忘れえぬ人というのは、通常、会ったことのある人で忘れることのできない印象深い人だと思います。私が、ここで取り上げる武藤章中将には私は会ったことはありません。
武藤章中将を忘れえぬ人というタイトルで皆さんにご紹介したいのは、熊本学園大学創設に深くかかわった人だからです。
1942年(昭和17年)、熊本学園大学は東洋語学専門学校としてスタートしました。その折に、文部省は少なくとも10万円の供託金を求めたようです。
当時、陸軍軍務局長であった武藤章氏は陸軍の外郭機関であった興亜院を経由して10万円の創設準備金を仲介されました。
武藤章氏は現在の菊池郡菊陽町のご出身です。もちろん、郷里のためというだけでなく、東洋語学専門学校が当時の国策に合致していたから仲介されたのでしょう。
私は澤地久枝『暗い暦 —二・二六事件以後と武藤章』(1975年・エルム)というノンフィクションを読んで深い感銘を受けました。
武藤章氏は、東京裁判でA級戦犯として東条英機、広田弘毅等とともに1948年(昭和23年)12月23日に絞首刑を執行された7名のうちの一人です。
戦争責任を一身に背負い、慫慂として刑に服されたようです。
澤地さんのノンフィクションは、人間武藤章をルポして感動的なものでした。
武藤章氏は一度も会ったことのある人ではありませんが、私にとってはたんに熊本学園大学創設の功労者というだけでなく、忘れえぬ人となりました。
東京裁判は「勝者の裁判」か「文明の裁判」か、あるいは「法の裁判」か「政治の裁判」か、とも言われ今に至るまで時代により人によりその評価は様々です。
私は近年、戦後、日本人はあの未曾有の民族的悲劇をもたらした太平洋戦争・日米戦争とは何であったのかということに真剣に向き合ってこなかったのではないかという気持ちを強くしております。
マサチューセッツ工科大学名誉教授のジョン・W・ダワー氏は『敗北を抱きしめて—第二次大戦後の日本人(上・下)』(2001年・岩波書店)、『忘却のしかた、記憶のしかた—日本・アメリカ・戦争』(2013年・岩波書店)でこの問題に真摯に、公平に日米戦争について研究しています。
思想家 岸田秀氏はジョン・W・ダワー氏の近著を評して次のように言っています。
「日本には、自国のアジア戦略を正当化する日本人がいる一方で、逆の極端に走って、事実の裏付けもせず、大日本帝国をののしりさえすれば正義だと思っている日本人もいて、日本は善悪を公平に見る批判に欠け、分裂しているようである」。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます