愛しのボニー

元保護犬
2020年9月21日没(推定10歳)
ラブラドール・レトリバーのボニーの思い出

最後の2日間 3

2021-02-03 11:58:23 | 思い出

手術は診療時間終了後の19時から始まりました。

 

わたしたちは待合室で祈りながら待っていました。

どうかどうか良性のものであってほしい

神様 あの子は悪いことなど何もしていません

お願いします 助けてください助けてください

 

大丈夫… きっと… 昨日だってあんなに元気だったのだから…

自分自身に言い聞かせるように祈り続けました。

 

手術室からは血液を吸い取るような音が聞こえてきます。

 

しばらくして手術室に呼ばれ わたしたちは

おなかを大きく切り開かれたボニーと摘出された臓器を見ました。

 

わたしはテレビでワクチン接種の場面も見られないほどの小心者です。

酸鼻を極めるその状況に卒倒しそうでしたが、獣医師の言葉を聞き逃すまいと集中しました。

 

悪性の可能性が高い…と。

血管肉腫が強く疑われる…と。

そうだとすると すでにもう転移していて

治療法がないわけではないけれど 厳しい状況だ…と。

そう説明されました。

 

嘘よ 嘘よ これは悪い夢に違いない

こらえてもとめどなく涙があふれます。

 

やがて手術が終わりわたしたちは術後のボニーと対面しました。

ボニーには意識がなく、看護師さんが

「終わったわよ~起きて~起きて~」

とボニーの手をさすっていました。

 

その後の説明では 摘出した臓器は病理検査に回すので

その結果を見て 悪性であれば抗がん剤治療をするのかしないのか 治療方針を決めていきましょう。

結果が出るまで1週間ほどかかるので、またその時に。とのことでした。

 

時刻は21時を過ぎ、ボニーについていることは許されませんでしたので

帰宅することになりました。

24時間完全看護ではないけれど、それに近い体制で管理している、と。

わたしたちは後ろ髪をひかれながらも帰るしかありませんでした。

 

ボニーは我が家ではケージに入ったことがありません。

いってみれば家全体がボニーの部屋でした。

 

ケージに入ったのは愛護センターとお預かりの方宅への移動、それと

2日間ペットホテルに預けた時だけです。

ペットホテルに迎えに行ったとき、喜んでくれると思ったら

ボニーは完全に怒っていました。

家までの道すがら、怒っていつも以上にがんがん引っ張りました。

 

人間の都合など犬にはわかりませんから また捨てられたと思ったのでしょう。

狭いケージでボニーなりに考え 傷ついた2日間だったのだと思います。

その後 ボニーの様子がしばらくの間おかしくなりました。

わたしたちへの信頼が揺らいだのだと思います。

 

 

帰り道 絶望感でいっぱいでしたが 1週間後に治療方針を決めるというので

少なくとも猶予はあるはず、それと治療がうまくいくかもしれない…

そもそも悪性と決まったわけでもないのだから…

と自分自身を励まして帰宅しました。

 

 

…なかなか思ったように話が進みません…(・.・;)

今のところ状況説明だけになっていますね。。。

本当に書きたいことはこういうことではないのですが…

お読みいただいている方には申し訳ありません<(_ _*)>

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最後の2日間 2

2021-02-02 12:01:59 | 思い出

9月20日 日曜日

 

いつも通り 朝4時に起床して支度を整えボニーと玄関を出ました。

時刻は4時半頃で、夏の間はもう明るいのですが この時期は外はまだ真っ暗です。

 

家の玄関は中二階くらいの高さにあり、下に降りる階段は10段以上あります。

ボニーは数か月前まではここを駆け降りていましたが

白内障がすすんでからは慎重に降りるようになっていました。

 

ところが、この日は降りようとしません。

階段にはセンサーライトがついていますが、暗くて怖いのかな?

と思って懐中電灯を取りに行き 明るくしても降りません。

「先に行っちゃいますよ~」

と言ってわたしが門を出ても玄関ドアの前から動こうとしません。

おやつで釣ってみてもだめでした。

 

排泄は外派でしたから とにかくそれだけでもさせなくては。

我慢させてはいけないし…と

ボニーの前脚をとっておんぶしようとしました。

 

すると 今まで見たことのないあわてぶりで必死になって抵抗しました。

何かを恐れているような そんなあわてぶりでした。

ボニーにはトラウマがあり、こんなふうに怖がることはよくありましたので、

ちょっと時間をおいてまた出直せばいい、その時はそう思いました。

 

朝ごはんを出しましたが食べようとしません。

ただ落ち着かない様子で うろうろと歩きまわりました。

雷 花火 他 ボニーの苦手な音が聞こえた時にする行動です。

 

「いったいどうしたんだろう…?」

 

その後もお水を飲むくらいで やはりうろうろと歩きまわり…

わたしは家事などしているうちにお昼になってしまいました。

 

午後1時すぎには歩くのもやめて床の上に伏せていました。

目を閉じて眠っているようにも見えるけれど

呼吸がいつもより早いような?

怖いのではなく具合が悪いのでは?

 

今日は日曜日…

診てもらえるところはあるかしら?

それとも様子を見るべきなのか…

 

今まで健康で 動物病院に行くのがフィラリア検査と予防接種くらいだったので

大慌てしましたが 診療してもらえるとのことでボニーを連れて行きました。

 

布製のペットシーツを担架代わりにして二人で運びました。

 

診察台の上のボニーは目を閉じてハアハアと荒い呼吸をしていました。

血液検査 レントゲン エコー検査 と続き

脾臓に大きな腫瘍がある と告げられました。

お腹の中は血でいっぱいでした。

 

脾臓が破裂して貧血状態になっている、と。

わたしが腫瘍にまったく気づかなかったと言うと

 

「そうでしょうねぇ。これだけ大きかったら。小型犬の場合は飼い主さんが気付くこともあるけど、大抵の場合は別件で診察に来て偶然見つかるんですよ。あれ、何か写ってる…って」

「破裂して散歩の途中で歩けなくなって運び込まれてくるケースが多いかな」

 

とにかくお腹を開けてみて脾臓腫瘍で良性であれば摘出すれば大丈夫でしょう、

ということでしたが もし悪性の場合は…???

足ががくがくと震えます。

 

獣医師はなんということもなく手術代がいくら、入院費用がいくら、と話を進めます。

 

わたしたちは呆然として ショックのあまりその場に立っているのが精いっぱいでした。

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最後の2日間

2021-02-01 12:02:59 | 思い出

ボニーとの最後の2日間の記録

 

まず、おことわりしておきます。

これから書くことは楽しいことでも愉快なことでもありません。

自分にとって避けて通れない部分なので 苦しみながらでも書くことにしました。

どうかスルーしてください。不快に感じた方 申し訳ありません。

 

 

わたしの夫は2年前から病と闘っています。

その病の名前は書きたくないので書きません。が。

おそらくご想像の通りかと思います。

 

闘っている…といっても勝つことはありません。

延命のための治療をしています。

生存期間の平均値は1年…

長いこと頑張ってはいますが、病院で会う人が 知ってる顔が

ひとり またひとり消えていきます。

 

治療の後はひどく体調が悪くなり 苦しむ彼を見守るしかなくて

苦しさも命も分けあえたらな…と いつも思います。

「患者の家族は第2の患者」といいますが まさに…

 

どうしていいかわからず 叫び出したくなる時も

怖くて逃げだしたい時も 悲しくて涙が止まらない時も

ボニーがいてくれたから正気を保てたのかな と思います。

 

 

前置きが長くなりました。

ボニーの死の2日前 9月19日 土曜日の話です。

この日 夫とわたしは眼科へ行きました。

 

病というのはドミノ倒しのように様々な器官に悪い影響を広げていくのですね…

失明の危険があると言われ 検査に行ったのです。

 

わたしは前の晩から心配で眠れませんでした。

失明の心配と 情けないことに自分の運転の心配もありました。

初めて行く場所はとにかく緊張します。

 

翌朝 いつものように4時30分すぎにボニーとお散歩スタート。

ボニーは元気でいくらでも歩きたがりました。

 

1時間以上歩いているのと わたしはやはり眼科のことが気になって

「もう帰りましょ」というと ボニーはしばらく座りこみましたが

ようやく納得してくれて家に帰りました。

 

午前中 眼科へ。

検査の結果はとくに異常は認められず 夫とわたしは祝杯をあげたい気分(あげませんが)で帰宅しました。

ボニーは夕方も元気に散歩して晩ごはんも食欲もりもりで

いつもと変わったところはありませんでした。

 

異変があったのは翌日 9月20日 日曜日のことでした。

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