嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

短いあからなさの中で、伝わる熱はなんだろう。

2007年07月21日 03時28分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
正解の無いやりとりって、
すごく難しいんですよ

正解のあるやりとりなんて
もちろん自分の中だけの独り言の反響かもしれないんだけど。

鳥かごの中に君を閉じ込めてしまえば、
君は羽ばたく事ができない。
だから僕が気をつける事は、
なるべく君を具体的な何かだと決めつけないで
その柔らかさを残したまま接するように、
既成概念の網で君をぐるぐる巻きにしないように、
そっと触れなくちゃいけない。

それって、僕の側にも言える事かもしれないけど、
たぶんそちら側にも言える事だと思うんですよ。

つまり、お互いが鏡の精度を高めようとしなければ、
心を映す鏡を、磨き続ける事はできない。

ほんの少しでもいいから、
自分を知って欲しいと思う事。
相手を知りたいと思う事、
そういうかすかな震えの連続で、
ぎりぎりなっているのが僕らの居る丸い地平でしょ?

一歩踏み出せば、
いつでも暗い影と自分が入れ替わって、
どっちが自分で、どっちが相手なのかわからなくなる。
どっちが本人で、どっちが虚像なのかわからなくなる。

だから僕らは、
少なからず、自分に対して正直であらねばならないでしょ?

いや、違うのかもしれないんだけど、

僕は、正直さを失くしたままで、
自分と向き合う事はできないと思うんですよ。

君がここに来てくれる事は嬉しいです。
真剣に僕の文章を読んでくれる人が居るなら、
僕は書く事にそれなりの自信が持てます。

だけど、ちょっとでも気を抜けば、
僕らの居るセカイは、あまりにも決まり切った日常に染まってしまう。

だからこそ、
僕はその存在が薄弱で、背景に近い方がいい。
僕が透明さを失って、
何かの色に染まってしまう事が、
恐ろしくてたまらないからです。

どうしたらいいんだろう?

いつも考えています。

だけど、どんなに自分が間違っていても、
僕の業が、僕の倫理を超えないように、
僕は自分の最大範囲を定めています。

長居しても、短い奇跡でも、
ささやかな安心の場だとしても、
僕にとって、ここは限界砂残り11ヶ月の土地です。

住むセカイが無くならないように、
君が僕を憶えていてくれたら、と望みます。

単なる弱音では終われないほど、
僕の重力は歪みきっています。

時間軸の虚数性

2007年07月19日 20時22分43秒 | 駄文(詩とは呼べない)
時間って矛盾の拡大の中で広がっていくものだと思うんですよ。
何かを決断し、それに向かって真っ直ぐ進んでいる時は
時間はすごい速さで経過していきます。

そもそも、時間という絶対性はこの世界にありませんよね?
誰かがその考え方を概念として用意して、
そういう解釈や説明がわかりやすかった、
そういうことですよね?

人は本質的に独りっきりだという話はよく聞きます。
どこかで何度も何度も聞いたような話です。

でも、それが100%の孤独であったのなら、
そもそも最初からあまり問題にならないと思うんですよ。
自意識が100%自分を肯定し、
誰とも出会う事が無いのなら、
そもそも他者性や、出会う事の不思議や、
未来や、愛と呼ばれている何かに、
人が翻弄される事はありません。

大人になっていく過程で、
多くの人が既成概念、
用意された答え、
外にある正しさ、
そういうものに屈服して
「生きる」を受け入れてしまっていると思うんですよ。

それでその延長に何があるかというと、
「確定」なんですよ。
可能性がどんどんと死滅していって、
生のパーセンテージがどんどん増加していき、
100%に達した瞬間に全ての世界が死に絶えます。

全てが生で満たされる事、
それは絶望的に未来が失われている状態

でも、逆もそうなんですよ。

心の中で死が充ち満ちていて、
あらゆる生が奪われていく事
それもまた、絶望です。

矛盾した二つのエネルギーが激しくぶつかっている時に、
それらを超える形で、新しい方向性が生まれますよね?

全てがXであることと、全てがマイナスXであることは、
同じくらい馬鹿馬鹿しい軸ですよね。
もっとXとマイナスXが鬩ぎ合っていないと、
Y軸が生まれない。

僕の中で、心はずっと前から死んでいます。
小学生の頃、死を予感した時から、
自殺を決めたときから、
僕の世界は○く閉じてしまいました。

しかしその時から、身体は凄い速さで老化しています。
内側の選択肢と、外側の選択肢とが、凄い速さで交差して、
その混乱の中で、常に僕の選択肢は内側にロックされています。

もしも、この世界に、僕以外の存在が居ないのなら、
これはその時僕が感じている走馬燈の中に、
ただ僕がインサイドしているだけの状態です。

常に内側を選び続ける惰性というのは、
いつもいつも自分が神になって創造した世界の中でだけ遊ぶ、
という繰り返し行為なんですよ。

僕が生を選ぶのではあれば、
僕は宇宙の外を目指さねばなりません。
この世界はとても広い様相を呈したトリックに包まれているけれど、
その実、この宇宙は胎児のちょっと先までしかありません。

羊水の中で生き続ける胎児にとって、
深い眠りは彼の世界の生そのものです。
ですが、それは新しい世界に対して、まったく誕生していないんです。

僕らが現実と呼ばれる世界で生き残るために選ぶ選択肢、
それはいつもこの世界から一歩も動かないための膠着でしかありません。

本当に生きようと思うのならば、
全世界にある生物を神の力で殺し続け、
それを食べ続け、永遠に近い途方もなく長い時間を生き抜き、
自分の大きさと宇宙の大きさを重ね合わせの状態まで持って行かねばなりません。

残念ですが僕はそのような生の痛みには耐えられそうもありません。

意志があまりにも薄弱だからです。
あなたが言う暗示に弱いというのと似ているのかもしれません。

僕は残りの時間そのものを、どちらかの極論に確定させて、
縮める事を望んでいるわけではないですよ。
砂時計を、無重力空間に置いてみて、
その上から下か、どちらかに心を置いてしまうのなら、
砂は凄い速さで流れていきます。

この世界で一歩も動けなくなるほど、
あなたが自分を消耗してしまったのなら、
あなたはそこで休んでいてもいいと思うんですよ。
何も選ばずに、何も行動しなくてもいいと思うんですよ。

だけどそれが「迷い」の状態にある限り、
あなたはその世界から出られないと思います。
だからこそ、あなたには死が、衝動的に、発作的に
救いのように映るのではないですか?

僕はこの世界に「意志」と呼ばれる精神性が存在するのかどうか、
とても疑っています。
もしも僕が自殺に成功したのなら、
それは僕の意志がこの世界に介入することの現れではありますが、
僕の意志と呼ばれる抽象性は、
いつも他者である全ての世界の外側に内包されてロックされてると思うんですよ。

生に偏る事も、死に偏る事も、この世界の日常の中に包含されますよね。
黒い服着たお祭りであるか、
喜び泣き叫んで臍の緒を切断する儀式であるか、
そうした日常性の中を出られませんよね?

それは僕の望んでいる終わりとは違うんですよ。

僕の意志の力で、宇宙が自殺する事、
それが望みです。

みんながみんな、具体化の流れの中で他者を望むようになったら、
この世界はどうしようもく膠着して
シュミレーションとパズルだけが支配するようになっていきます。

僕が望んでいる事は他殺ではありません。
なので手伝いは要りませんよ。

でも、観察する人は、外部の目線は、
永きに渡りあって欲しいなぁ、と思います。
それを読者という具体性に代入するかどうかは、
まぁそれぞれが勝手にやってくれれば良いのですけど。

名乗る必要のない名無しから名前を奪い取るために。

2007年07月19日 04時20分02秒 | 駄文(詩とは呼べない)
嫉妬。

難しい感情です
僕のことを羨ましいと言った人はいるけれど
僕に嫉妬してるとか、
僕の才能に嫉妬してるなんてことを
ハッキリ明言するような人は
これまで居なかったので
どう答えていいのかなかなか混乱します。

ただ、ひとつだけ勘違いしないでもらうために
釘を刺しておきます。

テキストというのは
そこに置かれているだけではただの墓標とかわりません。

そこにある記号のような
意味不明ででたらめな言葉の羅列を、
読み取る事の出来る読者が居て、
初めてそれはその人にとっての言葉となります。

僕の中に、唯一のものが、
たった一つの何かが見えているのだとしたら、
それはあなたに自分自身の中にある
たった一つだけのものが、
何かしら、僕のテキストを通して見いだせて居る事になります。

逆に言えば、それはもちろん孤独を生きるための才能だと思います。
だってこの世界に

たった一つしか。

それが無いのですから。

僕は一つの才能が世界の何かを凌駕し、
この世界を変えるきっかけとなるのかどうか、
今ひとつ自信が持てないでいます。

もちろん僕には
僕自身の唯一無二の何かがあるのかどうか、
それ自体自身では判別できていません。

ただ、僕の見ている世界は,
おそらく僕にしか見えていないのだろうな、
という気はしています。

それを思うとときおりどうしようもない気分になるのですけど、
それを言い表すのがとても難しいんです。

僕の見ている世界を、
どれだけ必死に伝えようとしても、
あまりにも膨大な途方もない渾然一体となった悪意が
鍵を開こうとするたびにドッと押し寄せてくるのに似た絶望があるからです。

そのことの一つが、
僕の世界にある感覚を、
僕の見ている曖昧さを、
そのままアナログなものとして
ここに持ってこれないというどうしようもなさがあります。

僕が考える時の、僕だけの世界が感じる感触は日本語ではありません。
それを誰かに伝えようとする以上、
伝える想いが必死であるほど、
それは日本語の様態を崩壊させてぐちゃぐちゃになります。
そのことでずいぶんと責められました。
多くの人から、「お前の言ってる事は意味がわからない」
という突き刺さるような圧力を感じます。
それを感じるたびに、僕は相手の言葉が見えない事と、
自分の言葉が相手に見えない事の、
その間で妥協のような、譲歩のような、
なんとも言えない悪意の間で揺さぶられます。

ほとんどの人が、
「オレにわかる言葉で説明してくれ」
「普通に誰でもわかるような言い方に直してくれ」
と、僕に要求してきます。

それは本質的におかしな主張です。

テスト用紙に書いてある4次方程式が解けない時、
問題を3次方程式に書き直して出題してくれと
紙に向かって迫るような行為だからです。

だから僕が何かを言い直すたびに、
もとあった僕のオリジンは失われます。

それは僕の記憶が改ざんされるのと似たような暴力性を持っています。
けれど、その痛みは、何かしら相手に奇妙な同情のような、
得難いふらつきのようなものとして、
相手に振動が伝わっているような気もしてくるのです。

そしてまた相手は僕に
その痛みの本質のなんたるかを見つめるまなざしを送ります。
そうして僕はまた、
ここで僕が苦しんでいるもどかしさをぐちゃぐちゃの言葉で書き殴るのです。

おかしいでしょうか?
僕の書いている事は、どこかおかしなことでしょうか?
そんなに意味のわからない文章なんでしょうか。

どうしたらいいんでしょうか。
僕が、当たり前の言葉、普通の言葉、誰でもわかる言葉、
みんなに共通の言葉、日本語、標準語、
そういう固いものに毒されて、気化していくその感情を失ってしまえばいいのでしょうか。

全てを受け入れるには、あまりにもこの世界は
現実と呼ばれる曖昧で漠然としてインチキな固定概念に充ち満ちていると思いませんか?
その固さを受け入れるたびに、僕たちの中にある
生まれつき持っている何かが壊されていく気がしませんか?

そしてそれは、本質的には柔らかさの位置にあるような気がしませんか?
ソフトウェアをハードウェアで破壊する行為のような気がしませんか?

僕は弱さを失いたくありません。
自分がいつも死にたいと思っているその感じを、
手放したくありません。

自殺は本人にとって、その本人に宿る意志にとってとても貴重な、
誰にも奪われない尊いものだと思います。
けれどそれは、おそらく生や存在を信じるものにとっては、
異端の神と同じくらいの暴力性を持っているのだと思います。

死に神は蘇る。
「神は死んだ、そしてその時、死に神が生まれた。」

始まりの終わり。
終わることによる始まり。

不可逆的可能性

2007年07月18日 04時13分06秒 | 駄文(詩とは呼べない)
なにもしていないから、なにもできない。
なにかをするから、なにかができる。

すごく、絶望的な気分。
特別な失敗は無い
それでもいつも感じている行き詰まり。
いつも、何かが手遅れのような気がする
何かをしようと思うたび、自分の中で何かが終わっているような気がする。

開始する前の、どうしようもなく悲観的な思い込み。

チャンス-そういう名前のものは
たぶん、あやういほどに真っ逆さまに転げ落ちるための
最初の布石。

誰にも何も期待しない
ただ、ときおりどうしようもなく
自分の中で、なにかが終わって崩れていきそうになる。

僕の中に何も無い。
誰かと比べて、という相対性ではなく
絶対的に、僕の中に欠けているものがある。

この世界を照らすための、
重要な感覚が、一つ以上足りない気がする。

そういえば、目が見えなくなって、
ずいぶんと色んなものを諦めた気がする。

それと近いのかもしれない。

何かが足りなくて、
いつも何かを諦め続けてるような感じがする。

そういえば、強欲が足りない。
いつも、業が足りない。
生命力が、圧倒的に足りない。

欲していない。
なにも欲していない。
ただ、後悔ばかりが込み上げる。

どうして生まれてきてしまったんだろう。

それでも、親を殺すほどの勇気はない。

でも、もしも子供が生まれてしまったら、

たぶん僕は殺す側の人間なんだろう― ―そんな気がした。

思い出すたびに喪失する記憶とともにあるから、人は「生きる」に閉じ込められる。

2007年07月16日 19時36分29秒 | 駄文(詩とは呼べない)
生と死が完全に身近になって
今と重なることによって
私は私以外の形へ変質する

それはもちろん私の死に他ならないのだが
私にとって死は絶望ではないのだと思う。

というのも、もちろん私が死ななければ
君が生まれてくる事は無いのだし、
それは「生」や「性」や「産」以外の
もっとも【その他】に近い観念であったとしても、
抽象概念であったとしても、
やはり私の死によって、君は新しい世界へ生まれるのだと思う。

そういう意味では、「自分」という大きな袋の中に
「意志」が含まれていないことを、
私たちはそれほど絶望しなくても良いのではないか?
と単純に思ってしまうよ

予感は重要なファクターだ
君がそこに居たとしても、居なかったとしても。
私が今ここにいることと、君が今そこにいることに、
絶望的なほどでっかい隔たりがあったとしても、
その隔たりの事を永遠と呼ぶとしても、
それでも予感は重要なファクターだと思うよ。

宇宙が終わることを、君は悲しいと思うかい?
僕は宇宙が自殺することを悲しい事だと思うけれど、
宇宙から時間が終わることを、悲しいことだとは思わないよ。

五次元への船出、それは幕開けだよね。

君は悲しいかな?僕は記号だよ。
特別な感情はない。
僕にとってそれは記号だよ。

わくわくもしない、
たのしくもない、
かなしくもない、

もしかすると。

生→死への時間性について嘆くことよりも
五次元の事について必死に考える事の方が
遙かに生産的だったのかもしれないね。

しばらく僕たちは、記号と出会い続けて
その事に思い悩むことになると思う。

だけど時間が可逆であることは
過去というマクロとミクロの非対称性の中に閉じこめられている人達にとっては
「歴史」という名の威厳がもたらした悲願だったんだよ。

タイムマシン。
素敵な夢じゃないか。

だけどもう、僕には必要ない.

たぶん独りっきりで読んで欲しいということなのか。

2007年07月16日 17時00分46秒 | 駄文(詩とは呼べない)
考えてみた。


よくわからないけど

僕はここを見つけてくれた人が
どうやってここを見つけてくれて
何を考えて僕の文章を読んで、
そしてその想像力の世界に
どれくらい僕を住まわせてくれるのか、
それが気になるんですょ。

例えば「都会の孤独」という暗示、
あるいは病理、もしくは思い込みがあったとします。

その暗示は田舎に立ち返って
自分が生まれ育った故郷で
なんとなく町の人たちと交流しながら、
汗をかいて日々を過ごしていくことで
解消されていく可能性が高いものだと思うんですよ。

だけど「現代の孤独」とか
「存在の誤解」というものは、
そう簡単にほどけないほど、
強い強い固い結び目だと思うんですよね。
思ってしまう、ということなのかもしれません。
僕だけが、
あるいは僕だけでなく誰もが、
もしくは耐久性の限界、
言葉の接点の粘着力の終わり。

「疑い」というものに、
もしもはっきりした形質があるのならば、
その形がしっかりと組み合った時には、
その逆の凹凸のようなゆがみを持った相手となら、
もしかしたらコミュニケーションがとれるかもしれないわけです。

だけどもし、誰もが自分の世界で真っ直ぐで、
どうにもならないほど、どうしようもなく自分に真っ直ぐで、
正直な人ばかりであったために
その世界で誰も誰かを理解できないのだとしたら、
僕らはいったいどうしたらいいのでしょうね?

自分を欺いて誰かに合わせるのでしょうか?
自分の変質的な病理を見極め、
鍵に併せて鍵穴という世界を組み立てていくのでしょうか?
それが成長?

…違うと思うんですよ。

たとえ誰にも理解できないとしても、
僕は自分が考えた事をどこかに書きとめておかねば、
それはどう頑張っても
誰にも伝わらないままで無くなって
気付かれずに見過ごされていくものだと思うんですょ。

存在を叫ぶというのは難しい行為ですよね。
「存在」という言葉や意味が、誰かから分け与えられた誤解であれば
それはますます自分の世界だけで、
「孤独」という言葉に接近する意味を持ちますよね。

誰もが存在の原点を持ってしまえば、
それは生を証明する事による、完全な孤独、
世界の絶対性だと思うんですよ。

世界しか作れなかった孤独な神様の忘れ物だと思うんですよ。

誰かが僕を発見するためには、
例え死んでいたとしても、生への手紙として
遺書を残さねばならないというのが、
僕の考えに近いです。

へんてこな日本語ばかりですみません。

齟齬が発生しているのは、自覚しているつもりです。
でもなにか、伝わればいいなぁ、とか。

ここで何かを必死に叫ぶのは僕の罪でしょうか?

それでも、もしそうだとしても、
やっぱり
僕は。

非日常の事を もう少し。

2007年07月09日 04時53分31秒 | 駄文(詩とは呼べない)
いつも通り、横断歩道の白い線の上だけを、
特にその淵だけを踏みしめて歩いた。

白い線が途絶えそうになったら、僕はジャンプする
きっとどこかしら、白い線はあるんだと思いながら
白い線が途絶えたら、白いセメントを、横断歩道の淵を歩いた。

白い道は途絶えた。

僕はもう白い道は歩けない
あるいは引き返すのか。
それとも此処で死ぬか。

結果として、やはりというか当然というか、
僕はそこで妥協せざるを得なくなる
だからそこから先は、全部灰色の平坦な道を歩くことになる

工事現場の知らない人にも「おはようございます」と挨拶する
近所の人、顔も覚えてないような人にも、にこやかに挨拶する

(大丈夫、大丈夫)
今はきっと、僕は普通の人のフリが出来てる

車のスピードが速すぎる
行き交う人々の平然としたてくてく歩いていく姿にさえ嫉妬する。
結局僕はこの世界の速さに全く慣れていないのだ

自分の決めたルールの無い場所は、
いつも混沌とした速さで意味不明な輪郭から
特別な色が情景としてうなって吼える
僕はこの世界には向いてない。
慣れるってのはつまり、ものさしを捨てることだ
自分で何かを判断する事を諦め、全てをフィルタリングし、
情報の一つ一つに目を向けて分析して考える事を
諦めて平然と歩いていくことだ。

非日常はいつも僕の意志とは無関係に、
すごい速さでめまぐるしく回り廻って周り狂う不思議な世界だ。

だから結局、そこには楽しい事なんて何一つ無い。
怖いことの連続があるだけなのだ。
聞いたことも無いガイドラインに沿って、知らない道を、
ガードレールから落ちないようにびくびくしながら歩いていく
奴隷の行進に変わるのだ。

そうやって、なんだかわけのわからない魔物に従って歩いて…
それでなにか楽しいのか?

結局のところ、二極化してしまえば二つに一つしか無いのだ。
僕が変わるか、世界が変わるか。
僕はもう死んだ。それは変えられない。
じゃぁ世界が死んだ人間をそっと放置しといてくれるか?
腐らないように、ミイラにもならないように、
永眠する死体のままでそっと放置しておいてくれるのか?

しないだろう。
たとえば僕が今日から生者の行進をやめて、
死者の後進にしても、
あるいは死んだふりをやめて生きた背景になったとしても、
どちらにしても世界の変化は僕を壊して僕を忘れる。

だから結局は、世界のルールになんか従ったってしょうがないんだよ。
世界は僕に何もしてくれないし、
僕も世界に何もしない。
語りかける言葉を持たないし、理解できるほど易しい世界でもない。

世界の変化の潮流に乗っかってサーフィンするよりも、
僕自身が世界を作った方がはやいんだよ。

とはいえ、僕は意志のない人間なんて大嫌いだから
宗教の類は基本的に邪教だと思ってるけどね。

おしいね、君はあと少し頑張れば教祖になれそうなのに。
うるさいよ、余計なお世話だ。そんなもんに用は無いよ。
ほっといてくれ。やりたきゃ勝手にお前がやれ。

とか、そんなこと考えてる間にホントに世の中変なものがはびこって
わんさか新興宗教が出来てるんだけども。

そんなふうに群れたって、結局孤独の解消にはならないし、
自分がつくり出したわけでもないルールを厳格に遵守したって、
結局神も現れなければ、奇跡も起きやしないのに。
ただ、知らない現象はやっぱりいくつかはあるんだろうし、
それを奇跡と勘違いして信じる弱さってのもあるんだろうなぁ、とは思う。

そんでもやっぱり、自分の決めた日常の柵の中でのんびり暮らして、
騒がしくてうるさい柵の外を「非日常」と呼んで批判する僕の弱さも、
結局は宗教対立とそんなに変わらないのかもしれない。

もし、この世界に動物が一匹も居なくて、
昆虫も全く居なくて、細菌も微生物も居なくて、
植物だけがのんびりのろのろ成長して、
それを観察したり分析したりする事が僕の生き甲斐だったとしたら、
僕はその世界でのびのびと安心して暮らせるんだろうか?

たぶん違うんだと思う。
植物が、僕にとっての不思議であるというよりは、
むしろ僕にとっての敵として、おそるおそる接していくことになるんだと思う。
毒リンゴで殺されるほど、むしゃむしゃリンゴを食っていられない。
いつでも植物は僕を殺そうと狙ってるのだ、
そう思い込んで、僕は食べることをやめて餓死したりなんかしそうな感じもする。

ただ、それでも僕より速く動くものが全くなければ、
僕はある程度安心してのびのびとしては居られるのかもしれない。

小さい頃に比べて、一日のながさはずいぶんと短くなった。
シャボン玉の模様が変化する速度は、おそろしく混沌とした速さを帯びてきた。
それもこれもみんな、僕が老化したせいなんだろうと思う。
自分が柔らかく素早くそしてすばしこく、
環境の変化に適用できるような若さを保っていたのなら、
もう少し世界は僕の目に楽しく映るんだろう。
だけど心が死んで硬質化してしまった僕の時間は、
ただいつもちぐはぐな時の流れに挟まれて
苦しくぎゅうぎゅうとわめくだけだ。

非日常。
それが昔は冒険の醍醐味だったはずなのに。

僕はいつから、非日常を畏れるようになったのだろう。

陳腐なイデオロギーと基礎粘着力

2007年07月08日 12時24分12秒 | 駄文(詩とは呼べない)
孤独主義と協調主義という二つのイデオロギーがもしもあったのなら、
僕は生まれつき協調主義の環境の中で育った孤独主義者なんだろうと思う。
まわりにある柔らかい景色は、僕の側に近寄るだけで硬質化して、
僕を激しく傷つける。
もともと僕を包んでいるのは、たぶんとてもやわらかい材質で
永い時間をかけて出来ているはずなのに、
僕の側では短い時間で硬質化する。
そしてその硬質化したものが、僕を傷つける。
僕の重力から離れれば離れるほど世界は柔らかい。
けれど僕に近づけば近づくほど、世界は固くなっていく。

何故か。

それは僕が死んでいるからだ。

死に神は【生の祈り】を、神によって織られたかもしれない無限の景色を、
有限性の中に閉じこめて物質化する。
あらゆる妄想で作られたあらゆる幻想を、死の力で物質化する。
もっとも強いエネルギーを持つ固い物質は、
もっとも死に近い【90%の力を持つ存在】に近い。
100%の完全性が無ければ存在とは言えないのだけど、
90%という曖昧な説明ラインをひいている。
簡単に言えば重力とは錬金術である。
すなわちもって嘘である。
重力など存在していない。
重力の存在は死によって証明される。
すなわち、人間の死の尺度においてのみ、
その微々たるいい加減な狭さにおいてのみ、
万有引力の法則は成り立っている。

もしも人の寿命が一世紀程度ではなく、
1億年や20億年であったのなら。
僕らはもっともっと重力の存在も法則も疑っているだろう。

「神は死んだ、だが科学ももうすぐ死ぬ。」

これは僕の中にある完成された結論です。
おそらく、僕はこれを証明する前に死ぬでしょう。
僕もまた、アナタの硬さに眠る一つの小さな石で。
僕はあなたにとっての柔らかい景色に過ぎないのだから。

だけど、あなたにとって死は壁とはならない。
死は忌まわしい生者によって紡がれた嘘の奇跡だからです。

僕は死に神の力であなたの記号に僕を埋め込みます。
僕の生と死は証明されません。
ですが僕の意志がそこにあったかどうかは、
僕の自殺によって、そこになにがしかの運命的な間違いによって
僕の信じる読者によって、
きっと証明されたと祈られるでしょう。

君がもし、世界に開かれているのなら。
君の世界がもし、終極を超えてなお、開かれているのなら。
その開かれた完全な真っ直ぐさで、
閉じられた僕の終わりから、何かを読み取る事ができるでしょう。

だけどもし、君が僕と同じように閉じられた世界で生きる
孤独主義者なら、君はきっと僕のテキストから、
間違った感動しか引き出すことはできない。
丸いものと丸いものは、超越によってしか混じわらない。
超越はもはや丸さではありません。
それは丸さの崩壊です。
だから円周率は平面展開では終わらない。
このままの計算式では終わることができないからです。

だからもし、君が僕の閉じられた丸さから、
直線率を導くことができるなら、
どうか時を超えて、
僕の記憶を書き換えて下さい。

この世界は完璧です。
そして絶望的に美しさがたりない。

もしかして、たりないのは美しさでも正しさでもなくて
僕の努力なのかな。
僕の意志なのかな。
僕の決意なのかな。
僕の汚れなのかな。
僕の中心が、僕の思っている場所にはまだ無いのかな。

はやく死にたい。
人の笑顔をみるといつも思う。
はやく死にたい。

おかしな話だ。
既に死んでいる人間が、なんで今更死に拘ってるんだろう。
執着しているのは、あちら側なのか、、こちら側なのか…

ずいぶんと君に汚された気がする。
それでもなお、君に憧れる時は死を願う。

「たぶん、君が僕か、どちらかあるいは両方が、間違ってるんだよ。」

何も証明できない。
だからもう死んでしまいたいよ。
これと同じ弱さが、僕の中にいくつあるんだろう。

気が変になっても、
呼吸が止まりそうになっても考えることがやめられない。
痛がる事がやみそうにそうにない。
いつまで苦痛は続くんだ。

リアリティが僕の中にしか無い。
これが僕の絶望なのか!

中心と思考と架空と嘘の距離に翻弄して。

2007年07月06日 07時12分45秒 | 駄文(詩とは呼べない)
本物はどこだ
ほとんどいつも、誰かの予想、予感、計画、空想、
そうした既成概念の中で何かを言わされている
例え言わされた事に満足し、同じ事を思ったとしても、
それは誰かにとってのリアルとはならない。

誰かが、いるかどうかも、疑わしいけれど。

自分の本当に思っていることは
作られた言葉じゃ言えない
すでにある言葉では、僕の思っていることは言えない

だけど。

僕が思っていることを、そのまま書けば
それはまた、誰にも解読できない。

二重の絶望、
三重の絶望、
予定調和、僕が予想する言葉。

僕は僕自身が誰から教わった言葉から
いったいどれくらい、はみ出すことができただろう。

ここにある言葉も、ほんの一瞬前に、
自分の中に自然に浮かんだ言葉で、
それは紙に2秒前に用意されたシナリオで
ほんの一瞬、自分の中心に近づいて、
1秒前のシナリオを、日常を壊して言ったつもりになったとしても

それは全部、僕が用意した言葉で
僕自身によって用意されたシナリオで、
そんな時の自分を、僕は信用することなどできるだろうか。

だけど逆説的に、
僕は自分の決めたことなど、
一度でも守り通す事ができたんだろうか。

本当に思ったことを言いたいなら
思ってから言うのでは遅すぎる
間に合わない。
僕が先に思い浮かんだ言葉を書いていたら
それは決してライブにはならない。
生かされてるだけの嘘の言葉で
真実を告げるような重い言葉にはならない。

あらゆる言語の法則の中から抜け出し
あらゆる予想を裏切り、ほんものの言葉の中で
僕は僕の言いたいことを見つけない限り
僕は僕から本物の言葉を引き出すことはできないし、
また、それらは全部ほんの小さな時間差の中にある絶望と同じで
あと一瞬、あとほんの少し
もう少しだけ、いつもより手を伸ばしても、
まだ僕の中心はそのさきにあって
その距離を思うと、僕はどうしても、何かが間違っていても
自分の遠さを感じずにはいられない。

嘘から抜け出すことができない。
たぶん、話そうとするから、それを思うことから先に始めるから
行動よりも前に言葉があるから、
だから僕の言葉はいつまで経っても本物にはならない。

指が僕の思考よりも速く動いたなら、
身体から溢れるもっと激しい情動をここに書き残せるだろうか?

問わない。
問うても、僕は問わない。

僕は僕に質問を投げつけ、
僕がそれに答え続ける。

だから僕は浮かんでくる言葉にはもう問わない。

僕の一瞬前と会話し続けるような言葉では
この閉鎖空間から抜け出せない。

だけどもし、僕が僕によって用意された言葉を超えたなら
そこには、思考すると同時に行為系があって、
後から言葉がついてくる。
そのちぐはぐな感じを、僕はどうやって体験するのだろう。

シドニーの上空から飛び降りたとき、
僕の思考は限りなく麻痺した。
そのぐちゃぐちゃの思考の中にあって
生きることよりも、考えることよりも、
まずその先に僕はただ世界から混乱を感じ取っていた。
あの感覚を、あの非日常を、僕の日常と混ぜ合わせて
中間色に出来たなら、今よりももう少し、僕はここに居ることが好きになると思う。

だけどやっぱり僕はこの場所を
灯籠の中から思い出し続けている
走馬燈をぐるぐる回して、地平線の奥から
ずっと向こう側からやってくる光を読み取り続けている。
たぶん、そのままじゃダメなんだと思う。

だからもし、誰かが言うように、
真っ白なエクリチュールを0度だとしつこく力説するのなら、
たぶん0度では真実に近づけない。
自分と出会った時が0度なら、自分を超越し、活克するものは
もう0度じゃない。

ゆえに僕が虚数と虚構から抜け出し、自分を捨て去るならば、
そこには死の暗号が刻まれるはずだから。

テキストはいつも敗北する。
情動にもパトスにも、感情にも腐敗にも、
思考にも記号にもテキストは勝てない。
いつもいつもテキストは敗北している。

それがたぶん、より一層の、空想的な残酷妄想へ
僕を誘うんだと思う。

もっと考えることよりも速く、
言葉の音を取り出して、
もっと無秩序な、誰にも縛られない遠くへいきたい。

法則と常識から抜け出して、
すべてを忘れて透明になりたい。

ぜんぶいんちきだ。
僕が見ているものは全部でたらめだ。

もっと僕に、透明な神が近づけばいい。
それを殺して、僕は自殺を手に入れる。

遙か遠くに輝く神様を殺すための曲

2007年07月05日 11時36分05秒 | 駄文(詩とは呼べない)
強い虚数の重力を持つ者は
どんなに苦しくても、高く、誰よりも高くプライドを掲げねばならない。
例え才能に見合わない、能力に見合わない、現状に見合わないプライドであったとしても、
ほんの数%でも可能性がある限り、常に自分を誰よりも高い位置に置かなければならない。

能力に見合うだけの今日しか与えられていなかったら、
そうしたら、周り中にある全てのものを受け入れたり肯定したりしながら
なんとなくなま暖かい豊かな生の希望に浸っていられるんだろうか?
羊水と同じくらい、そこには明日への希望が溢れているんだろうか?

だとしたら、それは羨ましいという感覚に一番近いのかもしれない。

けれどたぶん、夢を見ているだけの胎児と
きっと本質は何にも変わらないんだろうな。

ただ、そこに目に映っているものを、
美しいと思えるか、楽しいと思えるか、すばらしいと思えるか、
そうした捉え方だけが違って、
例えばそこにある誰かの指を、ずっと信じてぎゅっと握っていられるような
そんな赤子のような瞳をしているんだろうな。

僕は何にも背負っていないはずなのに
いつも何か重いものを背負っているような
とてつもなく重い黒い羽が羽ばたいているような
そんな邪悪な才能の萌芽を
いつもいつも感じているのは何故なんだろうな。

だれもなにも、僕なんかには期待してないはずなのに
そして誰の存在も、僕は認めていないはずなのに
それでもまだ、
未練がましく一歩一歩、自殺の頂点へ
高い高いうてなの階段を
僕は何かを積み上げて

ずっと無駄な事だけを、
何の役にも立たないはったりのような虚構だけを
質のない空っぽな人道を
わらじをはいたゆきうさぎのように

白い綿毛をふるわせて
孤独がまだなにかを知らないかのような声で
黙って鳴いて。

きぃきぃと風を揺らして
そうやってふるえて

またありもしない明日へ一歩一歩。
矛盾の拡大を。

すべての矛盾を整合させたとき、
首がずれてぽたりと。

白い毛がしたたるように。

きゅぅっととぎれて。

かちんカチンかちん。

ぎっぎっぎっ


なんでなんだろうな。
すこしかなしい。

ぼくはすこし哀しいよ。

なんでなんだろうな。

ぼくはずっと悲しいよ。

たぶん、きっと、想像に過ぎないけれど
きっと、たぶん、みんなが言うような、
当たり前の悲しさと同じ。

きっと僕の最後の悲しさは、
みんながふだん、なんとなく思ってるような
なんとなく感じてるような
しょうもない、ちっぽけな哀しみと同じ。

泣きたいときに、泣けないから苦しいのかな。

触れたいときに、そばに何もないから悲しいのかな。

生まれる前に、そこに意志が何もないから悲しいのかな。

生はどうして、いつもこんなにも抜け殻の魂を圧縮したような形なのかな。

わからないよ。

みんなみんな、ぼくにはわからないよ。


愛のない家が壊れて
みんな瓦礫に埋まって燃え尽きても
黒い炎に包まれて燻され焦げても

たぶん僕は悲しまない。

魂の無い人形が、生きてるフリしてぜんまいで動いていても
たぶん、僕は話しかける。
ずっとひとりでおしゃべりしてる。

それがふたりだとかひとりだとか、
そんなことは話してる間は関係ない。

【話し終わった後で】

「話が途絶えた後で」

話が消えた後で。

あぁ,そうか、やっぱりひとりなんだな、って。

ずっと僕は、鏡と会話してたんだなぁあ、って。

きみはいつも、やっぱり僕の空想した未来のしもべで。

だからきみは。ぼくのことを、僕って言うんだろうな。
未来の僕。

うてなの景色はどうだい?

そこで吹く風はきれい?

生きているフリの僕はどう見える?

きみには、生きている生き物が見えるかい?

きみはいま、そこに何かと一緒にいるかい?

僕はやっぱり、君の空想のまま、自分で僕を忘れるよ。

ひとしきりしゃべったあとで、
かぜに消えるのが音の定めで
それが声の形で

声が音になって 音が風になって 風はやがてやんでしまう。

それでいいんじゃないのかな。

窓からなにか見えますか?

その窓を開く手は、いまの君の腕の先に、肩の先に、きちんと繋がっていますか?
誰かと握手をするとき、その手の先には、空想と違いすぎる
絶望的に美しい風景が広がっていますか?


帰ろう。

愛のない家に帰ろう。

あの場所へ帰ろう。

僕は最初からそこにいた。

手をぎゅっと開いたり閉じたりして
まだ何か、繋がってるのかもしれないって
そんな夢を見てる。

痛みの鈍い夢も、痛みの強烈な夢も、
その夢もこの夢も、みんないっしょのおっきな夢。

いつもみんなが眠ってる
いつもリアルは眠ってる。
誰かが起きるまで、この世界はずっと眠ってる。

もしも今。
君が僕を記憶の中で殺すことが出来たなら。

ずっと過去に溯って。
僕の首をきみがぎゅっと絞めたなら

僕はまるで君を、
この世界に輝く本物のリアルのように。

刻むことが出来たのかな。


約束はいつもずっと遠い過去と未来にあるね。
誰も触れられない星の瞬きのように
いつもずっと遠くにあるね。

永遠の誓いの中で
僕はただ、自分が産まれる夢を見た。

神話が生まれる前にも誰かが居た。

2007年07月05日 07時58分59秒 | 駄文(詩とは呼べない)
がらんどう からっぽ
僕の後ろ足を誘うために

けむくじゃら こくとういろ
僕の質を高めるために

スポンジ 殻で吸い込んで出来た
僕の、骨の色をした、スポンジ

輪郭のない、色だけのお化けがやってきて
僕の肉をむしゃむしゃ食べる
僕のお化けがやってきて、
僕の耳の「色」を囓る。
耳から色がぬけて みみ にぬける

みみがくわれる。
ぼくがくわれる
おとがくわれる

がらんどう からっぽ
僕の後ろ足を踏むために

がらんどう からっぽ
僕の影を舐めるために

がらっぽ からっぽがらっぽ
抜け殻の、せむしの格好をしたお化けが僕を食べる

からからから。
けらけらけら。
がらがらがら。
げらげらげら。

やめないで。

やめて!

やめないで

やめて

止めないで!

止めて。

やめてやめてやめて。

がらがらがら。

がらがらがら。

ガラガラガラ

僕の輪郭が食われる

僕が壊れる 僕が壊れる!

たすけて。
助けて助けて助けて

だれもいないのに
ここには誰もいないのに!

がらがらがら。
がらがらがら。

本当は、知ってるんだろう?
なにもないって。
最初からなにもないって。

がらがらがら。
笑い声の音。

がらがらがら。
けむくじゃらの音。

がらがらがら。
せむしのあるく音。

がらがらがら。
僕をピーマンに変える。

がらがらがら。

たべないでくれよ。

がらがらがら。

ピーマンを食べないでくれよ。

がらがらがら。
ぼくをたべないでくれよ。

がらがらがら。
ぼくはすでにいない。


そういえば。
思い出した。
小さい頃、僕は死んだ。

そういえば。
思い出した日があった。
ずっと前から続いてる
未来を思い出した日があった。

がらがらがら。

変な音が聞こえる。

たすけなんて、聞こえない。

がらがらがら。

こすもとぼくと、きみのこえ。

がらがらがら。

ぼくらの墓が消える音。

けらけらけら。

幽霊はそこで笑う

ぼくはどっち。

ぼくはどっち。

僕は本当はどっち?―?―?

首を絞めて殺したい。

僕の首を絞めて、僕の幽霊を殺したい。

ぼくはどっち?

ぼくはどっち?

答えて!ぼくはどっち?

煙を吸い込んで、砂利がざりざり駆け回る。
時の砂を飲んで、悪魔が人間の数を数える。

壊れる、死ぬ、全部僕の姿。
全部僕の形、全部全部、僕の生まれ変わった形。

げらげらげら。
指を指して笑うのも僕。

怖い。
ここはどこ。

すきま風が吹いて、僕の身体から魂がこぼれる。
しっかりと思い込んだはずなのに。
重力を信じたはずなのに。

からからから。

風の吹くような耳声がする。


もっと張り付いた声で
もっと粘りつく高音で
もっとどうしようもない金切り声だったはずだ。

縛り付けるような高い耳鳴りで
激痛が走るような存在感だったはずだ。

こわい。
僕が透明になりかけている。

たすけてもらうことは無理だ。

外からじゃ、僕を引っ張れない。

内側はどこへいった?
内側はどこへいった?
内側の中身はどこへいった?

僕の引力はどこへ?
僕の重力はどこへ?
僕の始まりの無宙はどこへ???

無視することはできた。
どんな悪意も、背景も、色も、輪郭も、形も、
無視する事はできた。

僕の失敗だ。
僕のミスだ。
僕が生命をしくじった。

誰も責めない
誰も恨まない
だけど誰も生まれない。

どうしよう。
もう駄目だ。
どうしよう。

もういちど、ブラックホールを造り直さなくちゃいけない。
全員殺して、僕は居ないフリをし続けなくちゃいけない。
何億年も、何億年も、僕は空っぽで居ないフリをしなくちゃいけない。

神。
そうか。
忘れてた。

神を作るのを、最初から、忘れていた。

忘れるからこそ季節は巡る

2007年07月04日 04時56分37秒 | 駄文(詩とは呼べない)
もっと月の光が

もっと月の光が

僕を照らせばいいのに

僕を照らせばいいのに

もっとどうしようもなく季節が

もっとどうしようもない季節が

僕を殺せばいいのに

僕を殺せばいいのに。


もっと雨降りの日が

もっと雨降りの水が

太陽をぬらせばいいのに

太陽をけせばいいのに

もっとどしゃぶりで

もっとまっくらで

もっともっとはげしい雨で

つよくつよくはかない水で

僕を叩けばいい

僕を濡らせばいい

僕を消せばいい

水で蹴散らして
季節で消し殴って
風景の裏側に

とかしてしまえばいい

痛いほど考えても

ぬるいほど忘れてしまう

僕はもう、どんなこともわすれてしまう

決意のない明日

約束のない明日

居場所のない昨日

僕の今日はどこ

僕の今日はどこ?

ぼくの今日はどこ?


母親に捨てられた雨の日は鳴いた
今の僕はもう泣かない
ただ、君を忘れるために ぽかんと口を開ける
その雨が 口の中に 落ちるのを待ってる。

思い出が、君の色に汚されるのを待ってる。
絶望が、歴史を塗り替えるのを待ってる。

ただ 口をあけて
僕はずっと 口をあけて
ごくりと飲み込むために
ただ、世界の口を開けて。

声が出ないほど君をわすれてけぼり

2007年07月04日 04時45分43秒 | 駄文(詩とは呼べない)
さみしい
何を言っても 君に迷惑がかかるだけのような気がして

さみしい
何を言っても 僕の罪になるような気がして

さみしい
何かを言おうとするだけで 僕が失語症になるような気持ちに

言えない

何も言えない

君にはもう 何も言えない

さみしい

会えなく事じゃなくて

なにも 君に何も言えないことが

僕が語る言葉を 君に語る言葉を
全てが消されていく 僕の中の空の風が
すごくさみしい

僕の風景には
君はもう居ない

それがさみしい

声に出せない

息を呑んだままで

ただ空白に書き殴る

さみしい

僕はさみしい

僕は君を知らなくて

君が僕を忘れていく

置いて行かれる

僕は踏み出せない

僕は何も持たない

僕にはなにもない

さみしい。

ぽつんと。

ただ、僕のあしあと ひとつ