今日は別府鉄道(べふてつどう)が廃止された日です!
別府鉄道というのは、兵庫県加古川市の南部に位置する別府港を中心として、旧国鉄高砂線(1984年11月30日に廃止)の野口駅へ至る野口線3.6Kmと、山陽本線土山駅へ至る4.0Kmの土山線の2路線からなっていましたが、1984(昭和59)年の今日、廃止されてしまいました。
すでに廃止されてから31年も経っているので、この別府鉄道のことを知らない方も多いと思います。 そこで今日は別府鉄道のことを書きます。
・土山線:(別府港)-中野-国鉄土山駅 4.0Km
・野口線:(別府港)-別府口-坂井-円長寺-藤原製作所-国鉄野口駅 3.6Km
別府鉄道は、日本初の人造肥料を開発した多木製作所(現在の多木化学)の創始者である多木久米次郎が、自社製品の肥料輸送を行うため、1915(大正4)年7月5日に別府軽便鉄道株式会社を設立したのに始まります。 当初は播州鉄道(後の国鉄加古川線)北在家(後の鶴林寺)を起点としていたが、その後野口に変更され、1921(大正10)年9月3日に野口~別府港間(野口線)が蒸気鉄道で開通し、旅客と貨物の輸送を開始しました。
列車は別府港~加古川間直通運転で、運転管理は播州鉄道に委託していましたが、1923(大正12)年3月8日には別府港~土山間(土山線)が開通し、この時に全線の運転管理を播州鉄道から自営に変更しました。メインの肥料輸送は土山線経由となり、野口線は播州鉄道沿線への出荷が残されたものの旅客中心となった。 この時点ではまだ野口線・土山線とも中間に駅はなく、1932(昭和7)年5月に内燃動力併用の開始に合わせて、円長寺・別府口・中野の各駅が設置されました。
播州鉄道から経営を譲渡された播但鉄道が1943(昭和18)年6月1日に国に買収されると、野口線の加古川乗り入れが廃止になり、さらに戦時中の1945(昭和20)年1月11日には不要不急路線として野口線の運転が休止となってしまいまいました。土山線が休止とならなかったのは、肥料輸送の重要性が認められたからでした。 資材供出のため野口線のレールは撤去されて別府港に山積みされたが、それを輸送する前に終戦となり、再びレールが敷設されて1947(昭和22)年5月22日に野口線の営業を再開しました。
ちなみに、終戦後の昭和21年4月にそれまでの別府軽便鉄道から別府鉄道に社名を変更しています。
野口線・土山線とも地域の足として親しまれてきたが、もともと別府鉄道は貨物輸送がメインであり、別府周辺の人の流れも神戸・姫路指向で、山陽電鉄がその役割を担っていたため、別府鉄道の利用客は限られていました。 周辺は神姫バスの地盤でもあり野口線を廃止したとしても影響は少なく、また土山線が貨物専業でも不思議ではなかった。 国鉄山陽本線が複々線になると土山での入換えができなくなるので、そのスペアとして野口線を確保しているとの説明が会社からなされたこともあったが、貨物収入で収支が何とかまかなえていた余裕とも考えられた。
廃止前の輸送人員は西日本の鉄道会社の中で最も少なく、土山線などは乗客があるほうが珍しかった。 野口線は加古川市の行政施設が集中する野口へ乗り入れていたことや沿線に多木化学、住友精化、ニシカワ食品などの工場があったことから、通勤客が僅かながら利用していたが、それも廃止直前にはほとんどいなくなっていた。1984(昭和59)年2月1日の国鉄のダイヤ改正から国鉄貨物がそれまでの操車場で行われていたヤード集結型輸送から拠点間輸送に切り替わることになり、その結果土山線を経て土山駅で国鉄線へ受け渡す貨物輸送ができなくなったことから、ついに1月31日限りで全線廃止されることに決まったのでした。
《廃止前の運用について》
野口線は国鉄高砂線のダイヤに合わせて1日9往復運転され、全列車が単行でした。 車両の主力は、1974(昭和49)年に片上鉄道から転じた元国鉄のキハ41000・キハ101で、予備車として車両の両端に荷物台をもつ機械式のキハ2・3が在籍していました。 野口~別府港間の所要時間は11分で、野口発18時24分が最終列車でした。
土山線の方は客車と貨車の混合列車が1日4往復運転され、牽引機は貨車の多い日が元江若鉄道のDD1351、貨車の少ない日がDB201で、客車は2軸オープンデッキのハフ7であった。また他にDC302もあったが、これは主に構内入換え用に使われてました。 土山~別府港間の所要時間は14分で、土山発17時30分が最終列車でした。
なお、全線の中で駅員がいるのは別府港駅だけで、他の駅はすべて無人駅でした。
現在、廃線跡は土山線の播磨町内区間と野口線の大半が遊歩道に転用されており、私も1996(平成8)年12月と2000(平成12)年5月の2度、この別府鉄道の廃線跡を歩いてます。
(播磨町郷土資料館の裏側に保存されているDC302機関車とハフ5客車)
(円長寺駅跡付近の公園に保存されているキハ2号)
(別府港駅はこの辺りにありました) (別府口駅跡)
ところで話題は変わりますが、今日は1978(昭和53)年に「狼なんか怖くない」でデビューした石野真子の誕生日(54歳)です!
この「狼なんか怖くない」という曲は、作詞:阿久 悠、作曲:吉田拓郎、そしてジャケット撮影が篠山紀信という豪華な顔ぶれでした。