よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

忘れてはならない史実-鹿児島県南九州市:知覧

2018年01月11日 | 鹿児島
Chiran, Minami-Kyushu City, Kagoshima Pref.

さてさて、鹿児島県南九州市の知覧にやって来て、武家屋敷が並ぶ町並みを訪ねたワタクシですが、
知覧にはもう一か所、どうしても訪れたい場所があったんです。
それは、知覧特攻平和会館という陸軍特攻隊の資料館なんです


特攻隊という人間の命の尊さや尊厳を無視した作戦を、またそのような悲劇を生み出した戦争を
二度と起こしてはならないという思いから、特攻隊員の遺品や資料を展示しているのが
この知覧特攻平和会館なんですよ。ワタクシ、一度はこの場所を訪ねねばならないと思っていました。
なお、館内の遺品や資料は撮影禁止です。撮影が許されたものだけ撮影しています


ここ知覧にあった知覧基地は本土最南端であったため、沖縄戦に向かった全特攻隊の死者1036人のうち
439人が知覧から出撃しました。館内には439人全員の写真が展示されてありました。
17歳から23歳までの青年ばかりです。戦争が無ければ、彼らには輝かしい未来が開けていたはずだったでしょう


彼らが家族にあてた手紙、それは手紙というより遺書と呼ぶべきものだと思いますが、
どの手紙にも共通したことが書かれてありました。
「自分を育ててくれた両親への感謝の思い」「皇国日本のために誇りを持って敵機に突撃する決意」
「自分は笑って死んでいくので、どうか自分の死を悲しまず、むしろ誇りと思ってくれという願い」
これらの言葉が本当の気持ちなのでしょうか。いえ、絶対にそんなはずはありません


家族に送る手紙は軍によって閲覧されますので、そこに戦争を批判する言葉など書けるはずがありません。
本当は死への恐怖、死ぬことへの悔恨、戦争への悔しさ、なによりも両親に会いたい…そんな思いを
手紙に書きつづりたかったはずです。そんな思いを書くことすら許されなかったのでしょう


多くの資料を見て、語り部の方の話を聞き、何度も涙をぬぐわずにはいられませんでした。
知覧から沖縄まで戦闘機に乗って約2時間。死ぬために現地へ向かう2時間は、どれほどの恐怖だったのでしょう


最近、ネットなどを見ていると若い人たちが「日本も核兵器を持つべきだ」「憲法九条が日本をダメにする」
「北朝鮮に武力行使は当然だ」などというコメントを書いているのをよく見かけます。
その意見も全面的に否定はしませんが、もし戦争が起こったら真っ先に戦場に送られるのは若い人たちです。
だからこそ、若い人たちにはこの知覧の資料館や、広島や長崎の原爆資料館を見てほしいと願います


知覧の街の周囲には、知覧茶を生産する広大な茶畑が広がっていました


この美しい青空を、二度と戦闘機や爆撃機が飛ぶことがあってはならないのです。
ワタクシはこの資料館を訪れたことを、忘れることは無いでしょう

使用したカメラ:6,7枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2


新年早々、北朝鮮の独裁者は「核のボタンは私のテーブルの上にある」と米国を挑発し、
米国の権力者が「自分の核ボタンの方が彼のものよりも大きく、強力だ」と応戦しています。
我が国はこれでも米国に追随、追従し続けるのですかねぇ



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「西郷どん」で盛り上がる?-鹿児島県南九州市:知覧

2018年01月10日 | 鹿児島
Chiran, Minami-Kyushu City, Kagoshima Pref.

さてさて、鹿児島県南九州市の知覧を訪ねたワタクシ達は、
武家屋敷が立ち並ぶ独特な町並みを、興味深く歩いておりました


皆さんもご存知のように、江戸時代の日本の人口において、武士が占める割合は5~6%にすぎません。
そんな武士たちを90%を占めていた農民が支えていたわけですが、薩摩藩はちょっと違うんですよ。
薩摩藩は実に人口の25%が武士でした。これは驚くべき数字です


なぜ25%も武士であることが出来たのかというと、薩摩藩では平時は農耕によって自活し、
戦いが起きた時には地頭の指揮下に動員される、「郷士」という武士階級があったんですね。
「薩摩は人をもって城となす」という言葉を思い出すワタクシでした


さて、この1月からNHKの大河ドラマで「西郷(せご)どん」の放映が始まりました。
ここ知覧でもロケが行われたようで、ロケの写真なども展示してありました。
なにせ大河ドラマの経済効果というのは大きく、鹿児島では「西郷どん」の放映によって
観光客がやって来たり、鹿児島の物産が売れることを大いに期待しているようでした


武家屋敷の建物をそのまま利用した「高城庵」(たきあん)というカフェがありました。
ワタクシ達はこのお店で、ちょっと休憩することにいたしました


火鉢の炭で暖を取り、武家屋敷の庭を眺められるなかなか素敵なお店でした


知覧は「知覧茶」と呼ばれるお茶の産地です。このお茶が実に美味しかったんです


ワタクシは練り物が大好きで、鹿児島に来たらさつま揚げを食べるのが楽しみでした。
お店のメニューに「さつま揚げ」があったので、注文してみたらこれがビックリ。
揚げたてのアツアツのさつま揚げが運ばれてきたのですが、大きさが想像するさつま揚げの三倍はありました。
プリプリした揚げたてのさつま揚げは絶品でした。車なので焼酎が飲めないのが残念です


武家屋敷が立ち並ぶ知覧の街はなかなか興味深かったです。ただ、ワタクシには知覧に来たのなら
ぜひとも訪ねたい場所がもう一か所あったんですよ

高城庵…鹿児島県南九州市知覧町郡6329

使用したカメラ:2,4,5枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2


関西で暮らす私は、この10年ほどでいうと「龍馬伝」の時の京都伏見、「軍師官兵衛」の時の姫路城、
「真田丸」の時の和歌山九度山などで、その経済効果の大きさを目の当たりにしました。
そう思うと、日本各地の多くの自治体が地元の英雄を大河ドラマに取り上げてほしいと願うのも、
当然のことなのかなぁと思わずにはいられないですね



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武家屋敷が並ぶ町並み-鹿児島県南九州市:知覧

2018年01月09日 | 鹿児島
Chiran, Minami-Kyushu City, Kagoshima Pref.

さてさて、昨年の12月29日、ワタクシと家人は家人の実家である大分県日田市から、鹿児島に行く予定を立てていました。
紋クンは実家で預かってもらったんです。ありがたいことにお義母さんやお義姉さん、
甥っ子達が紋クンを可愛がってくれるので、預けても安心なんですよねぇ。
紋クンは要領がいいので、上手く可愛がってもらう術を知っているようなんです

ワタクシ達は朝の6時半に実家を出発し、一路鹿児島に向かって行きまして、
約4時間かかって鹿児島県南九州市の知覧に到着したのでありました


江戸時代に薩摩藩(島津77万石)は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、
地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に「麓」と呼ばれる武家集落を作り、
鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせるという独自の統治形態をとっていました。
知覧もその外城の一つであり、当時の武家屋敷群が残っているんですよ


折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と大刈り込みの生垣に当時の面影が残っています。
1981年には国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けていまして、一度は訪ねたいと思っていたのですが、
なにせ九州の南端にある街なので、なかなか訪ねることは出来ませんでした。
しかし、今回やっと念願かなって知覧の街を訪ねることが出来たんですよ


武家屋敷通りに沿って、名勝庭園として国の指定を受けた武家屋敷が、石垣とイヌマキの生け垣に囲まれており、
700メートルにわたって集落を形成しているんです。7つの武家屋敷庭園は見学することが出来るので、
ワタクシ達はゆっくりと武家屋敷街を散策したのでした


中学校の社会科の授業で、「鹿児島県の多くの土地は火山灰で覆われたシラス台地である」と習いましたが、
この白い土がまさに「シラス」なんですよねぇ。地理好きなワタクシはシラスを手にして、
感慨深げに眺めていたのでありますが、そういうことをしているのはワタクシだけでした


ワタクシは京都のお寺で枯山水の庭をたくさん見てきたのですが、枯山水の砂は白い小石です。
シラスのような火山灰の庭園というのは初めてなので、とても興味深く感じました


また、この通りの光景もどこか日本離れしているというか、ワタクシの印象でいうと沖縄でこういう光景を
見たよなぁという印象があったんですよ。考えてみれば薩摩藩と琉球王国は交易が盛んであったので、
琉球の影響があったとしてても当然ですよねぇ


年末だというのに南国薩摩の空は明るく、歩いていると汗ばむほどの陽気でした。
鹿児島、それも薩摩半島の南部にまで行くと気候風土がかなり違うことがわかりました


向こうに見える山を母ヶ岳というのですが、東に聳える母ヶ岳を比叡山に見立てて借景にしたそうです。
京の都というのは、薩摩藩士にとっても憧憬の地だったのでしょうかねぇ

使用したカメラ:5,8枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T1


博多や長崎に行く機会は何度かあったのですが、鹿児島に行くのは40数年ぶりだったんですよ。
鹿児島は遠いなぁという印象が強かったのですが、今では九州自動車道や九州新幹線も開通し、
ずいぶんと交通が便利になりました。なにせ新幹線を利用すれば、大阪を7時に出発すれば
12時前に鹿児島に着くというのは10年前では考えられないことですからねぇ



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