よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

お稲荷さんと狐-島根県津和野町:太皷谷稲成神社

2024年10月03日 | 島根
Taikodani Inari Shrine, Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、津和野の町を見下ろす高台にある太皷谷稲成神社は、なかなか見応えのある場所でした


立派なしめ縄がありました。このしめ縄、10年ごとに新しいものの付け替えられるそうです


「狛犬」ならぬ「狛狐」です。お稲荷さんといえば、狐が必ず祀られていますが、狐は神様ではありません。
狐は神様の眷属(けんぞく)とされています。眷属とは神様の使者という意味です。つまり狐はお稲荷さんの使いということになります


大昔、ワタクシ達の先祖は狐を神聖な動物として捉えていました。それは、狐が農事が始まる春先か秋の収穫期にかけて里に降りて姿を現し、
収穫が終わる頃に山へ戻っていくため、農耕を見守る守り神のように考えられていたからという説があるんですね


人々は、そんなキツネを目には見えない霊獣「白狐(びゃっこ)」として信仰し、五穀豊穣の神様「お稲荷さん」のお使いだと考えました。
これが稲荷神社にキツネが鎮座するようになった由縁だということです。もちろん他にも様々な説があるようです


お稲荷さん(稲荷神社)というのは数が多く、全国に3万もあるんです。もちろん総本社は京都の伏見稲荷神社ですが、
「日本五大稲荷」というのがあるそうで、ここ太皷谷稲成神社はその中の一つに数えられるとのことです。
ちなみに他の4社は伏見稲荷大社・笠間稲荷神社・竹駒神社・祐徳稲荷神社だということですが、
ワタクシはこの中で参拝したことがあるのは伏見稲荷大社だけなんですよ


向こうに石垣が見えていますが、これは津和野城址の石垣です。時間があれば津和野城址まで行きたかったのですが、
山口へ向かう列車の時間を考えて、今回は津和野城址に行くのは見送りました


稲荷神社に行くと多くの鳥居がありますが、これには理由があるんです。願い事が「通る」或いは「通った」御礼の意味から、
鳥居を感謝のしるしとして奉納することが江戸時代以降に広がった結果です。
ですので、江戸時代以前の稲荷神社には鳥居がズラッと並んでいることは無かったのですな


ではでは、次は津和野の町へ向かうとしましょうか。ワタクシにとっては40数年ぶりの津和野散策です

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私が大学生の頃、「アンアン」「ノンノ」という女性雑誌が多数のカラー写真による旅行特集を掲載しました。
美しい写真や記事に刺激され、これらのファッション雑誌を片手に持った多数の若い女性が特定の観光地に押しかけたことから
「アンノン族」と呼ばれるようになったのですが、ここ津和野も当時は「アンノン族」で賑わったんですよ。
今は静かで落ち着いた町で、この日は猛暑だったせいもあるのか、若い女性の観光客をほとんど見ることはありませんでした。



にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へにほんブログ村

よっちんのフォト日記 - にほんブログ村


「稲荷」ではなく「お稲成さま」へ-島根県津和野町:太皷谷稲成神社

2024年10月02日 | 島根
Taikodani Inari Shrine, Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、津和野町なのですが、津和野も重要伝統的建造物群保存地区に選定された美しい町です。
ただ、今回は重伝建の町並みを歩くのは後回しにして、先に町外れの方へ向かいました


ワタクシ達がやって来たのは太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)です。
ここは本殿まで長い石段を登らねばなりません。この日も猛暑になるのはわかっていたので、
まだ暑さがマシな朝のうちにこの神社の参拝をしようと思ったんです


表参道には石段が263段あり、鳥居が約1000本建てられています。ワタクシ達はスタスタと石段を登っていくのですが、
朝9時とはいえもう日差しは強く、すぐに汗がダラダラと流れて来ますわ


10分ほど登ったでしょうか。鳥居の向こうに建物が見えて来ました。どうやら本殿などがある場所に辿り着いたようです


ところで、普通「おいなりさん」って「稲荷」と書きますよね。ところが、ここの場合は「稲成」と書くんです。
「稲成」と表記するのは、願い事が叶うようにとの思いからとされており、
全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記する神社だということなんですよ。なるほどねぇ


境内からは津和野の町を見下ろすことが出来ます。ああ、40年前にもここに来たなと記憶が蘇ってきました


歴史はさほど古いものではなく、1773年に津和野藩7代藩主亀井矩貞が、藩と領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、
三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に稲成神社を創建したのに始まるそうです。
歴代藩主の崇敬を受け藩主以外の参拝は禁止されていたのですが、廃藩後は庶民も参拝できるようになったとのことです


なお、「太皷谷」という名前については、この場所は津和野城の城山の一角に位置していまして、
江戸期には時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であったことから太鼓谷と呼ばれるそうです


ではでは、太皷谷稲成神社の参拝を続けていくとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


「萩・津和野」とセットのようにして取り上げられることが多いせいか、津和野は山口県の町だと思っている人が多いようです。
また、全国的に都道府県の位置で一番間違われるのが島根県と鳥取県だとネットの記事で読みました。
島根県は津和野以外にも出雲大社、世界遺産の石見銀山、松江城、さらには隠岐島など見どころの多い県ですので、
もう少し認知度が高くなってほしいなと個人的には思うんですよ。



にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へにほんブログ村

よっちんのフォト日記 - にほんブログ村


山あいの静かな町へ-島根県津和野町

2024年10月01日 | 島根
Tsuwano Town, Shimane Pref.

さてさて、「青春18きっぷの旅」も三日目となりました。ワタクシ達はこの日も始発列車に乗ろうと、東萩駅に向かいます


東萩駅を6:17に出発する始発列車に乗って、ワタクシ達はまずは島根県の益田駅を目指します。
この列車から見える車窓に広がる日本海と小さな漁港の風景はなかなか素晴らしいものでありました


7:33に益田駅着。続いて7:37益田駅発のJR山口線の列車に乗ります。
ワタクシは小学生の頃から時刻表を見るのが大好きだったので、こういう計画を立てるのはお手のものなんですよ


8:17に津和野駅に到着です。この日は午前中に静かに佇む津和野の町を散策し、
午後の列車で山口市に移動して、山口市に宿泊しようという計画を立てていたんです


津和野は古い街並みが残る美しい町です。観光客も多い町なので、駅舎も随分と瀟洒な造りになっていました。
でも、平日は無人駅でして、土日祝日などはJRではなく観光協会が窓口業務を請け負うそうです。
これは新しい取り組みですし、成功すれば他の駅にも波及して欲しいですねぇ


駅前にD51型蒸気機関車が置かれていました。この車両なのですが、
1973年9月30日に山口線現役時代最後のSL列車「さよならデゴイチ号」をけん引した「D51型194号機」です。
D51はもともと貨物列車を牽引するために造られた車両なのですが、性能の良さから旅客列車を牽引することでも活躍しました


「デゴイチ」はSLブームの代名詞のような機関車でしたが、どこか天邪鬼な子どもだったよっちん少年はD51よりも、
C58やC11のようなローカル線で活躍するSLが好きだったんですよ


SLやまぐち号の運転に合わせて新山口〜津和野間の駅では、旧駅名の駅標も復活したようですね


ではでは、津和野の町の散策に向かうとしましょうか。ワタクシにとっては40数年ぶりの津和野の町です

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


小学校4年生の頃から時刻表を見るのが好きでした。時刻表を眺めているだけで、旅情が掻き立てられる気がしました。
今は出発駅と到着駅を入力すれば、ネットで簡単にルートを検索してくれます。
でも、鉄道の旅ってその途中の行程が楽しいんですよ。ですので、私は時刻表はこれからも存続して欲しいのです。



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。

にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へにほんブログ村

よっちんのフォト日記 - にほんブログ村