嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

もうどうでもいいよ。残り二年を切りました!

2006年06月28日 01時46分47秒 | 実験


気が狂うことを、いつもいつも願っている。
いつもいつも、と繰り返して書いてしまうのは、
僕が俺であることに固執しているか、
ある一つの出来事を繰り返すことで、
自分自身に焼きごてを当てているか、
まぁ何にせよ、
僕は僕自身を破壊し尽くすどうしようもない
自己崩壊の引力を求めてしまう。

経済特区、という言葉がある。
僕の中には、それに近い、誰にも踏み込ませない領域があるんじゃないのか?
そんな気がしてならない時がある。
けれど、そこに流れている汚い水を、
僕はこれ以上汚したいとは思わない。

鉄の毒液の味を知ったところで、
歪んだフェチズムが矯正されて治るわけじゃない。
むしろそれは悪化する為に献上品として
奴隷のごとく皆の神前に差し出されるだけなのだ。

僕が僕自身の醜さに気付いたのはいつからだろう。
初めて鏡を見た時だろうか?
それとも、初めて何かを美しいと感じた時だろうか?

たぶん違う。
鏡の向こうに投影される自分自身を、
虚影の向こう側にある本物の自分自身を、
覗き込もうとする汚い欲望に気付いた時だ。
つまり、自分を求めようとする汚い自意識の固まりこそが、
エゴという名の内側に向けた欲求が、

きっと全ての源泉としての、
始まりの、終わりに似た音を発する場所に繋がっていると
思うことにした。

結局は、重力こそがエゴの正体だと思うのだけど、
それはある種説明になっていないので
今回はさらっと飛ばす。

鏡に映った自分を殺したいと思う。
憎らしいのと似ていて、少し異なる。
愛したいほど好きな訳じゃない。
どちらかと言えば、僕自身の崩壊を満たす為の
変化の序章として、
「始まり」を「終わり」と等価にするために、
僕を破壊と同質化して食らったフリをするまっきいろいトンネルのために
僕は僕自身であることを願う。

ようするに、僕は僕であることを確かめたいが故に、
破壊しようと試みる。
だがそれは、特殊な倫理、
あるいはニセの教育という染み込んだ罠によって
めまぐるしいほどブレーキがかかる。

トンネルを抜けるだけで春が来るとわかっていても
ずっとずっと冬の足音を聞き続けるような、
そんな刻み込まれたブレーキ音がぎいぎいぎちぎちと
足の骨と腕の骨を摺り合わせた格好でなり響く。

もしも自分で自分のケツの孔を食うことが出来たなら
僕はきっとぐるぐる回って矛盾の中に溶けるだろう。

ヘソの穴に
針を突き立てようと思った思った事だって事だって
あるあるあるある

けれどけれど
僕は痛がりだから
とってもとっても痛がりだから
気が変になるよりも前に痛みに耐えられない自分に気付いて
想像することからも、逃げ出してしまう自分と仲良し。

うわ、どうしよう。
左目が真っ白だよヒヒヒヒヒ。

まぁなんというか、
僕はしょうこりもなく、
何度も何度も死にたいわけです。
自分で自分の目玉を取り出して脳を観察したり、
味わって噛みちぎったりしたいわけです。
嫌だと思うだろうかもしれないけど、
僕は僕を殺すことだけが、
唯一残された白濁した薄弱者の孔雀の精神だと思うわけです。

あー、にらめっこ。

僕だって、美しいものは見たいけれど、
そんなもの、どこにも見つかりはしないと僕が思い込んでるんだから、
まずは一番汚い物から破壊すればいーんじゃねーの?

例えばそう、ここで掃除をさぼっている、
逃げてばかりの世界の中心の自意識とか。

懺悔をするような暇も無い!

2006年06月27日 07時44分27秒 | 駄文(詩とは呼べない)
結局僕は、借りたものを返すくらいしか出来ないのだ。
僕の欲しいものは いつも僕の外側にあって
内側には決してないんだ

だけど。

僕の本当に欲しいものは
僕の内側なんだ
今はまだ、幻想でしかない、
存在しない僕の幽霊が欲しいのだ。

僕の欲しいものは、
いつだって僕が存在しない限りにおいてしかない
僕が欲しいものは僕の世界にいつも足りない欠けた何かだからだ。

要するに、僕が欲しいものは
僕の世界を破壊するなにかで
僕の知らないところにある何かで
それは知ってしまえば欲しいものには決してならない

だから僕が知った時に
僕がその知った世界を望むなんて事は、
「僕が何かを望むことが出来る世界」
なんていう幻想としてしか
そこには投影されないのだ。

それはねじ曲がった思い出と同じで、
繰り返し思い出される嘘のストーリーで

結局僕は、嘘を吐くことによってしか自分を語れないピエロでしかない。

だから僕は。

ただ、借りた物を返す為だけに
形を維持しようとしているに過ぎない
そしてまた、それは変化の中では為すことの出来ない
ニセの論理でしか無い。

意識が語る永遠は、願うだけの永遠で、
物質化された永遠ではない

僕の世界には、いつも君が欠けている

僕の身体には、生命を維持する為のエゴが足りない
そしてそれを僕は毒と呼ぶ。
穢れた命など要らない

ただ僕に、奪われ続けた残酷な過去があればいい。
主体の入り込む余地がない、
逃げ続けた未来があればいい。

無限の屈折率で閉じ込めた光を、
キミ達に返す時が来る。

記憶の檻で、電気が電子に逃げまどう道へ。

2006年06月25日 02時59分39秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ハードウェアよりも硬いもの
ソフトウェアよりも柔らかいもの

僕は、それらに名前をつけようとは思わなかった。
また、名前を付けたいとも思わなかったし、
名前を付けるべきではないとさえ、感じた。

だけど僕は、そのことを、とても知りたいと思った。
あるいはまた、そのことについて、ぼくなりに考えたり感じたりしてみたいと思った。

それは許されるならば、
とても硬い、堅い、固い、わかりづらい心の奥にある気持ちを呼び起こし
難解な、懸命な、どうしようもなく儚い他者の心に触れようとする行為に似ていた。
でも僕は、それを忘れようとさえ、思うことなどできなかった。

伝えるということは、ほどくということに似ている
似ているけれど、とてもおかしなくらい違う行為にも思える。

強く強くエネルギーを結んだ固い糸だけが、
物質になることを許される観念であるかのように。

不思議な気持ちがあった。
誰にもほどけないほど頑丈な結び目があった。
僕はそれを、ほどくことも、忘れることも、めんどくさがることも出来はしない。
けれど決して、触れることも出来ない。

今にして思えば、信用とか信頼とか言われる糸は、
強い心の紐に似ていて、引っ張ったり、契れたり、押しほどいたりする権利のような変化がある限り
それは残酷の名のもとに、忘れる事を許されるかのようであるとさえ、
僕には時々思えてしまう。

だけど僕は、
誰にも言えない、契れそうな細い糸だけを、
切実に、誰にも言えない場所で千切るように切断したいと思った。

僕によって踏み潰された、価値ある命の数を殺すことであざけり笑うように。

僕はまた、ときどき自分が、どうしようもない、
愚かしい妄想の中でしか、存在を許されない幽霊のようだと思うことがあった。
それは恥ずかしさや悔しさの類に似ていて、
けれど決して恥ずかしくも悔しくも愚かしくもない、
ただどうしようもない決定や運命であるかのように
ひたすら内側に向けて呑み込まれていく深淵に似てた。

僕はそれを
まるで外から教わった。
かなり異なる、キチガイのための言葉として、
君の名を、与えられました、という報告のように。

たぶん、気が狂っている時だけが、
許されてる時間なんだと思う。
他は全部、許されない時間なんだと思う。

だけど僕は、
そこで君の名前を呼んだら駄目ですか?
どうしようもない壊れた記憶の中で、
まだ遭ったこともない、君の名を叫んだら駄目ですか?

僕はそのことを、知りたいと思ったら駄目ですか?
僕によって殺される、君のことを考えないと駄目ですか?

僕は。

死にたいと思った。
ただどうしようもなく、
変化と永遠の板挟みで苦しみ続ける牢獄の中で、
餓死していきたいと思った。

思い出すことだけが、僕の最初の立ち位置に似ている。
限りある生の中で、限りある死を選ぶ行為が、
とても何かに似ている。

君の心が砕け散って、
さっさと僕だけが、
誰からも忘れ去られてしまえばいい。

パピロニカの赤いトマトを食べる為に。

2006年06月20日 01時42分37秒 | 駄文(詩とは呼べない)
パピロニカの出来上がった食卓で
僕は風景が焼き上がるのを待つ

君たちに言葉が伝わらない事を
とても悲しい事だと思いながら

たくさんの胸を打つ思い出たちが
ガラスの食器に透明に並べられて出されたとしても

たぶん君達は。

どれひとつとっても、うまそうに見えるだけで

決して食べる事が出来ないだろう。

それが毒であると、全てが語る限りにおいては。

ただひとつ、僕の思い出の中で
君だけが知っているものがある。

その事に、君は気付くことなく
その曖昧な生を閉じるのだろうか。

それはとても、辛いことに似た記憶じゃないのかい?

君は、それでいいのかい?

僕は床にうずくまって
中を泳ぐような目でゆりかごを揺らす老人の足を掴む
ただその世界を、羨ましがることなく、
与えることなく、
踏み潰す正義であるかのように。

僕たちは ただ

分けられた食糧だけを
いつもいつも思い出の数だけ浪費していく

君達は。

きっとまだ

僕がここに居ることを知らない。

そしてそれはまだ、

決して誰にも明かされることのない
切実な、弱りきった老人の例え話。

僕らは。

踏み潰される事だけが生であるかのように
ただただ時を刻んで今を確かめる。

そしてそれは君と僕の間で
ただ偽物の歪んだ容器に押し込められる。

はてしない誤解だけが広がって
いつまでもいつまでも拡がって
そのうねり声だけが、
亡者の叫びに似た幽霊の共振をはぶかむかのように。

座り込んだ生たちは
いつまでもいつまでも、
首を切られるのを待っている。

僕は君達に刃先を見くわしながら
ただひとつの首を苅るだけ

捨てられる心臓が転がっていてもいい。

ただそこに、自然な自殺が僕の為にあるのなら。

限りある知性だけが、地球の床に閉じ込められるように+

2006年06月17日 11時04分32秒 | 駄文(詩とは呼べない)
知の海で溺れていく君を見ていると
僕は不思議とやるせない気持ちになる

君が誰にも食べられることのないように
僕が食べてしまいたい感情とは、どれだけ似ていても
本質的に根本が違う。

それはあまりにもどうしようもない海の広さのような問題に似ていて
しかくい水槽が現れない限り
僕等の起こす波はシュミレーションできないだろう。

それと同じようにして
君が待ち望む実も蓋もない時間の連鎖は
ときおりどうしようもなく、
砂時計を欲するだろう

わかっているから書いてるんじゃない
わからないから、書いてる。

それと同じような動機が
きっと君にもあるだろうと思う

僕はそれに近い輝きを、かつての自分の中で見たような気がするからね

本質的に言うなれば
過去を投影した第三他人の問題は
他者の問題と似ているし、
自分の問題だと捉える事もできる

だけど僕はそれがどこにも当てはまらないパズルであることを知っている
あるいは、知ることによってのみ、そこには丸さが、
どうしようもない閉塞的な丸さの中が、
洗脳と呼ばれる教育の全ての根幹であることも知っている。

だけど僕は、その記憶の中にいる君が、
決してもう僕には触れられぬくらい近くにいて
そして永遠に確かめる事の出来ない僕の全てになることを
どれだけ待ち望みながら過ごしてゆくのだろう。

未来は本質的には他者と似ていて違う
それは原初の記憶が、原書の中で繰り返し行われる言葉と似ているように
与えられた未来と、
巡り合わせた未来と、
期待された未来と、
選びすぎた未来と、
自分が勝ち取った未来は、
本質が失われる限りに置いて、
観念的には素数の領域にあるから。

かつて翔ばたいた翼が失われた時の、
もぎ取られた痛みとその苦痛の喪失が心を揺さぶるように
ありえない形だけが、現世で承認されない僕の形だけが、
生来的な他者であることを許される

僕はそのことを、きっと誰にも教わらなかった。
そして自分で考え出すことも出来なかった。
それでも知の糸は編まれてゆく、。
それが失い続けた心を掴み取りたい君たちの欲望だったとしても
僕はそれを断ち切るだろう。

あわせて一つになることを願わない、たった一つの欲望が奇跡の慎歩をうむのなら。

呪いの思い出を、雲にへたり打ちするように…

2006年06月17日 03時02分01秒 | 詩に近いもの
好きだった女の子の事を考えると暗い気持ちになる。

好きだった、という表現が生み出すものを
僕はこの場で自覚する

今も好きなのかもしれないけれど
今はもう好きになれない
何よりも、彼女の事を思い出せば
「今」を好きになることが出来ない。

ずっと重くのしかかってくる問題。
回避せねばならないかのような錯覚。

好きだった過去を、幸せだと思うことが出来ない。
たぶん、ずっとずっと出来ないだろうと思う。

「一回性」

それは責任とは違う。
意志とも堅牢さとも、我が侭とも違う
いわば摂理に似ていて、
儚くどうしようもない気持ちの源泉であると書いても
さしつかえないと思えるほど。

たぶん、もう僕はどうにもならない。
ずっと昔に壊れてしまったはずなのに
痛みを作り出す女性が居たということに、
驚きを隠せなかった。

正直さとは何かを、嘘と一緒に考える。
僕が君を好きだったことは、はたして正直な事だったろうか。

僕は何か君に、謝らなくちゃいけないのだろうか。

「どうして謝るの?」
と君は聞いた。

あるいはあれこそが、僕の我が侭で、
僕が相手に謝って欲しかったから、先に謝っただけなのか。

気持ちが悪い。
どんな我が侭さも、頑固さも、儚さも、
君の前ではほとんど意味がない。

それは君が美しいからではないと、どんな僕にだってわかることは出来る。

だけど、君の周りでは空気が優しかった。
君の周りにある空気は、君の厳しさとは関係なく、
僕を溶かす水に似ていた。

たぶん、そこには笑いがあったんだと思う。
いわば誤解された約束に近いような、
遠からず少なからず、掴み取れず、触れることも出来ないような
微笑みがあったのだと思う。

僕はその奥にある、正体不明の何かを欲しがったのだろうか。
それとも、そこにある空気を纏って
今を今だと認めたかったのだろうか。

それは、触れることの出来ない約束の味がするような気がする。
決して飲むことが出来ない毒薬のような生が
僕を死へと至らしめるから。

決して君には、僕が理解されることはないだろう。
けれど僕はそれでもいいと思ってる。

理解とは、半分が誤解で、半分が融解であったとしても
それは伝説のようなもので
いわば物語のオブラートに包まれた事実に過ぎない。

僕が死を決意しているのは
君に会えたからでも無ければ、
君に触れることが出来なかったからでもない。

たぶん、もっと前から、君に似た何かを通して見える、
あちら側の世界に
僕は既に魅入られているから。

それはどうしようもなく僕に似ていて
僕の煙で作ったような味がする。

君と会えて良かったのかどうかはよくわからない。
君に似た何かを探してしまう時でさえ、
君が正解かどうかを疑うような僕だから。

だけど僕は、君に触れられなかったことを、
半分喜びながら、半分苦しむだろう事を、
向こう側の景色として感じながら取り寄せている。

それはきっと、君からは絶望的な景色に見えることだろう。
それは君からはどんな色に見えるだろうか。

僕には、還るべき居場所のようでいて
既にもう、何年も前から忘れている小さな記憶のようでもある。

うしなわれた世界の味を求める為に
形だけを、失い続ける僕の記憶は、
君をここにとどめる事すら出来ない。

そんな僕のことを、あの時謝った僕は許しはしないだろうと思う。
少なくとも、今の君を許せないほどに歪んでいる僕の姿は水に映るのだから。

やさしい時計を、知りたいと思った。
なんの音もしない、ゆれる一秒を声と共にとかしていく時計が欲しいと思った。
ただそれで、時間を忘れる事が出来ればいいと思った。
そんな正直さでさえも、君を通してみる僕には

欲望の色だけが濃く映る。

永遠から投影された写像は、遙か昔の思い出を、すりこぎけずるようにして、
ただただ男達の船出を楽しむ。
明日世界があらんことを、願う神だけが僕に殺されるように。

はたして君は、僕に殺されるために生まれるだろうか?

僕はもうゆくよ。

君の形を失ったとしても、僕には何もない場所がある
それはきっと、誰にも言えない秘密とよく似てる。

明日、世界が終わるのなら
僕は喜び勇んで君の歌をうたおう。

今日会えなかった人達が、明日は一緒に死ねますように。
深い森の中で、毒の味で深呼吸できますように。

明日は晴れたらいい
原爆のような曇り空を削って
君の気持ちが晴れたらいい

僕はもう嫌だ。
僕はこの世界を遠くから見る、生きている君になんか遭いたくない。

迷宮連鎖崩壊の砦

2006年06月14日 01時26分15秒 | 駄文(詩とは呼べない)
時々は、迷うことを。
迷うこと自身を、諦めてるような気がする。

でもそれと同時に
ずっと心の奥の方でもやもやとした何かが燻ったままで
僕は眠り続けているような気がする。

彼が起きないと、いつまで経っても時間が進まないような気がするのに
現実はめまぐるしい速度で通過して通り過ぎて消えるようで繰り返す。

すごく、簡単な事だと思う。

僕は、自分の時間を生きてない。

ずっと前から。

もう何年も何年も前から、積極性は失われたままで
ずっと最後に切断した糸の切れ端を探している
その道が、どこかへ繋がっているのか、
僕はそれを知りたいのに、
それの探し方を忘れたふりをして心の奥底に閉じ込めてしまっている。

ときおり、何かの匂いを嗅いで
小さな子供の頃の記憶が揺さぶられるように
僕たちは、いつも懐かしい何かに出会いたがってる。

でもそれは、最後に何かを決断したあの日から、
ずっと宙ぶらりんのままで
それが自分を無くした証明に似ていて

枯れ葉が落ちて土に還るように
ただ緑の草だけが、そこに生えてきますようにと、
僕は土の向こうの空を眺める

僕を引っ張り続ける地面は、
いつか無くなってしまう引力に似ていて
どこかぎこちなくて、どこか自然を繕っている

忘れてしまうことが、罪でありますようにと願うごとに
僕の存在が、虚構の中で繰り返されてゆく

風船を割って、宇宙がはじけるように
シャボン玉の表面を、消えるまで模様として眺める。
そこにある風は、僕らの時代をかき消す法則を
最小限で回し続ける

僕の身体がぐるぐる回る
朽ち果て、蘇生し、呼吸し、圧死するがごとく。

飛ぶように、繋げるように、明日と今日の狭間に手を伸ばして
昨日を記憶として辿る。

ありふれた日常だけが、
ただパズルのように形として思い出される
やがてその形は、ずっと同じ今の中で繰り返す事で壊されていく

何かを打ち立てたのなら
何かを失うことなく、
ずっと思い出し続けられるだろうか?

僕は僕の無くした何かを
ずっとずっと、思い出す事で
この場所に繋いでおくことが、出来るだろうか。

そしてその事が、ただ君と
君と僕と、君の中にある僕が何かを繋ぎ止めるように
ここに意識を、ただ僕の意識を、
ありのままに、書き殴ることが、
決して君に、できるだろうか。

そんな事を考えているうちに
僕はまた、君たちの事を忘れてゆく

時が過ぎ去るのは早い。
それは君が、僕の中で忘れられてゆくという、
ただその事をあらわして朽ち果ててゆく

世界のCUBEが
やがて僕を回して切り刻むように。

牢獄の中で、ずっと君の罪を贖いたくて
ただただ許しを乞うように

僕は何かを迷い続ける。

ただ、君と話をするためだけに書かれる言葉がある。

2006年06月07日 19時21分58秒 | 駄文(詩とは呼べない)
いるよ。

…難しい事を聞くね。
いろんな可能性がある。
そもそも人かどうか疑わしいって事の前に
例えばそれが「居るか居ないか」の二択なのか
それとももっと自由に広がる答えでいいのか
君の予想を超えるような答えでないといけないのか
あるいは君が「なるほど!」と思えるような答えを用意した方がいいのか

どちらにせよ、
なんにせよ、

僕はその問いに答える為に答えようとするだろう。

君がその問いを立てた時にしか答えられない
僕なりの答えがここに発生するだろうことを、
僕は君を通して考えるしねぃ。

まわりくどい答え方を、
僕自身が望んでるわけじゃないんだ。

例えば円周率が知りたいと思った時、
割り切れた最後の数字だけをここに刻むのか、
暗号のように記号化するのか、
それとも計算過程を全部書くのか、

僕は多分、
円周率とは小数点以下にずっとずっと無限に続く数字の全てを書いた上で、
それが最初の3とうまく結びついてないと駄目なのだと思うよ。

ごまかされてると思うかも知れないから、
別の事についても答えておこう。

僕はたぶん、まだ会ったこともないような女性とも、
会いたいと思ってる。
けど、それが女性であるかどうかも、いまひとつ確信がない。
また、その人は過去に既に会ったことがあるのかどうかも、
どうやらよくわからない。
なにか大事な事を、物凄く大事に刻まれた事実を、
僕は存在の痛みと共に失っているような気がするからね。

たぶん、君が「忘れる」って呼んでるものだと思う。
同質であるか、あるいは似たものであると思う。

また、そのような答え方を、君が望んでいるような気がしてならない。
そして、こういう答え方こそが僕の性癖であり、
全てを外のせいにして閉じこもっている自分の殻のような気もする。

けれど。
それを肯定も否定もしない。

どちらも間違いであると、既に知っている。
何故なら僕はここに居ないからね。

厳密に言えば、僕は君が読んだ分だけ、
君が歩いた足跡の数だけ影として存在する事が出来る。

僕はずっと君と似たような何かに会いたいと思ってる。
簡単な言葉で言えば、「君に会いたい」ということになるだろう。

でもそれは、君を揺さぶったり騙したりする嘘でしかないことを
僕は最初から知っている。

お見通しだということを言いたいんじゃない、
逆方向だ、ということを言ってる。

計算式を書く前に、答えが出る。
答えを証明する為に計算式を書く。
そういう計算の仕方があるんだよ。

インスピレーションの話と似ているけど少し違う。
発想の話ではないよね。
「答え」の話なんだ。

例えば、君は質問を遠慮する。
僕を傷つけるかもしれないと。
あるいは、僕が何かを失ったり、止めたり、諦めたりするんじゃないかと。

それは僕の気まぐれと似ていて少し違う。
僕は君が何者であるかを今は聞かない。
聞こうとも思わないとか、そういう事を考えもしないのとは違う。
聞けば君にとって僕が何者であるかが失われる可能性が高い事を、
僕は僕自身の内在として感じているから。

過去に。

何度も。

なんとなく、予感がして、確かめるたびに、
人は僕の側から去っていく。

だから僕はその質問はとても難しいと思う。
そしてそれを先に答えた。

シンプルな何かを掴みたいなら
割り切れたようなフリをして答えればいい。

僕は「誰かに会いたい」と。
それが嘘になるかどうかは、
本当は僕の話じゃなくて君の話でしかないと、
僕は絶望的に感じているよ。


本当は、誰にも会いたくなんかない。
誰にも会えないって事、弐年後の僕が一番よく知ってるから。

透過メタルの締き声をみながら

2006年06月07日 08時06分47秒 | Weblog
数日前、久しぶりにランキングに載ったのを見て
BLOGとは何かをやっぱり考えてしまう。

経済を動かしているのは
全体の中で5%の人間に過ぎないという話を聞いたことがある。
単なる統計的通説なのだろうとは思うけれど。

ブログは全体がでたらめに波打っている
その決まり切らない方向性の中で
ほんの一握りの人達がランキングに載せられるということの意味を
数を眺めながら考える

例えば丸さが、微分という蓄積された嘘の積み重ねで表現されるように
ランキングの数値が表す意味を、
遠くを見渡しながら考える

選ばれた千人ではない、削り取られた1000の形だな、とか
そんなことを。

でたらめにとんがっている。
決してピラミッドではないそれを
千の線引きはどこから削り取るだろうか。

あいまいな形から数値化される領域
その場所に留まる為に、走り続けるような意味は僕にはない。

明日君に会うことを、輝蹟のように数える僕だから。

2006年06月04日 03時30分37秒 | 駄文(詩とは呼べない)
夢を失うたびに、胸の奥でチクリと何かが痛むように、
胸の奥で、薬が突き刺さるように僕を締め付けるたびに
僕は残された電波ノイズの量と、
君たち伝えるべき言葉の数を考える。

それが数えるということに似た行為であるのか、
思うということに似た行為であるのか、
感じるというほどには成り立っていないほど
あまりにも切ない静止した永遠の交尾であるから

僕は世界に対して君の事を残しておこうと思う

会えなかった君への謝罪とか、
これから来たるべき絶望的な未来のこととか、
忘れる為に生まれてしまった過去のこととか、
はりさけそうなほどの孤独の中で光る努力という名のむなしさについて。

簡単に言えば、問題と向き合う事は容易い。
だけど答えを出す事は難しい。
本当に、あまりにも難しい。
そう言わざるを得ない。

例え正解が先にあって、証明するだけが与えられた使命であったとしても。

それは風の中で考える事が
ノイズにまみれた海では簡単な事であるように
静止した闇の宇宙の中では
永遠を数える事ばかりが生きる事に等しい

それは君たちが何も考えていない事の証明だし、
僕がここに居ないことの証明でもある。

その証を、ここに言葉として打ち立てる行為は、
冷めた偽善の目から見ても
きっとあまりにも馬鹿馬鹿しい行為系なのだろう。

今、ひとつの嘘に、系と名が付く破られた約束であるかのように。

眠っていればいい。
例え目覚めることがなくても、
眠ることだけが、記憶を優しく包み込む日々の労力への対価であるように

もう、失ってしまえばいい。
全てを焼き尽くすほどの熱い引力が、
絶対零度の中でだけ矛盾の時を許されるように。

明日、君に会えなかったとしても
僕は今日を引き裂くだろう。

それが、僕と君の約束になることを、
僕はいつも願っている。

「死にたい」
いつも心の底から願っている。
例え後ろめたい日々が、退屈という名の笑いで埋め尽くされたとしても。

妄信的な自分に従え!

2006年06月03日 21時35分50秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ある種、人が天から与えられた使命の中に
A/D変換と呼ばれるものがあるように思う
デジタル的に言えば記号化された言葉は全てがコピーだし、
むしろその中においては文章中に潜む間違った用法や
誤字のタイミングこそが貴重な個性と呼べるかもしれない。

この発想自体は、多分ロランバルトの劣化コピーなわけだが。
あえてひとつ言っておくと僕がロランバルトを完全に理解する事は不可能です。
その意味で、どんなにそっくりに書いても僕がロランバルトの文章をコピーする事は出来ないでしょう。

同じようにして、生きている人が死を完全に理解することは出来ません。
ゆえに、存在について自分なりに問い詰める行為の中にこそ、
オリジナルは現れたり消えたりします。

そうでなければ、迷うという行為自体が、
ある種のインターフェイスの中でモラトリアムとして許容されるような事は無い。

完全にデジタル化した社会においては、
迷っているという事自体が浪費だからです。

そこは多分、ミヒャエルエンデの自由の牢獄にもよく書き表されているように思う。

A/D変換の事を少し。
A/D変換という言葉がどこで生まれたのか、
僕はそれを知りません。
アナログをデジタルに置き換えるインターフェイスの技術は、
ここしばらくの間に飛躍的に進歩していると感じます。

しかしそれは、アナログなものが次々に劣化され、改造され、ぼろぼろにされ、
もとの原初の意味を失う行為でもあります。

抽象化によって、文脈の中で単語がどうでもいいほどに意味を失うように。


ただ、それでも主観というものが、あるいは主観と呼ばれるもの、主観というべきものが、
客観の中でその存在を許されるならば、
それは客観的記号化の中で、模倣という形をもって承認されるでしょう。

すなわちそれが、
僕が幻想として疑いを持つ主観の中の主観、意識化された意識、本物の自分とも関係有るわけで。

もっと言えば、しょせんここに書かれた言葉は
今の僕の位置から見えるミラーボールに過ぎないわけです。
その鏡面を、その境界面を、ぴかぴかに、ツルツルに、磨き上げる行為こそが、
ミラーボールの精度と、アナログの精度と、美しさの精度と、
鏡の反射率を決めるわけです。

すなわち。

まっすぐな鏡は作れない。
直線が幻想であるように。
そして完全な円が存在するのかどうか、僕が真っ直ぐさの中で理解する事は出来ない。

徹底した主観こそが、ありもしないはずのオリジナルを生み出す。

僕は、そのように考えます。

考えるという行為が、客観という世界の言葉をあやとりによって主観としていく行為ならば。

ですが、どんなに固く固く結んだ糸も、いつかは千切れます。
契れに寄って、二つに分かれる遺伝子に真似するように。

だけど僕は死ぬ。
例えそれが、嘘に似た行為の継承であったとしても。

そのように、僕は二つの世界を見比べて迷います。
悩みます。
ハキハキと、悩みを断言するように。

だって僕の世界にとっては、
必要なものこそが、どこにも見つからないほど背景化されているのだから。

色が存在している事を不思議に思う。
縦波の証明であるかのように。

もしも色が、色褪せる事で劣化し続ける魂の安らぎであるなら、
生の終着点である死には、
その真っ直ぐな丸さには、
どんなしろくろな透明さがあるのか、
僕にはまだ判断がつかない。

よって僕の言葉は、
僕が死ぬまで嘘を吐き続けるでしょう。

その真っ直ぐさが君の丸さを貫いて、
透明な欲望をあらわにするまでは。

本当は、天なんてありはしないと知ってる。
天から与えられた使命ってのは、
僕が名付けた未来の欲望の事だから。

えらぶならひとつだけ。

2006年06月03日 02時05分38秒 | 駄文(詩とは呼べない)
存在感が無くなる時、
それよりも遙かに多くの欲望が先に無くなっている。
けれど、それはたぶん、
自分を騙さずには居られないほどの強慾に気付いてしまったということだろう。

自分を騙すという事は
壁を作って自意識と宇宙に境界線を敷く行為でしかない。

あると思い込む事によってしか
存在が存在たりえないのならば
あるは在るから有るのではなく、
むしろ理自体が鼓動の吸引力のしるしでしかない。

我、思い込む、故に壁有り。
我、知る、故に痛みあり。
我、数える、故に、数あり。

そんなものは吸引力でしかない。
乳を吸うのと変わらない。
証明になんかなってない。

自意識は他意識との出会いによって
意識化されるという可能性を考えたが、
むしろ僕にとっては
死こそが
自我による自分の剥奪こそが

他者そのものの可能性を示唆しているような気がしてならない。

順序的には、同時に逆であるはずだ。
起こったから起きたのではなく、
起きたことによって起こったのでもない。
起こしたから起きたのであり、
起こさなければ何も起きない、誰も起きない。

すなわち。

ここに、死、
あり。

何故なら、
読んでいる君がいる以上は、
僕は既に僕たりえないほど、僕が消失しているからだ。

文字は、読まれる事によって消滅する。
意味は、剥奪によって生成される。

君がそこで生きているということは、
僕がここで死んでいるということだ。

それが、僕らの記号だ。

失われた決意によって
僕らは偶然に会うことが出来る。

消滅する意志の力で
死はやさしいだけの運命になる。

忘れ物を思い出すまで忘れてしまう僕が居るから。

2006年06月02日 23時34分04秒 | 駄文(詩とは呼べない)
めくれあがる

世界が。

きしもじく

うなごえが

叫び忘れぬように

やれげどく

さびはじぬれどる

わかってはいたけど。

遠いんだな、世界って

あと少しで あのみどぐろい草むら闇に届くってわかってるのに

僕には やることがない

もう、駄目だよ。

やることがない

やることがない

僕にはもう、やることがない。

退屈だ

退屈だ

誰にも会いたくない。

ああ、なんだ。

そういうことか。