
前半のフォース(スターウォーズのフォースではなく、しいて言えばフォースの暗黒面)の暴露、後半のパワーの流れ。
あぶり出しが始まっているから、以前ならごまかせたことがごまかせない。
思えば去年の今頃、意識レベルがマイナスなんていう人はいなかった。
フォースの人たちが、50に集まってきているのはなんとなくどうしてなのか、と個人的に疑問に思っていただけ。
それが、今年になって、その50がさらにマイナスへと下がり続ける。マイナス1桁から、2桁、今は4桁まで下がっている人もいる。それは日本人だけに限った現象ではない。
この数値では、同じ空間にいながら、別の世界に生きているようなもの。
彼らにとっては、この世はすでに戦場に見えていることだろう。心の中は荒野のような荒んだ風ばかりだ。
必要とあれば、核のボタンだって押さなくてはならないと思っている…とすれば、核はすでに抑止力とは言えなくなる。
(ただし北はロシアの技術でミサイルは発射させても、核は持っていないと感じている、原発を狙えば話は別)
一方で、「こんな発想はあってはならない、核は絶対悪だ」と、草の根から断罪する人達が世界的に認知されてきた。
従来の力のゲームのような政治から、市民レベルの共生を求める政治へ。そしてそれを受け止めてくれる立憲民主党という国政政党が生まれたこと。
この草の根の人々の思いが世界レベルで発生しだしていると思う
「分」
だから、思う。今年の総括としての漢字を当てはめるなら私どもは「分」。
一字ではわかりにくいなら、何度も書いているけれど、
意識の二極分化
または 意識のアセンション。
これに尽きるのです。
なお、意識の二極分化では、不思議な現象も起きている。
大きなショックにあったとき、高いパワーだった人が、突然下がったり、逆にフォースだった人がパワーに入ったり。
後者の場合、よく例に上げるのが森友学園前理事長の籠池氏。
125の欲望が、一連の騒動で勾留されたまま、でも、現在も意欲を示す300代のパワーの領域にいる。
また、同じ125の希望の党から出馬した若狭氏が、落選したことで小池さんの魔法がとけたのか、パワーの領域に足を踏み入れたこと。
ふたりとも、変わるときは、憑き物が落ちた、みたいな感じ。
アセンションとは笛や太鼓を鳴らして変化するのかと思っていたら、そうではなくパワーに静かに変わる。あるいはフォースであれば静かに表舞台から消えている。
推測で恐縮だが、そんな気がする。
・・とすれば、高いパワーの方が200未満の数値に下がってしまっても、再び何かのショックで元のパワーの領域に戻る可能性もある。
そういうことであるなら、もう悲しまないですむ。
この記事を持ちまして、年内の更新は最後になります。
この記事に関連して、今年5月に書いた木村秋則さんの記事。
自分で言うのも何ですが、今年一番のおすすめだと思っています。
最後にリンク貼っておきます。
「木村秋則さんの世界観から見えてきたこと」
今年も読んでくださってありがとうございました。
世相は相変わらずですが、ひとりひとりの皆様におかれましては、どうぞ良いお年をお迎えください。
こういう言葉に踊らされるのが今の日本人の民度なんでしょうね。
日本人の意識レベルが上がっていると聞きましたが、それは高い人がより高くなってきていることに依るのではないかと考えています。低い人は下がり続けているし、低いレベルの人の数が減っているわけでもないように感じています。
まさに「意識の二極分化」が進んでいるのだと思います。
そして「類は友を呼ぶ」のですね。だから安倍政権が支持され続けるのでしょう。
「この状態がいつまで続くのか?
日本人の民度はもっと酷い状態に落ちていくのではないか?」
という懸念は払拭できないのですが、あるとき一気にひっくり返る、ということもあるかもしれません。パワーの人がフォースに下がったり、ずっとフォースだった人が急にポンと上がったりする現象が起きているなら、そういう事が有っても驚きませんね。
日本だけでなく世界中のフォースのレベルがパワーに変わる日を心から待ち望んでいます。
今年も残り少ないですが、今日、菅さんのブログで、デマに騙されて菅さんを批判していた人から、謝罪の電話をもらった、と書かれていました。
6年間、ずっと誤解されたままだったのが、ちゃんと真実は残り、嘘はバレます。
https://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-12340093573.html
いつか、きっとわかってもらえる日が来るのだと思っていましたが、それがようやくきたのです。
あの当時は、読売新聞を始めとした大手マスコミや、評論家たちも、菅さんの批判さえ言えば尺が取れる、ネットは誹謗中傷、デマの嵐、正直今よりずっとずっと私は辛かったです。
今は、立憲民主党がうまれ、思いを同じにする人たちがいて、当時とは比べ物にならないほどの希望があります。
ツイッターでも過去には、菅さんのツイートには、ネトウヨしかコメントしないのかと思うほど、ひどいことばかり書かれていましたが、今は、そんな言葉がきても、それを打ち消す人たちが大勢いるし、また当時の菅さんのことを評価する方たちが、実はたくさんいたのだということがわかり、うれしいです。
https://twitter.com/NaotoKan/status/945912386220834817
この勢いのまま、来年はまた大きな変化が起きるんじゃないかという予感は常にあります。
来年こそは、良き変化の年になりますように。