嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

祈りの糸で羽を編んだら

2005年12月31日 21時58分48秒 | 駄文(詩とは呼べない)
自殺者が増加した分だけ、世界の可能性は減っていくけど
世界にある孤独もまた、減っていく
新しい可能性は、全部孤独の中にある
新しい知の在処は誰も居ない場所にしかないのだから。

知の暴力で世界を一つに染めていくこと
その事に、小さな個人は抗えないのだろうか
あるいはまた、抗いながらも染められていくのだろうか

他者の宇宙と温度差があること
なにかを知りたいと思うこと
それらを憧れのままでしまっておくことはできないのだろうか

カオスで時aされたスープは
同じ空に染まっていく
怖いほどに単調で
美しいほどに何もない世界へと変貌していく場で
人は何を思うだろう
意識は何を願うだろう

圧力の中で痛みだけを叫んだ
そしてその糸は
誰にも絡み付くことはなかった。

書き殴ることの怖さ。

2005年12月31日 01時55分13秒 | 駄文(詩とは呼べない)
気持ちを書き殴ることは簡単だと思うこともあるけど
やってみるとたいていの場合が難しい
それは言葉にならない感情がぐるぐる渦巻いて苦しいって事でもあるけれど
なによりも僕が吐き気の中で飲み込んだり
喉に詰まらせたり
呼吸困難になってる思いは
どうも体の問題のような気がしてくるからだ。

だけどそれは精神的な問題で。
たぶん、客観的に見ることができれば明らかにそれは心の病で。
だけど僕は病気という判定を下されると
それがまるで犯罪のような気分になることもあるから
だから怖くて心療内科になんかいけない。

だから僕はたぶん言葉にして
自分の思いを言葉にしたつもりになって
それで発散されたと自分で自分をだまして
結局何度書いても自分の想いなんか書ききれない

一言で言うなら僕は生まれた事自体が罪だと思ってる
だけど宗教の信者が言う原罪ってのは何か違うような気がする
僕が罪だと感じるのは、僕自身の判断によるものでもあるし
植え付けられたものでもあるけれど
そもそも僕は他人が存在してるなんてあまり信じては居ないし
原罪がどこから来るのかなんてよくわからないし
どうでもいい

ただ、やっぱり僕は生まれつき自分が罪を背負ってると思う
そうじゃないと納得がいかないぐらいにこの世界はどうしようもなさに充ち満ちているから。
僕を取り囲む世界は美しいほどに激しい五官の痛みでいっぱいだから。

痛みが存在を確認するための唯一の手段だとしても。
僕はそんなもの欲しくはなかった。
昔は何かが何かが正しいと思っていたけれど、そんなものはなかった。
だったら存在だって無くてもいい
僕だって存在しなくてもいい
僕の存在の正しさなんて僕には証明できそうもないから。
だから僕は弱さを背負い続けるしかないのだと思う。

僕が僕であることの罪を、
ずっとずっと背負い続けて、
痛がりながら生きていくしかないんだと思う。
それはとてもつらいことだけれども。

例えば僕は。

誰かを好きになれば
そしてその誰かが僕を好きになってさえくれれば
僕は自分を肯定して
自分の事を好きになれるんじゃないかと思っていた
だけどそれは大きな誤りだった

誰かが一時的に僕を肯定すれば
僕への否定が何倍にも増幅されて余計に苦しいだけだった。

だったらなんで
僕はいちいち人を好きになったりしなければならないのだろう
もうなんだかそんな事はめんどくさい。
誰かを好きでいれば世界が美しいなんて嘘だ
僕は自分をそうやって騙して
なんとかかんとか、生きていく屁理屈を作り出したいだけなんだ
ホントは死ぬ勇気がちょっぴり足りないだけなんだ
だから強く生きてるフリをする
元気に生きてるフリをする
幸せそうに生きてるフリをする

でももうそんな子供だましは誰にも通用しなくなった
時代が終わりを叫んでるとか
世紀末だとか
新世紀だとか
正直そんなことは今更どうだっていい

ただ、今、僕が、どうしようもなく行き場がないこと
その事だけが問題なんだ

生活できないんじゃない
心をどこにも置くことができない。
自分の中にさえ、僕の心は許されない
だから僕の鼓動は、休むことなく激しくいつも脈打って
いつも誰かを殺そうとする
いつも僕の心臓は、誰かを殺して踏みつぶすために動いてる

これは優しさではありません
僕はむしゃむしゃと何かを食べるとき、多分笑っています
これは強さではありません
僕は全力で走るとき、
清々しい顔で泣き叫んでいます

僕は。

僕は誰にも殺されたくない。
だからさっさと自分で死にたい。
はやく死にたい
いつだって死にたい
自殺が罪だなんだ
無責任だなんだ
そんな事を言うヤツは今すぐ俺が殺してやる

そう言えるほどに
僕はいつでも死にたいと思ってる
決意は何度も揺らぐ。

死にたいという決意は必ず揺らぐ。
だけど僕は。

僕は。

僕は!

本当に死にたいと思ったとき、
自力で踏み止まった。

相談できる人なんか、誰も居なかった
自分しか、信じるものはなかった
そしてまた、自分を疑う事をおぼえた。

その頃から、僕の歯車はどんどん狂い始めた

今すぐに死のうとは思わない。
そんな事をしても気を引いてるだけだと思われる

僕は世界を呪ってる。
激しく強く、呪ってる。
呪いは解けない。
ずっとずっと解けない。

必ず自殺します。
あと三年以内には。

書くことの意味とか、そうでない気持ちとか。

2005年12月30日 13時43分27秒 | 駄文(詩とは呼べない)
何度も書こうとした
そのたびに、僕は書くことをやめた

書くことはいくらでも思いついた
けど、それを書くことはできなかった。

すらすらと言葉になるものもあったし
まったく言葉にできない想いもいくつかあった
それらはつながっているようでもあったし
途切れ途切れに感じることもあった

僕は。

書くことそのものに、壁を感じている。
書けば再び、読者は僕を見るだろうから。
そしてまた、僕は一度書いてしまった言葉を誰にも見せずに隠しておくことが
できないような気がしたから。

どうして僕はこれほどまでに書くことに対して壁を感じるようになってしまったのだろう
それはスランプと似ているけれど
少しだけ違った。

言葉は決してゼロにはならなかったから、
それだけは、少し違った

例えば時々僕は、
決して書いている最中に文章を保存しない
たとえば時々、消えてしまいそうな言葉だからこそ
それはそこに書くことができるんじゃないかと、そう思う僕や
そう思える僕や、そう思わなければならない僕や、
そう思わされている僕が
ぐちゃぐちゃに混ざりながら消えそうな中で何かを書き留めるから
だから僕は。

改行の位置や、句読点や、聞いたこともないような言葉でさえも
決して後から直そうとは思えない時があるように。

言葉は一度だけしか生まれない
そこの事に気付いたのはいつだったろうか。

いつでも書けるようなものは、
ある意味テキストとは呼べないと
そう思いながらも
どこかへ記録しているという矛盾
その矛盾によって
僕のテキストは支えられているのだろうか
支えられているのだろうか?
いるのだろうか。
だろう、か!

考えていく中で
迷っていく中で
どうしようもなく、鬱ぎ込んでいく中で
それはやっぱり、人に言えない形を辿ることもある
恥ずかしさを恐れる僕や
他人が消失する恐怖に全く立ち向かえない僕や
寂しさに似た感情を、「さみしさ」と発音できない僕もいるから
それはやっぱり

言葉になる前に 発情時点で 消失する ことがある。

僕が書きとめているものは
やっぱり僕の記録でしかなくて
それでもやはり、
それをみたいと思う人がいるのだろう。

どうしたらいいのだろう。

僕は望まれているテキストなんか
絶対に書きたくない。

誰も望まない僕の言葉だからこそ、
そこに書く意味が、生まれるような気がする。

溢れる水も、倒れるドミノもおんなじだ。

2005年12月23日 20時18分30秒 | 駄文(詩とは呼べない)
本当は書きたい事などほとんどないし
言いたいこともたいしてありはしない。

そしてそのようにして
僕は心で何も感じていなくとも
次々と言葉は口をついて出る

それは言葉の性質かもしれないし
僕と僕による嘘吐きの性質的狂乱舞踏かもしれないが
だけど僕は言葉を愛さない
言葉もまた僕を記録しない
だから僕は言葉を語るように話す
そしてまた、話は語られることによって話となる

つまり僕は。

本当はこんなこと、ちっとも書きたくなんか無いのです。
だけど言葉はとめどなく溢れ、
心はそれをせき止めることすら出来ずにただ側をすり抜けるのです
僕はそれがただ悲しい。
いつも心と言葉はちぐはぐなリズムで踊りをおどる。
だから僕はただ悲しいと書く。
その書かれた言葉に、決して悲しいは無く、
また、それを書いた時に、僕は何も悲しんではいないのです
だから僕の文章読んで泣いた人がいたら、
僕はそのたびに嘘吐きである罪を背負うように出来ているのです。
だから笑えよ。
どんなくだらない文章であったとしても。
僕は寂しい顔をして一人で笑っていたいのです

そのように流れ出る言葉の全てが嘘で出来ている物だから
僕は本当にどうしようもない代物だといつも思う。
こうして書き残された言葉達の
いったいどこに僕が棲んでいるというのでしょう。
僕が言葉に拘ることがあっても
きっと言葉が僕に拘ることはないでしょう。
それでも言葉は僕を追いかけようとする。
決しておいつくはずもないのに。

僕はそれを苦しいと思う
時折言葉が流れ続けて僕の呼吸を乱すから
ときどき言葉が濁流のように暴れて僕の心を乱すから
時には言葉が溢れ続けて涙を誘うように水を零すから
だから僕はそのときは、すごく切ないと思うことがあるのです

だって僕の言葉には。
1%も僕の心が含まれていないのに
言葉は全て僕以外のもので構成されているのに
まるで僕を語っているかのようにして全体が僕を包んで封じるのです
言葉はいつも僕の周りをぐるぐる回るけど僕に触れない。
決して僕に触れられない。
だから僕は、時々言葉に触れようと手を伸ばします
けれどその手には、決して掴めない宇宙の光が、
闇の中でキラキラと砂のように零れて光るから
僕が必死で手を伸ばしてもはるか彼方の景色に決して触れられぬように
僕の言葉はいつも本当に僕のそばをゆらゆらと揺れるだけ。

グルムグンシュを少しだけ読みました

なんだか泣きそうになる
すごく優しくて悲しい気持ちをくすぐる。
だけど決して、それは踏み越えられぬ誰かの言葉で。
僕の言葉にすり替わったりはしない。
代わりに言葉は融合していきます。
僕は誰かの言葉をしゃべり続ける。
決して僕自身は僕を語らない
僕は誰かに語られ続ける。

その事を悲しいと思うのは、
僕だけでしょうか?
哀しいのは、僕だけでしょうか?

今、これを読んでるあなたは
いったいどこの空間に言葉を書き込んでいるのですか?
その空間に、僕は触れられますか?
その言葉が書かれた紙に、僕は火を付けられますか?
僕は、この言葉を、あなたに書き込んでいますか?

答えは否。

だから僕は、
こうやって言葉を書き殴る。
決して届きはしないと知りながらも
なおも未練がましく。

それは過去の記憶を逆撫でする激昂の感情とよく似ていて。
憤りを持つ僕の感情の爆発する先が、未来の僕に届くようで全く届かず。
力一杯のなけなしのどうしようもない感情達が暴走する今に似た瞬間でさえも。
僕は全てを忘れ続けてただ過去をなぞる。
僕は決して今を見る事ができない。
今を見たら僕は死ぬように。
僕は過去の灯籠の中に封殺され、
永遠の牢獄を彷徨う。
僕はいつも、本物の今がわからない。
僕はいつも、真実がわからない。

誰か、もしもそこにいるなら。
僕の呼び声を、100%無視して下さい。
僕の音を、全くの静寂の中で
響きだけを、追い続けて下さい。
その残響音には、僕が含まれていません。
だから残り香を吸うように
僕の言葉の後ろを追いかければいい。
決して届きはしないと知りながらも
まるで今であるように読めばいい。

だから僕は君を読者と名付けよう。

君が読めば言葉は流れ出す。
それが永遠に冷たい刻まれた数字であったとしても。

何も考えずに 書き込んでしまえばいい

2005年12月22日 14時50分15秒 | 詩に近いもの
僕は生きる意味がある、と思うことがある
けれどそれはほんのささいな偶然の思いつきのようなはやさで
すごいはやさで失われていく。
だからそれは僕にとって多くの場合において
生きる意味なんか無い、という開き直りに近いあきらめの境地に近づく
それでもまだ、時々生きる意味があるような気がする。
でもやっぱりそれは幻想だと否定する自分がいる
そんなふうにたゆたうゆらめきのような迷いの牢獄の中に封殺されている自分を感じたりする

そして僕は。

問いの建て方が根本的に設計ミスなのではないかと思う、思ってしまう。
問いは立てると書くこともできる。
だけど文法的には言葉の空間に様々な技法によって
多くの人たちによって手を加えられてきた言葉の歴史があると思う。
それは孤独の世界においてはありもしない虚構なのだけれども。

それでも僕は。

問いをずらす事によって立て直す事ができるんじゃないかと思う。

「生きることはいつから意味がある?そしていつから意味が無くなった?」
「僕はいつから生きてる事に気付いた?そしていつから死んでいるような自分を感じている?」
「僕はいつ、生きるとか、意味とか、自分とかを、考えないでいられる?」

そのように縮んだり、膨らんだりするものだから
僕は人が生きている今について疑いを消せないでいます。
疑うかぎり、命の火が消えないような気がするように
僕は自分が生きている事を疑い続ける

それでも。

なお僕は、
生きているということが死に続けている。

傷だらけの翼

2005年12月18日 04時22分38秒 | 駄文(詩とは呼べない)
母の喉を引っ掻いて

父の襟をほどいて

叫び出すんだ、ギーア。

背中の瞳は閉じたまま

奇蹟の夜が舞い降りて

肩をくねらせて

生まれるんだ、ギーア。

傷だらけの翼

名付けるよ、ギーア。

緑を滅ぼす為に

羽ばたいて、ギーア。

冷たい夜に一人で無理矢理這い出した生命は

産声の中で、名前が生まれる

ギーア。

君の首を絞める為に

三歩下がって首を折る

2005年12月15日 01時24分23秒 | Weblog
いろんな事をやめたい
いつもそう感じてる
大きな話で言えば人生をやめたいし
小さな話で言えばblogやmixiや食事や人付き合いとか。
もうあんまり、誰かのために何かをしようとは思わない。
そしてまた、自分のために何かをしようとも思わない。
できれば植物人間の隣で一緒にすやすやと音も静かに眠っていたい

僕は自分の事を引きこもりや自閉症の類ではないかと疑っていた事もあったけど
正直いまとなってはほとんどがどうでもいい。
ただ、なにか漠然としたものにどっと疲れているだけだ
人間ってのは本当に疲れると思う
だから時々人間をやめたいと思ったりする
だから時々は子供のままでわがままにでたらめに振る舞ったっていいと
そう思って何かを叫んでいたように思う
だけどその叫びが誰にも届かず、何を変えることもできず、
ただそのまま大きな渦の流れの中へ飲み込まれていくだけなら
僕の心の暗雲は巨人の心を曇らせることすらできないだろう
それが悔しいとは思わないけれど
少しだけ残念だとは思う

いろんな場所でいろんな事を思って
いろいろ考えてそれで僕はどこかへふらふらと流されていく
もう流れることにも疲れた
自分を変えることも自分を保つことも
全てにあまりにもエネルギーを必要とするその欠片の在り方にも

崩壊していくだろうと思う

僕をこの世界に縛り付ける糸は、
もうそのほとんどが断ち切られてしまったように思うから
それをまた、1から編もうとするようなエネルギーは
僕にはもうないと思うから

だからもうすぐ、
ここは閉じる予定です。
その事を、少しだけ申し訳ないとは思うけれど
こんな愚痴だけのblogをただただ延々と続ける事には
ほとんど意味がないと思うのです。

応援してくれた人にはすまない、と思います。
だけどこれ以上、僕をここへ縛り付けないで下さい。
自らの意志で書かれていないテキストは、
人の首を絞める縄にしかなりません。

だけどまだ、僕にはここを閉じるだけの力もありません。
読者の全員を説き伏せるような言い訳も説得力も持ち合わせていません。
だからもうしばらく続けることになるでしょう。

それでも。

間違いなくここは数年以内に消えます。

ここは作者が不在の記号となるでしょう。
そしてその意味は、読者の数だけ存在し、
また読者のどうでもよさによって
ここもどうでもよくなっていくでしょう。

毒にも薬にもならない。
ここに書かれたテキストは。
もはやこの場所は、儚さすらも失われるために
読者によって作者が奪われ続けるでしょう。

かまわないよ。

読まれるために書いたんじゃない。
ただ、書かずにはいられなかっただけなんだ。

挨拶だって一行じゃおわらないんだよ

2005年12月07日 19時34分20秒 | 駄文(詩とは呼べない)
いつだったか
自分の中でふと思いついたんだ
もしも自分の中で絶対に変わらないものが
たった一つでもあったとしたら

もしかして
僕が絶対に変わらないように
硬く固く心を閉じこめて
堅さのようなものをずっと保っていけたら

そしたら
このどうしようもない僕を裏切る世界で
僕だけが僕を壊しながらも
僕よりも小さな場所にいる君に

出会ったりすることが
あるんじゃないかって

それは秘められた小さな予感に似ていて
まっすぐ進み続ける勇気にも似ていて

それは閉じられた世界の裏側で
深呼吸し続ける
開かれたなにかで
決して取り戻せないなにかで
奪われる続けるなにかで
だからこそ
誰にも触れられないなにかで

ジッと背中の瞳で僕はそれを見て
そして初めて
生きてるのが怖いって
そう思ったんだ

だから僕は決めたんだ
もう僕は、これ以上生まれないでおこう
このままジッと
朽ち果てるのを待とうって
そう決めたんだ

そしたら驚いたことに
いろんなところに生えてる木がしゃべり出したんだ

何を見てるの?
(どこを見てるの?)
「こっちをみてるの?」

僕は黙ってうなずいた

そして、三歩さがって首を振ったんだ
なにも見てない
僕は見てない
僕は何も知らない

そしたらね、
僕の中で誰かが呟いたんだ

わからないよ
(だいじょうぶ、わからないよ)
「…僕はなにもわからない…」

不思議だけれど、そこには奇妙なものがうようよとしていて
僕を取り囲み、僕を舐めたり、僕の耳元で耳鳴りを囁いたりした

こわかったから、
ぼくはそこにいるのがこわかったから
ジッとその場にうずくまりながら
助けを呼んだんだ



誰も来なかった
本当に誰もこなかった
どうしようもないほど誰も来なかった

だけど代わりに
彼らもそこから遠ざかり居なくなった
その日から、僕の時計は全く進まなくなった

時計なのにいつも北を指している

おかしなことに
逃げ場所はいつも北だったんだ
たぶん、磁力かなにかなんだと思う
止まった時計が北を指し、僕が北へ逃げたのは

僕がそこへ逃げる間、
僕はたくさんの僕と出会い、
たくさんの僕について考えた
僕は僕と話をすることができたし
僕は僕についてのいろんなことを
まるで昔から知っていたかのように、語り続けることができた
僕はそれを聞いて笑ったし
もちろん僕もそれを見て僕も笑った

だけど時々、どうしようもないほど悲しくなることがあった
この世を歩き続けても この界を走り続けても
僕はまるで、一歩も進んでいないような感覚にとらわれた

地獄に捕まった囚人のようだと思ったこともあるし
天国に落っこちた堕天使のようだと思ったこともある
だけどそれはまるで
なくなった世界を思い出し続けるような、
そんなどうしようもない記憶喪失に似ていた

風が吹いたんだと思う
涙が出た
泣いたのかもしれない
でも泣いたなんて思いたくなかった
泣いたってしょうがない
泣いたって誰も助けてなんかくれないんだ

だから僕は
自分を信じることにしたんだ
僕だけは、自分を信じて、そして常に、自分のことを、わからないと決めようと
そう思うことにした

だからここは
だからここには
嘘の吐き方って
そう書いたんだ
看板だからね

別になんでもよかった
どうせ誰も見てないし
どうせ全ての意味は僕にしかわからないんだ

あした、きみに会いに行くよ
明日がきたら、「あした君に会う予定だよ」
って、そう答えるつもり
明後日が来たら、「あしたはあしただよ」
明明後日がきたら、「あしたはまだきてないよ、今日はまだ君に会わない」
そういうだろうと思う

ようこそ神様
そして僕の世界へ。

誰かが嘘を吐くだけで 僕は名前をつけることもできはしない

2005年12月04日 21時01分21秒 | 駄文(詩とは呼べない)
やは!
はにゃです。

喘息はとくに問題なし。
たまに調子悪いけど
肺のあたりが重かったりむずむずするような時は
先に吸入をしているのであまり困ってはいないです。
まぁ悪化する前に予防できているってことで。

太陽の燃える場所というのは
そのまんままさしく太陽が燃えている場所なわけだが。
これは人間には直接確認することができない。
近づくだけで熔けてしまうわけだし
太陽から出る光線のほとんどは可視光線ではなくて
不可視の光線なわけで。

で、イメージ的には
昔アニメ版ドラゴンボールのオープニングに出てきたような
巨大なフレアが宇宙をごうごうと龍のように荒れ狂うシーンと
人間の心臓が脈打つ様子を
コンピューターグラフィックスでモーフィング処理して
さらに曇りガラスを通して見ながら
そのガラスを溶かすような。

あまり定かではないんですが
赤白い感じです。
それがだんだんと真っ白になっていって
白を超越する感じ。

殻は圧力を感じるとき強く意識するものですが
自発的に宇宙の端っこを想像したときにも意識されます。
おそらくは人生で最初の批判をされた時よりも前に
生まれて初めて誰かに話しかけられた時の
「気づき」に近いものと思われます。
批判される時は自閉的、観念的に形成されるわけですが。

僕が時々論理防壁と呼んでるやつもそうなんですが
むしろひよこが生まれる前にくちばしがコツンと当たるのに近いような。

内面化の話は以前聞いた内容とほとんど同じだね。
はっきりと大きな声がうるさく響いている時期もあったけど
今はそんなことないと思う。

自分・自身・自信
そういうものの揺らぎは人が人間として生きる上で
避けては通れないにも関わらず、ある意味危険な、
どうしようもないものだということはわかっています。

説教だとは思っていません。
もっと説教くさい人間はいっぱいいる。
とくにうざいとも思っていません。

ただ、君の存在がいつも宙ぶらりんであることは
ある意味ありがたい事だとは思っています。
かなり失礼な物言いをさせてもらえば
僕が一人で電話機を片手に部屋をうろうろしながら
妄想に耽っているだけとも言える。
君の存在はあまりハードウェア的でないから。

けど人という奴はほんとうにどうしようもない奴で
いつもいろんなことを忘れながら生きている
今を確認できないのもそのためで
ほんの数秒経過するだけで
もう数秒前の事を忘れながら生きてる。
だけど僕には固い硬い堅いどうしようもない記憶があって
いつもそれは牢獄として作用する

なのに最近僕の中ではいろんな記憶が失われているんです
はっきりとわかるほどに。
朝起きたとき、頭の隅にしなくちゃいけない事が山ほどあって苦しい感覚
あーいうものがボケていくことで
どんどん薄まっているような。
そういう解放の中にあるんです。

自分を生に繋ぎ止めるものは
大きな大きな思いこみです
自分が自分だという。
僕は自分を忘れず、常に痛みの糸がふるえて
ここに肉体のようなものが、
なんだかよくわからない思考のようなものが、
今、何かを思い出すように
今をしっかりと感じられているような、
そうしたハッキリとした贖罪の覚醒のような
義務感と徒労感の連続のような
どうしようもない息苦しさの連続のような
あるいは儚い、涙が出るほどのどうでもよさのような
そうしたちいさなちいさな思いこみの連鎖の束縛が
生そのものへの執着心であるかのように僕を装って

強い大きな嘘が
ハッキリとした茫漠で巨大な孤独感が
残酷なまでに強欲ですべてを喰らうような
いきとしいけるすべての生を破壊するような
烈火のような怒りの炎が
なんにもない真空の闇を包み込む
死の領域で燃えているんです

生きたいなんて思ってない
思っているのはせいぜい活きなくちゃという程度だ
死にたいなんて思っていない
思っているのせいぜい死んでしまいそうだという程度だ

全部全部ぬるまゆの中にあるんですよ。
宇宙を満たす羊水から全く顔をあげもしないで
ごぼごぼ言いながら夢を見てるんですよ

戦争っておもしろいなぁ、とか
平和ってめんどくさいなぁ、とか
ここはいつからこんな風景だったっけな?とか。

もうね、どうしようもない。
正直いつ死んでも僕はもうたぶん気づかない。
自分が死んだかどうかさえ
僕には確認するすべもない
贅沢だとか甘えだとか
そんな馬鹿げた理屈は聞き飽きたし
誰も誰かを救えない
出会うことすらないない世界で
人は誰をどうして何が人間になる?

馬鹿げてるんですよ、この世界は。
ずっとずっと自分の宇宙しかないんだ
アホらしくてやってられない。
退屈すぎていつでも死にそうだよ

もしね、
今すぐにでも
自分ってことを発明した馬鹿に会えるなら
僕は今すぐそいつを殺しますよ。

もしかしてね、
自分って概念は、ちっぽけな僕が作り出した
永遠へのせめてもの抵抗だったとしてもね、
僕はそんな自分を今すぐ殺しますよ。

ずっとずっと自分のことばかり考えてるんだ
ずっと自分を見失っているから
ほんのちょっとでも、わずかばかりのなけなしの感情を
馬鹿みたいにむしゃくしゃと覚えていたくて
僕はいつだって自分で自分のフリをする。

だけどそんなものはいつだって失い続ける幻想なんだ
自分なんかいないんだよ!
ここには。
今には。

もし本当に自分なんてものがあるとしたら。
それは最初に誰かが考え出した嘘なんだ

だから殺すよ

「自殺する」

そういう世界なんだよ
僕が抱きしめている世界は。

脳がぼろぼろになるまで考えればいい

2005年12月03日 02時49分22秒 | 駄文(詩とは呼べない)
正直に書かれた文章を読むと落ち着くね。

なのになぜ、僕の書いた文章は人をそわそわさせたり
追い込んだり傷つけたり苛立たせたりするんだろう。

あまりにも踏み込んだ言葉は、
人をぼろぼろに消耗させたり
人に何か重いものを背負わせたりする
少しでも何かが狂えば、あっという間に壊れる信頼とか

ほんの少しの邪さで壊れそうになる心とか

僕の周りに見えているものはそんなのばっかりだ

僕の身近にあるもので
僕が好きになれるようなようなものは何もない
なのに僕は、自分の側に自分にとって都合のいい人間だけを置こうとする

僕の手が届く場所にあるもので
僕が触っても壊れないようなものが、何かあるのか?

光を美しいと思えるような心は、
もうすぐ僕の中で壊れてなくなる。

だから太陽が燃える場所を、
ジッと見つめようと思うんだよ
目が潰れるほど真剣に見続ければ
色のことなんて忘れられるかもしれない
なんの色も捉えられないどうしようもない目が
僕に真っ暗闇の現実を見せるとき、
初めて僕の中に美しい景色が生まれるのかもしれない

だから僕は、
自分が死ぬ最後の瞬間には
一人で闇を見続けるよ

更新する義務なんか背負いたくないよ

2005年12月02日 01時11分19秒 | 駄文(詩とは呼べない)
人を信じられないのは僕の方だ。

結局それが、社会に出られないでいる現状とも繋がっているのかもね。

現状と心理と僕が見つめる自己の心理動作を追っていけば

最近の僕の症状として時々上がったり下がったりする動きは
「すでにかなり身近だと感じてる人」
以外の人へはなんだか恐ろしくて接したくないということ
それがいろんなやる気の減退に繋がっています。
あるいは逆に意欲の減退こそが
赤の他人への恐怖として拡大していってるのかもしれませんけど。

ほんの一握りの人としか、
今しばらくは接していけないような気がするんです
すごく萎縮していく自分を感じています。
それが死に対する予感や体調と関係してるかどうかまでは
難しすぎて自分じゃわかりません

ただ、とにかく外へ出るのが怖くなる事があるんです。
色々な場で、自分を試すのが怖い。
嫌われる事の恐怖と似てるけれど、
どちらかと言えば自分らしさが継続出来ない事への恐怖のような気がするんです。

あんまり元気じゃないとメールに書いたのはそういうことなのかも。

時々、この国はもう終わりだと思う事がある。
ヒッキーが引きこもりっぱなしで居られるのは
主に親が僕を守ってくれるからなんだ
じゃぁ闘えと言われたら、
僕はきっと自殺するだろう。
だけど僕は戦争にも平和にも、もううんざりなんだ。
突然自分が死んだり居なくなったりしても平気なのに
攻撃される事は怖い。
変な矛盾だよね。

最初はプライドが高いのかと思ってた。
でも最近なんだかそんなのとは違うと思ってる。
生きる事自体が恐怖の連続で
生きてるって事を実感する暇もなくて
めまぐるしい毎日の中で
自分が世界からどんどん削られて消耗していくんだ
充実とか満足とか、そんな事以前の問題なんだよ。
恋愛がどうとかいうよりも前に、人が怖いんだ。
人間が、怖いんだよ。
どんな人間も、僕に接点の無い人間は全部背景にしか見えない。
ほとんどの人間が、どんどん灰色になっていくんだよ。
自分の手の内にあるものだけが、色が付いて見えるんだよ
夢の中の景色はいいよ。
ネバーランドなんかじゃなくて
ほんの短い間の許された眠りだけれど。

怖いんだ、可能性と言う名で呼ばれている世界が
毎日壊されていく事が。

現実が怖いなんてよく言うよ
怖いのは現実じゃない
誰も信用できない自分なんだ
最後には自分が自分を裏切ってしまう光景を、
僕はもう見たくないんだ

やっぱり死ぬよ、たぶん。
はじめからなんにもない可能性だったとしても、
やっぱりもう、僕には未来が見えない