嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

背中の方から。

2006年10月31日 13時42分08秒 | 駄文(詩とは呼べない)
あたたかい、ぽかぽかする光を背に受けて、暗闇の方に進んだ。
僕はどこへ向かってるんだろう。
後ろから、誰かの笑い声が聞こえた気がした。
それを聞いて僕は、まぁいいか、と思った。

それでも胸が痛くて
すごく胸が苦しくて
泣いた。

バランスの異様さを数える。

2006年10月25日 07時00分15秒 | Weblog
銀河系には1000億を超える星があり、
生後八ヶ月の赤ん坊には1000億を超える脳細胞がある
無秩序内における秩序系の構築として
バランス機構があるのだとしたら
人間の人口が60億というのは少なすぎる。
戸籍登録者のみが60億だとしても
バランスから考えればまだまだ少ない。

今後、宇宙船地球号における乗組員の食糧問題、エネルギー問題を
より効率的に解決していっても
はたして千億人が地表だけで住めるのだろうか?
多分住めないだろう。

潜在的な可能性としては、より重力の強い方向へ小さく、
より重力の弱い方向へ大きく拡散していかねばならない。
逆説的に言えば、地下に住む生物ほど小さく、無機質に近い生き物ほど小さく、
空に広がる生物ほど大きく、
より有機的な生き物ほど大きくあらねばならない。

恐竜に想像力がどの程度あったのかは、よく知らないが。

単純問題、考えているのが脳細胞だけだったと仮定しても、
想像する生物は1000億くらい生きてるんだろうか?

逆に考える。

脳細胞を持った動物は、はたして1000億くらいなのか?

その中で、言葉を発する動物はどれくらいいるのだろう。
もちろん、イルカやクジラや鳥や犬も彼らにしかわからない音声を発しているとして。

数え方が、そもそもおかしいような気がする。
なんの基準で一千億のしきい値としているのだろう。

脳の機能ブロックの数だけ、彼らのニューラルな世界に隔たりとして、
大きな物理の壁があるとしても、
特殊な電波を持ってして、
彗星が電気の生態刺激を天体系に送る程度には
なんらかの電波は伝わっているのだろう。

足りないのは、エネルギーや食料や時間なんかじゃなくて
たぶん、チャンネルなんだと思う。
五次元の世界を開くためには、僕らの感覚はまだ、
特殊な感性を持ってしても、まだまだ全然足りない。

見ることや、聞くことや、触ることや、味わうことや、嗅ぐことは、
十分に、この世界を知るために機能しているのだと肯定しても、
それでもまた、全く持って感覚のチャンネルは足りない。

新しいチャンネルを開かねばならない。
新しい世界を渇望するがごとく、
必死の想像力で、
妄想力で、
記憶力で、
まだ見ぬ予感の力で、
未来を切り開かねばならない。

イマジネーションが、この空想のような幻映だけを手に入れる力が、
もうすぐ感覚器官の一つに数えられる日は近い。
もっともっと切実に、未来と終わりを願わねばならない。

「形」を超越せねば、
超越数の謎もまた、解けない。

形を超えろ。
始まりと、終わりを飛び越えろ。
死の数を発見しろ。

はやく死ね。
俺は、はやく死ね。

気が触れている。
誰か、僕を数えてくれ。

残り時間は、僕が数えるから。

言葉はもはや武器にはならない。

2006年10月24日 04時49分12秒 | 駄文(詩とは呼べない)
脳内に生き物のように巣くう言葉が
心にもないことを
心にもないことを

べらべらとべらべらとしゃべり出す。

願ってもいないのに
望んでもいないのに
誰からも閉ざされた場所に佇むだけの人形のくせに

べらべらと
よくもまぁべらべらと
次から次に語り出す。

ほんのひとすくいの泡から生まれた気泡のようなシャボン玉が
はじける瞬間に無音の音を引きずり立てるように
僕の脳内では誰かの声が
望んでもいないのに勝手にべらべらとしゃべり出す。

もうなんというか、勘弁して欲しい。
もう少し、静かに黙ってて欲しい。


けれどまぁ、
言葉は濁流のように
静寂を汚すノイズのように
ひたすら国語をがなり立てる。

そうやっているうちに、だんだんと人格が奪われていく。
僕の心は、段々と考え事の方に吸い込まれていく

僕の体が、僕の手が、黙って体中を掻きむしる時も
勝手にどこか頭の隅で

「かゆい痒いかゆい痒いかゆい痒いかゆい痒い!」…と。…と。
あまりにもやかましくなりすぎて、
発狂しそうになる。

痒いのが怖いのか
うるさいのが怖いのか
ただもう本当に生きてることが不快なのか
なんだかよくわからなくなる。

もっと静かな場所に行きたい。
誰もいない場所に行きたい。
でも痛みには耐えられそうにない。

空腹を、痛がらない薬を求めればいいのだろうか…?
そんなあやしげなものが…??

どうしよう、どうしよう、
僕にはもう、やることがない。

それでもまだ、残りの砂は、一粒一粒、ゆっくりと落ちてゆく

退屈も怖い
変化も怖い
人間はもっと怖い

どうしよう どうしよう
僕はここで どうしよう

どんどん駄目になっていく。

生きるのが怖い
死ぬのも怖い
決断するのが怖い
迷うのも怖い
考えるのもつらい。

いや違う
考えるのは、だるい。

駄目だ。
だめだだめだだめだだめだだめだ。

僕はおかしい。
僕はどこかおかしい。
なにかが変だ。

たぶん、大事なものを失くしてしまった。

物語をみつめる君へ。

2006年10月23日 09時21分45秒 | 駄文(詩とは呼べない)
必死で自分を維持しようとしても、劇は終わらない。
君は始まらない。

君が本当に欲しがるものだけを、君のまわりに残していったら
君は一人。

君が作り出した物語を、ただ君だけが見てる。

君はいつも、多くの君達の中で、ひとり。
君が作る物語の主人公が、いつもひとりだから。

君がいつも見つめるまなざしは 瞳に映り込む自分だけ。

君は、いつもひとり。

どれだけ真実を探しても、君の嘘は独り。
ただ、独り言のために。

例え君が、自分を好きだったとしても、
それが嘘にしかならないほど、君達の中で、ひとり。
ただ、ひとり、みんなを見てる。

君は、ひとり。

そして僕も、ひとり。

………。


ただ君は、一人。

自殺願望を守るための弱さ。

2006年10月22日 05時03分30秒 | 駄文(詩とは呼べない)
必死になって守っているものがあるとすれば
それは今じゃなくて過去なんだと思う。
過去をバラバラにすることでしか未来に出会えぬのなら、
僕はたぶん、積み上げた最後のピースを一番上に乗せて
そこで死ぬのだと思う。

変化を受け入れることでしか生きられぬ世界なら、
僕はたぶん、永遠を望んだまま、自殺する心こそが意志なのだと思う。

他人に汚される事でしか、痛みを感じられない世界なら
僕はおそらく、現実なんか見えてない。

あとどれくらいの砂が落ちて どれくらいの心が無くなるのだろう
日々を少しずつ過ごしていくだけで
世界から鮮やかさが無くなっていくような気持ちがする
心の中で砂が落ちるたびに、僕は水を呑まねばならない。

僕がここにいることで、
壊れていく誰かがどこかに居ることは、
もちろん知っているけれど…

たぶん、目撃者であることを避けているから生きられる。
現実を目の当たりにする勇気がないからこそ のうのうと生きていられる。

そしてまた、
変化を嫌っている自分を知っているからこそ
ゆっくりと死んでいられる。

どれくらいの心が、どれくらいの形を傷つけるのだろう
どれくらいの明日が、どれくらいの昨日を壊すのだろう
どんな他者に出会うことで、僕は自分を失うのだろう。

人に触れるのが怖い。
人に会うのも怖い。
人の心を知るのが怖い。

だからこそ、僕の世界にはずっと一人しかいない。
そう悟ったとしても、それでも僕は…

誰もいない世界で、永遠を夢見る。

僕は狂ってる。
僕は歪んでる。

それでも。

僕には、まるで僕だけが正しいとしか思えない世界がある。

こわい。

生きるって事は
この世界では、怖い。

今日が今日であるために。昨日届いた、手紙。

2006年10月19日 02時30分32秒 | 駄文(詩とは呼べない)
すごく、申し訳ないな…と思った。
誰かの手紙を読んで、その失いそうなものたち、失われたものたち、失われそうなものたち、
なくしかけた時間、とらわれた時間、つまり…僕の可能性。

期待に応えられない、」と、書いてしまうのは簡単なのだけれど…。

少しだけ、違う。

別に、可能性を捨ててるわけでもない。

あえて言うなら。

僕は、相手が言うところの、
手紙の主が言うところの、
可能性を信じられない。

おもに、自分の。

天上の神が 人に微笑みかけたり、生そのものを祝福したり…… そういった時間は

そういった時間は、

どれくらい。

おもに

どれくらい、流れているのだろう。
流されているのだろう。
確保されているのだろう
与えられているのだろう。

人が人でいるためには、努力は要らない。
可能性も要らない。
特別な何かは要らない。
新しい明日も必要ない。
ただ、人であればいい。

だけど、人が神になるためには?

人が、神から与えられし命を、全て使い切って、神そのものを乗り越えるためには?

いったい、どれくらいの、努力と、時間が?
残された可能性は、いかほど?

僕は、僕自身の事について、それほど冷静には分析できていないだろうと思う。
ジッと冷たく見守っている世界も、
世界が時々豊かに緩やかに微笑みかけるまどろみのまなざしも、
僕にとってはタダの冷たい霊泉の比熱でしかないと思っていても、
それはその程度の考えや思いこみや妄想でしかなくて、
そういった類の事を含めても、僕は僕自身を冷静な目で機械のように分析することにはほど遠く、
到底どだい無理な話なんだと思う。

けど、僕なりに、僕程度の考えで、僕自身の事を、
僕の未来を、占ってみたりはした。
考えてみたりはした。
感じてみたりはした。

おもに、予感という形で。
心の臓器の音を、その耳に聴いた。

明日、世界が終わるとして。

僕は、ここで何をすればいい?
そうやって、訊いた。
訪ねた。
問い続けた。

答えは否。

ただ、あるがままあれ。
そしてなお、その鼓動によって、現状を、否定せよ、と。
すなわちもって、拡大こそが否定。
縮しゃんこそが肯定、と。

何かと関わってはならない。
誰かと話し合ってはならない。
なにものかと、たとえ物の怪の類であろうとも、
出会ってはならぬ、と。
そういう強い孤独こそが、「肯定」と。

悟るだけでいいのなら、僕はもう悟りすぎた。
疲弊するほどに、死んでいくほどに、老化するほどに、悟りすぎた。
もうずいぶんと、言葉にならない言葉を生んだ。
そしてまた、言葉にならない幻聴を盗み取り続けた。

始まりの唄をきいた。
遠い味がした。
ずっとずっと昔に、忘れてしまった大事な約束のような匂いがした。
懐かしい、やさしくてやわらかい香りもした。
僕が誰かと出会えそうな気配さえした。

それでもなお、僕はその声を振り切って逃げた。
遠くへ。
ずっと遠くへ。
僕がいる場所を探して。
僕が居られる場所を探して。

僕の居られる場所は無かった。

すなわちもって、永遠の居場所となるような、永遠が居ても許されるような言葉は無かった。
永遠は、ただ心の中に感じ、出会い、涙し、愛おしく想い、わずらい、苦痛の中で感じ取る、
ただ、その一瞬の永遠にだけあった。

ようするに、真っ直ぐさを持ってすれば光の中に闇は許されぬし、
闇の中に光など暗底とどくはずもないのだ。

「もしかすると」
僕はただ単に、誰かの視線に貫かれる事に耐えられなかっただけだ。
その真っ直ぐな瞳に射抜かれる事に、耐えられなかっただけだ。

「僕は弱い。」
そういう結論が出て、さむざむとした空気が張り詰めてきて、うすらさむくなる。

僕はどうすればいいんだろう。
ただここで、ずっと死ぬまで現状肯定?
あるいは現状否定?

そんな二極だけが??

そんな二つの終局だけが??

僕の世界??

死にたくなるのはむしろ、体がおかしい時の方がいい。
体調が悪かったり、吐き気がしたり、体中がかゆくなったり、
鏡を見たときだけだ。

ずっとひとりで寂しく目を瞑っていれば、

『自分なんか見なくて済む』
「じぶんなんかみなくてスム」

おかしいとか笑われたって
僕が僕を変えることなどできぬし、また、誰かに僕を勝手に変えられることなんて望まない。

むしろ、その歪んだ表情で、俺を否定するのをやめてくれ、と。
僕はそう望むのだから。

だから僕は、そういう諍いが起きぬように、
せいぜい人から遠ざかる事が自分に出来る限界なのだと思う。

それでもなお、僕に生を強制する輩が現れてやまないのなら。

このこころを。ここにある、二つの臓器を。此所より現れし、此処にある臓器を、断つだけだ。

すなわち自殺。

明日が来る事なんて望まない。
未来がすばらしい事なんて望まない。
もう希望なんて信じない。
絶望が真っ暗闇であることも信じない。

僕には希望も絶望も要らない。
未来も昨日も要らない。

ゆっくりと、弱くなって死んでいく鼓動があればいい。
おだやかで、静かな安らぎがあればいい。

「生きることに疲れた」

なんの反論ができるのだろう。
わからない。

僕にはもうよくわからない。
でもたぶん、死ぬまでは考えるんだろう。
僕が死ぬって事を。

ずっとずっと、生を受けたことを呪いながら。
ただ、今日が今日であるために。

人が死ぬときの音。

2006年10月17日 16時48分10秒 | 駄文(詩とは呼べない)
もしも、誰かに対して想うことが許されるなら 僕はたぶん…
もしも、何かに対して、ただ切実に憧れる事が許されるなら、僕はたぶん…
もしも、この世界の何かに印を付けて、それを僕の名前で呼ぶことができるなら、僕はたぶん…

もしも、ここに書かれている嘘ばかりの文字列を読んで、それを僕だと呼ぶことができるなら、僕はたぶん…
もしも、四角い窓を透かして見た先に、遠くの誰かを呼び起こすことができるなら、僕はたぶん…

もしも、今日ここで失われた何かを、僕がずっと憶えておくことができるなら、僕はたぶん…


名付けることのできない何かが、ここで生まれた。
そして名前をつけられる前に、ここで死んだ。

出会うことの出来ない誰かが、ここで生まれた。
そして僕が出会う前に、その人は死んだ。

どうしようもなかった。
ただ、誰とも会いたくなかった。

僕は誰もいない世界で、僕の目に見えている世界だけが見えて
僕の耳に聞こえる世界だけが聞こえて
僕の知っている世界で、ただ僕の風景だけが心の奥にみえていればそれでよかった。

人と出会いたくは無かった。
人と出会えるなんて信じたくもなかった。
そして人に壊されるなんて、もっと思いたくなかった。

だから僕は、僕の心に決めた事だけを、ただ誰にも言わないように、ずっと密かに保ち続けた。

それが良かったのか悪かったのか、
僕は幸いにも誰にも会わずに過ごすことが出来た。
街へ出てひとりで歩いても、誰も彼もが僕の背景でしかなかった。
例え誰かがそこで声をかけてくれたとしても、僕にとってそれは耳に残らない、
いつまでもずっと耳に残らずにかき消されていくノイズでしかなかった

遠くまで、雲がのびていた
ただ僕の背景には、失われた色だけが、空という名前で呼ばれた

誰かが今僕を傷つけたとしても、
あの失われた空の蒼さだけは、誰にも汚すことは出来ないと、何度も何度も空を見て思い込んだ。
強く強く、怖がるように思い込んだ。

たぶん僕は、初めて空を見たときから既に自分を失っていた。
どこまで遠く、どこまでも届かない知の領域だけが、僕の住処だった。

僕にとって、この世界はできあがった偽物でしかなかった。
僕は、望んでここには生まれなかった

だから僕は、いつもいつもこの世界にないものだけを望んだ。
望み続けた。

死んでも。
きっと後悔なんかしない。

この世界は、僕が美しいと思える何かが根本的に足りない。

わからない、それが。
なんなのか。

たぶん、僕が生まれる前に壊れてしまったんだ。
この世界は。

誰かがどこかで、何かを間違えたんだ。

たぶん、僕は許さない。
そのことを。
この世界のことを。

誰にも呼ばれることの無かった、どこにも生まれることのなかった世界を、
僕は、許さない。

静かに、息を引き取ろうと思う。
忘れられるように、眠っていこうと思う。

それでも最後の瞬間には、何かの音を立てて。

形のある場所、形の無い場所、形の届かない場所。

2006年10月10日 21時29分13秒 | 駄文(詩とは呼べない)
言葉に対して何の思い入れも思い込みもなければ
コミュニケーションは意外に簡単なのだろうか?

たぶん、無理なんだと思う。
自分の意味を捨てることも
自分の拘りを捨てることも
自分の決断を捨てることも。

だからこそ、意味はそこにないし
拘りはどこにもないし
何も決断することができないのだと思う。

責任とは、どこにあるものだろうか
自分の世界の責任は、やはり自分でとらなければならないのだろうか。

だとしたら、生まれる前から汚れきっている世界では
美が喪失された責任は誰がとるのだろうか。

生まれた時から変化し続けている世界では、
永遠に対する責任を、誰がとるのだろうか。

たぶん、無理なんだと思う。
世界を創ることができない人間に、
世界を変えたことの責任をとることなんか。

たぶん、同じように
生まれたことのない人間には
生そのものの責任を取ることは不可能であるように思う。

遠くで、星が光っているような気がした。
だけどその光は、家に囲まれている僕には届かなかった。

誤読へのメッセージと、伝わらない言葉。そして物理現実。

2006年10月08日 08時57分29秒 | 駄文(詩とは呼べない)
問題ありません。
僕には僕の死の予定があるし、あなたの死を邪魔する予定もないです。
精一杯生きる事を強要する人間にもなりたくないし、
特別誰かの側で生きていく覚悟もありません。

高層ビルの屋上については僕も何度か考えましたが、
もう少し高いところから飛び降りたいな、と思います。
例えば大気圏の外から。
あの、青くうっすらとひかってみえる、ぼんやりした空気の外から、何かを見つめながら。

でも本当は、宇宙の外へいきたいのかな…

少しだけ、誤解をほどいておきます。
根本的な部分での誤解は解かないままにしておきますね。

僕は「自分より弱い立場」を想定したり、
わざわざ出かけていって虫を殺して回っているわけではありません。
また、彼らが抵抗するかどうかは、彼ら自身が選ぶことであってあなたが選ぶことでは
ないような気がしますが、それについてもそれほど自信があるわけではありませんので
そこは曖昧にしておきます。

僕にとっては、おそらく僕の手の届く範囲がテリトリーなのだと思います。
もしかしたら、あなたが僕の手の届く範囲まで何も言わずにジッとこちらを見つめて近寄ってきたら、
殺すかもしれません。
でも、殺さないかもしれません。
過去それほど近くまで近寄ってきた他者はほとんど居ませんので
なんともいえないところです。

飛んで火に入る夏の虫
という言葉を聞いたことがありますが、
あなたにとって、火は主体者でしょうか?
火は暴力でしょうか?
それとも火は景色でしょうか?

今のあなたにとって、
僕は暴力の象徴でしょうか?
意識を持った主体ですか?
他者、あるいは外部と認識されますか?
あるいは内部として、自分の分身が自分の世界を壊していると感じますか?

破壊が意識的な動きによって行われるならば、
あなたは誰かのために、全く知らない誰かのために、じっとそこで止まって過ごすことを…?

あなたが人と関わらないための言い訳を探す行為を、
特別弱いとは感じません。
僕から遠ざかることも、あなたが決めて問題ないだろうと思います。
また、mixi的に言えば、最初にあなたにメッセージを送ったのは僕です。
あなた自身はそれを選ぶことは出来なかった。
一見すれば、そうです。
でも、それよりも前に、あなたは何かをしていたはず。
あるいはそれも、僕の思い過ごしなのか…

子供の世界の美化、
心当たりがないわけではありません。
けれどすぐに言及するのは難しい…
向き合ってないのかもしれません。
そこについては、もう少し考えてみます。

見損ないましたよ、か。
珍しい言葉です。
ほとんど言われたことがなかった。
けれど気晴らしのために虫殺しを趣味としてやってるわけではありませんよ。
僕の側で、対象として「虫」が独立的であること、
そのこと自体が問題だろうと思います。
あなたにとって、僕が切り離された独立対象であるかのように。

さよならは言わないでおきます。
あなたはきっと、あなた自身の考えを、切り離したりしないで
何かに惑わされながら、何かを考えるのでしょうから。

殺虫力、とか。

2006年10月07日 01時34分22秒 | 駄文(詩とは呼べない)
今日も虫を殺した。
たぶん、誰も責めないだろう。
せめて僕くらいは、僕のことを忘れないように書いておこう。
いや、もしかすると忘れる為に、か?

別に虫一匹殺したからといって何がどうということはない
いつもやっていることだ
いや、いつもやっていることが問題なのだ
というか、ここ最近は、妙に家に虫がたくさん湧いているのだ。
主に米から。玄米から。

そういう蛾の類や、漆黒から生まれたとされる小さな生き物たちは
分類上、生き物だと言われている
にも関わらず、罰則は特に存在してない
別に、だからといって生類哀れみの令がどうたらこうたら…ということもないのだけど。

特別反省はしていない
たぶん、明日も殺すだろう。
特に蚊は、僕を不快な気分にさせるので、まず間違いなく殺すだろう。

別に、どうということはない。
なんでもない。
なにもない。
問題ない。
なにごともないのだ。

別に僕は、ここにたって、今更命の大切さなんてせつせつと語ったりはしない
とくとくと説得したりもしない。

命が大切でもないんでもないことくらい、ずっと前から知ってる。
たぶん、生まれるよりずっと前から。

ただ、僕は虫を殺す時の自分があまり好きではない。
そこに自分なんて確固たるものは、ありはしないのだろうけど、
けれどその時僕を見つめるもうひとつの目線をも、あまり好きにはなれない。

ただ、どうしても気になること
いや、むしろ気にならなくなるのが怖いこと、
それは僕がそのうち無意識に虫を殺すようになるんじゃないかっていう
そのことなのかもしれない。

僕はいちおう、虫は全て殺すようにしている。
クモは、殺したり殺さなかったりする。
蝶々も多分捕まえたら殺すと思う。

別に、もう美しいとは思わないから。
特にほとんど何も感じないから。
ただ、それでもときどき、てんとうむしや、アゲハチョウや、モンキチョウや、モンシロチョウを見ると、
妙に追いかけたいような衝動にかられることはある。
その時追っている者は、そのとき追っている僕自身の後ろ姿で、
むしろ僕はそのときその場所であることを避け、
少年であることも避け、
少年自身であろうとする。

つまり、思い出したいのだ。
無性に人の心をくすぐる、あのなつかしい、かぐわしい羽ばたきを追って
僕自身をこの世界から消し去りたいのだ。

けど、たぶん僕はそのことを段々と忘れていって
きっと何も気付かずに虫を殺すようになるだろう。

そのことを、少しだけ、ときどき怖いと思う。

子供の頃、ハエを障子の側で叩き落として解体した。
解体すればするほど、中から細かい虫が出て来た。
僕は蟲が虫からできていて、分解するともっと細かい虫になっているのかと思うとゾッとした。
息をするたびに、虫を吸い込んでるんじゃないかと思って。

大きくなるに連れて、それがウジだと思うようになった。
白い細かい生き物が黒い生き物の腹から出てくるあの光景は、
分解の主体者である僕自身が記憶せねばならないのだろう。
そして、気味悪がったりしながらも、気味悪い自分を味わって
気味が悪いのだ、と感じたりしなければならないのだろう。

僕は虫が好きではありません。
だけど虫を恐れたりもしない。
ただ黙々と、力ずくで虫を殺していく。

強引な力で、僕は切断を

無名のテキスト、ありもしない盗みのエクリチュール

2006年10月05日 09時32分49秒 | 駄文(詩とは呼べない)
子供の頃、読んだ文章

あの熱情と情動と好奇心と、知そのものへの、純真な、
悪意と善意とが対立する軸とは、はるかかけ離れたところにある
あの、黙ったままで蟻を踏みつぶす少年の心が好きだ。

触れる者を知らず、触れられる物を知らず、焦点の無い、透き通った目線で、宙をつかむ指の動きが好きだ。
何も見えていない、何も知らない、それゆえに、なんにでも触れることができる、その自由の手が好きだ。

あの掻きむしるような心の痛みも
人とぶつかることで挫けてしまうような諦めも、希望もない、
あのひとりだけの世界が好きだ。

誰もいない世界で、なんの躊躇もなく、全てを食べ散らかすその汚さにさえ、
憧れと、羨望のまなざしを隠しきれない。

僕はおとなにはなれない。
けれどまた、こどもにもどることもできない。

かつてないほどに、
未来へと憧れて、激突して泣き叫ぶ、あのくしゃくしゃの顔でさえ、
僕にはもう手に入らない怯えでしかないのだ。

誰も知らない世界で、人を殺してロケットに乗りたかった。
何も知らない世界で、蟲を食って腹痛になりたかった。

僕にはもう、無力さだけが蔓延して何もできない未来しか見えていない。

出来ることと出来ないことの二者択一だけを迫られる、
どうしようもなく大人だらけのゴミ溜めでしか
眠る場所を許されていない

何を失ったんだろう
誰にぶつかったんだろう
そして僕は、どこになら、居ると言えるのだろう。

僕の居場所はない。
この世界にはもう、僕の居場所はない。
僕はもう、この世界には居てはいけない。

それだけが、ずっと僕にのしかかった事実で、
それがある限り、僕の骨の砂はずっとずっと音を立てて流れ落ちてゆく。
その骨の音を聞いて、地獄が泣き叫んで天国を殺す夢ばかり見る。

いいひと気取りの群衆を一掃して、
墓だけを造り続ける夢を見る。

もういやだ。
こんな場所、こんな世界、こんな色、こんな熱…

君たちの光は、まぶしすぎるよ。
突き刺さって痛い痛い光ばかりだろ?

どうせ君たちは生きるために努力しない人を許さないんだろ?
弱肉強食と偽善の天秤ゲームだろ?
いつもいつも選択肢を迫って俺の弱さのせいだろ?

いらねぇよ。
おまえらの意見なんか。
聞きたくもないよ。

自分の意見でもないくせに、
聞けば答えられない真実のない世界のくせに
つまんない現実ばかり語って
俺の死ぬ日を決めんなよ!

死に方くらい、自分で決めるよ。
僕は死なない限り、自分の名前が無いのだから。

消えるインク、白紙になる本、そして死んでゆくテキスト。

2006年10月03日 06時23分51秒 | 駄文(詩とは呼べない)
もしも僕が作った本が、一度しか読むことができず、
読むだけで消えるインクを使い、そして白い紙へと戻ってゆく本であるなら、
僕はやはりそこには死んでゆく世界の事を書くと思う。
たぶん、今よりももっと切実な、ほんの短い時間の中で書かれた、
どうしようもなくみじめで醜くて汚いこの世界の事を書くと思うのだ。

ただ、そうしたものは、長い間人の心に残るかどうかあやしい事よりも
世界の最後に死んでゆく何者かに伝える事ができない。
そのことを思うと、少しだけ、その物語は悲しい手紙であると思うのだ。

かつて亡くなった偉人たちの書いたテキストは、
その歴史的背景や人物像よりも、
口伝に近いようなもごもごとした曖昧な音たちが
ある種の催眠術のように当事者を騙している事がおもしろいと思うのだ。

それはつまり、
彼らがそれを書くことによって、
死んでゆく意識に、たとえほんの短い一瞬でも、意味を獲得しただろうということ、
その事が、
きっとおもしろい事実だと思うのだ。

ある種の観念の陶酔が、数学的に美しい完成された世界をほどこすように
意味を獲得した者たちは、
快楽のような苦痛として、
煉獄の中に完璧なる物語を体験している。
だけどその記号は、僕らには決して届かない。

過去の偉人が体験した光は、永遠に、その人自身のものであるからだ。
けれどその閉じられた世界をこじ開ける手紙を、
僕は美しいと思うだろうか。
曖昧なほど矛盾した、感情だけで書かれたテキストに、僕は恋をするだろうか。

たぶん、しないだろう。

僕はやっぱり、僕の世界の光を通して、
その紙を、斜めに透かして見るだけなのだ。
それを僕は、たぶん悲しいとは思わない。

だけど、

なにかがずるいのかもしれないけど、

僕は僕自身が書いたテキストの意味が、
まったくもって誰にも届かないという事実が、
その残酷な事実の光が、
とてつもなく、重く苦しく悲しい。

僕は狂っているだろうか。
僕は間違っているだろうか。
僕は何か、思い違いをしているんだろうか。

それでも今日の光は、今日の僕にしか届かない。
明日の光が射し込む夜明けを、僕はまだ、今日の場所から見ることができない。

ポストの中にある明日を、
書かれる手紙の前にある想いを、
過ぎ去った記憶だけが僕を苦しめる昨日を、

まだ僕は、繋ぐことができない。

始まりと終わりを繋ぐ一回性を、
耳慣れない音に宿して。

アポトーシスというなの牢獄で。

2006年10月02日 03時09分43秒 | 駄文(詩とは呼べない)
男が女に惹かれるというのは
単に男性が女性の引力に負けるというような現象に置き換える事ではなく
引かれあう小さな小さな世界の出会いによって
闇は光に当てられ、連鎖の糸がほどかれるということでもある

ある意味では、運命と呼ぶべき幻想の世界の形は
ある種の鼓動を伴った光に当てられ崩壊するということでもある
それは「出会い」という名の痛みで
この世界の終わりを示す物語と
とてもよく似ていると思う。

あえていうなら、
自分が消滅し、他者そのものにならねば
ミクロとマクロは同じ場で出会うことがない
それはミクロのベクトルとマクロのベクトルが同じ水準で出会いを果たさねば
エネルギーの糸はほどかれ、再構築されることはないということでもある。

すなわち体験的な、予義的な仮説でいうならば
生命の「形」が一度死んで新たな『形』を通過せねば、
その門をくぐらねば、新しい命は生まれないということでもある。

同じ命が連鎖の中で繰り返されるということは
その種が死ぬために長い時を生きるということでしかない。

生命をロックする光源のような引力は
崩壊によってしか生まれないからでもある。

僕は境界である今の中で何を見るだろう
あとどれだけの迷いという決意が許されるだろう。

寂しさを満たすための、妥協のような生は許されない
生命とは本質的には一回性の中にのみ
その存立が許される箱船であるのだから。

全ての物質がほどかれる世界で
エネルギーという名前の夢を見る。

形であるところの幻想としての自分を引き留める人たちの鼓動の中で
現実という名の夢を見る。

僕らが現実と呼ぶ、その世界の構造は、あまりにも脆い。
                          そしてあやうい。

全ての人が自分を見失うだけで、この世界は簡単に崩壊してしまうのだから。
人を惹きつけるための魅力は要らない。
自分を必死で維持するだけの、永遠のような魔力もいらない。
ただゆっくりと呼吸して、壊れていく心臓があればいい。
心の臓器を失ってまで、僕が僕である必要はない。

明日、君たちの明日が僕の世界に来るのなら、
その時僕は、この宇宙を壊すだろう。