愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

無題

2023-03-29 21:48:09 | つぶやき

ごめんなさい

ご覧になる方によっては不快かもしれません

どうかとは思いましたが

どうしても書いておきたくて…

数日で消します

 

夫の死後に知ったことがあり

猛烈に怒りが湧いて

いっそ○○家の籍から抜けてしまおうかと真剣に考えた

 

しかし考えてみると

確かに義母も夫も酷いは酷いけれど

同時に恩人でもある

自分の息子可愛さと母への愛がそうさせたと思うと

悲しくもあるがあきらめもつく

 

義母は長男の嫁として苦労してきた分

わたしを同じ長男の嫁として見て

わが身と比べて(恵まれていると思い)腹立たしかったに違いない

 

◆ ◆ ◆

 

実は思い出すのは実の母のことだった

一昨年あたりに自分の育った家庭環境について記事を書いた

簡単に説明するとこんなことになる

 

父が49歳で亡くなった

当時母は40歳

子ども3人(高校生2人と中学生1人)でわたしは中間子

母は酔っては泣いていて

いろいろだらしなくわたしたちは居たたまれなかった

その後わたしは早いうちに結婚した

早く家を出たかった

 

家庭のある人と付き合っている母を見たくなかった

結婚には反対され酷いことを言われたが

母は式には他人のように「出席」した

 

わたしの夫は仕事のできる人…?というか仕事しかしない人で

経済的には何不自由なく

それを知ると母は…

 

一緒に食事に行くと支払いは夫なので

なるべく高いものを注文しようとするから

わたしは恥ずかしかった

 

そんなことをしていたせいか

持病だった糖尿病が悪化して

入退院を繰り返し

目が見えなくなり

まだ50代(52、3の頃)だというのに

生活に介助が必要になってしまった

 

母は昔から

「子どもが親の面倒を見るのが当然」

と言っていて

確かに老親&病親?をサポートするのは当然と思うが

わたしたちは全員20代で

自分のことだけで精一杯だった

 

母はわたしのことを幸せで恵まれていると思っていたようだったが

実情は…

 

夫は仕事のいらだちをわたしにぶつけるようになっていたし

子どもは病気で発作を起こしては病院通い

眠ることもできない日々

毎日辛くて逃げだしたくて

でも逃げる場所などなくて

 

そんな中

母の入院費生活費を出してくださいと

わたしは夫に哀願したのだった

だからますます逃げ場などなくなった

 

現状それがわたしにできる精一杯のことだった

でも 母はそれを当然と思っていた

「あんたのところは出せるだろう」

と言われたことがある

 

わたしの立場は考えないのだな…

 

母の病院の送り迎えや身の回りのことは近くに住んでいる姉がしていたが

姉も不満に感じていたのだろう

それを母も感じて

その矛先はわたしに向けられる

 

「あんたのところに行ってもいいんだよ」

「あの子だけに頼るのは可哀想だからね」

 

わたしが現状は難しいと説明してもわかってもらえなかった

わたしは折れに折れ

「ずーっとうちに居てもらうわけにはいかないと思う」

「わたしでは病院の送り迎えが(わたしの家からはとても遠いうえ、当時運転免許すらもっていなかった)できないし…」

「通院の必要のない、例えば1~2週間とかなら何とか…」

 

と言うと母は

「お前は親をたらい回しにするのかい!!人でなし!!」

 

と言うのだった

 

ごめんなさいここまで読んでくださった方

辛いので中断します