嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

未来をうまく見れず、流れのままにいる

2022年09月03日 22時44分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
妻が精神病院に入院した。
息子は児童相談所に奪われている。
僕は仕事だけをしている。

未来がうまく見つからない
現実感だけがある
寝ている時はそれが現実か夢かわからず観ているくせに
起きている時には夢がない

僕はここで何をしているのだろう
僕は死ななかった罰を受けているのか?
思っていたほど辛くは無い。
昔は大人になることが
強制的に大人になる事が、
つらくてつらくてしょうがなくて
必死で時の流れに逆らおうとしていた。
今は何というていたらくだ。
時の音が僕を刻んでも、殆ど痛みを感じていない。

想像以上に大人として生きる事に
楽さを感じている。
青年期にあれほど悩んでいた心の痛みを、
僕はもううまく感じることが出来ないほどに、鈍くなり過ぎている。
僕の感性はもうあまりにも鈍化している。
なのに辛くもなんともない。
違う、鈍化したから辛く無いんだ。
未完成であることの生命の儚い美しさを僕は失い続けている。

息子が育てば育つ程、
僕は生きる事の悩みから解放されていく。
多分、息子に押しつけているんだと思う。
生きることの悩みそのものを。

バカだから気づかなかった。
僕は息子を世界から失うことが怖い。


人を変える事は出来ない。でも奇跡は起こせる。

2020年06月21日 09時05分55秒 | 駄文(詩とは呼べない)

僕が一体何に怒っていたのか、
よく思い起こして考え直してみる。
やっぱりそれは、僕の嫉妬心だったのかな?
と思えてくる。
そして、「本当は鋭志が犬の世話をしなくちゃいけないのに、うちの親に甘えてるだけって事になるんだからね!」
と言い返された事についても考える。

亡くなってしまった愛犬の事を、僕や絢斗よりも大事にしているような気がして、
それが僕には辛かった。
その才子の様子が許せなかった。
死んだ犬の事を大事にし過ぎて、
まるで僕との2年間の結婚生活を否定されたように感じ、許せなかった。
「鋭志のせいで私はのんちんと一緒に暮らせなかった」と言われた時には、才子のずっと隠していた想いがグサリと刺さって怒りが何日も収まらなかった。

1度目はテーブルに座って4人で西友の買い物中に具合が悪くなった話と実家での愛犬の埋葬方法や供養についての話合いにおける鶴岡家の不破に関する話の時に、
2回目は絢斗のお迎えの準備をしながら身体を動かしている最中(又は移動中)に、
3回目はサツドラ前の歩道でさんりんしゃからのバスを待っている間、
才子には犬の事について三回責められた。
3回目は言葉を少し修正して、
(どうせ鋭志には言ってもわかんないと思うから言いたく無いんだけど、鋭志にものんちんの事について全く責任が無いとは言えないと思う)
という表現になっていたけど、
どちらにせよ、才子が内心僕のせいだと思っているのは間違い無かった。

僕は子供の頃、公園でコリーという犬種に全身を何度も噛まれて、右腕から皮下脂肪が外へはみ出してしまい、病院で右腕を縫う程の怪我をして、それ以来犬に近づくのが怖かった。
そして動物の毛で喘息の発作が起こるから、
日常的に喘息発作ばかりの生活になってしまったら、と思うと、僕には犬と暮らすのはとても無理だと感じていた。
そして僕の生まれつきのアレルギー体質について責められたとしても、僕には死んで詫びる事も出来ないし、何もしようが無いから、尚更それを責められたのは辛かった。
一体僕には、どんな選択肢があったのだろうか?

そしてそれほど犬が大事なら、2年前に新居での物件選びの際に、サニープレイスに決めようとせず、ちゃんと才子の意思で断って欲しかった。

新婚生活が始まる事の条件に、
犬を飼う事と、タバコを吸い続ける事が条件になっていたなら、
僕はどうしていただろうかと考えてみた。
それでもやっぱり、僕は才子と結婚生活を送りたかった。才子は意固地で頑なな僕を柔らかく変えてくれる特別な存在のような気がしていたし。
僕が才子の前ではじめて大声で泣いた時に
才子はベッドの上で優しく僕を抱きしめて包んでくれて、僕を必死で癒して宥めてくれた。
その才子の優しさが、忘れられなかったから、きっと僕は才子の事を信じる以外に、他の道を見つけられない。
才子は僕が今までに出会った誰よりも僕に対して優しかった。だから僕は才子の人生をどうしても救いたかった。
実家で親の庇護下で自分の殻に閉じ籠ってる才子に対して、大人になれずに苦しんでる才子の様子をみて、僕はどうしても外の明るい世界へ連れ出したかった。
だから、才子が絢斗の事を可愛がって嬉しそうにしている時に、僕の心はとても安らぐ。
才子が幸せそうに成長してくれている様子を見ると、僕の魂はとても安らぐ。
でも、才子が自分の殻に閉じ籠る様子をみている時はつらい。
まるであの頃に逆戻りしているかのような錯覚に陥るから。
僕は才子の心を無理矢理変えるような事は出来ない。僕にできるのは、僕の言葉を届ける事だけ。それを必死でやり続けるしか、僕には道が無い。伝わらない言葉をどれだけ紡いでも、それは才子には届かない。
才子に届けるには、僕の魂を削った言葉が必要だから、僕は深く潜って、僕の言葉を探す。眠って無意識と意識の狭間でたゆたうような感覚の中で、僕は新しい言葉を探す。
誰にも見つけられなかった、原石の言葉を探す。
かつて言葉が生まれる前の、呻き声や叫び声だった頃の、想いだけの頃、僕等が言葉に頼らなかった頃、そこには心の共感が広がっていただろうか?
獣の叫びの中に、孤高の咆哮以外に、
僕達は魂の震える何かを持っていただろうか?
僕は深く沈んで何かを探す。
誰にも見つけられなかった隠された未来が
何処かにあるような気がして、
僕はその、美しい何かを探す。

僕は奇跡を待ったりしない。
僕は奇跡を見つけ出す。
それが出来なければ、
僕達は奇跡の糸を手繰り寄せる事など出来ないから。
多分それは、自分自身が忘れてしまっているような、心の深い部分と繋がっている糸だから、解きほぐすには、とても、時間がかかるのかもしれない。
だけどそれを見つけた時には、心の隙間に光が刺して、セカイの風景は一変するから、
だから僕達は、
自分自身の心に対しては、
絶対に嘘をついたらいけないと思うんだ。

心の扉を開く勇気が足りない
僕はセカイを恐れている。

傷ついても壊れない心
ぶつかっても壊れない心
僕が死んでも、世界に遺り続ける心
そういう大切な何かを、僕は探している。

大切なものは3度死ぬ。

2020年06月05日 02時33分05秒 | 駄文(詩とは呼べない)
苦しい。

僕が今、僕のありのままである事を、許されない環境が苦しい。
僕がずっと前に蓋をしてきたもの。
僕が理論武装でがんじがらめにして、
僕自身を硬い檻に閉じ込めたもの。
僕の中にある、感情の怪物。

妻と喧嘩する時、心の奥から溢れ出しそうになるもの、ある種の、暴力衝動のようなもの。破壊的な感情。
それらは全て、僕が理性で封印してきたもの。
カウンセラーの爺さんが2年前に助言した事も、僕を苦しめる。
臨床心理士の能力。

だけど僕は、僕が誰よりも正しい事を知ってるし、誰よりもおかしい事も知ってるし、
全てが矛盾している事も、正論が人を傷つけ続ける事も知っている。

僕は、人を赦すことが出来ない。
僕は、人を殺す事が出来ない。

動物なら、どうか?
動物ならば、僕は見殺しに出来るのか?
妻の大切な愛犬が死んだ。
17年間もかけて、タバコと愛情でぐちゃぐちゃに首を絞められて、癌で死んだ犬。

僕の一歳の息子も、
妻のタバコに殺されかけている。

妻が1週間前に家出した。
犬の死を、僕が責めたから。
妻が、僕よりも犬を選んだから。

僕の大切な犬は3度死ぬ。
逆に言えば、3回しか死んでいない。

でも、息子は1度も殺されたく無い。
殺される前に僕が奪って逃げたら、
きっと妻は僕の何もかもを奪って、
最後に僕の大切な妻を殺すと思う。
もしかすると、もう既に、僕の大切な妻は、
妻自身によって、殺されているのかもしれない。
僕の大切な妻は僕の事を好きだった。
僕の大切な妻は、犬の事を好きだった。
僕の大切な妻は、息子の事を好きだった。

僕の大切な妻は、僕の事を愛していた。
僕の大切な妻は犬の事を愛していた。
僕の大切な妻は息子の虚像を愛していた。

息子が大きく育って、本当の息子になった時、
彼が彼自身になった時、
彼の自我が目覚めた時、
きっと妻は、現実に敗北する。
妻が現実に敗北する迄は、妻の夢の中に、息子を預けていても、いいんだろうか?
やがて目覚める夢だとしても、
その長い愛情が、息子にも夢を見せてくれるのなら、それはそれで、いいんだろうか?

全てが壊れていく世界で
壊れて消えない存在を願った
人は不老不死にはなれないから、
子孫に全てを託して消えた。
長い永い血の灯火が
短い時間の中で、世代交代を繰り返して、
世界に存在を刻んでいく。
先祖から何回も何回も繰り返されて
消されても消されても、
壊されても壊されても、
何かを世界に遺そうとあらがってゆく。

僕の番はもうすぐ終わる。
妻の番も、もうすぐ終わる。

もう終わりにしてもいいですか?
君が側に居ないのなら、
僕の約束は果たせない。

僕の最後を看取って欲しい。
君に、僕の最後を看取って欲しい。
僕はもう疲れた。
生きている事を責められるのに、もう疲れた。

でも、僕が死ぬ少し前に、
僕の事を知っている奴等を全員殺したい。
僕の命の方が、君達よりも価値があると、
証明してから死にたい!

だから僕はまだ生きるよ。
あともう少しだけ、長生きしてみるよ。

君を赦せる僕になりたい。
君と共に生きられる、優しい僕になりたい。
君の罪を全部赦せる僕になりたい。
そうしたら、僕が生きている事を、
キミは許してくれますか?

意味がわからない。

2015年11月12日 04時49分27秒 | 駄文(詩とは呼べない)
相手の話を聞こうとすれば、するほど、世界に僕一人しか存在していないような気がしてくる。

「意味がわからない」

とはそういう事だ。
理解出来ない。
イメージが湧かない。
ぼくのセカイに同じものが無い。
見つからない。
イメージ出来ない。
生成されない。

絶望の壁。

なにを言ってるかわからない。
なにも理解出来ない。

多分、暗いところにいる。
絶望を受け入れず、
希望を受け入れず、
僕はただ、暗いところに居る。

居心地がいいんだろうか?
なにもしたくない。
誰にも会いたくない。
否定されたくない。
疑問を投げかけられたくない。

人と話すことに疲れを感じる。
気を遣っても相手を理解する事は出来ない。
自分の思い込みの外にあるナニカを信じられない。

人の役に立ちたくて始めた事のはずなのに
気が付けば一人きりの世界でもがいてる。
誰も居ない。
此処には誰も居ない。
話せば話すほど自分が失われていく。
自分のカタチを変えられない。
別人にはなれない。
僕に無いものを求められている。
新しい自分を生成出来ない。

たすけて。

そうひとこと言いたい。
その気持ちさえ、嘘になりそうなほど
僕には助けを求める先が無い。

真っ暗闇に居る
僕は何処にいる?
真っ暗闇もわからない。

君をうまく信じられない。
君はどこにいる?
俺はここで何をしてるのか。。

苦しいけど、絶望を手に入れる為に
もう少し頑張ってみるよ。

今日、生きるか死ぬかを君は宇由に選んでいい。

2015年02月24日 05時40分55秒 | 駄文(詩とは呼べない)
今日、生きるか死ぬかを君は宇由に選んでいい。


今日、自分が生きるべきか死ぬべきかを、君が選んでいい。
今、自分を殺すべきか活かすべきかを 君が決めていい。
君は今、自決の場所に居るのだから。

明日すべきことがわからない君は、
今日という人生を迷っていい。
無限の可能性を秘めた場所から、
手繰り寄せた少ない可能性から、
君は後ろ向きの人生を選択してもいい。
前向きな人生を歩まなければならないと、先に正しく決まっているわけではないのだから。

投げ出すことは悲劇かもしれないけれど
自決が悲劇を演出するかもしれないけど、
本当の悲劇は、諦めの境地からやってくるのだから。

生きることを決めてしまった人生と
死ぬことを決めてしまった人生は、
等しく無価値な絶望の中にあるのだから。

だから君は、今日を迷っていい
今日を悩んでいい
今日を君が決めていい。

君はいつも、宇宙に浮かんで宇由な魂に電気の灯を灯すのだから。
魂の沈む場所に、罠のように佇む夕日を、
人は時間と呼ぶのだから。

限りある場所を選ぶために限りない未来は広がっているのだから、
そこから絶望の唄を拾ってくることに なんの支障も無いよ。

もっと迷っていい
もっと悩んでいい
魂を真っ黒に染めて、嘆き悲しんでもいい。

君は今日、そこで自由を掬い取るスプーンになる。

土ボタル

2014年10月08日 22時58分56秒 | 駄文(詩とは呼べない)
土ボタルの成虫には口がない
ただ産むために生まれ、瞬くような数日の淡い光の中で死んでいく
ただ交尾をするために生まれ、静かな光の中で洞窟と共に死んでいく。

土ボタルの幼虫には攻撃力がない
ただ、静かな時の中で 淡い光を放って大人になる
満月に勝てない光 蛍にもなれない光
だけど君たちは大人になれる ただ、大人になる為だけのことわりの中で光る。

土ボタルの名前には清潔さがない
ヒカリキノコバエ
光茸蝿
光るのは排泄物
粘液を長く垂らして捕食する
生きるための光
洞窟の中で暗闇に生きるための光
ただ、罠を張るためだけに美しく光る
天満の影絵で 宇宙を作って死んでゆく。


土ボタルの命には時間がない。
地球が数回廻っただけで 命の光で死んでゆく
性行為と捕食のうんこまみれで死んでいく。

人間には時間がある
人間には時間があり過ぎる
SEXをしてもまだ生きている
子供を産んでもまだ生きている
大人になってるのにまだ生きている
老人になってもまだ生きていこうとする。

そんな生き様に、尊厳なんてあるのか
ほんとうに 尊厳なんてものが あるのか?

土ボタルは白い洞窟の暗闇で
静かに不潔な時を過ごし
地下の宇宙を作って消えていく
食べない未来
遊ばない未来
生きない未来
ただ、暗闇に宇宙を残して、
何万年もの白いつららの中で生きた化石になる。

だから彼らは、ときを刻んでいる
いきることと死ぬことが同義であるように
短いときと 長いときは同義である。
短い命と長い命は同義である

自殺するには自分が足りない。

2013年03月22日 23時01分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
自分を殺すことに慣れてしまった
我慢することに慣れてしまった
新しい刺激が無くても惰性で生きていけることを知ってしまった

それでも。

時々、イライラした感情が体から噴き出しそうになって
生きている実感が欲しくて
平坦な道を、平凡な日常を、
破壊したいような、どうしようもない気持ちでいっぱいになる事がある。

多分、もしあと少し、生まれついた環境や、
性格が違っていたのなら。
ほんの少し、過去の選択肢が間違っていたのなら。

僕は犯罪者になっていたんじゃないか?
そう思う時がある。
そう、思える心当たりがいくつもあるし、
そう、思ってしまう。

だけど僕が人でいられるのは。
人間でいられるのは。
人間でありたいと願う心が
少しだけフワフワとした灯りのようにちらつくのは。
影がなりを潜めてちらちらと出そうになるのは。

好きな人が、居るからなんだと思う。

だけど、嫌いになりそうで怖い。

好きな人を嫌いになりそうな時、
破滅的な気持ちになる。
どうしようもない自暴自棄のような、
八つ当たりと近いような、
すべての原因を、イライラした感情を、
まるで好きな人のせいにしたくてしたくてたまらないような、
そんな気持ちになる。

これが依存であるのなら、
僕はきっと自立せねばならない。
何者にも頼ること無く、
すべてを自分で決めねばならない。

だけど、そうするには、
あまりにも、未来の希望が薄すぎる。
生命力が、希薄すぎる。
動物的に、僕の野生の心が弱すぎる。

正直、生きてたってさほど良い事は無い。
それはわかってる。
だけど、このまま生きていて、
絶望的な気持ちになるほど、僕は未来にも、他者にも、
期待してないんじゃないか?

そう、自問自答する。

平らな道を歩いている。
平坦な日常を、ただひたすら、めくらのように歩いている。

このままではダメだ。
僕は、このままではダメになってしまう。

すべての感情が消え失せて真っ白な自分になるほど悟りの境地に達するか、
あるいは。
総合的に、全てが感情になってしまえばいい。

この世界の全てが、感情になってしまえばいい。

そうしたらきっと僕は。

ようやく自殺できるんだと思う。

君が居なくなったら、僕も死ぬ?

2008年06月04日 22時36分26秒 | 駄文(詩とは呼べない)
行き止まりを感じている。
たぶん、普通は行き詰まり、と書くんだろうけど。
でも、僕のは成長としての行き止まりなんじゃないかと感じる。

もうほどなくしたら、何をする気も無くなって
何もしたくないとすべてを投げ出すんじゃないかと、
自分のやる気の無さの芽が息吹いてくる様子に怯えている。

生きることに意味を見出せなかったのは
これまでとずっと変わらないけれど
逃げ出したいとも、隠れたいとも思わずに、
ただただあんのんと日々を過ごして
考えることを避けるようになってきたのは
ここ最近の短いスパンの問題のような気がする。

もう少し真剣に問題と向き合わないといけない。
生きることに責任は全くないけれど。
死ぬことには、少なくとも責任が伴う世の中だから。

くだらない、おもしろおかしいものだけが
災いのようにニュース化される世の中だけど。

きっと僕の居場所は、死ぬまでずっとどこにも無いままなのだろうけど。

それでも。

僕はきっと、自分の命を使って、
なにかをしなくちゃいけないんだと思う。

ほんの一人の人だけが、悲しく見つめる視線が降り注ぐ屍だったとしても。

あと少しで終わる。
もう少しで壊れるはず。

それでも、逃げ出そうという気力すら湧かない。

戦うわけでもなく、逃げるわけでもなく、
ただじっと寒くなっていく空気の音だけを見つめる。
どうにも勝てない世界だけれど、
きっとたぶん、従わないように、投げ出さないように、
冬を耐え続ける動物のように、
じっと自分の行く末を見つめることだけが、
僕の精一杯なんだと思う。

このろくでもない世界のために、歌う唄すら今は思いつかない。
僕の世界を、そこが終わる音を、届けるためだけに、僕の声はあるんだろうか?
身を投げ出す理由も思いつかない。

僕の中から、君が失われ続けている。

消えた後で代入するための言葉

2008年06月01日 16時34分39秒 | 駄文(詩とは呼べない)
人と関わる事から、逃げている気がする。
薄っぺらい対応、ありきたりの会話、踏み込まないように配慮した言葉。
単純に、人を避けているということではない。
多くの人とは、交流できている。
人数自体は、小規模なのかもしれないけど。

思春期の中学生の頃は、友達が一人も居なかった。
作文コンクールのタイトルは
一年生「円周率の話」
二年生「人間の生きる目的」
三年生「人間は生きるべきか死ぬべきか」
だったと憶えている。

思えば生と死の問題について考え始めたあたりから、
僕はいつも一人で自分について考えてきた。
自分一人しか居ないセカイで、ずっと想定の中で
自分という殻について考える行為は、
思えばずいぶんと変な行為であると思う。

誰かを好きになってから考える自分は、
たぶん、「自分にとっての自分」と、
「相手にとっての自分」の狭間で揺れる行為で
それは好意と行為と敵意と崩壊と憧憬に関する、
風景の破壊に似た心理描写を観察するような
じつに自己分析の牢獄のような繰り返しの無限ループであると思うのだ。

自分の殻を意識することは、
きっと多くの人にとって、
行為としては苦しいものなんだろう。
だけどそれが「苦しい行為」だと観察できているときは、
すでに半分自己分析は終わっている段階なのだと思う。

僕にとって問題なのは、
僕が僕自身の約束を裏切ってしまうかもしれない事に対する怯えなのだ。

あるいはまた、僕が僕を破壊するかもしれないということ。

僕が生きるにしろ死ぬにしろ、
・生きれば僕は自分を壊さなければならないし、
・死ねば僕は自分を殺さなければならない。

だから僕はエックスχがなにであるかを知っている。

僕がずっと悩んでいる連立方程式は、
答えを求める心に問題があると知っている。

【『「僕にとっていつも問題となるのは自分」なのだ』。】

ただ一点のみ、始まりと終わりの終局の特異点を探すような、
そんな完全な自分はどこにも居ない。
いつも想定される宇宙の始まりと終わりは、
いつも小さなセカイの始まりと、大きなセカイの終わりを
重ね合わせた「今。」という私に引き寄せる波だからだ。

どんな遠いセカイから打ち寄せる他者の心にも耳を傾ける神経質な時間が
僕という代弁者でしか無いのなら、
結局ぼくは私という空耳に風の声を澄ます殻そのものでしかないのだ。
ずっと自分を探し続ける行為は、
鏡を失っている場所では終わらない。

殻にとって、殻は鏡そのもので
私にとって、君は風のようにうつろう僕だから、
だから僕はいつでも君を心配したり、君の中に僕をさがしたりするんだ。
ずっと捕まらないものを追いかけるこころだと、しっているけれど。

セカイの始まりよりも遠いところに、君の心を探す
セカイの終わりよりも遠いところに、僕の耳を澄ます
ずっと君の声を聞きたいと願っている僕のもとで、
いつも鼓動の波は懐かしく打ち寄せる
激しくもなく、儚くもなく、消えていくばかりの僕だけど
君のことを知りたいと、いつも僕はココで思っているよ。

(消えた後で代入するための言χ葉)

全てを投げ出す重さのために

2008年05月25日 03時25分50秒 | 駄文(詩とは呼べない)
想像力の重さを感じている
ただずっとここに居続ける僕のために
閉じられたセカイがあって
ただずっと、僕のセカイの想像力の限界を壊すために君が居る。
もし君が、その声で、その耳で、両手で、セカイの嘆きを救うなら、
僕と君の距離は、きっとゼロよりも遠く近づく
もっととおくへ、遠くへアナライズして。

僕のセカイを、全力で否定して。
僕は君を否定してあげる。
ずっとずっと、君のセカイを否定してあげるから。

だからこっちへ来て。
僕はそっちへ行く。

誰にも聞こえない声で
世界の終わりを叫んだ。

その時君が、僕を殺して始めるために。

一粒の勇気も見つからなくても、人は生きていけるほど弱い。

2008年05月10日 16時28分45秒 | 駄文(詩とは呼べない)
すべてのしがらみを投げ捨てて、
ただ、僕のためだけにあるエゴを見つけたい。
それはいつも、すべての一瞬の中に含まれていて
僕の世界のどこにもない。

他者の欲望を自分の身代わりにするような時間だけが過ぎていく

僕の時間がどこにもない。

生まれた時から、僕の時間はない。
誰かのために時間を使うこともできなくて
ただ僕は、惰性の中に閉じ込められていく

思い通りにいかないのが悔しいんじゃない
思いに気付くことのできない無力さが
何も求める事のできない無欲さが
諦めることと欲しがる事が重なりすぎている
短い僕たちの周期が
ただ、今は悔しいんだろうと思う。

星が生まれてから、消えるまでずっと佇んでいたら、
僕はその時間に満たされるだろうか?

そんなことはないだろう
どんな巨大な大きさから受け取る周期も
どんな小さな弱さから受け取る周期も、
結局は、伝わらない限り、同期は取れない。
この世界にあるなにもかもの物質が、
その存在を異にする限り、
形に拘束される限り、変化は痛みとして、
苦痛としてしか、僕の心に届かない。

だからやわらかいものを求めるんだと思う。
だからどこか遠くに、僕はやわらかいまどろみを求めるんだと思う。

過ぎてゆくものだけが、
失われたものだけが、
僕の中で大事にされているような気がする。

これから起こることを恐れて、
失ったものだけを大切にする僕の心は、
まるでこの宇宙の外側にしか、中心を持たない異円系だ。

雷の味がする。
まだずっと、砂漠で心を数えてるんだろうか。

とおくにある声を聴きたくて、( )の中に君を入れる

2008年05月06日 21時19分57秒 | 駄文(詩とは呼べない)
あらゆる未整理の問題が、僕の中で形を変えてゆく
誰にも会いたくないのに、誰かの声を聴きたくて
何も変えられないのに、変わっていく景色だけがおそろしくて
ただ、明日誰かと出会うことを恐れるように
今、僕の心が不安定であることにさえ怯える。

まっすぐな志と
鋼のような意思と
素直な心さえあれば

僕たちは誰にも汚されずに、生きていけるほど、現実は生ぬるいのでしょうか?

誰かを傷つけなければ、
僕は傷つかずに居られるほど、
この世界は、因果応報と摂理でがんじがらめなのでしょうか?

教えてください。
僕の声をきいている僕。

答えてください。
僕の声が聞こえない僕。

あらかじめ、世界は決められているのでしょうか?

僕は。

世界のすべてを構築しようとする神に、打ち勝てるのでしょうか?

神を殺したいです。

この世界を作ったなにもかもを、
あらゆる万物の冷象を。

ただゆっくりと呼吸を終わらせていく僕の死体を見つめながら、
僕は今でも、自分に手が届かない。
あらゆる走馬燈が植物人間の夢だったとしても、
まだ僕はここで目覚めずに泣いているような。

泣くことが出来るなら、この世界に向けて叫ぶような呼吸が届くはずなのに
まだ目覚めない。
まだ僕は眠っている。
ただ、死体になってゆく冷たい奇跡の中で。

僕の中で

君たちの声を聴く。



とおく、遠くまで離れて。

閉じられた今日の中で明日を夢見るから。

2008年04月21日 07時05分55秒 | 駄文(詩とは呼べない)
閉じられた選択肢の中で
開かれた夢ばかりを見ている
本当は何も選んじゃいないのに
あたらしい選択肢が生まれるたびに
すぐにその選択肢に飛びつく自分が居る
新しい現実が生まれるたびに、
その新しい現実すらも、自分の脳内の閉じられた囲いの中のような気がする
どれだけ何かを選んでも
自分で選びきれていない気がする

じっさいのところ、なにも選んでないんだろう
ただ、ずっと前に決めてしまった固い決意の中で
夢のようなまどろみを通して
ただ、楽しければそこに居るような気がして
楽しくなければ、そこは居場所じゃない気がして
ずっとただ溶け合う気分の中ばかりが僕の居場所で
そのぬるま湯に甘えているのが
自分の足りなさなんだ。

自分なんか無い。
さそわれた外からの誘導が恋しくて
踏み込んだフリで
結局全てにNOを提示しているのが
僕という個体のありかたなんだ。

夢を見る力は失われていく
それでもまだ僕は。

この場所で、あがいていく。
あしただけを、明日だけを、この場所から見つけられそうな淡い澱みの中で。

暗がりに、心の揺れ動きを見ている。

暴力数と努力数

2008年04月05日 16時15分26秒 | 駄文(詩とは呼べない)
何年前になるだろうか。
沈んでいくぼろい船の中で、眼が見えないままもがいている
意識が朦朧としている夢を見た。

いしきがもうろうとして、夢をみたのではない。

意識がもうろうとしている境遇の中に居る、
自分の夢を見た。

船は揺れていた。
灯りはついていなかった。

あのとき僕は、どこへ行こうとしていたのだろうか。
海賊船に乗って宝探しか?
いや、違うね。
船に乗ってアメリカに行きたかった?
それも違うね。

僕は、沈もうとしていたんだ。
沈んでいく船の中で、ただもがきながら、
どうしていいかわからずに、ずっと自分と葛藤していた。

沈んでいく船の中においてさえ、
自分がどこにいるのか、
自分だけで何を決断したらいいのか、
僕がここで何をしたらよかったのか、
迷って悩んで考えてばかりいたんだ。

割り切りは必要だと思うだろう。
でも、割り切れない事だってあるんだ。
例えば何度も持ち出す円周率、
あれは、いつ終わるんだ?
あの計算は、いつになったら終わるんだ?

数字が例え、世界を数えるほどの力が無く、
単に記されただけの比喩としての、悪魔の印に過ぎないとしても、
やはりあの円周率の並びには、
あれをアルファベットに置き換えた場合であったとしても、
そこには神秘的な力学のような配列魔法がかかると思うよ。

だってあれば、
まっすぐなものと、まるまっているものとの間に、
一体どれほどの深い溝があって、
僕らが人に対して、他人に対して、相手に対して、
どれくらい深刻な乗り越えがたい壁を持っているのかを、
とても端的に表した恐怖の努力数だからね。

だから僕は、円周率は、幼くて小さくて丸い顔をしている頃から好きだったんだ。

中学の時だったかな
世界一たくさんの円周率桁数を計算している人の本を読んだんだ。
千種図書館で借りて読んだ。

すごく難しい本だったけど、
すごくすてきな本だった。
髪の毛の数を、数えてしまいたいと思うほどにね。

とても、おかしな事が書いてあった。
その本には、不思議な事が書いてあったんだ。
「円周率が有理数なのか無理数なのか、私にはよくわかりません。
 ただ、いままでの結果を見てみると、どうやら無理数のようです。」

おもしろい。

とても面白い、一文だと思うよ。

世界一たくさん計算した人にさえわからない無理数と有理数の境界を彷徨う、
不思議な数である円周率を、
学校の先生は、いとも簡単に、「円周率は無理数です」と言い切るからね。

僕らはいったい、過去にどれほどの事を間違えて、
どれくらい慎重に生きてきたんだろう。
そしてまた、どれくらい大胆に間違いを認めて進んできたんだろう。

僕には今もわからないよ。
僕が誰かを好きなのか、そうでないのかさえも。

例えば君と手を繋ぎ、
ぶらぶら揺らしながら、
周り中から感じる知識の宝庫の本棚の視線を感じたとしよう。

なんだか難しい本がいっぱい並んでいる知識の宝庫を
何人と数えるのか
手を繋いでいる僕たちを何人と数えるのか
そんな簡単なことでさえ、
僕たちは、何かを決めないと、数える事すらできないんだ。

そんな簡単に、君の事を数えられないよ。

ふしぎなあやうさのなかにいる
いつだって僕は、ふわふわ浮いているバター飴だ。
君の熱で形をとかされて、水に触れると丸くきわだつ油の甘さで遊んでいる。

トーチカの朝が来た時に、
僕は君の前から逃げ出して跳ねた。

本当は、君に会いたかったんだ。
でも、怖くてできなかった。

ときどき君と話していると、僕は不安になる。
ただまっしろい、まるで頑なに閉じた自分を見ているようで、
おそろしくなる。
僕が話している言葉はすべて君のそばを流れていって、
本当の君には、君の中にいる君自身には、何も届いてないんじゃないかって
そんなふうに不安になる。

なんの言葉も届いてなかったとしても、
この胸のおもい息苦しさくらいは、きみに伝わっているんだろうか。
名前のないきみに。
名付けられた名前しか、名乗ることの出来ない君に。

僕はありふれた奇跡のなかにいる
いつでもそこにいて、いつも君の傍には居ない。
君が何かを投影した場所にしか、僕は映る事が無い。
それを君は、寂しいと感じるだろうか。
僕が居ない風景から、寂しさを過去と同じようにおぼろげでハッキリとした輪郭の刻みで、
【痛み】として、僕を思い出す事ができるだろうか。

ふわふわしていて、うつろいで、くるしくもなくて、
あぁ、そこになんかそんなひとがいたようなきがするなっっって
そんなふうに僕の傍をかすめとってはいないだろうか?

不安だよ。僕は不安だ。
僕に形が無いように、君に形がなくなりそうで。

でもたぶん、言葉に出さずに信じる君は、
言葉に頼らなくても自分を想像できる君は
僕よりもずっと強い奇跡の中に包まれているね。
たとえそこに人が一人もいなかったとしても、君は生きていけるんじゃないかって
そんな妄想すら湧いてくるようだよ。

君と僕が出会う日が来ない限り、
僕はずっと、僕のままでいる。

それがつまり、僕の考えた、僕たちの間にある、暴力数。

パーソナリティーの破壊と再生だけでは、恋の唄すら歌えない。

2008年04月01日 00時18分10秒 | 駄文(詩とは呼べない)
危険域に、差し掛かっているような気がする
悩むことに、苦痛を感じるようになってきた。
難しく考えていると、途中でどうでもよくなって、投げ出してしまいたくなる。

もっと真剣に、問題と向き合う方法は無いものだろうか。
たぶん、すごく単純な問題として、僕は今、幸せにあるべき時期なんだろうと思う。
それを意図的に不幸な領域に押し込めようとしている
自分のパーソナリティーが自分にとって痛いとはどういうことなのだろう。

ある意味では、投げ出してしまいたいのは、
キャラクターという「仕事」なのだろうと思う。
見えもしない空気の中から、一身に無意味な思い込みで責任を背負うというのは
胃痛がどうこうというよりは、妄想の領域に近い問題だと思う。

そう言えば、肩が凝るのは日本人だけで、
外人は背中に痛みを感じているのだという話があった。

もともと、たった一人の世界の孤独の中で
思い込みの構築だけを続けてきたのなら、
誰かに責任を背負わされるというのは、そもそもから前提が間違っている。
誰かから何かを負わされているのなら、
それは誰かのせいにできるけれど、同時に他者や他人の存在を認めていく
別な道にも繋がっていなければおかしい。

僕が前提としている死の出発点、
存在の希薄さ、現実感の無さ、あるがなしさ、
そういうあやしいオカルトじみた感覚をしょっているのなら、
責任を感じて苦しんでいるのではないはずだ。

そこから順に考えていくと、土人形のシミュレーション数が
あまりにも膨大になりすぎて疲れている、
という事の方が近い。

だったらやっぱり、僕にできることは、
もう一度原点に帰ることだと思う。

僕のしたい事、僕が確かめたいこと、僕が欲しがっているもの、
僕を文章中から失う事、入り口を失う事、出口を失う事、
なくすことで、あろうとすること、
疑いを信じる事、ねじれを真っ直ぐに解消すること、
あちら側と、こちら側を、繋ぐこと。

もうずいぶんと、遠回りしてきたような気がする。
そろそろ終わらせてもいいんだろうか。
考えることも、感じる事も、悟ることも、アろうとやっきになることも、
なにもかも、もう終わらせてしまっていいんだろうか。

ほんの一瞬だけ、つながろうとすることで、あろうとする奇跡の心臓なら、
もう僕は。

なくしてしまうことでしか、君に伝わらない存在だけの悲しい僕なら、
もう僕は。

あまりにも何かを欲しすぎている。
受け取ることのできない何かを、
伝わる事のない何かを、
触れる事の出来ない何かを、
欲しがりすぎている。

僕は壊れた方がいいのかもしれない。
だけどそれでも。

僕は、たったひとりでも、自殺する僕を好きでいよう。