Mojiko Station, Moji Ward, Kitakyushu City, Fukuoka Pref.
さてさて、ワタクシ達は「門司港レトロ」の散策を続けてきました、このエリアにはワタクシの大好きな場所があるんです。
それが、この門司港駅なんです。この駅は1914年(大正3年)に門司駅(当時)として開業しました。
関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わいました。
当時の賑わいを今に伝える素晴らしい駅舎なんです。
関門トンネルが現在の門司駅に連結されると1942年(昭和17年)に門司港駅と改称され、
1988年(昭和63年)には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定されました。
2019年(平成31年)には6年にも及ぶ復元工事を終え、大正時代の姿に復元されたんですよ。
現役の駅舎で重要文化財指定を受けているのは門司港駅と東京駅の丸の内駅舎のみです。
なんとも旅情を誘う駅舎です。鉄道が華やかだった時代、長距離列車や夜行列車が次々に発着していた時代を思い起こさせます。
入場券を買って駅の中に入りました。長い長いプラットフォーム。
かつては長大な編成の列車が、蒸気機関車に牽引されてこの駅を出発して行ったのでしょう。
プラットフォームは日本語では乗降場なのですが、この駅のプラットフォームは乗降場という言葉が相応しい気がします。
直方行きの列車が停まっていました。直方といえばかつての筑豊炭田の中心地。
昭和30年代頃までは直方から大量の石炭を積んだ貨物列車が、この駅にやって来ていたことでしょう。
門司港駅ですが、九州の鉄道の「起点(スタート)」であり「終点(ゴール)」でもあります。
そのことを伝えるために建てられているのが「0哩碑(マイルひ)」です。手前にある鐘は「旅立ちの鐘」というそうです。
この水飲み場は「帰り水」と呼ばれています。1914年に駅舎が完成した時に設置されました。駅舎の改修を経ても当時のまま残され、
今も蛇口をひねると水道水が流れます。現在ものどを潤す乗客がおり、100年以上にわたり現役で稼働しています。
大正期は飲み水としてだけではなく、蒸気機関車の煙による顔や手の汚れを落とす洗い場としても活用されました。
終戦後、門司港に降り立った引き揚げ者らが、この水を飲んで 安堵したため、帰り水と呼ばれるようになったそうです。
ではでは、もう一ヶ所九州の鉄道にちなんだ場所に向かうとしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
鉄道好きの人は、その人のこだわりがある分野や活動によって「乗り鉄」「撮り鉄」「模型鉄」などに分類されるんです。
私は40代の頃から「駅」そのものが好きになり、駅を訪れることが好きになったので「駅鉄」かもしれません。
そんな私ですが、門司港駅は間違いなく「私が好きな駅」のベスト5には入る駅ですわ。
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さてさて、ワタクシ達は「門司港レトロ」の散策を続けてきました、このエリアにはワタクシの大好きな場所があるんです。
それが、この門司港駅なんです。この駅は1914年(大正3年)に門司駅(当時)として開業しました。
関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わいました。
当時の賑わいを今に伝える素晴らしい駅舎なんです。
関門トンネルが現在の門司駅に連結されると1942年(昭和17年)に門司港駅と改称され、
1988年(昭和63年)には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定されました。
2019年(平成31年)には6年にも及ぶ復元工事を終え、大正時代の姿に復元されたんですよ。
現役の駅舎で重要文化財指定を受けているのは門司港駅と東京駅の丸の内駅舎のみです。
なんとも旅情を誘う駅舎です。鉄道が華やかだった時代、長距離列車や夜行列車が次々に発着していた時代を思い起こさせます。
入場券を買って駅の中に入りました。長い長いプラットフォーム。
かつては長大な編成の列車が、蒸気機関車に牽引されてこの駅を出発して行ったのでしょう。
プラットフォームは日本語では乗降場なのですが、この駅のプラットフォームは乗降場という言葉が相応しい気がします。
直方行きの列車が停まっていました。直方といえばかつての筑豊炭田の中心地。
昭和30年代頃までは直方から大量の石炭を積んだ貨物列車が、この駅にやって来ていたことでしょう。
門司港駅ですが、九州の鉄道の「起点(スタート)」であり「終点(ゴール)」でもあります。
そのことを伝えるために建てられているのが「0哩碑(マイルひ)」です。手前にある鐘は「旅立ちの鐘」というそうです。
この水飲み場は「帰り水」と呼ばれています。1914年に駅舎が完成した時に設置されました。駅舎の改修を経ても当時のまま残され、
今も蛇口をひねると水道水が流れます。現在ものどを潤す乗客がおり、100年以上にわたり現役で稼働しています。
大正期は飲み水としてだけではなく、蒸気機関車の煙による顔や手の汚れを落とす洗い場としても活用されました。
終戦後、門司港に降り立った引き揚げ者らが、この水を飲んで 安堵したため、帰り水と呼ばれるようになったそうです。
ではでは、もう一ヶ所九州の鉄道にちなんだ場所に向かうとしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
鉄道好きの人は、その人のこだわりがある分野や活動によって「乗り鉄」「撮り鉄」「模型鉄」などに分類されるんです。
私は40代の頃から「駅」そのものが好きになり、駅を訪れることが好きになったので「駅鉄」かもしれません。
そんな私ですが、門司港駅は間違いなく「私が好きな駅」のベスト5には入る駅ですわ。
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門司駅が門司港駅に変わったのですね。
重厚な建物の駅ですね。
中央上部に立派な時計も付いてますね。
レールの起点・終点の0哩碑もありますね。
素敵ですね~~!!
これから国立新美術館へ二科展を見にいってきます
お天気は悪いけど28℃予報が嬉しいです
鉄道駅舎として初めて国の重要文化財。
6年にも及ぶ復元工事で、大正時代の姿に。
もじこうの文字も、レトロでいいな。
石炭を積んだ貨物列車、引き上げ者が
飲んだとされる帰り水。
80年前に、タイムスリップした気持ち
になりました。
凸
ホームにまで行かれたのですね
昔はホームにお水が出て鏡もあったような・・
夜行で降りたときに使ったように思います
東京駅は私も大好きで長く修復にかかっていました
旅と言ったら鉄道の時代でした
確かに国の重要文化財
今の京都駅とは 真逆
いろいろな歴史を見て来た駅なんですね。
ホームに立つと旅情を感じますね。
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🎥を見て頂いた感想コメントも宜しくお願いしますネ。
🔶お互いに今日も元気で頑張りましょ~👋・👋!
素晴らしいです。
国の重要文化財に指定されているのですね☆~
この重圧感凄いですね中もできるだけ当時のままの姿 細かいところまで残ってる
ここ見るだけでも価値ありますね