大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

今日はプロレス記念日!

2019年07月30日 | スポーツ

7月30日はプロレス記念日です!

1953(昭和28)年の今日(7月30日)、力道山が中心となって日本初のプロレス団体である「日本プロレスリング協会」が結成されました

力道山といえば、日本のプロレス界の土台を作り、プロレスを人気スポーツへと押し上げた「日本プロレス界の父」と呼ばれていますが、もともとは大相撲の力士でした。 初土俵は1940(昭和15)年の5月場所で、その後、1946(昭和21)年11月場所で初入幕し、1949(昭和24)年の5月場所で関脇まで昇進しますが、翌1950(昭和25)年9月場所の前に突然相撲界を引退してプロレスに転向したのでした。

プロレスに転向後、力道山は1952(昭和27)年2月3日にプロレスの修行のためにハワイへ出発します。 そして、ホノルルで日系人レスラーの沖識名の下で猛特訓を受けた後、アメリカ本土に渡って太平洋岸を転戦し、300戦295勝5敗の成績を残して帰国し、日本プロレスリング協会を設立しました。

この1953(昭和28)年から日本ではテレビ放送も開始されたので、力道山が木村政彦とタッグを組み、カナダ人のシャープ兄弟との激闘はプロレス人気を高め、太平洋戦争敗戦後のショックから立ち直れずにいた日本人に大きな勇気を与えました。


今日は天覧試合の日!

2019年06月25日 | スポーツ

6月25日は天覧試合の日です!

天覧試合とは、天皇が観戦するスポーツ競技の試合のことです。

1959(昭和34)年の今日(6月25日)、昭和天皇・皇后両陛下が後楽園球場で巨人対阪神の試合を観戦しました。 野球ではそれまでに1929(昭和4)年11月1日の早慶戦、1947(昭和22)年8月3日の第18回都市対抗野球の開幕戦、1950(昭和25)年11月6日の早慶戦と3度の天覧試合が行われていましたが、プロ野球ではこの試合が初の天覧試合でした。

この日の試合前に昭和天皇と香淳皇后が後楽園球場のバックネット裏の貴賓席に来場され、まず両チームの監督・コーチ・選手全員が内野付近に一列で整列し、貴賓席に現れた天皇・皇后両陛下に一礼してから、鳴り物応援が禁止された状況の下で19時に試合が開始されました。

先発投手は巨人が藤田元司、阪神が小山正明とエース同士の対決でしたので投手戦が予想されましたが、試合は点の取り合いで二転三転し、4対4の同点で迎えた9回裏に巨人の長嶋茂雄が阪神の村山実投手からレフトスタンドにこの日2本目のホームランを放ち、巨人が5対4でサヨナラ勝ちをしました。

実は、天皇・皇后両陛下が試合を観戦できる時刻は21時15分までであったため、もし同点のまま延長戦に突入した場合は、天皇は試合結果を見届けられずに途中退席になる可能性もありましたが、長嶋がホームランを打ったのはリミットの3分前の21時12分でしたので、天皇・皇后両陛下は試合結果を見届けた上で後楽園球場を後にしたのでした。


元横綱・千代の富士の九重親方が死去!

2016年08月01日 | スポーツ

現役時代に31度も優勝して「ウルフ」の愛称で親しまれ、1989(平成元)年には角界で初めて国民栄誉賞も受賞した大相撲の元横綱・千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓がんのため61歳で亡くなられました。

千代の富士は、現役時代に数々の輝かしい記録を残していますので、主な記録を以下に記しておきます。

通算成績

  • 通算成績:1045勝437敗159休(通算勝ち星は歴代2位) 勝率.705
  • 幕内成績:807勝253敗144休(幕内勝ち星は歴代3位) 勝率.761
  • 横綱成績:625勝112敗137休(横綱勝ち星は歴代3位) 勝率.848
  • 通算在位:125場所
  • 幕内在位:81場所(引退当時歴代3位、現在10位)
  • 横綱在位:59場所(北の湖に次いで歴代2位)
  • 大関在位:3場所
  • 三役在位:5場所(関脇2場所、小結3場所)
  • 年間最多勝:3回
  • 連続6場所勝利:83勝(1988年5月場所〜1989年3月場所)
  • 通算幕内連続勝ち越し:11場所(1986年5月場所〜1988年1月場所)
  • 幕内連続2桁勝利:9場所(1981年11月場所〜1983年3月場所、1984年9月場所〜1986年1月場所)
  • 幕内連続12勝以上勝利:5場所(1981年11月場所〜1982年7月場所、1986年5月場所〜1987年1月場所)

連勝記録
  最多連勝記録は53連勝:(1988年5月場所7日目〜1988年11月場所14日目、昭和以降では双葉山、白鵬に次いで歴代3位、大相撲史上では歴代6位)

優勝回数

  • 幕内最高優勝:31回(白鵬、大鵬に次ぎ、歴代3位)
  • 連覇:5連覇(1986年5月場所 - 1987年1月場所)
  • 全勝優勝:7回(北の湖と並んで歴代4位タイ) 

今日は鉄人の日!

2015年06月13日 | スポーツ

6月13日は鉄人の日です!

1987(昭和62)年の今日、プロ野球広島東洋カープの衣笠祥雄選手が、大リーガーのルー・ゲーリック選手の記録を破る2131試合連続出場の当時としての世界新記録を達成しました。 足かけ18年、6082日目の大記録です。

衣笠選手は最終的に2215試合連続出場を果たして、この年のシーズン終了後に現役を引退しましたが、この偉業が認められ、プロ野球選手としては王選手についで2人目の国民栄誉賞を授与されました。

また、衣笠選手といえば、山本浩二とともに赤ヘル打線の主力として1970年代後半から80年代の広島カープの黄金時代を築き上げる原動力となりました。

ちなみに、衣笠選手が1975(昭和50)年から付けていた背番号「3」は、広島カープの永久欠番となっています。


3000本記念日!

2015年05月28日 | スポーツ

5月28日は3000本記念日です!

1980(昭和55)年の今日、プロ野球ロッテオリオンズの張本勲選手(東映・日拓・日本ハム→巨人→ロッテ)が、川崎球場で行われた阪急ブレーブスとの試合で、6回裏に山口高志投手から右翼上段にツーランホームランを打ち、プロ野球史上初の3000本安打を達成しました。
プロ入り1年目の1951(昭和26)年4月11日に駒澤野球場で行われた阪急ブレーブス2回戦の第1打席で、秋本祐作投手から初ヒットの2塁打を打ってから、22年目・2618試合目での大記録でした。

張本勲選手は翌1981(昭和56)年に引退しますが、8月20日に行われた西武ライオンズとの試合で森繁和投手から現役最後のヒットを打ち、通算安打数は3085本でした(日本最多安打記録)。

また、張本勲選手は、プロ1年目から現役を引退するまで一貫して背番号10を着用しました。