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大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

今日はテレホンカードの日!

2020年12月23日 | 今日は何の日

12月23日はテレホンカードの日です。

1982(昭和57)年の今日(12月23日)、日本電信電話公社(電電公社=後のNTT)が 東京都の渋谷駅、新宿駅、数寄屋橋公園などにテレホンカード対応の公衆電話第1号を設置しました

テレホンカードとは、日本の公衆電話で使用できるプリペイドカードで、発売開始当初は、50度数・100度数・300度数・500度数の4種類が発売されました。そして、後に100度数以上のカードについてはプレミア(おまけ)が加えられ、販売価格は据え置きでそれぞれ105度数・320度数・540度数として売り出されました。

カードなので小銭が不要であり、1度数(10円)単位で引き落とされるため無駄がなく、長時間通話時にも常に硬貨を投入し続ける必要がないため、設置者側にとっても、金庫が硬貨で一杯になって機能が停止する事態を避けられる他、硬貨集金の巡回経費を節減できるメリットもありました。
しかし、1990年代半ばから携帯電話が普及したことで公衆電話の利用率が減少したため、公衆電話の設置箇所・設置台数は年々減少が続いており、小銭不要で電話がかけられるというテレホンカード本来の利便性も薄れつつあります。そのため、2017(平成29)年の時点では利用可能なテレホンカードはほぼ販売中止となっており、コレクターズアイテムとしての価値を持っています


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今日ははんぺんの日!

2020年12月22日 | 今日は何の日

12月22日ははんぺんの日です。

昔から「冬至の日」に「ん」の字が2つ以上ある食べ物を食べると運が向上し、無病息災に効果があると言い伝えられていることから、「ん」が2つある「はんぺん」をもっと食べてもらおうと、東京都蒲鉾水産加工業協同組合が2016(平成28)年に12月22日を「はんぺんの日」に制定しました。

はんぺんは、関東、東海地方の食材でスケトウダラやサメ類などの魚肉のすり身にすりおろしたヤマノイモなどの副原料を混ぜてよく摺り、調味して薄く四角形または半月型にしてゆでた魚肉練り製品です。 ふんわりとした滑らかな舌触りで、主に、煮物、揚げ物、フライ、バター焼き、おでんだね、椀だねなどに用いられます。

このはんぺんは、元々は関東周辺のみで食されていた地域色の強い食品でしたが、戦後になって東京の紀文食品が「紀文のはんぺん」として全国的に販売するようになって以降は、この白いはんぺんが「はんぺん」として定着しました。

はんぺんという名前の由来については、江戸時代の駿河の料理人・膳夫半平(はんぺい)という人が初めて作ったという説や、円形中高のものと、方形の二種があり、お椀の蓋にすり身をつめて作ったものが、半円形であることから「半平」という名がついたなどの多くの説があります


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今日は電話創業の日!

2020年12月16日 | 今日は何の日

12月16日は電話創業の日です。

1890(明治23)年の今日(12月16日)、東京滝ノ口と横浜居留地に電話局が設置され、東京市内と横浜市内で日本初の電話交換業務が開始されました。
千代田区に設置された電話交換局の電話交換手は、昼は女性7名、夜は男性2名で対応しました。
この時の通話の方法は、電話交換局を経由し、交換手によって回線をつなぐという超アナログなシステムで、かける側はまず交換手にと話したい相手の番号を伝え、一旦電話を切って電話を待つ、というものでした。

当時、電話は高価なものだったため設置している家庭は少なく、加入者数は東京が155人・横浜が42人で、当時の電話番号は申し込み順であったため、今では「177」は天気予報ですが、昔は大隈重信の番号だったそうです。他には、渋沢栄一は158、後藤象二郎は247、前島密は248という番号が割り当てられていました。
また、
電話料金は定額制で東京が40円、横浜が35円でした

その後、時代が進むにつれて電話の普及率があがり、交換手が不要な自動交換式に変わったのが1926(大正15)年で、東京の京橋局に第一号の自動交換機が導入されました。

ちなみに、日本で初めて電話の通話実験が行われたのは1877(明治10)年で、「東京の溜池にある工部省」と「赤坂御所内の宮内省」とを結ぶ、2キロほどの電話でした。


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今日はビタミンの日!

2020年12月13日 | 今日は何の日

12月13日はビタミンの日です

1910(明治43)年の今日(12月13日)、農芸化学者の鈴木梅太郎博士が米糠から抽出した脚気を予防する成分に「オリザニン」と命名したことを当時の学会の東京化学会例会で発表しました

鈴木 梅太郎博士のこの功績を広く知らせて、ビタミンの知識の普及に貢献する情報発信活動を行っていくことを目指し、“ビタミンの日”制定委員会(2009年に解散)が、2000(平成12)年9月に12月13日を「ビタミンの日」に制定しました。

ちなみに、オリザニンは後に、この1年後にポーランド人化学者のカシミール・フンク氏が発見したビタミンB1と同じ物質であることが判明し、国際学会への発表はカシミール・フンク氏のほうが早かったため、現在では「ビタミン」という名称が普及しています。

ビタミンは、生物の生存・生育に微量に必要な栄養素のうち、その生物の体内で十分な量を合成できない炭水化物・タンパク質・脂質以外の有機化合物の総称で、ヒトのビタミンは13種が認められています。

ビタミンはほとんどの場合、生体内で十分量合成することができないので、主に食料から摂取されます。そしてビタミンの多くは、生体内において酵素がその活性を発揮するために必要な補酵素として機能します。したがってビタミン欠乏症に陥ると、ビタミン類を補酵素として利用する酵素が関与する代謝系の機能不全症状が現れてきます


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今日は百円玉記念日!

2020年12月11日 | 今日は何の日

12月11日は百円玉記念日です。

1957(昭和32)年の今日(12月11日)、それまでの板垣退助の肖像が描かれていた百円札に替わって、表に中国の伝説の鳥である「鳳凰」・裏に桜のデザインの百円硬貨(銀貨)が発行されました

その後、1967(昭和42)年に現行の新しい百円硬貨が発行されましたが、保有銀量が不足していたうえ、電子工業、写真工業など当時世界的な銀需要が増大していたため、素材は銀貨から白銅貨に変更され、デザインも替わりました。
現在発行されている百円硬貨(白銅貨)は、表面には「日本国」と「百円」そして桜が、裏面には「100」と製造年がデザインされていて、側面にはギザが103本あります。 そして、この百円硬貨の発行が、自動販売機が昭和40年代に急速に普及した要因として挙げられています。
また、特に発行数の少ない年銘は、平成13年銘(802万4千枚)と平成14年銘(1066万7千枚)であり、これらの年銘の未使用硬貨は古銭商などで額面を超える価格で取引されています。ちなみに、昭和64年は製造されませんでした。

なお百円銀貨(旧百円硬貨)が発行されていた時代には、板垣退助の肖像の百円紙幣(B百円券)と並行して流通していましたが、この紙幣が日銀から支払い停止になったのは、現行の百円白銅貨の発行後の1974(昭和49)年でした。

ちなみに、日本では独立行政法人造幣局が100円・50円などの硬貨を製造し、1000円札などの紙幣は独立行政法人国立印刷局が作っています


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