愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

犬と暮らすということ

2021-02-14 19:43:54 | つぶやき

犬を飼うのは覚悟のいることだと思います。

ボニーが我が家にいたのは8年半ほどでしたが そのわずかな期間ですらもいろいろなことがありました。

 

中でも一番大きかったのは夫の病気でした。

夫は好きなことが仕事になってしまった人で 本当に仕事ばかりしていました。

土曜も 時には日曜もなく 祝祭日もなく 毎日15時間くらい働いていました。

家族で旅行に行ったこともほとんどなく、数十年の間に 1泊で温泉に行ったことが2回か3回あったかな?というくらいでした。

 

その夫の命に期限がついてしまった今 彼のために何ができるのか…?

 

ボニーがいるからあきらめざるを得ないことがありました。

 

あんなにボニーに癒しをもらっていたのに 一方では 残念に思う気持ちが心のどこかにありました。

わたしがチラッとでもそう思ってしまったから 罰が当たった…

ボニーの死はわたしへの罰なのだと そう思いました。

 

昨年12月、夫の体調がひどく悪くなり わたしたち家族も夫本人ですらも とうとうこの日がやってきたかと覚悟しましたが 入院したことが良い方へ向かって10日ほどで回復し その後退院できました。

 

もちろん病気が治ることはありませんが とりあえず今は だましだましでも小康状態と云えます。

何ものかの力で生かされているとしか思えません。

 

夫は犬が嫌いだと言い 外で飼えと言っていた人です。

その夫を変えてしまったのはボニーでした。

夫は今日もボニーを思って涙を流していました。

 

 

やっぱりあなたが見まもってくれているのかな 大好きなお父さんを

 

…ありがとう ボニー…

 

 

_______

 

20年以上前に亡くなった犬の毛をおまもりに 大切にしている…

それだけでどれだけ愛情があったかわかります

サスケちゃんにとってsasukechanさんは心の拠り所だった

最期にsasukechanさんの姿を見て 安心し満ち足りた気持ちで 旅立つことができたのではないでしょうか

 

おまもりにこもった愛情にわたしは心を打たれました

 

こうは考えられないでしょうか…?

sasukechanさんがピンときて迎え入れた子は 生まれ変わったあの子なのでは…?

わたしは すべては縁でつながっているように感じました

 

わかった風なことを書きました お気に障ったらごめんなさい

m(_ _)m

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ボタンホールのためにミシンを買った話

2021-02-11 09:58:14 | 日記

ミシンは4台持っているのですが…

主力はこの2台で

JUKI シュプール (職業用ミシン)

ベビーロック 衣縫人 (ロックミシン)

いつも作業台に置いています。

 

他に

JANOME トルネィオ (3本針カバーステッチミシン) 

JANOME モナーゼ (電子ミシン) 

こちらはあまり使わないので必要な時だけ出します。

 

これだけあるので まさか新たにミシンを買うことになるとは思いませんでした

 

今 ショート丈のコートを作っているのですがボタンのサイズが28mm…

ボタンの厚みをプラスすると30mm以上のボタンホールが必要になります

その大きさは手持ちのミシンでは作れず 以前コートを縫った時ボタンホール屋さん?に持って行ったことを思い出して

プロに任せるか新たにミシンを買うか悩みました

当たり前ですがプロに作ってもらったボタンホールは とてもきれいです。

でもコロナのこともあって行きたくないし…

 

それでボタンホールがきれいに縫えるミシンを探しました。

買ったのはこれです

JUKI エクシード ドレスメイク

 

ミシンの価格が表示されておらず「お問い合わせください」になっているのはなぜなのでしょうか??

定価は20万円ほどで高級品だと思いましたが1/4くらいで買えました。なぜ??

 

マスク需要でミシンが品薄だと聞いていましたが それは解消されたんでしょうか。

 

さっそくボタンホールを縫ってみました。

普段使っているのがJUKIでフットコントローラーなので 同じように使えると思っていましたが

こちらのコントローラーはスタート/ストップだけで速度の調整はできません。

(速度調整はミシン本体でします)

針の落ちるタイミングも全然違ってなんだかむずかしい…

 

慣れるまで苦労しそう… 

やっぱりボタンホール以外では使わなそうです

 

さあ 頑張って縫わなくちゃ

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ブログのこと

2021-02-08 13:18:43 | つぶやき

わたしがブログを始めたきっかけは

家族であった愛犬を亡くしたことでした。

 

突然の別れに 魂が抜けてしまったようになって

自分を責めて責めて…でも胸の内を話せる相手もいなくて

苦しくてたまらなくて

 

「王様の耳はロバの耳」

と 井戸に向かって叫ぶ理髪師さながらに

救いを求めて始めたことでした。

 

それだけで 少し救われたような気がしました。

ふり返ることで記憶の中のボニーに

また会えるようで それはまたつらいことでもありましたが

楽しいことも思い出されて…

 

時にはつらすぎて 書けなくなった日もありました。

それでも 今 自分としては 書くべきことは書ききった気がしています。

 

初めは 他の方から見ていただいているとは

まったく考えませんでした。

まさに井戸に向かっている状態の ただのひとりごとです。

 

ところがある日 書いた記事すべてに「応援」を押してくださる方がおられて

初めて これは何だろう?何かの間違いでは?と思いました。

その方は わたしと同じように 愛犬を亡くされた方だったので

わたしもとても気になっていました。

 

その時、「ひとりじゃないんだ」と思って

とても嬉しかったです

 

それから それまで使い方の良くわからなかったリアクションボタンを

気軽に押せるようになりました。

 

わたしは 今まで 主に犬カテゴリーの記事を書いてきましたが

今後は 他のことになっていくと思います。

 

フォローしてくださっている方へお願いします。

興味のない記事はスルーなさってください。

 

お気遣いなくお願いします。

そのほうが気軽に書き込むことができますので…

わたしは 文章を書くのがとても苦手で

本当に何をどう書いていいものか いつも困っています

 

 

義務になってはつまりません。

ブログ生活(?)楽しみましょう

…ってわたしが言うのもなんですが

 

お読みいただきありがとうございました

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最後の2日間 5

2021-02-06 12:55:49 | 思い出

ボニーを失った喪失感はあまりにも大きく

心に大きな穴があいたままで

それでも 今までと同じように時は過ぎていきます

 

 

ボニーは我が家にはもったいないくらいの立派な優しい子でした。

動物病院に運んだあの日―― 

あの日 すでに危篤寸前だったあの時――昼に

排泄のためにふらふらになりながら下に降りていったのです。

部屋を汚してはいけないと 最後の力をふりしぼったのだと思います。

あんな状態で…そのまましてしまって構わなかったのに…

 

それを思うと後になって 今さらですけれど

かわいそうで たまらない気持ちになるのです。

 

早期発見で何とかなったとは思っていません。

腫瘍は1~2ヶ月もあればこのくらいになると言われました。

そして血管肉腫は血管内ですぐに転移するとのことでしたので

もうその時点で助かることはなかったと思います。

 

ただ、わたしは ただただ

病気に気付いてやれなかったのがつらいのです。

夫との時間は少ないけれどボニーとの時間はたっぷりあると思い込んでいて

あんな形でお別れすることになるとは思いもよらず・・・

そのことが悲しくてならないのです。

 

昨年の6月2日―― 

6月2日はわたしが勝手に決めたボニーの誕生日ですが

ボニーはこの日10歳になりました。

この時点でもわたしはボニーを老犬とは認識していませんでした。

老いたと気付いたのは 白内障になってからでした。

 

目が見えづらい状態になって 初めて

「ボニーはわたしの年齢を越してしまった」

と思いました。

あと何年一緒にいられるのだろう…5年?6年?

そう思うと切なくて愛おしくて たまらなくなって

ボニーを抱きしめました。

 

一緒にいられたのは実際には3ヵ月でした。

わたしは夫にも

ボニーがいるのだから ボニーが5年6年は生きるのだから

あなたはそれ以上生きてくれなくては困ります

そう言っていました。

 

それは夫を励ます言葉だったのですが

今となってはそれは ひどく残酷な言葉でした。

 

夫の病状では生存期間の平均値が1年…と前に書きましたが

実は生存1年というのは10%~40%だけで

逆にいうと60%~90%はそれ以下ということになります。

それ以上の記載はありませんので どれだけ厳しい状況か…と思います。

 

「でも、それはその時の古いデータなのだから」

「今後はまた新たな治療法が見つかるはず」

かなり苦しいですが 励ます言葉が見つからず…

それでも生きる希望を捨てないでほしくて

そう言っていました。

 

 

ボニーは本当に家族思いで

息子が夫にふざけてプロレス技をかけた時

「いたたたた・・」

と言う夫を 本気で心配して 何とか止めようとしたり

夫が病気になってからは心配して様子を見に行ったり…

前は夫を起こそうと ベッドに回り込んで夫の手を鼻でつついたりしていたのに

いつの間にか寝室の入口までしか行かなくなり

そして そこで伏せて静かに見守っていました。

 

本当に優しい素晴らしい子でした。

 

わたしはボニーに正しい生き方を教わったような気がするのです

 

あの苦しい日ですら 泣き言もいわず

あんな状態の体で頑張って下に降り

声もあげず 静かに目を閉じ

死を受け入れるようにして

旅立っていったあの子に

 

『正しく誠実に生きなさい』

 

そう教えられたように思うのです

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最後の2日間 4

2021-02-04 14:44:05 | 思い出

帰宅後 ボニーの意識が戻っただろうかと心配で何も手につかず

「脾臓腫瘍」「血管肉腫」をネット検索して

なおさら不安と絶望感に襲われました。

 

どの症例もボニーよりましな状態で治療に入ったものの 副作用に苦しみ 数カ月後には亡くなっていました。

好発犬種にシェパード、ゴールデンレトリバーなど主に大型犬

好発年齢 8歳以上のシニア

 

…おそらく獣医師の診断のとおり血管肉腫なのでしょう。

何となくのんきな対応だったので少し希望を抱いてしまいましたが

飼い主にはこのような対応をするものなのかもしれません。

 

抗がん剤治療を受けて 延命を図って 少しでも穏やかに暮らせたら…

と夫に言いました。すると夫は

そんなことをしていいのか?

あんな苦しいことをボニーに強いるのか?

そう言いました。

 

病気の夫とボニーが重なり わたしたちは声をあげて泣きました。

 

明日、ボニーに会えるだろうか 意識を取り戻してわたしを見てくれるだろうか

希望を捨ててはいけない しっかりしなくては。

 

ほとんど眠れない夜が明けて朝――

6時半頃 電話が鳴りました。

何時頃ボニーに会えるだろう?診療時間前に行った方がいいのかな?と思っていたので

少し前向きな気持ちになって受話器をとりました。

 

「ボニーちゃん、亡くなりました。5時前には呼吸してましたから死亡は5時から6時の間」

 

こんな事務的に告げられるものなのですね…

 

冷たいケージの中で誰にも看取られずに…逝ってしまった

 

一時的にでも意識は取り戻したのだろうか…?

 

この世で 彼女が最後に見たものは何だったのだろう…

 

もう 誰にもわからない

 

 

夫と娘と一緒にボニーを迎えに行きました。

 

ボニーは静かに眠っているように見えましたが

触れると 冷たく 硬くなっていて

もうボニーはこの世にいないのだと思いました。

 

おなかの縫合痕からは まだ薄く血がしみだしていて

あんなに頑張ったのに かわいそうでかわいそうで

ボニーであった亡骸に取りすがって泣きました。

 

 

おかしいかもしれませんが

わたしは ボニーは夫の身代わりになろうとしたのではないか…と思えてならないのです。

 

 

なぜなら 夫もまた 脾臓を摘出しているからです…

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