大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

南海電鉄 萩ノ茶屋駅!

2020年04月30日 | 

大阪府大阪市西成区にある萩ノ茶屋駅は、南海電鉄高野線(64,5km)の駅です(線路名称上は南海本線)。 もともとは南海鉄道の駅として、1907(明治40)年12月20日に開業しました。

6両分の有効長をもつ島式ホーム1面2線を有する高架駅で、高架下に改札口があります。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は1,496人で、これは南海電鉄の全100駅中69位です。 また、南海本線の駅では42駅中40位です。

当駅は、線路名称上は南海本線に所属しますが、南海本線用の線路にホームが無く、南海本線の列車が全て通過となるため、運行系統上は高野線のみの駅となっています。
また、当駅の駅名の由来とされている「萩の茶屋」は、かつて紀州街道上にあった茶店の1つで、大阪方面から住吉詣りに向かう途中、敷地内に植えられた萩の花が旅人の目を楽しませたそうです。

萩ノ茶屋駅が属する南海電鉄高野線は、かつては南海本線に対して支線的な存在でしたが、宅地開発による沿線人口の急増や泉北高速鉄道との相互直通運転により、現在は大阪府南河内地域・和歌山県伊都地域から大阪市内への通勤・通学路線となっており、また、日本有数の宗教都市・霊場である高野山への参詣輸送路線でもあります。

  <萩ノ茶屋駅の年表>

 ・1907(明治40)年12月20日:南海鉄道の駅として開業
 ・1938(昭和13)年9月10日:駅の高架化完成
 ・1944(昭和19)年6月1日:戦時体制下の陸上交通事業調整法に基づく戦時企業統合政策により南海鉄道と関西急行鉄道が合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・1947(昭和22)年6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に分離譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・1970(昭和45)年11月23日:南海本線の東線各駅停車が廃止され、以後は高野線の各駅停車のみの停車となる
 ・1993(平成5)年4月18日:当駅~岸里玉出駅間の西側2線(の高架化完成
 ・1995(平成7)年11月1日:当駅~岸里玉出駅間の東側2線(高野線)の高架化完成
 ・1999(平成11)年4月1日:スルッとKANSAI対応カードの取り扱い開始
 ・2006(平成18)年7月1日:ICカード「PiTaPa」「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2011(平成23)年4月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2012(平成23)年4月1日:駅ナンバリングの導入
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始によりKitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる 

 
(駅 名 標)

 
(難波方面を望む)

 
(新今宮方面を望む)

 
(萩ノ茶屋駅)

 
(駅 舎 内)


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今日は象の日!

2020年04月28日 | 今日は何の日

4月28日は象の日です。

1729(享保14)年の今日(4月28日)、中御門天皇が日本にやってきた象と初めて面会しましたが、このことを記念して4月28日は「象の日」という記念日に制定されました。

動物好きだった江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が「象が見たい」と自ら注文したことにより、オスとメスの2頭の象が、広南(現在のベトナム)からの献上品として清の商人により1728(享保13)年6月に長崎に運ばれました。

2頭の象のうち、メスの象は上陸地の長崎で秋に死んでしまったので、8歳のオス1頭だけが徳川吉宗に献上するために1729年3月に長崎を出発し、大名行列のように陸路歩行でゆっくりと江戸に向かい、4月16日に大阪、4月26日に京都に到着しましたが、ここで第114代・中御門天皇の希望により、天皇の御前に披露されることになりました。 しかし、官位を持たない一般人が天皇に直接会うことは禁じられていたので、この象に「広南従四白象」という官位を与えて4月28日に御前に供されたのでした。

その後、また陸路で江戸に向かい、5月25日に無事に到着して、27日に徳川吉宗の御前に供されました。 この時、吉宗は江戸城の大広間から象を見たそうです。

ちなみに、この象は1742(寛保2)年12月に21歳で亡くなりました。


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今日は婦人警官記念日!

2020年04月27日 | 今日は何の日

4月27日は婦人警官記念日です!

太平洋戦争終結後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の婦人警官採用の指示により、1946(昭和21)年2月21日に募集要項が出されました。 20歳~30歳の女学校卒業者・身長150cm以上・都内在住などの応募資格があったものの、1673人の女性が応募し、この中から62人が3月18日に警視庁に採用され、4月27日に婦人警官として初めて勤務につきました。 ちなみに、当時の彼女たちの1ヵ月の給料は279円50銭でした。
このことから、4月27日は「婦人警官記念日」に制定されました。

当時の婦人警官はほとんど事務職で逮捕(執行)権も与えられていなかったので、男性警察官の補助的な役割でした。 しかしその後、婦人警官の職務範囲は次第に拡大し、1967(昭和42)年には、二輪車の運転技能に優れた婦人警官による初の女子白バイ隊も発足しました。

ちなみに、日本では2000(平成12)年4月1日に施行された男女雇用機会均等法の全面改正により、従来の婦人警察官という呼称から現在の「女性警察官」に改められました。

2018(平成30)年度における女性警察官の人数は2万4587人で、全警察官のうち9.4%を占めています。 また、女性警察官のうち独身者は、警察の用意した寮に住居を与えられ、1年間の初任過程が済むまでは寮への入居が義務付けられています。女子寮に配置され、ここは警察学校のようなものだそうです。

ところで、女性警察官は以前は交通課などの交通部門に配置されるケースが多かったのですが、近年は地域・刑事・組織犯罪対策などに配置される比率が大きく増えています。この背景には、女性が被害者となるパターンが多い性犯罪やDV犯罪の増加が挙げられます。
また、女性警察官の幹部への登用も加速しているおり、2018年に「警部」以上の役職に就く女性警察官は498人で、2009(平成21)年の142人と比べて約3.5倍に増加しました。


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京福電鉄北野線 宇多野駅!

2020年04月26日 | 

京都府京都市右京区宇多野長尾町にある宇多野駅は、北野白梅町駅から帷子ノ辻駅までを結んでいる京福電鉄北野線(3.8km)の駅です。 もともとは京都電燈が経営していた嵐山電鉄北野線の高雄口駅として、1925(大正14)年11月3日に開業しました。

千鳥式に配置された2両編成対応の単式ホーム2面1線を有する無人駅で、帷子ノ辻方面行きホームには東側のみに1ヶ所、北野白梅町方面行きホームには2ヶ所に出入り口があります。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は517人で、北野線の中では最も利用客が少ない駅です。

開業時の高雄口という駅名は、当地が駅北西にある景勝地高雄への玄関口に当たる地であることに由来します。

宇多野駅が属する京福電鉄北野線は全線が専用軌道で、住宅街の中を走っているほか、沿線には名刹が多く駅名にもなっています。 また、宇多野駅~鳴滝駅間の線路両側には桜並木があって桜のトンネルになっており、春の開花時には夜間ライトアップが行われます。

  <宇多野駅の年表>

 ・1925(大正14)年11月3日:京都電燈が経営する嵐山電鉄北野線の高尾口駅として開業
 ・1926(大正15)年3月10日:当駅~帷子ノ辻駅が開業し、帷子ノ辻駅で嵐山本線と繋がる
 ・1942(昭和17)年3月2日:戦時中の配電統制令により、京都電燈が解散して鉄軌道事業を京福電気鉄道に譲渡したことに伴い、同鉄道の駅となる
 ・1982(昭和57)年1月9日:帷子ノ辻行きホームが新たに設けられる
 ・2007(平成19)年3月19日:駅名が宇多野駅に改称される、駅ナンバリングの導入
 ・2008(平成20)年4月1日:発車メロディーの導入

 
(駅 名 標)

 
(北野白梅町方面を望む)

 
(帷子ノ辻方面を望む)

 
(北野白梅町方面行きホーム)

 
(北野白梅町方面行きホームの入口)

 
(帷子ノ辻方面行きホーム)


 撮影年月日:2019(令和元)年12月22日


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三江線 石見川本駅!

2020年04月25日 | 

島根県邑智郡川本町大字川本弓市593番地にあったJR西日本の石見川本駅は、山陰本線の江津駅と芸備線の三次駅とを結ぶ全線単線非電化の三江線(108.1km)の一般駅として、1934(昭和9)年11月8日に開業しました。
しかし、三江線が2018年(平成30)年4月1日に廃止されたことにより、廃駅となりました。

相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な業務委託駅でした。
開業時に建てられた木造駅舎が上りホーム(江津方面行きホーム)側にあり、下りホームへは跨線橋で連絡していました。

2017(平成29)年度の1日の平均乗車人員は30人でした。

石見川本駅が属していた属三江線は、陰陽連絡路線として1926(大正15)年9月から長い期間をかけて建設されましたが、全通したのは1975(昭和50)年8月31日で、その時すでに地域間流動はモータリゼーションの普及により道路利用に移行していました。
従って、全通後も当初の目的だった陰陽連絡路線としての機能をほとんど果たすことはなく、優等列車の定期運転が行われたこともありませんでした。

  <石見川本駅の年表>

 ・1934(昭和9)年11月8日:国鉄三江線の一般駅である終着駅として開業
 ・1935(昭和10)年12月2日:三江線が当駅から石見簗瀬駅まで延伸したことにより、途中駅となる
 ・1955(昭和30)年3月31日:線路名が三江北線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1975(昭和50)年8月31日:三江北線が三江線の一部となり、同線の駅となる
 ・1982(昭和57)年11月7日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1989(平成元)年12月16日:米子支社の直轄から浜田鉄道部の管轄に変更になる
 ・2018(平成30)年4月1日:三江線の廃止に伴い、廃駅となる

 
(駅 名 標)

 
(石見川本駅駅舎)


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