嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

超伝導マイノリティー

2006年03月30日 21時25分52秒 | 駄文(詩とは呼べない)
いろんなものが終わっていたと思う
いろんなことが終わっていた
そしてその中で
僕はどれほどの目線でものを見て
どれくらい多くの物を見過ごしてきたのだろう

僕の風景から、何人かの人が消えた
意図的に居なくなった人もいたし
忘れられるように消えた人もいるだろう

僕はその人たちの存在を
無理に引き留めるべきではないと思う

そういった気持ちはいまでも変わらない

だけど

その人たちのことを
全く気付かずに素通りしていたとしたら
それは少しばかり
悲しいことのような気がする

多くの人が、自分の言葉を持たない
そしてもっと多くの人が自分の事を誰にも話せない
ただ、話しているのは
自分のことに似ていて少し違う
誰かのために説明される物語だけだ

本当の事は誰にも言えない
本当の事は誰にも伝わらない
本当のことには言葉がくっつかない
本物は線のようになぞる事はできない
本物は雲のように掴むことはできない
真実はここにはない

それでも

君が震わせた空気の苦みを
君が発振した見えない電波を
僕の鼓動が震わせるさわれない幻聴を

僕の耳の中で
水面を丸める波紋のように

ふるえる寒さのように、残しておこうと思う

鼓膜を破り続ける歌のように

ほむらびを燃やしながらゆっくり読み続けてもいいよ

2006年03月28日 22時15分17秒 | 駄文(詩とは呼べない)
少しゆっくり、考えてた。
君が何に怒ってるのかな、とか。

一応念のため、書いておくけど…

「かなや、○○…」
という表現は勝手な造語です。
固有名詞をさしているわけではないです。

ねぇ聞いて、~
かたや、~
かなり、~
というような語感を混ぜ合わせて作った
曖昧な表現なんですが

まぁ、こういうちまちましたことを書くとますます誤解が
大きくなっていく可能性もあるけれど
まぁそれはそれとしておいて。

色々考えてみたけど
僕に好きな女の子はいないと思う
もちろん男が好きという意味でもなく。

具体的な名前が誰も浮かんでこなかったというか
過去の事しか出てこなかった。

数年前は居ました。
過去ログにも書いてあると思います。
dlgという女の子です。
「自然消滅」というキーワードで検索してみて下さい。

彼女はとても可愛かった。
また、僕らには何の性的な繋がりもありませんでした。
彼女の言った
「私と心で向き合って!」
という言葉を反芻するたびに
僕をたどる曖昧な輪郭線の周りには
ぼぉっとした、ほむらびのような
蜻蛉のような、小さな怒りのような、
どうしようもない青白さが込み上げてくるのを感じます。

今回の件に関係あるかどうかはわかりませんが、
僕はその話を君に今しておかなければならないような気がします。

冷たい時間でした。
とても熱い鼓動に苦しめられた長い一日でもありました。

それまでの僕は「心」というものは
ありもしないいい加減な暫定表現か何かかと思っていました。

彼女と真っ直ぐ向き合おうと努めるたびに、
僕は自分がとても矮小な、卑猥な、どうしようもなく醜い、
愚かで、無自覚で、相手のことなどゴミか塵か何かのようにしか思っていない
ただの迷惑な邪魔者ではないかと何度も疑いました。
それは僕にとって最初の他者との遭遇だったのかもしれません。

彼女の声を聞くことが
僕の生活の最優先になっている時期もありました。
また、その声を聞こうとしなければ
僕は何も知ることは出来ないかのような錯覚に囚われました。
臆断の虜囚、思い込みの地獄、接近遭遇、洗脳、発作的衝動、
儚さ、やるせなさ、切なさ、馬鹿馬鹿しさ、
あらゆる角度からの思考の反射が、
僕の輪郭線をまがまがしく辿っている日々のようでもありました。

それに比べて、最近の毎日は、
まるでサイコロを振り続けて1が出るのを待ち、
1が出たらまたサイコロを振って2が出るのを待ち、
2が出たらまたサイコロを振って3が出るのを…
と、ひたすら階段を登るように繰り返しているような
ある種の染色感に包まれています。
それがいいかわるいか、という話はさておき、
その一歩一歩が努力と呼べるのかどうかさえ、
僕には疑わしくてたまらないのです。

君は言います
「きみはいるんだろ?その女の子?のことすきなんだろ?だからいるんだろ?」
今、君が残酷な風が吹くことを望むなら、僕は言おう。
僕はその女の子が「好きだった。」と。

君が遠くの丘を眺めて
いろりのにおいを感じ取り、
ひくひくと鼻をならしながら記憶の匂いを嗅ぐことが出来るなら、僕は言おう。
僕はその子の事を「おんな」として今も見ているかもしれないということを。

そして君が、最後の風景を見てもなお、
その窓を開けっ放しにしていられる人だと自分を確信できるなら。
僕は言おう。
僕は自分の透明な願望に逆らうことすら出来ずに
彼女をレイプする事も殺すことも出来はしないのだと。

彼女の周りを包むピンクのような、
ふわりとした黄色のような、
約束を交わす為の強いまなざしのような、
特等席にいるかもしれないような
灰色の光に染まるような、
そんなどうしようもない雰囲気を手に入れて
僕が僕で無くなることを、
いったい誰が望むのか。

僕にはわからないよ。

君がどんな常識の世界で、普通とゆとりを手に入れたとしても
あの輝きを、破壊によって手にすることは出来ないだろう。
何故なら可能性の光には方向が感じられないからだ。

僕はそのことを、恐ろしいと思わなければいけませんか?

たぶんいない。

そこには僕が。

そしてここにも。

僕は居ない。

君が望むものを、僕は君に与えられない。
何故ならそれは。

僕の不在によってしか
証明されないかも知れない君のかたちで。

僕がそれを望みさえすれば
君の波動と共に伝わるかどうかさえ
僕には呪いの火をもってして、
焼くことができない鬼火を探し続けるような
出会うことさえ愚かしいと、
嘆き続ける泉の水を飲むような、

そんな切実な気持ちに。

君は何を認めろというのか。

意味がわからないよ。

僕の言っていることさえも。

それでも僕は言うよ。

|「僕は死んだ」と、|

今はまだわからなくてもいいよ。
手紙を読めばわかる日がきっとくる。
その日の為に
僕は遺書を書いている。

サッカーボールという名前を付けたのは誰か。

2006年03月27日 23時50分24秒 | 駄文(詩とは呼べない)
かなや、どうしようもない話なんだけどね
向こう側に時々人が見えたりすることやなんかが…あったりするのだけれど。
その人は、僕の作った扉の向こう側を覗こうとする

決してこちら側は見ない

…ほんとうに、どうしようもない話なのだけれど…、、

まぁいいや。

これは主に、嘘についての話だから…

虚構と嘘の違いについてどう考えるかは
そんなのは適当でいいんだけどさ
大事なことは何かと言えば
論に関する論拠を提出する暇もなく
起きてから眠るように
思い出してから忘れるように
右を向いたら左を向いて
その安定的な世界が
不安定な土台の「内側」で
外へ向かっているということだね

世界の端っこを観察する人達の中に居る限りは
現実という名前の暴力に甘えたままの被害者で居られるということ。

そのような暴論に支えられてる人達を見てるとね

妄想的な死に方をしてる僕は

こんな世界、いつ無くなってもいいや、と
ひたすら願いたくなるよ。

サッカーボールの話をするよ。
もうあまりサッカーは好きじゃないけどね

サッカーボールの表面にある六角形は、
五角形に支えられている
サッカーボールの表面にある黒い模様は、
白い模様に支えられている
サッカーボールがサッカーボールとして成り立つための
黒い五角形と白い六角形は、
互いに押し合いながら、互いに引き合っている

元来、存在とは、そのような矛盾した前後の開き直りによるか、
あるいは認めないことを認めることによって
考えることそのものから逃げることによって存立していると、
僕はそう考えてきた。

違うと言い切れない余韻を残したままの不安な状態と心理で言うよ

サッカーボールの裏側は、
見えていない時は存在していない。

現実とは、そのようにあるべきではないかな?
──暴論だね。

現実が他者の集合体であるなら
現実とはわからない領域からの圧力と痛みによって
僕自身を存在という名前の場所に引き入れる。

それを僕が描いた輪郭線だと錯覚させるように。

だけど僕は言うよ

かなや、どうしようもない話なんだけどね…

僕は。

僕の方を全く振り向きもしない君にだけ、恋している。

向こう側にいる君は。

僕の事を全く知らない

僕が生まれている事も

僕が死んだことも

君はまだ、全く何も知らない

だから僕は。

そんな君が好きなんだ

そして君が僕に気付いてくれるというそのことは
僕が死んだというその事によってしか
君のもとに送られない手紙だからなんだ

僕は遺書を書くよ

君の為に。

もちろん、偽りの中にしか存在を許されない
君だけの僕のために。

許してくれ
僕が僕の存在を、決して認めない世界にしか、居られないそのことを。

歩き方とか、倒れ方とか。

2006年03月26日 15時37分49秒 | 駄文(詩とは呼べない)
死ぬまでに感じる時間の長さを縮める一つめの方法は
何も考えず、流されるままに従い、そして必要以上に何も知ろうとしないこと

けれどそれは、他者を知る為の扉が どのような形であれ
狭くなるか、閉じるという意味も多少は合わせ持っているはずである

何故なら光というのは
伝わってこそ光であって
光がどこへも伝わらないということは
結局は世界が闇で包まれたまま
その永遠を隠し持つことに他ならないからである

多くの幻想が伝わる事で虚構としての位置を獲得し
位置を獲得したエネルギーが具現化の流れの中で物質化されてきたように思う
全ての謎を解くことが死そのものである物理世界の閉塞的な現実感は
その法則が過去に立脚する限り
抗えないほどに無意味として存立する

存在を証明すること
存立の起源を勝ち取ること
ただ、そこにあるのを認めること
全ての無意味を現象として開き直ること

そのようなものは。

科学と呼んでも道徳とは呼べない。
法則とは呼んでも倫理とは呼べない。

だから結局
ひとつの小さな手が掴むことが出来るのは
自分の手の長さを超えない世界の物象でしかなく
掴めないことを嘆くのが嫌ならば
はじめから掴もうとしない方がはるかに手っ取り早い

科学は思想を生む
宗教は思想を生む
科学は宗教を生む
宗教は科学を生む
そしてまた、科学的宗教も、宗教的科学も、
洗脳と結びついて権力を得る。

エネルギーの権化、物質化には、何故こんなにも特別な位置が与えられているのか
それは僕が物理現象を現実とすり替えて信じているという可能性を示唆するけれど
結論として受け入れるだけの言葉なら、
何も考えていないに等しい。

疑うことが苦しさを伴う地平でなら
素直に受け入れて整える姿勢の方が遙かに楽だろう

疑うことが全く苦痛に感じないほどの病理なら
全てを否定して知り続けるしかないだろう

だけど僕は。

そのどちらも、等身大の僕を超えようとする力の発露であるから。

だから僕は。

意識の目覚めと共に
ブラックホールをさらけ出す

業はどこまでも深い

自分を知ろうとする限り
僕の世界は死に近づく。

閉まりかけた扉の前でダイヤルを回すように

2006年03月26日 14時56分17秒 | 駄文(詩とは呼べない)
煮え切らない魂が鎖で縛られている
冷たい孤独の中で刻み続ける生死の鼓動が
結ばれた糸を熱の力で偶然ほどいたりする

死んだ数だけ消えていく世界が
僕を通ろうとして僕に殺される

可能性の橋であることはずっと気付いてる
それでも僕はそれを切断する

死に神の釜は僕の鎖を削ったり切ったりする

100万分の一の精度で
僕が諦める世界達
僕から遠ざかる世界達

僕はそれを追いかけ回したりしない
僕はそれをまっすぐ見つめる目を育てる

生まれたときから壊れたカメラしか与えられていない
そしてまた、壊れかけた世界しか側には無い

500万分の一の精度で
2億分の一の精度で
僕は間違えて僕を殺しそうになる

それを防ぐために作られる僕は

まるで鎖の役を引き受けるような
ひとつの世界のカタチ。

運命の明日がまだ来ない
それでも僕は鎖と釜を振り回して…

僕だけを、慎重に殺さなければならないのか

背中の瞳で時を見る

世界から逃げ続ける僕に 真実の現在地を教えるように。

数えた分だけ失われる世界なら

2006年03月26日 02時19分44秒 | 駄文(詩とは呼べない)
閉じられている世界が、少しだけ開くと 僕は安心する。
僕が死んだ時間は、過去のその時であり 未来のその時でもあるから
もう、それは事実としては変わらないのだけれど。

それでもこうして少しだけ、
手探りで記憶を取り出している時のどうしようもない閉塞感は
他者への扉が開くことで、
少しは緩和されると表現してもいいかもしれない。
それは厳密には、全く意味の異なる話なのだけれど。

あと二年と少しの間に
僕の言葉はどれだけ殺されていくのだろう
そしてまた、いつ、今日が明日に変わるのだろう

みんなみんな、永遠の中で生きている
無限に広がる固くてどこまでも続く死の領域に
やわらかい永遠を有限に泳いでる

どこまでも永遠でしかない閉じられた世界で
広がった時を刻もうとするから
ずっとずっと僕の中で変化は知の痛みだけれど。

それでもまだ
僕はゆっくりと死んでいる途中だから
僕を殺そうとする大人はこれからも現れるのだろうけど。

あと少し
もうあとほんの少しのワガママだと叫んでいても
きっと僕の言論が弾圧される時も来るだろう

踏み出した分だけ死が怖くなるような世界なら
僕は60億の客席で主人公を眺めます
理解した分だけ絶望する知識だけの世界なら
僕は何も知らないままで死んでいる永遠の光に闇を見る

君たちが
僕の世界を無理に知る必要はないです
僕はただ
ここで自分の居ない世界を叫ぶだけだし

それを否定したいほど固い意志を持つ読者が君なのなら
僕は時間をかけて君を殺すだけです。

血塗られた歴史を赤い血でなぞる必要はないよ
君が死ねば、それだけ世界は平和になるのだから。

そして僕が死ねば
僕の世界は君に証明されるだろう

僕は居ない
君が持っている僕の幻影さえも
やがてやわらかい時の中で暖かく消えていくだろう

だから僕は。

最後まで僕らしく
壊れていく世界の仕組みをここで眺めよう

汚された明日なんて要らない
真実の記憶も要らない

それでも僕は
ここで今を死んでゆく

諦めることに覚悟なんていらない

2006年03月25日 12時29分58秒 | 駄文(詩とは呼べない)
始まる前は確かに何も始まっていなかった感覚がある
そして
いつでも明日が終わりのような感覚がある

生まれる前には自分は生まれてなかったような気がする
記憶を振り絞れば出てくる言葉は後から知った嘘で塗り固められていて。
もっとどうしようもないくらいにリアルに
本物の、記憶という言葉すらも出てこないほど泣きたくなるような気持ちで
障壁のように塗り固められた曖昧でうつろな領域があるのに
どうしてそのやわらかい場所を取り出そうとすると
まるで何か未来を固めているかのような
絶望的な気分になるのだろうか

自分が生まれる前は
自分なんか無かったということ
世界が生まれる前は世界なんかなかったということ

それを思い出して口にすることは
そんなに悲しくぎこちなく後ろめたい沈黙なのだろうか

やることがないから居なくなるのだと言えば
それはまるで存在を馬鹿にしてるような印象をうけとるのだろう
だけど僕が提出した話題なのだろうか

居場所が無いから消えたいのだと言えば
それはすこしばかり聞く耳にとって痛いかもしれない話ではある

だけど

生まれる前から生を保証されてるような人は居ないし

死んだのちに死そのものを祝福されるような人も

神に祈ることで救われるような人もいない

存在を存在たらしめているような上り坂の感覚
死を入り口のように構え むやみやたらと昇華する感覚

忽然と消えるような感覚は、あまりにも生を馬鹿にしているのかもしれないけれど
意識が弱まるたびに死へ近づいている感覚を否定するのも
生が死を馬鹿にしているかのような気がする

一生懸命さが保証する正義なんてない
100%が保証する正しい完全さなんてない

それでも。

自分が一歩一歩絶対領域に近づくにつれ
背負ってもいないのに背負わされる闇は濃くなっていく
霧が晴れるまで歩き続ける事が仕事なら
僕の霧はもうすでに晴れている

カラッポの気持ちだけが君への伝達の証明であるなら
もうすでにここでは意味が失われている

祝福される為に羊海を泳いだわけじゃない
知るということが、あまりにも世界の絶望に繋がっているだけだ

そんなに背伸びしなくても、君は充分が背が高いじゃないか。

2006年03月21日 07時49分39秒 | 駄文(詩とは呼べない)
その質問が断定や決定を促すものでないなら、
僕はここで少しだけ答えておこうと思います。

僕と同質の苦しみを背負った人は、
既にこの物理世界に居ると思います。
そしてそれは人間ではない。

そのことを、よく憶えておいて下さい。
覚えておくのでもいいです。

ただ、ソに会うのは
ヨに会うのと同じくらい難しいと思っています。

それでもまだ僕が一握りの可能性を残しておくのは
僕が言う「自分の無い人」こそが 人間 である可能性が高いからです。
自分を全く持つことが出来ず、
絶えず歯車の間で切断されつづける空気。
霧のように曖昧にたたずんでいて
雲のように風に飛ばされ、
水と光の にほひを感じようとする はざまにあって 境界のないもの

それは人間である可能性が高い、ということ。

ただ、残念ながら僕は記憶であり、
ただの言葉でしかないし

あなたのいう苦しみを生きている人であったとしても
既に死を決意しています。

あえて言います。

ぼくは、死を決意することでしか
この世界を思い出すことが許されなかった。

僕はもうとっくに、大事な何かを失っています。

僕は僕を読み取る人の誤解によって
人間のように支えられています。
だから全くそのことに感謝していません。

ただ、それでもあなたは祝福された人だと思う。
そのことは

「オレは誰とも接したくない世界には生まれていなかった。
オレはこの世界を愛し、かつ、世界から愛されているとさえ感じていた。」

という箇所に集約されていると、
僕は嘘を吐いておきます。

予はまったく満足することなく、世界を思い出す。
そはまったく世界に踏み出すことなく、ただそこで永遠のように死んでいる。

はにゃは、はにゃと同じような人間に会うことは出来ないと思っています。
ただ、その「出来ないと思う」こと自体が望みであるならば
一縷の絶望を託して もうすこし ほにゃり忘れてしまった君のことを
もろりと思い出しておこうと思います

君は自分のために書いてくれたのに
僕は自分をやっぱり思い出すことが出来なかった。
そのことに対して

「ごめんね。」
とひとことあやまっておこうと思います。

簡単な事を、難しく書かないで済む方法はあるんだろうか

2006年03月19日 18時44分16秒 | 駄文(詩とは呼べない)
う~ん、、、気分を害したわけではないんですよ。

ただ、ますます混沌としてよくわからなくなってきました。

おそらくですが、
これはもう言葉の問題ではないような気がします。

むしろ信念や、意志や、感覚や、出生児の愛され方や、
挫折感、無力感、束縛感、徒労感、
そしてそれらを乗り越えた後に来る達成感、
あるいはまた、他人に触れた時に空想的に感じる「他者の痛み」
それらの結びつきによって
経験ではなく、体験されたもの、
それらの共有によるところが大きすぎるような気がするんですよ。

あなたのその長文を読んで、
特別おかしなところは何も無いです。
言ってる事もそのまま理屈ではわかるんですよ。

にも関わらず。

僕はあなたの長文を読んで絶望的な気分になりました。

わかるんですよ…

錯覚かもしれないけれど、
あなたの世界で、それがすごく当然の事であるという事が。
しかもその事を、否定したくない自分が居るんです。
だから僕はテリトリーの話をしました。

あなたは無礼を詫びてしまっている。
逆なんですよ…

あなたはとても礼儀正しいんです。
だから姿勢の悪さを指摘しづらいんですよ。

目線の位置も着眼点も悪くない。
なのに行動そのものが問題を起こしてしまっている。
そしてそれが何故そうなるのか、
僕にはある程度わかってるんですよ。
けれど、僕はその問題をまだ乗り越えていないんです。

だからあなたにうまく伝える事ができません。

ごまかすつもりはないのですが、
僕はここで長文を返すべきではないんですよ。

もっと明るく楽しい話や、
ギャグを言って笑わせた方がいいんです。
でも、僕にはそれがもう出来ない。

何故か。

壊れてしまうからですよ。

あなたの持っている可能性が。

僕はあなたが見ている世界とは、
かなり異質な世界を見ています。
あなたが書けばますます僕は自分の気が狂っている事を認識するしかない。

それを書くことを、あなたは望んでいるんですか?

ハッキリ言えば、僕はこんなこと書いている場合じゃない。
じゃぁ他に何かするのか?
と問えば。
「何もすることがない」と答えるでしょう。

以前、南無さんに言われた事があるんですよ。
「おめぇ、全部周りのせいにして生きてきたのか?」

僕は言いたい。
こんな意見が言える人間は、
既に自分を持っている人間だけだと。
きっと。たぶん。

僕はそんな考え方はしない。
そんな感じ方もしない。

不在であるということは、
もっと深刻な問題です。

泣きながらぐちゃぐちゃの文書を書けば、
泣いてくれる人だっている。
そしてたぶん、それで一時的に満足する人間だってきっといるでしょう。

でも僕は絶対に満たされない。

わかるんですよ。

君たちは!
いつだってそれが正論なんだ。
逆らえませんよ。
死んでいる僕には。

生きてる人間の意見しか、
今まで一度だって聞いたことがないんだ。

お前らは幸せになれるよ。
いつだって親切なんだ。
今も、これからも、そうやってせせら笑って生きてればいい。

だけど、
正しさを持たない俺は。

俺すらなくて僕と書いているぼくは。
ぼくと書いている事自体が馬鹿馬鹿しい嘘でしかない はにゃは。

なにを書けばいいんだ?

不在の意志、と有象の世界で書いてしまっているはにゃは。

ただ、嘘の罪を背負うだけじゃないか。

的外れかどうかなんてどうでもいいよ

事実ばかり書かれたら、
事実が全く見えないオレは!

何も書くことができない。

だからオレはお前らが嫌いなんだ。

おれの事を伝えるなんて無理だよ…
本当は何も書きたくなんかなかったんだ。

ただ、望まれてるような気がして
書かずには居られなかった。

ひとつだけ。

問いをここに突き刺します。

「誰とも接したくない世界で生まれた人は、あなたの世界で生きられますか?」

影は真実よりも一歩遅れる。闇は真実よりも光を求める。

2006年03月18日 22時44分54秒 | 駄文(詩とは呼べない)
自分一人しか居ない事に気付いてしまえば、
世界は全く寂しくない。

世界が寂しいような気がするのは、
自分を見てくれない誰かを感じている時だけだ。

一人の世界に光を当てれば
やがて「ある日」は影となって笑い出す

ひとりのせかいに闇をあてれば
やがて「その日」は線となって僕をえぐり出す

独りで世界に世界を当てれば
やがて「この日」は此処となって
『知』をはう虫となる。

僕の世界は。

やがてどこにも僕が居なくなる

だからせめて。

君に消えかけた暗号だけを託しておく

暇すぎて退屈死する人が

これ以上喜ばないように。

右も左も自分だらけ。

2006年03月17日 07時41分10秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ホントの事言うと、かなり投げ出したい気分になってきてる
たぶん、あの頃と同じで
初めて山を登って四つんばいになってハァハァ言ってた頃と同じで
草むらで石ころを掴んで重力を感じてた。
ふと視界の右隅にお金が落ちてるのに気付いて。
この小銭なんだろうって目で追うとそこら中にいっぱいあって。

少し目線を遠ざけたら

小さな墓標があった。
そして小さな花。

ああ、そうか。
うわ。

そんな感じで。

だから多分、もうしばらくはこのまま、
息を整えながら
四つんばいで進んでいくんだ

僕は驚くほど動物的で

目の前がぐるぐる回ったりしても

最後の瞬間を見れるような気がする

多分、あの雲が下にある雄大さ、清涼感に満ちた空気、
冷たい風と熱い血潮の間で感じる頭痛。
そういうものは、最後の景色を見た者にしか与えられない。

だから、もうしばらくはこの道をゆく。

そんな気風が吹いた。

破壊的神話、それが科学。

2006年03月12日 13時00分26秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ディスラクティブテクノロジー、という言葉がある
(破壊的技術)と訳されるようだが、もちろんそれ自体うさんくさいものである
この言葉の意味について、詳しくは述べない。
気になっているのはサステナブルテクノロジー(持続的技術)というものを
晒し者にする、という事である。
例えば天皇制、たとえば職人魂、たとえば延命と尊厳死
これらは日本人の純血的な気質に基づいて長い年月をかけて培われた歴史がある。
これを要素還元主義的に分解し、再構成すると
それらは脳の記憶であり、物質の記録である
現在の中に含まれる過去の性質であり
それらを分解し、集約し、逆転予測を「構築」することによって
明日を「予想」し、「判断」し、「決断」し、「行動」し、
それらによって明日が予定通りに構築されることで
予報は的中する事になる

けれど これは。

本質的には世界を解いたことにはならない
むしろ説いた事になるだけだ

二つの問題がある
それをわけてここにわけてみます。
それらをここに書き分けて統合してみます。

例えば試しに。
例えば証明に。
例えば実験に。

二つの問題というのは
時間的な変遷と大きさに関わる話。

僕等は既に四番目の軸を手にしています
そして現にそれを使いながら生活しています。
既に四次元人であるということ

そしてその軸にミクロマクロ方向軸を空間軸として差し込むことに
たいした問題は無いのですが
ここで時間軸を持ってくる方法も混在している、ということです。

奇妙な表現を使うと
「『みらい』と「あした」は同じものなのでしょうか?」
と、僕が問いかけるということです。

あるいはそれが、
「「未来」と『明日』は同じものですか?」
と、自分が問いかけるという不思議。

ここに、二つの予想と予知と予言に関する問題が含まれます。
1日目の問題、2日目の問題、3日目の問題
は持続的技術が構造的にこの世界を支える限りに置いて
量子化された宇宙の問題となります。

獅子座流星群は予定された時刻に流星となって現れ
数学の隆盛を示し、物理法則の限界を露呈し、
僕を牢獄に閉じ込めて去っていきます

すなわち宇宙が死ぬということ。

ここには科学の作り出した宗教的なトリックがあります。
予言を信じ、みなで行動し、みんなで感じて、みんなで確かめ合う。

「馬鹿じゃないのか?」と。

僕は言います。

「宇宙は自殺する」と。

なぜなのか。

僕の世界では、僕の意志が宇宙の意志をしゃぼんだまの色模様によって
はるかに虚しく代表してしまうからです。

少なくとも、僕の世界で僕の宇宙が生命体として事実化されるならば
僕の意志はあまりにも微弱な波動であり、
内向世界と外向世界を光で繋ぐ橋であり
過去と未来をつなぐ橋であり

「ぼくがあしたをつくる」
ということになります

ですがこれは、仮説の事実化によって行われ続ける行為であって
現象そのものを観察するならば

「ぼくはしんでいる」
です

別な意見を投げます。

循環型社会が大事だ、リサイクルが大事だ、~と、自分の意志で主張できる人はいますか?
そしてその人は、飯も食わず、水も飲まず、明日を生きられますか?
2日目が今日であるとき、3日目を飲まず食わずで生きるということではないです。

「あしたをいきられますか?」
という 問い。

僕はわかりません。
僕の宇宙が閉じているのか、開いているのか、
僕の孤独は洞察に失敗し続けているからです。

にも関わらず。

僕の宇宙の外側は。
全力で死に続けている。

不思議です。
境界線の淵を外側と呼んでいるのか、
内在する中心を外側と呼んでいるのか、
本物の外部を外側と呼んでいるのか、

輪郭線を辿りきれない僕は、
たぶん今でも波動のままで
鼓動がなにかを刻むたびに
痛みの中で死んでいく

予言はできます。

「時間が逆に流れていく」

孤独は叫びとは違う場所で泣くこと

2006年03月12日 01時08分18秒 | 駄文(詩とは呼べない)
僕は孤独を何一つ乗り越えていない

死に場所は、だいたい決まってきたような気がする
僕は多分、死ぬときは家族の側で死にたいのだろうと思う
それがどういう意味での家族になるのかは まだよくわからないけれども。

自分の言葉が、もうほとんど読者に伝わるような気がしなくなってきている。
それと同時に、理路整然とした事をいうのがとても楽な事だと気付いてしまったし
物事を割り切るというのは恐ろしいほど簡単な事だ。

馬鹿で親切な他人はあれこれと僕に世話を焼いてくれたけれども
僕は何一つ感謝することは出来なかった。

ひとつめの問題は。

親切な他人は僕に生を強要すること。

それは僕に正を強要するのと同じ意味を持っていたような気がする

ふたつめの問題は。

誰一人として、僕の世界を理解する事が出来ないということ。

そして同時に、僕が誰の世界も見ることが出来ないということ。

ななつめの問題は。

僕が多くの場合において内部の権力に従順過ぎるということ。
僕を構成する周りの微弱な波動に
いつもいつも流され続けるということ。

孤独を叫ぶことに、何一つ困難な事はありません。
むしろ困難なことは、自分の孤独を理解することです。
そして、他人の孤独を我がモノとすること。
感じ取ること、ありのままであること、心を信じること。

それらはあまりにも。
苦渋の選択であり、選ぶことができないということ

それは破壊であるから。

それは革命であるから。

それは消失であるから。

叫ぶことは簡単だ
奇声を発する事も簡単だ
世界を計り続ける事も簡単だ

ここには重さが無い
ここには力がない
ここには空間がない

そして同じようにして

ここには光しかない。

死に方だけを探してる
ずっとずっと一人で
誰にもわからないように
死に様だけを晒してる
野に咲く糞にまみれた雑草のように
しぶとく咲き続ける枯れた花のように

今、僕は 。

死んだ自分の死体だけを見つめてる
遠い丘で日が昇るのを待つように
日が沈むのを 誰もが思い出すように。

小さな粉が流れるだけで 僕は「砂」と呼ぶことができる。

2006年03月09日 18時30分04秒 | 駄文(詩とは呼べない)
「居場所」に対する期待は絶望感を引き立てるための香辛料になる
どこかに自分の安心できる居場所があるんじゃないか?
と問いをもたげる淡い期待は
自分探しの原動力ともなるけれど
どちらかと言えば世界に対する絶望に繋がる事の方が多い
自分を行動させるためには
いつも自分の周りにある空気を破壊せねばならない
僕を俺が追いつめていかない限り
僕が俺の周りで踊る事なんてないのだ

自暴自棄、という言葉が嫌いだ
自暴自棄というのは自分を持っている人のためにある言葉だ
自分に意志が無い者
意志が人に、社会における小さな個人に、巨大な奔流に飲み込まれる小さなオリジンに
本当に宿っているのか疑わしい場に
自分の意志が全く発見できる気配すらない空間に
そんなつまらない言葉は冷たく側をかすめて通り過ぎるだけだ

自分を壊したいわけじゃない
むしろ自分を探したいという感情に近い
妄想の中ではいつだって行動的で
それが現実に結びつくための歯車をいつだって僕は探してる

だけどそういう期待こそが幻想だ
自分をかたどるあやふやな輪郭線は
自分の意志を諦めた者にしか見えないのだと思う

何故なら。

傍観者達が持つ流れこそが悪意を増幅し
小さなよどみはどうしようもないほどに渦を巻く

加害者も被害者もどこにもいない
ここには傍観者だけがいるからだ

元気出してね

という言葉。

死なないで

という言葉。

その気持ち解るよ

という言葉。

それらはいつも嘘の中でしか翻訳されない

見つめる視線こそがモーターを回す悪意で
それらは数をますほどに流れを速めるから
人はそれを。

勘違いして意志と呼ぶのだろう

僕が居る世界のニオイを嗅ぐ
臭いとも匂いとも書きたくないようなニオイ。

鉄の毒液が僕を錆びつかせていく

僕の居場所は、この世界には無い。

カメラの焦点はなにをしぼるのか

2006年03月06日 17時58分42秒 | 駄文(詩とは呼べない)
月の光に照らされて
女性を思えば 寂しくなる
太陽の光を見て
おんなを思えば 眩しくて つらい

だから僕は。
地球を忍んで
思いを馳せながら 死んでいくのかと思った

太陽を見過ぎて目が潰れていく
盲目の僕は手がかりを求めて彷徨う

月の光に照らされながら
太陽の光に焼かれながら
ただただ、地球の上で だらりと垂れ下げた手を
前に突き出して後ろ歩き

背中の瞳で夢を見る
ただ、僕はもう
現実の中で歩き疲れた

スクリーンはどこまでも遠ざかる
永遠にえいえんに
えいえんであるために