ロシア、崩壊の予感――
すでに周辺諸国の離反が始まっている
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「ロシア帝国」の急拡大とその反転の来歴
ロシアという国は、まるでローマ帝国さながら、モスクワ大公国という小さな都市国家から出発して、17世紀にやっとウラル山脈を越え、1860年にウラジオストックとその周辺の沿海地方を清朝から取り上げて、現在の版図を作った存在。
その間、自由と民主主義、市場経済という近代文明が定着することはなかった。いつも力で社会を抑えつけては停滞を強め、その結果戦争で敗北したり、大衆、地方、あるいは周辺衛星諸国の離反を招いて自壊する。
19世紀半ばのクリミア戦争では、産業革命で近代化した英国、フランス軍への劣勢を暴露して、1861年農奴解放令を発布するが、皇帝アレクサンドル2世は革命勢力に暗殺されてしまい、国は再び保守締め付けへと戻った。
1905年2月、日露戦争がロシア劣勢で展開する中、生活悪化に不満を強めた大衆が首都サンクト・ペテルブルクで陳情行進をし、これに軍隊が発砲する「血の日曜日」事件が起こる。これは全国に飛び火し、皇帝ニコライ2世は結局、議会(お印だけの)の創設を認めるのである。
1917年のロシア革命で権力を掌握したレーニンは、第1次世界大戦から足を洗って国内征圧に専念するべく、領土を大幅に譲ってドイツと講和し、極東では1920年から「極東共和国」を独立させて、シベリアに出兵した日本との緩衝国とする。
そして近々では、1991年8月、モスクワでの保守派クーデター失敗を受けて、ソ連の一部に過ぎないロシア共和国の大統領エリツィンが台頭。ソ連の諸共和国には「主権を欲しいだけ取れ」とけしかけ、ロシア共和国の地方には税収を連邦の国庫には送らないようけしかけて、ソ連邦大統領のゴルバチョフ追い落としをはかったのである。
その年の末になると、連邦諸省庁は職員への給与支払いにも事欠き、幹部は次々にロシア共和国の省庁へと移っていった。その年の12月、エリツィンは自分と同格、ソ連の一部のベラルーシ、ウクライナの首長とかたらって、「ソ連の消滅」を一方的に宣言。ソ連は解体して、今に至るのだ。
つまりロシア人は、一度手に入れた領土は「1センチたりとも譲らない」と、よく凄むのだが、都合が悪くなってくると、領土を取引材料にして愧じない。領土くらいしか、取り引きの材料にできるものがないからでもあるが。
その目で今のウクライナ情勢を見ると、そろそろロシアの方で――ウクライナでではなく――きな臭いにおい、あるいは分裂と崩壊の予感が漂い始めたかなと思う。西側の論壇でもそのことは指摘され始めており、やがて流行のテーマとなり、現実になるかもしれない。どういうことかと言うと――
収拾しようのないウクライナ戦争
まずはっきり言って、ロシアのウクライナ作戦は先が見えない。2月24日攻撃開始時の作戦があまりにもまずかったせいで、ロシア軍は戦車を600両以上、将軍クラスの司令官を10人弱、失っている。
ロシア陸軍が保有する戦車は全部で2400両、今回ウクライナに向けた将軍クラスの司令官は20名ほど。つまりウクライナ方面のロシア軍は、通常の作戦行動が不可能になるほどの打撃を受けている。そしてロシアの工業力では、迅速な補充は不可能だ。
ウクライナ軍は守りに強い装備を持っている。米国などから提供されたスティンガーという「携帯ミサイル」(たった1人で持ち運び、発射ができる)で、ロシアのヘリコプターや軍用機を撃墜し、ジャヴェリンという同じく携帯ミサイルでロシア軍戦車を面白いように狙い撃ちできる。
ウクライナ黒海沿岸に迫ったつもりのロシア揚陸艦は、ウクライナ軍に撃沈されたし、ロシア黒海艦隊の旗艦=司令艦「モスクワ」もウクライナ製ミサイルの餌食になって撃沈された。
第1次世界大戦以来の戦車の時代は終焉を告げているのに、ロシア軍はそれに対応していないのだ。2010年代前半、5兆円相当も予算を上積みして装備を近代化したはずなのに、将軍たちのマインドは第2次世界大戦での成功体験から離れていなかったし、5兆円の相当部分を自分たちのポケットに入れてもいるのだろう。
ロシア軍はキーウ周辺から引き揚げて、ウクライナ東部の完全制圧--これまでも一部を実効支配――に目標を転じた。戦車がもう効かないから、大砲で集中砲火を浴びせて、都市を「地表から消し去る」作戦に転ずるのだろう。
しかし大砲を発射すると、その位置はウクライナ軍が米国からもらったレーダーで探知。ドローンも使ってその位置めがけて長距離砲、あるいはミサイルを発射して撃滅することができる。
だからロシア軍はウクライナ東部を簡単に制圧できないし、悪くすると、これまで実効支配していた地域からさえ追い出されてしまうかもしれない。
仮にウクライナ東部を制圧して停戦に至ったとしても、よたよたの勝利ぶりでは、ウクライナを中立化、武装解除することはできまい。ウクライナ東部と本体の間には山脈も大河もないので、ウクライナ政府軍は東部ウクライナ奪回の動きを止めないだろう。そして西側のロシア制裁は恒久的なものとなる。
2倍のインフレ⁉ 致命的な対ロシア制裁
バイデンがプーチンに警告していたように、ロシア制裁は「前例のない破壊的な」ものである。ロシアの海外資産差し押さえを含むこの制裁は、宣戦布告一歩手前のものだが、ロシアは自分が不法な戦争を始めた手前、西側をなじる論拠に欠ける。
制裁で主なものはまず、通貨ルーブルの弱体化。つまり米国、日本、西側諸国は、自国の銀行にロシアが預けているそれぞれの通貨(ロシアの外貨準備を様々な通貨でその国の銀行に預けてある)を凍結した。
それはロシアの外貨準備総額の半分に相当する約3000億ドル。これでロシアは、ルーブル下落を防止する介入のための資金を大きく失った。
制裁発表直後、ルーブルはドルに対して70ルーブル台から120ルーブル超へと暴落する。それでもロシアは金を中心に3000億ドル強の外貨準備を使えるし、今でも続くEU等への石油・天然ガス輸出の収入(禁輸が行わなければ最大で年間3000億ドル強)も得ている。
そして3月末にはルーブルに対して金の交換を保証(金1グラムは5000ルーブルと定められた)。これでルーブルは現在、1ドルあたり70ルーブル台と、ウクライナ戦争以前の水準に近づいた。
しかし、いつまでこれを続けられるかはわからない。EUは年末までにはロシア原油の輸入を停止し、天然ガスも段階的に削減していく方針を公表しているからだ。抜け道は既にいくつか開発されているが、ロシア原油・天然ガスの輸出量の低下は不可避だろう。おなじく制裁を受けているイランの場合、抜け道を使用しても、原油輸出は制裁以前の半分に減少している。
ルーブル下落が起きると、ロシア国内のインフレは高進する。ロシアは耐久消費財のほぼすべて、そして生産財の一部を輸入に依存しているからだ。ロシア紙によれば、開戦後、ロシアの輸入額は59%の減少を示している。インフレ率は3月で年率15%。年末には30%になっておかしくない。大衆の実感インフレ率は2倍以上になるだろう。
続く